女神様との契約
ノアリスさんは祭壇の前を指さしながら、ゆるやかに頷いた。
「ほな、そこに立っといてんか。儀式なんかすぐ済むよって。おまえさんは、ただそこに立っとってくれたらええから」
俺はうなずき、静かに一歩ずつ床を踏みしめて、祭壇の前に立った。ここだけ空気が違う。呼吸が浅くなり、胸の奥がそっと熱くなる。この礼拝堂は地下のはずだが、なぜか天井から差し込む光が、俺の足元を静かに照らしていた。
「信仰の話はまあ置いといてやな、儀式の前に一つ、言うときたいことがあるんや。教会で"職業"を授かる――これには大きく分けて、2つの利点がある。
まず1つ目やけど、"ギルド"に加入できるようになる。商人ギルドも冒険者ギルドもや。この世界では、教会で正式に職業を授かることを"定職につく"って言うんやけどな、これをせん限り、ギルドには入られへんのや。名乗るだけなら勝手にしたらええ。せやけど、仕事として動こうとしたら話は別や。仕事には責任も金も絡む。だから、教会がその保証人になるっちゅうわけやな。
んで、もう1つ。この儀式そのものが、女神マテラス様との"契約"でもあるっちゅうことや。契約を結ぶことで、その職業に応じた"加護"を受けられるんや。ざっくり言うと、おまえさんの場合、身体能力や魔力が1割ほど底上げされる。これはでかいで。
――せやから、こそこそ"もぐり"でやるよりは、ちゃんと定職についたほうが断然ええっちゅう話や。ちなみにやけど、職業は後から変更もできる。安心しいや。
……以上や。ほな、質問あるか?」
なるほど――教会で職業を授かるってのは、前の世界で言う"資格"みたいなものかもしれないな。それに、バフ…女神様の加護で能力が1割底上げされるっていうんだから、悪くない。転職もできるらしいし、これといってデメリットはなさそうだ。
「質問は特にありません。儀式の方よろしくお願いします」
俺がそう告げると、ノアリスさんは、神聖な紋様が縫い込まれたローブの袖をたくし上げ、胸元から銀のペンダントを取り出した。聖具だろうか、歯車のような印をかたどった模様があった。
「おまえさんの魂の在り様、女神様は見とる。過去も、これからも、ぜんぶな……せやけど、それでも進む力があるなら、天は必ず応えてくれる、これを覚えていてな。では……始めるで」
その声は、いつもの穏やかな調子のまま、けれどなぜか胸に響いた。ノアリスさんは両手を組み、祭壇の上の古い書を開いた。
「汝、選ばれし者よ。摂理の書にその名が刻まれし刻より、運命の輪は静かに廻り始めていた。魔を討ち、理を悟り、剣と術をもって混沌を鎮める者よ。」
静かな祈りの言葉が、石の壁に反響する。
すると、祭壇の上に置かれた水晶が淡く光り始めた。ノアリスさんが水晶に手をかざすと、まるで呼応するように、光は宙に舞い上がり、うっすらと文字を描き出していく。やがて光が、ひとつの形を取った。
ノアリスさんが、宣言する。
「今ここに、万象を統べる女神マテラスの御名において宣言する。いにしえより継がれし叡智と、鍛え抜かれし鋼の意志が交わるとき、世界の真理へと至る道は、その前に開かれるであろう。」
浮かび上がった言葉は、まばゆい光となって、俺の胸に流れ込んだ。
「この刻をもって、摂理の書に命運を刻まれたり。古き契りに従い、今ここに、天命を授けん。
──汝の職は『魔法剣士』── 」
その瞬間、胸の奥に確かな熱が灯る。力強く、それでいて優しい光が、自分の中で静かに燃え始めていた。
そして――女神に仕える天使の声が、確かに俺の内に響き渡った。
『――女神の祝福により、魔剣術を獲得しました』
全身を駆け巡る神聖な光が、まるで魂に直接刻み込まれるかのように熱く、俺を魔法剣士としての存在そのものへと変えていく。これは、ただの礼式ではない。女神マテラスの恩寵が、俺の身に、その全てに宿った証。その瞬間、世界は新たな輝きを放ち、俺の魂は星辰の力を宿したのだと、本能的に理解した。
ノアリスさんが、ゆっくりと微笑む。
「ふぅむ……おまえさんの色になっとるわ。その星の下に生まれたんは、誰かの差配やない。あんた自身の魂が引き寄せ、その手で掴んだ輝きや。見失ったらあかんで。」
俺はそっと頷いた。もう、迷いはなかった。
「おめでとう、コージ。今日より、君は神の導きにより魔法剣士としての道を歩む者となった。君の内に宿る炎は、ただの力ではなく、希望の灯火だ。だから、いかなる困難が待ち受けようとも、その炎を絶やすことなく、進み続けてほしい。コージならば、きっと道を切り開くことができる。神の加護が常に君と共にあらんことを」
エルヴァンからも祝福の言葉を受け取った。正直、まだ魔法も剣術もまともに使えない俺に、本当に魔法剣士になったという実感は湧かない。けれど、たった今までの自分とは、身体の奥底から何かが変わったのがはっきりとわかる。
胸の奥に、手のひらほどの小さいながらも、世界を焼き尽くせるほどに強力な炎が灯ったような――そんな、確かな感覚があった。
「儀式も無事終わったし、これからのこと、ちょっと話そか」
ノアリスさんは、部屋の隅にあるテーブルを指さしながら、穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
皆が席に着くと、ノアリスさんは一枚の大きな地図をテーブルの上に広げた。地図には、山脈や河川、都市の位置などが細かく描かれており、これからの旅路を示しているようだった。
「これはな、大まかやけど大陸全体が描かれた地図や。せやけど、その前にコージ君、ちょっと聞きたいことがあるんや。おまえさんが元いた世界には、太陽と月があって、1日が24時間、1年が365日ってことで間違いないか?」
「そうですっ!? 知ってるんですか!?」
俺は思わず身を乗り出して、ノアリスさんに尋ねた。
「文献で読んだだけやけどな、この世界にも太陽と月があって、1日は24時間、1年が366日。おまえさんのいた世界と、ほとんど変わらへんやろ?
どうやら召喚魔法で、こっちの世界とよう似た場所から呼ばれてるみたいやな。せやから、異邦人はみんな同じ星から来とるっちゅう話や」
「皆同じ星から……? 何のためにですか!?」
「正直、ようわからんのや。おまえさんみたいに特別な存在なら話は別やけど、そんな変わり者は滅多におらん。魔族が召喚しとるんやけど、異邦人が魔族に仕えてるなんて、聞いたこともないしな」
……なんだそれ。魔族は、召喚した異邦人を使う気もないのに呼び出してるのか? そんな理不尽な話があるかよ……。
「ただな、偶然かもしれんが、最近、異邦人の勇者が現れたんや。確かな記録はないが、少なくとも過去500年、異邦人が勇者になった例は聞いたことがないわ」
「――"異邦人の勇者"!?」




