森の修道女
エルヴァンは残りの戦利品をすべて収納し終えると、すぐに周囲を見回し、長居は無用だと、結界内のあの赤い布の場所まで戻ることにした。
「じゃあ、君の適性をじっくり見せてもらおうか」
エルヴァンは木に巻きつけられた赤い布をそっと外しながら言った。
「……また鑑定できなかったらどうしよう――」
「それは心配いらないよ。コージのレベルは、ちゃんと7まで上がってるから」
「えっ、ほんとに!? ずっと変わってなかったらどうしようって思ってたんだけど……」
俺はほっと胸をなでおろし、胸の奥にあった不安が、少しだけ軽くなった。
「本当に大丈夫なんですか?」
「間違いないさ。さあ、マナの流れを確認してみよう」
そう言ってエルヴァンは、指先に淡い翠色の光を灯した。鑑定魔法の発動だ。
「……ふむ。これは…なるほど、力強い体内循環の経路だ。まさしく戦士の系譜。強い自己強化の才能があるね」
「俺の適性は、戦士系なんですかっ!?」
「ん…? しかし、待て。この流れとは別に、極めて明瞭な放出経路も見える…? まるで、生ける魔法陣のような…」
エルヴァンの声には困惑の色が混じり始めた。どうやら俺には、二つの異なる回路が同時に存在しているようだ。だが、驚きはそれで終わらなかった。
「まさか……!?」
エルヴァンがハッと目を見開いた。鑑定の光が乱れ、彼の白い手が微かに震えている。
「ありえない…三つ目…? これは…外へと放出し、そして…他者へと流し込むための回路…? しかも、他の二つと同等か、それ以上に洗練されている…!?」
彼の透き通るような瞳が、信じられないものを見るように俺を捉えた。鑑定魔法の光は収まったが、エルヴァンの動揺は隠せない。
「体内循環…戦士の回路。体外放出…魔法使いの回路。そして、放出・対象への循環…ヒーラーやモンクの回路…。三つ…? 三つの異なるマナ回路が、一つの魂の中に、これほど明確に、完全に、鼎立して存在するなど…!」
エルヴァンは言葉を失い、ただ俺の顔と、先ほどまで鑑定していた胸元あたりを交互に見つめている。森の静寂の中、彼のか細い息遣いだけが聞こえる。
「こんなこと…永い時を生きてきたが、文献にも、伝承にも…聞いたことがない…! コージ、君は…一体、何者なんだ…?」
エルヴァンの冷静さを失った驚愕の表情が、俺の持つマナ回路の異常さを何よりも雄弁に物語っていた。やがて、その瞳に宿る光が変わる。
「……君には、あらゆる道を歩む素質がある、ということだ」
エルヴァンの声は低く、しかし森の空気を震わせるほどの重みがあった。
「剣を振るい、敵を斬り伏せる戦士として。大気を操り、天変を呼ぶ魔術師として。癒しを与え、命を繋ぐ僧侶として……いや、それだけではない。三つの回路を自在に扱えるということは、いかなる境界をも越えられる可能性を秘めているかもしれない」
エルヴァンはそっと、俺の胸元に再び視線を落としながら、問いかけた。
「だからこそ、コージ。私は知りたいのだ。君自身の望みを。もし、君が千の道から自由に選べるとしたら――君は、どの道を選ぶ?」
その言葉が、心に重くのしかかる。選べる、ということは自由だ。だが、それは同時に、無数の可能性を断ち切るということでもある。
選ばなかった道の先にあったはずの輝きが、今も幻のようにちらつくことがある。ああ、もしもあの時、別の選択をしていたらと、締め付けられるような想いが消えないのだ。
俺は黙ったまま、足元の落ち葉を見つめる。風がそれをわずかに巻き上げて、また地に戻す。森の木々がざわめき、まるで俺の内心の混乱を映しているかのようだった。
――戦士になれば、人を守れる。誰かの前に立ち、危険から身を挺して戦う力が手に入る。
――魔法使いになれば、世界の理に触れ、未知を解き明かせる。全てを見通す目が得られるかもしれない。
――ヒーラーになれば、誰かの涙を止められる。命を繋ぎ、希望を与えられるかもしれない。
どの道も、魅力的だ。どれも、俺の中の"何か"が反応している。
でも――それが、俺の"望み"なのか?
「……分からない」
思わず、声に出していた。自分でも驚くほど、弱々しい声だった。
「俺は……ずっと、"選べない"側の人間だったんだ。何になりたくても、力がなかった。何を望んでも、それを叶える手段がなかった。でも、今は違う。何でもできる……はずなのに、逆に怖いんだ」
エルヴァンは静かにうなずく。
「そんなことで悩んでるのかい。選ぶ者も選べぬ者も、結局は同じさ。未来は見えず、後悔は生まれ、人は迷う。皆、変わらないよ。
だから、未来に怯えず、過去に囚われず、ただ、今できる最善を、自分の心に従って選び取り、その結果を受け入れて進めばいいんじゃないか」
今できる最善か――俺は深く息を吐いた。霧のように白く広がった息が、すぐに森の冷気に飲まれて消えていく。
自分の"望み"とは、何だ? ……母さんに会いに、元の世界に戻ることだ。そのためには、この世界で生き抜かないといけない――そのためには、強くならないといけない。
でも、「強さ」って何だ? 剣を振るうことか? 魔法を操ることか? 命を癒す力か?
いや、きっとそれだけじゃない。
俺は――誰かを救える人間になりたい。誰かの絶望を希望に変えられるような、どうせならそんな"強さ"を手にしたい。それが、母さんの待つ世界に戻ったとき、胸を張って「ただいま」って言える自分に繋がる気がするんだ。
「……まだ、分からないよ。どんな職業が俺に合ってるのかなんて。でも」
俺は顔を上げ、エルヴァンの目を見た。風が止んだ。木々が静まり返ったように感じた。
「どの道も捨てたくない。全部、知りたい。全部、試したいんだ。俺は……"選ばない"って選択を、してみたい」
「は? そんなん、"魔法剣士"一択やろ」
突然、背後から軽やかで自信に満ちた女性の声が響いた。
えっ――誰だ!?
俺は思わず振り返る。そこに立っていたのは、見知らぬ女性――けれど、ただ者ではないとすぐに分かった。
長い銀糸のような髪が肩にゆるやかに波打ち、深い森の奥を思わせる翠の瞳が、まっすぐにこちらを見つめている。肌は透き通るように滑らかで、年齢を感じさせない凛とした美しさがあった。
たおやかな身体のラインには、若さとはまた違った豊かさと落ち着きがあり、立ち姿だけで思わず見とれてしまうほどの威厳と風格をまとっている。
――まるで、遥かな時を超えてきた木霊のような、そんな不思議な存在感があった。
「これは……ノアリス様!? い、いらしていたのですね……!」
エルヴァンは目を瞬かせ、少しだけ声を上ずらせながらも、すぐに丁寧な所作に戻った。
「紹介しよう。この方はノアリス様。修道女であり、里にある修道院の院長を務められている。昨日話した魔法に詳しい方ってのはこの人のことなんだ」
このエルフの女性が魔法に詳しいという御人――。でも、"魔法剣士"って?
「はじめまして、僕は一雙幸治といいます」
「ウチはノアリスや。君のこと、リセルナから聞いてるで。異邦人なんやってな」
「はい……実は、元の世界に帰りたくて。その方法を教えてもらえたらと思って……」
出会って早々、俺は思わず心の内を打ち明けていた。
「もどる方法はあとで考えるとしてや、選ばへんってどういうことなん?」
ノアリスの穏やかな笑みが、ふと翳りをみせ、彼女の瞳に宿っていた柔らかな光は、鋭い観察者のそれに変わっている。
「コージ君やったな。それはな……"なんでも手に入れたい"思うてるようで、ほんまは"なんも背負いたくない"っちゅう、逃げなんや」
一瞬、心臓を握られたような気がした。高尚な理想を語っているつもりでいたが――実のところ、俺はただ、楽な道を探しているだけなのかもしれない。
一つの道を選び、それが自分に向いていなかったと知るのが怖い。努力が報われなかったときの挫折が怖い。責任を負うことも、怖い。だからこそ、"全部"という言葉で、その恐怖を覆い隠そうとしているのではないか。これから直面するであろう困難や痛み、そして責任から、目を逸らしているだけではないのか。
結局、俺は――ただ、後悔するのをビビっているだけだ。エルヴァンの前で高らかに宣言したはずの決意が、途端に薄っぺらで、卑怯な言い訳のように思えてきた。
「"道を選ぶ"いうんはな、"何かを捨てる"っちゅうことやろ。それは怖いことや。せやけど、せやからこそ、選んだ道に"意味"が生まれるんや。――全部抱え込もうとしたら、その重さに押し潰されるんが、この世の理や」
ノアリスの瞳は、真っ直ぐ俺を見つめていた。そこには甘やかしも、憐れみもなかった。ただ、ひとりの人間として、問いかける目だった。
「誰かを救える人間になりたいんやろ? 誰かの絶望を、希望に変えられるような強さを手に入れたいんやったら――しっかり前を見据えて、自分の足で道を選ばなあかん」
たしかに俺は、誰かを救えるような"強さ"が欲しいと思った。だが、今の俺にあるのは、困難から逃げ出す"弱さ"だけじゃないか。
……って!? 俺、強くなりたいなんて口にした覚えはないぞ…。そういえば昨日、エルヴァンが"念話"がどうこうって言ってたっけ。あれって、つまりテレパシーのことだよな?
まさか……エルフって、人の心が読めるのか? 俺はハッとして、思わずエルヴァンの方に視線を向けた。
「フン。驚くことはあらへん。それくらいの強い想いは、うちには筒抜けや。でも安心せぇ。この芸当ができるんは、大陸じゅう探しても、うちと、あともう一人くらいのもんや」
それを聞いて、少しだけ肩の力が抜けた。でも――やっぱりノアリスさんの言う通りだ。
そしてエルヴァンの言葉もまた、胸に響いている。今の自分にできる最善を尽くすこと。覚悟を決め、自分の意志で未来を選び取ること。それが"自分の人生"を生きるってことなのかもしれない。
後悔しないためにも――きっと、それが何より大事なことなんだ。
「わかりました、俺、やります! ……それと、さっき"魔法剣士"って言ってましたけど、推す理由はやっぱり一番強いからですか?」
「せやな。剣士が魔法も使えるんやから、そら強いで。せやけど、もう一つある――魔法剣士の上位職が、最強の"勇者"やっちゅうことや」
「――"勇者"!?」




