霊装剣 - エンチャンテッド・スピリット・ブレイド
「そこに宝箱あるで、鍵はかかっとらんから、コージ君、開けてみぃ」
魔物を倒した高揚感に浸っていた俺を横目に、ノアリスさんが朗らかな声で言った。舞い上がっていたせいで、目の前の宝箱の存在に全く気づいていなかった。
鍵がかかっていないと聞いて、俺は逸る気持ちを抑えきれずにすぐに開けてみた。机ほどの大きさがある宝箱だから、さぞかし大量の財宝が詰まっているだろうと期待したのだが、中にあったのは、ただ一つ、黒ぐろとした鏡のようなものだけだった。
それを見るなり、ノアリスさんは目を輝かせた。
「お、"査定盤"やん。大したもんやないけど、今のおまえさんには喉から手が出るほど欲しいもんやろ?」
俺が『査定盤……?』と呟くと、隣にいたエルヴァンが穏やかに説明してくれた。
「それは"魂魄の鏡"と呼ばれるものだよ。持ち主のレベルやステータスを正確に映し出すんだ。鑑定魔法やスキルが使えない者にとっては、これほど重宝するものはないから、良いものを見つけたね、コージ。それと、コボルトマモンの牙と爪、マナ輝石を回収しておいたよ」
そう言って、エルヴァンは丁寧に牙や爪を手渡してくれた。鑑定魔法が使えない俺にとって、この査定盤はまさに渡りに船だ。
早速、試しに査定盤を覗き込んでみる。すると、鏡面がうっすらと赤く発光し、そこに文字が浮かび上がってきた。俺のレベルやステータスが、驚くほど詳細に表示されている。
コボルトマモンを倒しただけではレベルは上がっていなかったけれど、これは確かに、これからの旅路で手放せなくなる便利な道具かもしれない。
「コージ君、また来おったで。二匹おるな。今度は魔法で倒してみよか。術名を言えば、さっきみたいに暴走はせんと思うで」
ノアリスさんが静かに告げた。礼拝堂の時よりも俺のレベルは格段に上がっている。それと同時に、感覚も以前とは比べ物にならないほど鋭敏になっている。これまで気づきもしなかった微かなマナの流れが、今では肌で捉えられるほどだ。
この感覚は、きっと成功を予感している。今度こそ、俺は魔法を操れる。そう、確信にも似た思いが胸に湧き上がっていた。
「フレアショット!」
俺が叫ぶと、掌から放たれた灼熱の塊が、唸りを上げて魔物へと飛翔した。それはまるで、獲物を狙う猛禽のように、正確にコボルトマモンの胴体に着弾した。
次の瞬間、業火が花開くように全身を包み込み、耳障りな甲高い悲鳴が聞こえ、肉が焼ける焦げ臭い匂いが鼻腔を衝き、魔物は黒い塊と化して地面に崩れ落ちた。
「その調子でもう一匹や!」
ノアリスさんの声が響くより早く、俺は二匹目のコボルトマモンへとフレアショットを放っていた。指先から、奔流のごとく炎がほとばしり、真っ直ぐに魔物の額を捉えた。
『グオォォッ!』と魔物の断末魔の叫びが響き渡る。魔物は狂ったように地面を転げ回り、全身が黒く煤け、やががて力尽きたように絶命した。
「ええんちゃうん!?」
ノアリスさんの弾んだ声が、空間に響いた。
「やっぱり君のは、威力が強いな。普通の初級魔法のフレアショット一発じゃ、コボルトマモンは倒せない。まるで中級魔法くらいの威力だ」
エルヴァンが感心したように呟く。どうやら俺の魔法は、一般的なものよりも桁外れの威力があるらしい。以前、マナの回路が洗練されていると言われたが、その影響なのかもしれない。
「それじゃ、じゃんじゃん探索しよか!」
ノアリスさんの溌溂とした声が、再び迷宮に活気をもたらした。俺たちはその言葉を合図に、迷宮の隅々まで探索を開始した。
それから――俺達は無事に迷宮の探索を終え、入口の門まで戻ることができた。しかし、期待していた宝箱はほとんどが空っぽで、手に入ったのはポーションが2つだけという寂しい結果に終わった。
ただ、無数の魔物との戦闘は決して無駄ではなかった。およそ50匹ものモンスターを倒したことで、俺のレベルは2つ上がっていた。
「"魔魂パペット"はなかったなぁ、どこの迷宮で見たんやろなぁ」
ノアリスさんが首を傾げながら呟いた。それに答えるように、エルヴァンが静かに口を開く。
「近場だと、南にある迷宮でしょうか。来た道を戻る必要がありますね。あとは少し遠いですが、ここから北西にもあります。ただ、結構歩きます」
彼の視線が、どこか遠い空の彼方を見つめている。
「でも、北西の迷宮は"ティアツー"なので、魔魂パペットがある可能性は高そうですね」
「ティアツーってなんですか?」
俺は不思議に思って、エルヴァンに尋ねた。
「ああ、迷宮のランクだよ。今入った迷宮はランクで言うと"ティアスリー"にあたり、初級といったところかな。だからティアツーは中級に当たるね。規模も魔物の強さも段違いになるよ」
より強い魔物、より広大な迷宮……、エルヴァンの言葉に、俺の胸は高鳴った。
「北西の迷宮に行くかい? コージ君もティアスリーの魔物じゃ物足りんやろ?」
ノアリスさんが、俺の心を読み取ったかのように言った。その言葉に、すかさずエルヴァンが釘を刺す。
「ですが、北西の迷宮までは遠いです。コージは強くなりましたが、まだまだ森の魔物とまともに戦えるレベルではありません」
「飛んでいけばええやん」
ノアリスさんは、こともなげに言い放った。
飛んでいける? 俺は耳を疑った。飛べたの?
「実はな、こんなこともあろうかと、"絨毯"を持ってきとるんや」
絨毯……。まさか、空飛ぶ絨毯のことか!? そんな夢のような代物が、この世に存在するのか!? 俺の心臓は、期待と興奮で激しく脈打つ。
「ひょっとして、空飛ぶ絨毯とかあるんですか!?」
俺は興奮を抑えきれず、前のめりになって尋ねた。ノアリスさんは、俺の熱狂とは裏腹に、そっけなく言い放つ。
「絨毯が空飛ぶわけ無いやろ」
その言葉に、俺の期待は音を立てて崩れ去った。
ずぅっと黙って考え事をしていたエルヴァンが、不意に顔を上げた。その表情には、どこか決意の色が宿っている。
「わかりました、飛んでいきましょう」
それを聞くやいなや、ノアリスさんは次元折畳器から、赤い巻かれた絨毯を取り出し、エルヴァンに手渡した。
エルヴァンは絨毯を担ぎ、そのまま躊躇なく崖を飛び降りた。俺は驚愕して下を覗き込む。すると、エルヴァンは何事もなかったかのように、悠然と地面の上を歩いていた。
その光景は、あまりにも常識外れで、俺の頭は混乱するばかりだ。
「すぐ出来上がるから、まっときぃ」
ノアリスさんが、得意げに笑った。何ができるのか尋ねると、彼女は涼しい顔で答える。
「"筏"や」
「筏!? 筏なんか作ってどうするんですか?」
俺は思わず、間の抜けた声で聞き返した。この状況で"筏"という単語が出てきたことに、思考が追いつかない。
「エルヴァンの星脈は風。さらに"風の精霊"持ちでもあるから、風を使うのがうまいんや。つまり、その筏を"風魔法で浮かせて"、文字通り空を飛んでいくっちゅう話や。それに、歩くよりは、いくらか早くつくと思うで」
ノアリスさんは、俺の呆然とした表情を面白がるように、にやりと笑って説明した。なるほど、風魔法の揚力を利用するのか。それは確かに理にかなっているし、何より楽でいい。
そういえば、あの忌まわしいドラゴンとの戦いで、エルヴァンの風魔法には何度か救われたんだった。
「そうだったんですか。でもやっぱり空にも魔物はたくさんいるんですよね?」
俺が尋ねると、ノアリスさんは腕を組み、わずかに顔をしかめた。
「陸よりは少ないかもしれんが、そりゃあ、たくさんおるで。ただ、空中戦は不利やから、魔物とは戦わん。あくまで魔法で追っ払うだけや。いちいち相手にしとったら身が持たんわ。」
その言葉に、少しだけ安堵した。
しばらく待っていると、突如として空を切り裂くような風音が響き渡った。見上げると、エルヴァンが乗った奇妙な影が近づいてくる。
それは間違いなく"筏"らしきものだった。大きさは三畳ほどだろうか。よく見ると、粗削りな丸太の骨組みに、絨毯を巻き付けただけの、なんとも形容しがたい粗末な代物だ。
だが、外見とは裏腹に、驚くべきことに、それは確かに風をまとい、優雅に宙を滑空していた。
「お待たせいたしました。ノアリス様は一番後ろへ、コージは真ん中に座ってくれ」
エルヴァンに促され、俺とノアリスさんはぎこちなく筏に乗り込んだ。途端、筏は『ヴゥン』という低い風の唸りを上げながら、ぐんぐんと上昇し始めた。
地上で見る景色が、あっという間に豆粒のように小さくなっていく。
「ノアリス様、魔物の方は頼みましたよ」
エルヴァンが少し緊張した面持ちで言うと、ノアリスは頼もしい笑みを浮かべて胸を張った。
「まかしときぃ!」
ノアリスさんの力強い言葉が、俺の胸にじんわりと響く。一抹の不安は拭えないものの、それよりも確かな期待感が、俺の心を大きく満たしていくのを感じた。
それから四半時ほどで、迷宮に無事に着くことができた。巨大な蛾みたいなのが何度も襲いかかってきたが、その都度ノアリスさんが炎の魔法で追い払っていた。
この迷宮の入口は丸い石畳の真ん中に大きな祠が建っているだけの質素な作りで、そこが入口になっていた。
早速、俺が呪文を唱え、門を開け中を覗き込むと、早速サソリのような魔物が待ち構えていた。体表は岩のように硬そうで、鈍い光沢を放っている。何より目を引くのは、その尾の先端で蠢く、禍々しい毒針だ。
「あれはアズール・スコーピオンやな。ティアツーの魔物はティアスリーより、倍以上強いから気を付けてな」
とノアリスさんが言った。俺は剣を抜き、早速、小手試しに突きを放った、太く大きなハサミで防がれてしまった。
サソリは甲高い威嚇音を立てながら、八本の脚で素早く地面を駆け、距離を詰めてきた。左右に大きく開いたハサミが俺を狙っている。挟まれればただでは済まない。
「速っ!」
俺は間一髪でハサミをかわし、その勢いのままサソリの側面へと回り込む。狙うは関節、あるいは脚の付け根だ。
しかし、奴の動きは予想以上に俊敏だった。狙いを定めた剣が、硬い甲殻に弾かれる。キィン、と金属音が洞窟に響いた。
その瞬間、サソリの尾が鞭のようにしなり、猛烈な速度で俺の顔面めがけて振り下ろされた。咄嗟に剣でガードするが、毒針の先端が俺の腕を掠める。
「ぐっ……!」
不用意に近づけば、ハサミで捕まれ、尾の毒針でやられそうだ。それに、この骨剣では硬い甲殻に弾かれてしまう。まさに"刃が立たない!?"というやつだ。
「コイツ、骨剣で倒せますかね?」
俺が尋ねると、ノアリスさんはあっさりと首を振った。
「無理やろなぁ」
「えっ!? じゃぁ、どうすればいいんですか!?」
焦る俺に、ノアリスさんは静かに告げた。
「コージ君は魔法剣士や。ティアスリーで戦闘経験をたくさん積んだんやから、もうそろそろいけるやろ。魔法剣士はな、魔法が使えるぶん、純粋な剣士よりどないしても力で劣るんや。でも、それを補うための固有スキルがある……、それが"霊装剣"」
魔法剣士の固有スキル――"霊装剣"!? 俺は瞠目した。
「コージ君の剣には、まだ"魂"がこもっとらん。おまえさんは多分、剣を"ただの道具"やと思っとるんやろ?」
ノアリスさんの言葉は、図星だった。俺は剣を、ただ敵を斬るための道具だと考えていた。
「違うで。剣とは自身の"写し身"や。おまえさんの手足であり、心の表れでもある」
剣は俺の一部であり、自身だと思えと?
「マナとは、魂の力、霊的エネルギーであり、"生命の力そのもの"や。それは、おまえさんの体の中を巡るもの。そしてそれを剣へと流れ込ませるわけやから、剣とは己自身そのものでなくてはならん。
だが、ただ流し込むだけでは、それはすぐに消えてしまう。剣にマナを定着させるには、剣と一体になる必要がある。コージ君のマナを、魂を、この剣に刻み込むんや」
ノアリスさんは俺の目をまっすぐに見て言った。
「まず、剣の"呼吸"を感じるんや。剣にも、コージ君と同じように、命がある。おまえさんが息を吸い、吐くように、剣もマナを吸い込み、そして定着させる瞬間がある」
呼吸……? 俺は困惑した。剣に呼吸などあるのか。
「集中しい。剣の柄を握るその手から、マナをゆっくりと、まるで水が染み込むように流し込む。そして、剣がマナを受け入れたと感じた時、その瞬間を逃さず、一気に、おまえさんの意識の全てを剣に注ぎ込むんや。さあ、やってみい。コージ君ならできるはずや!」
ノアリスさんの力強い声が、俺の背中を押した。俺は言われた通りに集中し、剣に意識の全てを注ぎ込む。
すると、握りしめた骨剣が、まるで俺のマナを吸い込んだかのように、うっすらと輝き始めた。
「それや! 剣に魔力を定着させる"結びの時"や! そのまま剣と完全に同調すれば、マナはおまえさんの意のままに剣に宿り、より強力な力を発揮するで!」
ノアリスさんの言葉に、俺は確かな手応えを感じた。この輝きこそが、俺と剣が一体となった証。
サソリの魔物は、俺の霊装剣を見るや否や、警戒したようにハサミを構え、チィッと威嚇の声を上げた。奴も、俺の剣から放たれる今までとは違う気配を感じ取っているのだろう。
「いける……!」
俺は確信した。ノアリスさんの言葉が脳裏をよぎる。『剣とは自身の写し身や。おまえさんの手足であり、心の表れでもある』。今、俺の骨剣は、たしかに俺の一部となり、俺の魂が宿っている。
俺は骨剣を構え、一歩、魔物へと踏み込んだ。その瞬間、剣が再び強い光を放ち、まるで俺の意思を汲み取ったかのように、その刀身に淡い緑色の光の刃が生成された。
それが、"霊装剣"。
「ギャアアアア!」
魔物は、その異様な光景に怯んだのか、後ずさりする。だが、俺はもう躊躇しない。意識を集中させ、マナを剣へと流し込む。緑色の刃はさらに輝きを増し、その存在感を主張する。
骨剣を大きく振りかぶると、甲高い風切り音が響き渡った。狙いは、サソリの魔物の頭部。奴の硬い甲殻を打ち破るには、ここしかない。
「ハァアアアア!」
渾身の力を込めて、剣を振り下ろす。魔物はとっさにハサミで受け止めようとするが、霊装剣の放つ緑色の光は、そのハサミをやすやすと貫通し、そのまま魔物の甲殻へと食い込んだ。
「グギィッ……!」
甲殻が砕ける嫌な音が響き、魔物は大きくのけぞった。霊装剣の刃は、魔物の頭部に深く突き刺さり、その肉体を内部から破壊していく。緑色の光が魔物の体内を駆け巡り、やがて爆ぜるように拡散した。
魔物の巨体が、ゆっくりと、しかし確実に傾ぎ、やがて地響きを立てて倒れ伏した。毒針も、ハサミも、もう動かない。
俺は、大きく息を吐きながら、霊装剣を構えたまま立ち尽くした。マナを少し消費した疲労感はあるが、それ以上に、今まで感じたことのない達成感が胸を満たす。
「やったな、コージ君!」
ノアリスさんが、にこやかに近づいてくる。
「ええ、なんとか……」
俺は、未だ輝く剣を見つめた。これこそが、俺の、そして俺の剣の新たな力――。