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迷宮の入口

「ええやろ。おまえさん、まだレベル7やし、マナの量も限られとる。これから迷宮ダンジョンに行くんやから、無駄遣いせんようにな。


 それと、魔法ちゅうのは、術者のイメージを現実に"確定"させるもんや。さっきのが安定せんかったんは、術名を口にしてへんかったってのもあるな。慣れてきたら無言でも使えるようになるけど、イメージを固定化するためにも、術名は声に出したほうがええ。せやから、次に使うときは『フレアショット』って言うてみ」


「わ、わかりました……! 『フレアショット』ですね。次はちゃんと術名を言ってから使ってみます」


 イメージを"確定"……か。そうだった。やっぱり今の俺には……まだむずかしい。


 それからしばらく歩いたころ、エルヴァンがふいに立ち止まり、前方の木を指さして言った。


「コージ、あれだ。さっき赤い布を巻いておいた木。もうすぐ結界の外に出るから、警戒を強めてくれ。今回は少し東寄りになる。こっちだ。……ああ、そんなに遠くはないよ」


 結界の外か。危険な場所のはずなのに、今は不思議と心が落ち着いている。俺も以前とは違う。少しは成長できた――そう思える。何より、今回はノアリスさんが一緒にいる。


「コージ君は、迷宮に着くまで何もせんでええ。ウチが全部倒すから、戦わんでええんやで」


 と、ノアリスさんが頼もしく言い切った。


「確かに、コージは格段に強くなったが……装備もしていないし、まだこの森では無力だ」


 エルヴァンの言葉に、俺はハッとした。そういえば、少しばかり強くなった気でいたが……、装備といえば骨剣一本だけ。防具どころか、護身用の小道具すら持っていない。今のままじゃ、モンスターに遭遇したらひとたまりもないな……。


「ここから先は結界の外や。ウチが先頭に立つから、エルヴァンは背後の敵を頼むで」


「わかりました」


 エルヴァンが背後を守ってくれるという。頼もしい限りだ。風景は変わらずとも、空気が一変した。辺りに漂う緊張感が肌を刺す。もはや道中のおしゃべりも途絶え、俺たちは静かに、だが確実に前へと進む。一歩進むごとに、得体の知れない気配が色濃くなり、得物の柄を握る手に自然と力が入った。呼吸を潜め、五感を研ぎ澄ませる。俺はいつでも動けるように、身体の奥底で力を巡らせていた。


 しばらく進むと、ノアリスさんが前方を指差して言った。


「あれが迷宮の入口や」


 視線の先には、崖の中腹に古びた門がはめ込まれているのが見えた。モンスターと出くわすことなくここまで来られたことに安堵したのも束の間、


「来たでっ!」


ノアリスさんの声に振り向くと、そこには大きな緑色の豹のモンスターがいた!


「……まずいな」


 ノアリスさんが低くつぶやいた。その一言に、背筋が凍る。ノアリスさんが『まずい』と言うなんて――あのモンスター、よほどの強敵なのか。


 すると、すぐ隣のエルヴァンが淡々と語り出す。


「見えているのは、"猛毒斑豹ネクロティック・ヴェノム・パンサー"。斑点に猛毒を宿す豹型の魔獣で、攻撃力も機動力も高く、手ごわい存在だ」


 しかし、エルヴァンの視線はその背後に向けられていた。


「だが、本当に厄介なのはその"後ろ"にいる。見えるか? 黒っぽい、霧をまとったような……」


「……あ、あれですか。確かに、何かいる……黒いスライムみたいな」


 よく目を凝らすと、猛毒斑豹の背後に、黒いもやに包まれたスライム状のものが静かにうごめいていた。


 ノアリスさんが声をひそめる。


「そいつが、"冥府魔漿ダーク・プラズモイド"。この森で最も危険な魔物のひとつや」


「え……あれが?」


 黒い霧をまとっているせいか、輪郭が曖昧で、まるで影が生きているかのようだった。ただそこにあるだけで、周囲の空気がどんよりと沈んでいるのを感じる。ノアリスさんが豹ではなくスライムに警戒を向けていた理由が、じわじわと理解できてきた。


 冥府魔漿ダーク・プラズモイドに気を取られていた、その一瞬の隙だった。


 ――いつの間に!?


 気づけば猛毒斑豹ネクロティック・ヴェノム・パンサーがノアリスさんの目の前まで接近していた。その鋭い牙が閃く刹那。


「遅いわ」


 ノアリスさんが指を鳴らす。


 瞬間――猛毒斑豹の身体が激しく燃え上がった。炎に包まれたその獣の背に、今度は雷鳴が轟き、上空から雷撃が直撃。さらに氷の槍が無数に降り注ぎ、全身に突き刺さる。あまりの光景に、何が起きているのか理解が追いつかない。


 そして、燃え焦げた猛毒斑豹は、声もなくその場に崩れ落ちた。


「……すげぇ……」


 呆然とする俺に、ノアリスさんは背を向けたまま言った。


「コージ君、ヘイトは全部ウチが引き受ける。合図したら、冥府魔漿に攻撃して。撤退の合図をしたら、エルヴァンの背後まで速やかに下がるんや」


「わ、わかりました……でも、俺の攻撃って、あんなヤバそうなやつに通用するんですか?」


 ノアリスさんはちらりと笑った。


「ヒットすれば通用する。……"運"やけどな」


「運!? マジっすか……」


 あまりに不確かすぎる言葉に、思わずつぶやいてしまう。だがノアリスさんはもう構えていた。手には魔力を宿した氷の槍が浮かび、空気がひんやりと引き締まっていく。


「――じゃ、いくで!」


 その号令とともに、ノアリスさんの氷の槍が音もなく放たれ、黒い霧をまとう冥府魔漿へと鋭く突き刺さった。


 しかし、冥府魔漿は何事もなかったかのようにゆっくりとノアリスさんに近づいてくる。


 次の瞬間、黒いモヤがノアリスさんの周囲に渦を巻き、上空には紅い奇妙な形をした大鎌が出現した。その大鎌はノアリスさんめがけて振り下ろされた。


「あれは"冷酷グリムなる収穫ハーヴェスト"という即死魔法だ」


 エルヴァンが言った。


「ノアリスさんは大丈夫なんですか!?」


 俺が尋ねると、


「大丈夫だよ。冷酷グリムなる収穫ハーヴェストが効果を発揮するのは、5回に1度の頻度だ。それにノアリス様は"三世さんぜ玉響たまゆら"という、即死魔法を3回まで身代わりしてくれるアーティファクトをお持ちだ」


 ヒット率はわずか20%。しかも、3度まで身代わりしてくれるアーティファクトを装備しているなら――少なくとも即死の心配はなさそうだ。


「冥府魔漿は一度の攻撃で4発連続して冷酷グリムなる収穫ハーヴェストを放つが、それが終わるとしばらく攻撃してこない。だからそのタイミングで、君が攻撃するんだ。ほら、4回目のグリムハーヴェストを撃ち終えるぞ」


 エルヴァンの言葉に目を凝らすと、確かに冥府魔漿の鎌が霧の中に消えた。攻撃のターンが終わるまで待てば、安全に動ける。そう理解した瞬間、ノアリスさんの声が飛ぶ。


「コージ君、出番やっ! ぶっ倒し!」


 俺は頷き、足を地面に踏みしめて一気に駆け出す。冥府魔漿の本体――黒い粘液の塊のようなそれへ、骨剣を構えて斜めに振り下ろす。


 初めての実戦、魔法剣士としての初陣。だが不思議と緊張はなかった。相手が人でも獣でもないからだろうか。ただ、斬る――それだけに集中した。


 ……だが。


 あれ? 手応えが、ない……?


 まるで霧を斬っているようだった。力が抜けたのかと、今度は水平に、次は十字に――それでも、触れているのかさえ怪しいほど、空を切る感覚しか残らない。


 『ヒットすれば通用する……でも、それは"運"やけどな』ノアリスさんの言葉を思い出した。


「諦めんと、切り続けてみ」


 ノアリスさんが優しく、だが力強く背を押してくれた。


 俺は歯を食いしばって、もう一度、いや何度も骨剣を振るう。振るい続ける。しかし、霧は斬れず、影は掴めず、虚無に手を伸ばしているようだった。


「……一旦、下がろか」


 ノアリスさんの声に我に返る。次の攻撃が来る、その予兆を感じたのだろう。俺は頷き、エルヴァンの元へと駆け戻った。


 直後、ノアリスさんは再び、氷の槍を無数に生み出す。


 無言のまま、冥府魔漿へと槍が突き刺さる。怒りを買うかのように、冥府魔漿の注意が再びノアリスさんへと向けられた。彼女は俺の撤退と同時に、またヘイトを引き受けてくれた。


 すると、また黒いモヤがノアリスさんの周囲で渦を巻き始め、上空に大鎌が出現した。


「コージ、言い忘れていたが、基本的に冥府魔漿にはあらゆる攻撃が通じない」


 エルヴァンの言葉に、俺は思わず声を上げた。


「えっ、通じないんですか? じゃあ、なんで戦ってるんですか?」


「だから"基本的には"だ。攻撃を続けていると、たまにヒットする時があるんだ。理由はわからないけどね。でも、一度でもヒットすれば君の勝ちだよ。冥府魔漿は一撃で息絶える」


「それじゃ、命をかけたギャンブルみたいじゃないですか? 即死魔法を連続で仕掛けてくるようなやつと命をかけて戦う価値はあるんですか?」


「もちろんあるさ。命を天秤にかけてるだけあって、冥府魔漿を倒せば、莫大な経験値が手に入る。コージのレベルも一気に上がるだろう」


 経験値が高いのか。ノアリスさんがいればリスクはかなり軽減できる。むしろ、当たれば一撃で倒せるなら、戦うべきだな――よし、当たればいいなら、打撃力は考えず、素振りのように数で勝負するとするか。


 その時だった。ノアリスさんを包んでいた黒い渦が、突如、七色の光を放った。


 一瞬の沈黙――そして、まるで追いかけるように、もう一度、同じ光が奔る。


「っ……!?」


 エルヴァンが、喉を詰まらせたような声を漏らす。


「三世の玉響が……2回、連続発動……!? これは……まずい、かもしれない」


 ――即死魔法が2連続ヒット!?


 となると……身代わりは、残り1回分。


 冥府魔漿の即死魔法は、成功率20%。その魔法を、1ターンで4連続発動する。


 だとすると、1ターンで1発命中する確率は約60%。2発なら15%、3発以上は3%未満――

だが、今、ノアリスさんはすでに2つ消費した。


 残る身代わりは1回分。つまり、次も戦えば2発目で……、15%の確率で、彼女は命を落とすことになる。


 ……そんな賭け、できるわけがない。


 つまり――このターンが、最後のチャンスだ。


「……あかん。2つ、持っていかれたわ」


 ノアリスさんは淡々とそう告げた。だが、その声には、悔しさがにじんでいた。


「コージ君。また、あんたの出番や。今度こそ――バッチリ決めてや」


 その声に背を押され、俺は冥府魔漿へと駆け出す。もう斬撃の威力なんてどうでもいい。今はただ、速さだ。反射的に、素振りのように、斬って、突いて、斬り続ける。


 しかし――やはり、まるで手応えがない。


 いくら斬っても、感触すら伝わらない。剣が空気を裂いているだけのようだ。


 ……おかしい。おかしすぎる。いったいどうなってる? なんで攻撃が効かない? スライムって、こういうもんか? そもそも、本当にそこに"いる"のか……? もしかして……本体は別にいて、これは遠隔操作の分身なんじゃ――?


「コージ君、もう、ええで」


 ノアリスさんが言った。もう時間か、結局俺は冥府魔漿を倒すことができなかった……。


「すいません、せっかく機会を作ってくれたのに倒すことができませんでした……。悔しいですが撤退しましょう」


「いや、もう一回だけ行こか。ちょっとおもしろいことに気がついたんや。とりあえず、エルヴァンのところまで戻ってくれへんか」


 えっ? 撤退しないのか!? 15%の確率で、命を落とすことになるのに!? とりあえず俺は、言われるがまま、エルヴァンのところまで戻った。


「撤退しなくて大丈夫なんですか? 三世の玉響の効果はあと1回分しか残っていないですよね? もしまた冷酷グリムなる収穫ハーヴェストが2回ヒットしたら……」


 俺は泣きそうな声でエルヴァンに言った。するとエルヴァンはこう言った。


「私も念話でノアリス様に撤退を提案した。だが――却下されたよ。どうやら、何か策を思いつかれたらしくてね。これからその内容を念話で受け取る。コージ、お前にはそれをそのまま伝えるよう言われている」


 エルヴァンは少しの間、何かに耳を傾けるような沈黙を挟んだあと、口を開いた。


「では伝える。ノアリス様のお言葉だ――


『モンスターには"魔核"っちゅうもんがあってな、人間でいう心臓みたいな重要器官や。ところが、冥府魔漿には、それがない。


 実はコイツ、異世界から来た"異邦種"なんよ。構造も、思念粘体のようなもんで、ひょっとしたら異世界の理で動いとるんちゃうか……そう思うとった。


 せやけど、間近で観察してみたら、マナの流れ方はこっちの世界の生き物とほぼ同じやった。ということは、魔核が"ない"理由は別にある。……答えは、"透過魔法"や』」


「透過魔法……!? でも、物質の透過化は不可能なはずでは?」


 思わず、エルヴァンが声を割り込ませる。


 それに応えるように、ノアリスさんの声が続いた。


『そうやな。魔法とは、本来"イメージを物質化する"もんや。逆に“物質をイメージ化する”んは、言うたら物理法則の巻き戻しみたいなもんで、できるはずがない。


 でも、見た限りでは、コイツは確かに透過しとる。理屈は不明やが、事実としてそうであるなら、それを逆手に取れる。


 つまり、こっちの勝ち筋が見えてきたちゅうわけや』」


「……で、どうすればいいんですか?」


 俺が問うた瞬間、黒い渦が唸りを上げ――七色の閃光が放たれた。


 即死魔法だ! ノアリスさん……っ!


 だが、エルヴァンは続けた。


「『まだ解析中やが、ウチはすでにコイツのマナの流れを正確に捉えとる。解析が完了すれば、魔核の"あるべき場所"と"その形"を、精密にイメージできるはずや。せやから、土魔法で"偽の魔核"を再現して、コイツの身体に無理やりはめ込む』」


「……はめ込んで、どうなるんですか?」


 俺の問いに、ノアリスさんははっきりと答えた。


「『コイツは今、"魔核が存在しない"という情報を自分の身体に対して常に発信しとる。せやけど、そこに精巧な偽の魔核を埋め込んだら、身体が錯覚を起こすはずや。


 つまり、『あれ? ここに魔核あるやん』てな具合になって、魔核との共鳴が始まる。


 そしたら、今の透過魔法の基盤が崩れて、隠されてた本物の魔核も"そこにあるべきもの"として現実に引き戻され、強制的に可視化されるはずや』」


「……つまり、魔法にバグを起こさせて、強制解除させるってことですね」


 俺の理解に、ノアリスさんは肯いた。


「『そういうことや。それとな、解析が終わって、今、魔核を作っとるとこや、偽の魔核を埋め込む位置には、"赤くマーキング"しとくさかい。そこを狙って攻撃してくれ』」


「わかりました! 赤い場所を狙えばいいんですね!」


 俺が勢いよく応えると、ノアリスさんが叫んだ。


「できたで! 今、はめ込んだる!」


 その瞬間だった。


 ノアリスさんを包んでいた黒い渦が、突如――緑色の光を放ち始めた。


「っ……!?」


 次の瞬間、渦そのものが音もなく消え去った。


「まさか……っ!」


 だが、考えている暇はなかった。俺はすぐに足を踏み出し、冥府魔漿へと一気に駆け寄る。


 ノアリスさんの言った通りだ。あいつの身体の中央――そこに、確かに赤く光る魔法陣のような模様が浮かび上がっていた。


 ――これが、魔核!


 迷いも、躊躇もない。俺は全身の力を剣に込め、一直線にその一点を狙って突き刺した。


「――っ!!」


 剣が貫いた瞬間、冥府魔漿の身体がビクリと跳ねた。


 そして次の瞬間、全身から黒い霧を噴き出しながら――まるで蒸発するように、ゆっくりとその姿を消していった。


 息を呑みながら横を向くと――ノアリスさんが、地面に静かに倒れていた。


「ノアリスさーーん!!」


 俺の叫びが、静まり返った戦場に響き渡った。


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