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煙突無双〜銭湯の息子と煙突の騎士〜

作者: うさぎ番地

 俺の家は、昔ながらの銭湯だ。

 番台に籐の脱衣かご、年代物のマッサージチェア。小さな冷蔵庫にはフルーツ牛乳とコーヒー牛乳。脱衣所を抜ければ、タイルの大きな湯舟。壁には巨大な富士山の絵。昭和の香りに満ちている。

 客層も近所のじじばばで、時折、自宅の風呂が壊れた親子連れが恐る恐る入ってくる。そんな銭湯。

 ……正直じじばばが全滅したら潰れるんじゃないかと思ってる。俺も継ぐ気はないし、親父の代で終わるんじゃないかって期待、否、心配しているのだ。

 今どき銭湯なんて古いし、どんどん客足も減ってるし、同業者は軒並み潰れている。そんな先のないものに俺の人生を捧げる気はない。

 さて、中学の冬休みになり、俺は小遣い稼ぎ目当てで一人番頭台に座っていた。……継がないといった手前だけど、中学生は金がないし、ま、多少はね。それに片手間にジャンプを読める仕事、他にあるだろうか? いやない(反語)

 さて、夕方暖簾を出してからのトップバッターは、近所の勅使河原ねねさん。81歳。

 よぼよぼの手を精一杯伸ばして、番頭台にちゃりんと入浴料を置く。そしてにやりと笑った。

「あら、今日も涼太君が店番かい。お父さんを手伝って偉いねぇ」

「でしょー。もっと褒めていいっすよ。……ひのふのみの、……はい、ちょうどぴったり。いつもありがとうねー」

 お礼ににぎにぎと手を握ってみる。しわくちゃ。

 ねねさんはまんざらでもなさそうだ。

「あはは、歌手のきよしちゃんみたい。あんた顔がいいもんね。お母さん似で良かったねぇ」

 俺もにやりと笑った。

 淡い金髪をゆるく伸ばしている俺は、顔立ちもハーフで我ながら美形だと思う。母ちゃんは外国人だったらしいが、お産の時に俺を遺して亡くなった。

 勿論母ちゃんの顔は覚えていないが、俺を取り上げた元産婆さんのねねさんがいうなら確かに母親似なんだろう。自慢じゃないが、この顔のおかげで俺はモデルにスカウトされた。高校生になったらモデル業に足を突っ込む予定。髪を伸ばしているのもそのためである。やりたいことの為にはどうしても金が要るからなぁ。ありがとう母ちゃん、俺をこの顔に生んでくれて。

「でしょ。つくづく親父に似なくて良かったと思うっす」

「「あっははははは」」

 二人して笑っていると、ガツンと頭に衝撃がきた。目から星が飛び出す。

「悪かったな、俺がゴリラ似で!」

「お、親父……いきなりはひでぇよ」

 いつの間にか番台の後ろにいた親父にげんこつを落とされた。涙目で抗議してみるも、自業自得だろと冷たい目で見られた。ひどい、俺はゴリラなんて一言も言ってないのに。なぁ、ねねさん。と振り向くとねねさんはもう脱衣所に入っていった後だった。巻き込まれたくなかったらしい。……素早すぎる。あの人本当に81か。

「なに女湯をガン見してるんだお前」

「親父、高齢化社会って侮れねぇな……」

 親父はあからさまにため息を吐いた。

「湧いたこと言ってねぇで、涼、ちょっとボイラーに薪入れてきてくれ」

「ええー」

「お前意外に誰がいるってんだ。ったく、お前が薪くべると火勢がよくなるんだから、お前もつくづくボイラーに愛されてんな。……やっぱり顔か、顔なのか。ゴリラ顔はだめなのか……」

 ぶつぶつ言いながらも親父はだんだん落ち込んでいく。誰もそんなこといってないのに。こうなった親父はめんどくさいので、素直にボイラー室に向かった。ああ、かったるいなぁ……。

 ちなみに俺が見に行くとボイラーの調子が良くなるのは本当だ。ただし顔は関係ない。


 俺には煙突の声が聞こえるのだ。


□□□


『よぉ来たか、涼坊』

 ゴウンゴウンとうるさいボイラー室でも、その声ははっきり聞こえた。

 見上げるとふわふわと浮いている、着物にたすきをかけ、白い袴姿の男が一人。空中で胡坐をかくとは器用な奴め。しかしこいつも無駄に顔がいい。白皙のかんばせに雪のような白い髪。歳は25、6に見える。まぁもっとも、こいつは人間じゃないから年齢なんてあってないようなものだ。

 この銭湯の煙突の精、名は鶴である。とはいっても、他の誰にも見えないのでそう呼んでいるのは俺だけだが。名前の由来はうちの銭湯の名前が『鶴の湯』だからだ。煙突にもでかでかと書かれている。そして、その名の通り煙突は白く塗られており、天辺だけが赤くなっている。――丹頂鶴を模したらしい。

 その鶴がボイラーを親指でくいっと指し、呆れたように笑った。

『もう少し遅かったらアウトだったな』

「マジか。ジャンプが面白過ぎたわ」

 ボイラーのかまに火掻き棒を突っ込んでかきまわすと、真っ赤に燃えてる炭がぼろりと崩れた。確かに薪の足し時だった。

 手袋をはめて外の薪置き場に薪を取りに行く。……が、どの薪にすべきか迷う。薪と言っても経費削減のために廃材を利用しているのだが、乾き具合にどれも差がある。ふよふよと付いてきた鶴が口を出してきた。

『一段目右上三本と、……ああ、そっちじゃない。これと、それとあれだな』

「おっけー」

 よいしょっと何本か抜いて、ボイラー室に戻り、罐に薪を二、三本順繰りにつっこむ。待ってましたとばかりに、残り火が薪に燃え移った。あっという間に罐から噴き出すほどに火勢が強くなる。よしよし。

 相変わらず、鶴の目利き(薪)は達人級だった。親父は俺がボイラーに愛されてるから、火勢が良くなると思っているようだが、真実は鶴の薪選びがいいからだ。うちの燃料代が15万円ほど節約できたのも、鶴のおかげである。

 その鶴からさっそくお小言が飛び出した。

『あのな涼坊、薪の足し時を忘れるなよ。火が消えてからじゃ湯の温度が下がっちまう。客に寒い思いをさせるな』

 俺は罐に突っ込んだ薪の位置をずらしながら、生返事をする。

「はいはい、悪かったって」

 鶴はため息を吐いた。

『気の抜けた返事だな。前々から思ってたけど、お前には銭湯の跡継ぎとしての自覚が足りなすぎるぞ』

 俺は薪が十分燃えているのを見て、ぱたんと罐の蓋を閉じた。

「……そうは言ってもなぁ。俺、店を継ぐ気はないんだからしょうがないだろ」

 そう言って鶴を見上げると、鶴は空中で逆さになりながら目を見開いていた。正直、間抜け面である。そうして出てきた言葉は一言。

『え?』

「え? って何が?」

『継がない……? どうして? えっ、それ真面目に言ってるのか?』

 地球が終わるって聞いたような反応だった。脳みそが追い付いていないらしい。

(……しまった)

 正直マズったかもしれない。冷や汗がだらだら流れるも、今更なかったことにはできない。

 ならば、と俺はやけくそじみて断言する。

「銭湯なんて先のない商売、やる気はないってコト。……それに、俺、実はやりたいことあってさ。銭湯やってる場合じゃないんだよ」

(言ってしまった……)

 恐る恐る見上げると、鶴の顔は真っ青になり、次に真っ赤になり、真っ白になり……ばくはつした。


□□□


「っぁー、初めて喧嘩した……」

 頭をばりばり掻きながら、ほうほうの体でボイラー室を出る。

 いつもなら、どんないたずらもしょうがないなぁと笑って許してくれる鶴だったが、こと跡継ぎ問題に関しては平静じゃいられなかったようだった。

 鶴は煙突の精だから、てっきり銭湯が廃業になることで煙突もお役御免になることが気に食わないのかと思って、正直にそれを口にした。ら、――幽霊なのにそれを忘れたかのように、殴りかかってきて度肝を抜かれた。まぁするりとすり抜けただけだったが。

 曰く、鶴は『これからもずっと涼坊と一緒に銭湯をやるのが生きがい』だったらしい。『自分の消滅なんか問題じゃない、見くびるな!』とも言われたが、いやいや。消滅の方が大問題でしょうが。まぁ銭湯は廃業しても、煙突は残すつもりだったんだけど。

「どうしたもんかなぁ……」

 夜風にぶるりと背筋を震わせる。

 鶴のあまりの剣幕にテンパって、薪置き場側の出口から外に出てきてしまったのだ。寒い。

(まぁ、今回の話は唐突だったし、俺も言葉を選ばな過ぎた。……うん、俺が悪かった。もう少し時間を置いて、ちゃんと説明すれば鶴もわかってくれるだろ……たぶん)

 夜空を見上げると、視界にそびえたつ煙突。高さは約23m。ほとんどモニュメントのようなものだ。古いけど未だ現役だといわんばかりに、もくもくと煙をはいている。鶴のプライド、そのものだ。

(……明日謝るか)

 曇り空が自分のどんよりとした気分を表しているようで、それを振り払うように大きく背伸びをした。決戦は明日。


 しかし結論から言うと、それどころではなかった。


□□□


「あぁ、くそ。ひどい嵐だ!」

 学校帰りから嫌な予感はしていたのだ。大雨からの落雷警報。間断なく降り注ぐ雹。土砂降りなんて言葉で済ませられないくらいひどい雨。いっそスコールより凄まじい。そして大風。防災無線から悲鳴のような避難指示が流れる。

 銭湯は臨時休業! 俺は閉店準備に追われていた。

 ちなみに親父は一足先に家に帰った。今頃鎧戸を閉めたり、割れた窓ガラスの応急手当てに追われていることだろう。

 俺もあちこちの鍵を閉め、ボイラーを停止し、ほっと一息ついたころに……目のくらむような稲光! そして間断なく、耳をつんざくような轟音。近い。

『――――!』

 嵐を鶴の叫び声が切り裂いた。

「なん?! ……鶴ッ!?」

 慌てて外に出る。バケツから水を被ったように盛大に濡れるが、それどころじゃない! 空から降ってくる、コンクリートの欠片。ぶすぶすと焦げたような匂い。煙突を見上げると、今まさにへし折れようとしているところだった! 煙突に雷が落ちたのだ!

『ッ――来るな涼太! 危ない!』

 ひび割れた鶴が叫ぶ。

 目を見開く間もあればこそ。すべてがスローモーション。

 轟音と共に自分に向かって煙突がゆっくりと倒れてくる。鶴が驚愕した顔で何かを叫ぶ。竦んで動かない足。稲光。

 そう、白い光に目を焼かれて――。目をきつく瞑った。

 ……痛みはなかった。


□□□


 気が付けば地面に倒れ伏していた。頬が冷たい。薄く目を開けると、視界が白い。雪だ。

 ――おかしい。さっきまで雨だったのに、雪? 

 それに俺は倒れてきた煙突に潰されそうになったはず……。でも痛みがない。

『起きろ涼坊! 起きてくれ!』

「鶴……?」

 いやに甲高い声で子供が叫ぶ。切迫した響きだ。慌てて身を起こす。

 立ち眩みがしたが、身体はどこも無事だった。

『ああ、やっと起きた。死んじまったんじゃないかって気が気じゃなかった』

 ホッと肩をなでおろしたのは、宙に浮いた白い髪の子供。それ以前に目を引くのは白い肌に残る広範囲のひび割れだ。まるでくもの巣のよう。痛ましすぎる。……いや、それにしてもこの子。

「……お前、鶴なのか?」

『そうだよ、雷で煙突が折れたせいでその分サイズが縮んじまった』

 そう言って事もなげに肩をすくめる。肌のひび割れも落雷のせいらしい。

 俺は慌てた。

「大怪我じゃん! 大丈夫なの!?」

『俺は煙突の精だ。人間と違って痛みはないよ。それより周りを見てみろ――何か気付かないか?』

「周りって……えっ?」

 ぐるりと周囲を見渡して驚いた。雪原だ。他に何もない。雲越しの薄い陽光がうっすらと降り注いでいる。遠くに森が見える。

 建物と言えば、背後にあるうちの銭湯と盛大にへし折れた煙突の残骸だけ。

「なんだこれ……。ここどこ?」

『わからない。夢でなければ、落雷の衝撃で銭湯ごとどこかに飛ばされたとしか……』

 思わず乾いた笑いが漏れる。

「はは、んなファンタジーじゃないんだから」

 反して鶴は真顔だ。

『いわゆる神隠しってやつだ。俺は戦前から煙突の精をやっているんだぜ。神秘の薄れつつある日本でもこういうことはままある』

「まじで……?」

『まじで』

 こんな時に鶴が冗談を言うはずもなく……。

 呆然としているとドドドドと何かが森から駆けてくる音が聞こえた。……馬だ。四頭。それぞれ誰かが乗っている。全員黒い外套に黒い帽子。黒ずくめでさしずめ死神のような格好だった。……こっちにくる。

「な、なんだ?」

『現地人じゃないか? 言葉が通じるか不安だが、少なくとも人間だ。それに、……ツイてるな』

「ツイてるって? 運が? なんで」

 どこか(ここが地球だって保証すらない)に飛ばされて、運があるなんて口が裂けても言えない! と俺は思う。

 しかし鶴は嬉しそうに笑った。

『運もだけど、やつらの上を見てみろ。ははっ、御同輩だ! 初めて見た』

 言われて初めて気づいた。黒いヤツらの頭上にうっすらと霊が見える。三人分。それもただの霊じゃない。御同輩ってことは、鶴と同じ煙突の精だ。

(ツイてるって、憑いてるって意味か!)

 ……そうこう言ってるうちに、黒コートの四騎はこちらの様子を推し量るように数メートルの距離を保って止まった。

 ゆっくりと三騎が猟銃? をこちらにむかって構える。

 反射的に体が緊張した。

「!?」

『! 動くなよ、涼坊。下手な真似すれば蜂の巣にするって威嚇だ。まだ交渉の余地はある』

 張りつめた鶴の声だが、余裕がある。伊達に戦前生まれじゃないらしい。おかげでパニックにならずに済んだ。

 こちらがおとなしくしているのを見て、一騎がゆっくりと近づいてくる。黒髪の煙突の精も一緒だ。

 馬上の男は俺の後ろの銭湯を訝し気に見ながら、目の前で止まった。

 ごくりと喉が鳴る。男が口を開いた。 

「……hsoerfjsgorfkgsrtfgsrglthbsrg?」

 何言ってるかわからん! ……と思ったら鶴が事もなげに返事をする。

『いや、俺たちはここの住人じゃないよ。後ろの建物を見たらわかるだろ? 別の世界から飛ばされてきたらしい。保護してもらえたらありがたい』

「hosu,kpsorgserer……」

 男は目を見開いて、感嘆しているようだった。いやこっちはそれどころじゃない。

(……なぜ通じている!?)

『向こうの煙突の精に通訳をしてもらってるんだ。お前も俺が憑依したらこの男の言葉が分かるさ』

 と言って鶴は俺におんぶするように抱き付いてきた。一瞬、ぶわっと全身の毛が総毛立つ。それが収まる頃にはもう男の言葉が理解できるようになっていた。

「驚いた……。まさか本当に『王鳴』が起きたとは。しかしなるほど、異世界から来たというのは確かなようだ。見慣れない服、通じない言葉、顔立ちも我々と似ているが少し違う。いや、どこかで見たような気もするが……それに後ろのそれは何だ?」

 それ、と指さされた後ろを見る。……うちの銭湯ですな。

「風呂屋です。お湯に入ってあったまります」

「たかが風呂にそんな大きい建物が必要なのか? ……まぁいい。君たちを歓迎しよう。『王鳴』で訪れた異邦人なら、我々の救世主も同然だ」

 耳慣れない言葉に首をかしげるも、ひとまず身の安全は保障されたようだ。

「あ、ありがとうございます。……でもその、『おうめい』? 救世主? って何ですか?」

「詳しい話は我々の本拠地で。ついてきてくれるか?」

 正直初対面の人について行くのもアレだと思ったが、ここは右も左もわからぬ異世界。正直藁にもすがりたい思いだったので、事情に詳しい人がいるなら願ったりだ。俺は力いっぱい頷いた。

「はい、よろしくお願いします!」

 男も頷き返した。

「決まりだ。ならば、君の後ろの風呂の建物、騎士形態にしてくれ。建物のままだとここでは目立ちすぎる」

「……はい?」

 騎士形態ってなんぞや。頭の上にいっぱいはてなを浮かべると、それに気づいた男は驚いたように目を見開いた。

「……煙突の精は自身の設置された建物をゴーレムに変形することができる。暖炉の煙突なら家一軒丸ごと変形し煙突の騎士となる。まさか知らんのか?」

 神妙に頷き返すと、男は呆れたようだった。

「異世界とは不便なところのようだな。建物のままでは戦う事もできない。有事の際にはどうするのだろうか」

「いやまぁ、戦車だの戦闘機だの戦える兵器がありますが……」

「あとで詳しく聞かせてくれ。……まぁそうはいっても同じ煙突の精、コツさえ教えれば変形できるのではないか? ウォーカー、教えてやれ。30分やる」

 男に憑いていた黒い髪の煙突の精は頷くと、俺にしがみついていた鶴をぐいぐい引っ張った。鶴は嫌そうだった。

『変形とかロボットじゃないんだから……』

 俺は思わず笑った。

「いいじゃん男の夢だよ。カッコいいって絶対」

『はぁ、あとで覚えてろよ……』

 そう言って鶴は俺から離れ、二人は銭湯の中に入っていった。

 馬から降りた男が、親し気に話しかけてくるが――。

「soegjis;orifgera?」

「鶴と向こうの煙突の精がいなくなると、途端わかんなくなるなぁ……」


 10分後……。


 まず屋根がへこんだ。

 続いて、べしゃりと何かに押しつぶされたかのように四方の壁が収縮する。先が折れた煙突が中心に埋め込まれ縮んで、脈動するように形を崩していった。

 変形に失敗して銭湯が潰れた(物理)のかと慌てたが、さにあらず。

 一瞬後、逆にむくむくと膨れ上がり……。

 俺と男は首が痛くなるまで見上げる羽目になった。

 1分後。ついに、右腕の折れた煙突を砲のように頭上に突き出したポーズをとった、人型のゴーレム? が誕生した。

 ――ただしデカい。

「縦横に家二軒重ねたぐらいはあるな……」

 元の銭湯がデカかったからかもしれない。

 男はその巨体にしばらく呆気に取られていたが、ハッと我に返ると、ゴーレムに向かって呼びかけた。

「soifgsr0tokgsrtgts!」

 すると、ぽひゅんと間抜けた音を立てて銭湯ゴーレムが消えた。雪原には何か重い建物が存在したらしき巨大なへこみしか残されていない。そのへこみの上でぽかんと間抜け面した鶴と黒髪の煙突の精が浮いていた。

 しばらくして鶴は疲れた顔でへろへろと寄ってきて、俺の肩におんぶしてきた。

「……ええと、何がどうなった?」

『……俺の中に銭湯を丸ごと収納した、らしい。うう、気持ち悪い』

 なんか心なしか、俺の肩が急に重くなった気がする。銭湯丸ごとて……。

 男はため息を吐いて同情するようにこちらを見た。

「たかが風呂屋と侮っていて悪かった。あれほどの質量ともなると、その煙突の精は大分苦しいはずだが勘弁してくれ。俺たちは隠密行動中なんだ。あんな大きなゴーレムを連れて歩くわけにはいかない」

 隠密行動中……。きな臭い言葉である。思わず顔をしかめる。

 俺の顔つきが変わったのを見て、男は宥めるように笑った。

「胡散臭いのもわかるが、事は君が無事に元の世界に戻れるかにもかかっている。話を聞いてくれるな?」

 YES以外に選択の余地はなさそうだった。俺は頷いた。

「助かる。それと俺の名前はスヴェンだ。軍人をやっている」

「瀬川涼太です。涼太が名前、瀬川が姓。15歳の学生です」

 手を差し出されたので握り返す。握手。こっちにも同じ風習があったとは。

「……異世界人の挨拶だと聞いたが、慣れないものだな」

 苦笑いされた。気を使ってこっち由来の挨拶をしてくれたらしい。

「さていくか。俺の馬に乗ってくれ。同乗は狭いだろうが、ゴーレムでの移動は目立ちすぎるからな」

 四苦八苦して乗り、いよいよ出発だ。不安もあるが、鶴も一緒ならきっと乗り越えられる。必ず家に帰らなければ。


□□□


 そうして連れてこられた森の中。

 少し開けた場所に天幕があちらこちらに張られていた。

 外で何やら作業している黒い外套の男――というかよくみると同い年くらいの少年達――は、俺に目を止めるなり、なにやら感動したように興奮して仲間内で囁き合っている。

「……なんだ?」

『察するに、王鳴っていうのがよほど嬉しいらしい。俺たちがここに飛ばされた現象のことだと思うけど、さて……』

 鶴も不思議そうに小首を傾げる。

 スヴェンはひときわ大きな天幕に俺たちを案内した。

「ここだ、入れ」

「お、おじゃましまーす」

 ドキドキしながら入ると、机についていた子供たちが、一斉にこちらに視線を向けた。……やっぱり違和感。

(スヴェンは軍人だから、ここに駐留しているのも軍隊かと思ったけど……軍に子供?)

 促されて椅子に座る。スヴェンも上座の椅子に座った。

「さて最初から説明するか。わからなかったら適時質問してくれ」

「はい、お願いします」

「ここはスヴァリア王国とドーツラン帝国の境界だ。我々はスヴァリア王国の軍人で、今は作戦行動中。君は『王鳴おうめい』という、王族のみが使える転移術で召喚された。……ここまではいいか?」

 神妙に頷く。

「君が元の世界に戻るには、同じく『王鳴』で送り返すしかない。しかし、最悪なことに、……現在王がドーツラン帝国に囚われており、君を送り返す術がない」

「……は?」

「つまり王を取り戻さない限り、君は帰れないと言っているんだ」

「……なん!?」

 思わず立ち上がりかけるが、スヴェンは冷静に言葉をつづけた。

「我々も目下王の救出任務に動いている。作戦行動というのはそれだ。……しかし、君の召喚で我々に希望が見えた。王はまだ生きている。ご落命されたのなら王鳴は起きないからだ」

 スヴェンたちが王鳴で召喚された俺を見て喜んでいたのはそういうわけか。

「連れ去られた当初から王鳴はひっきりなしにあったが、最近はそれも途絶えていた。今日君が久しぶりに召喚されたことで、王の無事が確認されたというわけだ」

「……一ついいですか? その王鳴ってのは、召喚対象を選ぶんですか? なんで俺が召喚されたのかよくわからないのですが」

「よくぞ聞いてくれた。王鳴は『王族が望むもの』を転移させる術だ。君を救世主と呼んだのはそこに理由がある。君は王に望まれて召喚されたんだ。王を救う切り札になるかもしれない」

 そう言われても腰が引ける。

「……あの、俺の国は戦争とは無縁なんです。そこに暮らしていた俺も戦う術を持たない。自分で言うのも嫌になりますが、何の役に立つんです?」

「……君は、風呂屋だろう? 煙突の精も憑いている」

「それが?」

「それが我々の必要としている人材なんだ。これからの作戦に」

 どんな作戦なんだ、それは。呆気に取られて思わず無言になる。

 スヴェンはそれをどう思ったのか戸惑ったように聞いてきた。

「君は家に帰りたくないのか……?」

「……帰りたいですよ、勿論」

 家に残してきた親父が心配だし、俺にはまだやりたいこともある。

 ……なら迷う必要なんか、ないはずだ。

「協力、させてください。王様の救出作戦に」

 俺はスヴェンの目を見てはっきりと宣言した。スヴェンが大きく頷いた。

「よく言ってくれた! よろしく頼む。俺も君の帰還のために最善を尽くそう」

「ありがとうございます。俺も王様救出のためにがんばります」

 こちらから手を差し出し、スヴェンとがっちり握手を交わした。同席していた黒い外套の少年たちは、見慣れない握手に不思議そうに小首を傾げていた。


□□□


 なし崩しにそのまま作戦会議になった。スヴェンがおもむろに告げる。

「三日後だ。気象天文学師によると、三日後に雪が降る。おそらく王はその日に、生きながら全身を焼かれることになるだろう。それまでに王を救わねば」

 さらりと出てきた物騒な言葉に、思わず血の気が引く。

「え、えぐいですね。焼死させるのが、ドーツラン帝国のやり口なんですか?」

「仕方あるまい。ドーツラン帝国はわが国や周辺国の戦場にされ、国土が荒れ果ている。底知れぬ憎しみが募っていることだろう。本当は王の亡骸を焼くだけで、『王灰』は手に入るのだが……。生きながら火刑に処せば国民の溜飲が下がるし、『王灰』も手に入り、国土が回復する。一挙両得だ」

 『おうばい』……とはなんだろうか? 聞いたままだと、王の遺灰のことなんだろうけど。どうもそれだけじゃないような……。

 悶々としていると鶴が聞いてくれた。

『なぁスヴェン殿。『王灰』ってなんだ? 俺達の国じゃ、遺灰に特別な力はないんだが』

 スヴェンは目を瞬かせた。

「王灰のない国があるのか!? ならば戦争で荒れた国を、どうやって立て直すんだ」

 どうやってって……。そんなこと言われてこっちが戸惑う。

「地道に時間をかけて復興するしかありませんよ。10年でも20年でもかけて、建物をまた建てて、産業を強化して、輸出して、働いて……」

 スヴェンはむしろ関心したように頷いた。

「気の長い話だ。随分と勤勉な国民性なのだな」

 褒めているのか、それは。思わず視線が険しくなる。それに気づいたスヴェンは咳払いして説明しだした。

「王灰は、その名の通り王を焼いて得る遺灰だ。破壊されたものは、その灰に触れると元の姿に回復する。戦場にされ荒れ果てた農地も、破壊された家屋もその灰に触れれば、戦前の姿に戻り、むしろ農作物は豊作になる。どんな焼け野原になろうとも、一瞬で街が復興する」

 ……なにそれずるい。

「無論ただ王灰を撒くだけでは圧倒的に量が少ないし、非効率だ。だから天候を利用する」

『天候を?』

「そうだ、巨大な火葬場で煙を天に届かせ、王灰の溶け込んだ雪や雨を降らせる。それで広範囲の国土を回復させることができる」

 で、その王様が火葬場で焼かれるのが三日後と……。

「問題は王を燃やすためだけの火葬場が、十二都市にそれぞれ一つずつあるということだ」

「それって……」

「火葬場を破壊すれば、王は燃やされない。……が、十二都市の火葬場を三日で破壊するには人手も時間も足りない」

 思わず頭を抱える。十二なんて多すぎる。

「……もっと絞れなかったんですか?」

「情報は集めたが、いずれも噂話で決め手に欠けるんだ。そもそもドーツラン帝国に侵攻中に王が捕まったものだから、軍に本職の諜報員が少ない」

 なんということでしょう……。切羽詰まりすぎだろ……。

「どうすんですかコレ」

「十二都市にそれぞれ調査隊を潜入させ、本命を見つけ出す。そして、十二都市のどれが本命でも、半日あれば駆け付けられるように軍を分割する。……これしかない」

 よくよく考えたうえでの決断なんだろう。よどみのない口調だが、苦々しい思いがあるのか顔をしかめている。

「ええと、心中お察しします……。それで、俺はどうすればいいんでしょう」

 先ほど聞いた話だと、俺にしかできない役目があるとか……。

「君は調査隊に加わってほしい。風呂がないと潜入もままならないんだ。煙突掃除人のギルドのせいで」

「……は? 潜入調査と風呂にいったい何の関係が……!?」

 呆気にとられる俺をよそに、スヴェンは黒い外套の少年を紹介した。

「それはこの子に聞いてくれ。彼はアクセル。腕のいい煙突掃除人で、煙突の騎士のマスターとしての技量も一流だ。……もうわかったと思うが、調査隊は煙突掃除人として潜入してもらう。煙突掃除人ならこの子たちは本職だし、怪しまれないからな」

「え、煙突掃除人がなんで従軍してるんですか?」

 そう聞いた俺はよほど驚いた顔だったのだろう。黒い髪のアクセルは、青い目を細めてにやりと笑った。

「外に来れば分かるぜ? なぁおっさん、作戦会議はもういいだろ。やることもう決まってるんだし。それより新入りをみんなに紹介したい。死ぬときは一緒の仲になるんだから」

 スヴェンは頷いた。

「あぁ、頼んだ。涼太、潜入作戦決行は明日だ。武運を祈る」

「りょ、了解です」

 こうして俺は手を引かれながら、天幕を後にしたのだった。


□□□

 

 外に出たらレンガ色のゴーレムがずらっと並んでいた。それぞれの大きさは象一頭分ほど。同い年くらいの黒い外套を着た子供たちがまとわりついて何かやっている。

 ……と思ったら、ゴーレムの右腕のデカい筒? らしきものにずっぽりと頭から入っていった。じたばたと足まで吸い込まれていく。

「何やってんのあれ!?」

「煙突掃除さ。煙突の騎士は右手が煙突で、戦時には砲になるんだ。その整備は煙突掃除人にしかできない。……俺たち煙突掃除人が従軍してるわけがわかったろ?」

 俺は頷いた。アクセルはなんともなさそうに言っているが、俺より小さい子もいた。

「煙突掃除人って子供しかいないの?」

 アクセルは肩をすくめた。

「あのな、煙突って狭いんだぜ。中に入って掃除できるのは、俺達のような子供だけだ。常識だろ?」

 しっかりしろよと言いたげだった。俺はますます納得がいかなくて声を低めた。

「……子供でも戦場にも出るの?」

「まぁな。煙突の騎士の砲に魔力を込めたり、観測手を務めたり……。色々だ」

 当然とばかりに笑うアクセル。……俺も戦場に出ることになるのだろうか。

「そっか……」

 アクセルは俺の不安を察したのか、言いよどむ俺の背中をバンと叩いた。ニッと笑う。

「大丈夫だ。今回は戦争じゃなくて、潜入任務だ。戦闘にはならないだろうし、よしんばなったとしても、無理に素人を矢面に立たせねぇよ」

 言い切る様が頼もしい。不覚にもちょっとほろりと来た。

「あ、ありがとう。……そうだ、肝心の潜入任務での俺の役割って何?」

「ああそれか。普通に風呂焚いてくれ。俺らが入るから」

 あっけらかんといってるが、それ潜入任務と何の関係が!?

「ドーツラン帝国じゃ、煙突掃除人のギルドがあってな。『煤の病気にならないために煙突掃除人は毎日風呂に入ることを定める』って決まりがある。だけど俺達スヴァリアの煙突掃除人はギルドに入ってないから、ギルドと提携している風呂屋からは締め出される。さりとて民間の風呂屋は高いし少なくてな。間違いなく吹っ掛けられるし、噂にもなる。”スヴァリアの煙突掃除人が大量にうちの風呂に来るんです”ってな」

 なるほど、その噂は潜入任務には致命的だ。怪しまれる。

「だからお前の風呂を使わせてもらおうってことになる。単純明快だろ?」

「そんな理由があったとは……。まぁ俺には異存はないけど、鶴は?」

 肩越しに振り返ると、通訳のために俺にくっついていた鶴は、嬉しそうに笑った。

『異世界銭湯か、いいねぇ。煙突冥利に尽きるよ』

 こいつ俺と銭湯やりたいって言ってたもんな。図らずとも異世界で願いが叶ったわけだ。

 アクセルはよしよしと頷くと、口を開いた。

「お前も昼は俺達と一緒に情報収集してくれ。風呂の出番は夜な」

「アクセルたちと一緒に……って、でも俺、煙突掃除なんてしたことないけど……」

 戸惑う俺に、アクセルは力強く言い切る。

「大丈夫だ、俺が教えてやるよ。それに簡単だからすぐ慣れる」

 こう言われると、ならやってみようかなって気になる。すごいなアクセル。

「決まりだな。よし、じゃあみんなに紹介するよ。みんな気のいい奴らだから安心しろ」

 アクセルは頼もし気に笑って、みんなを呼び寄せた。

 黒い外套の少年たちがわくわくして駆け寄ってくるのが見えた。

 その笑顔が少しだけ眩しかった。


□□□


 翌日。

 俺達は揃いの黒い外套、黒い帽子に身を包んで出発した。この黒づくめの服は煙突掃除人の象徴らしい。

 煙突掃除人の商売道具であるはしごや箒や煤取りが肩に食い込む。

 俺達が潜入した都市は、ヘルンという。街の規模としては中都市らしい。

 立派な教会は砂糖菓子でできたように壮麗で、広場には大道芸人が芸をしたり、馬に乗った紳士が行きかったりと人でごみごみしていた。雪の解け残りがあっという間に踏まれて、茶色く濁っていく。ただ、みんな元気がないように見えた。スヴァリアが侵攻中だからかもしれない。

(本当に異世界に来たのか……)

 石畳の固い感触を靴越しに感じながら、そう感嘆した。ちょっと心細い。

 大きな通りに出るとアクセルたちは口々に叫んだ。

「煙突掃除はいかがですかァ! 煙突を綺麗にいたします」

 思わず背筋がビクッとなった。びっくりした……。

『お、ああやって客を探すのか。涼坊お前もやろうぜ』

 鶴は能天気に言う。人ごとだと思って……。やけくそ気味に声を出す

「煙突掃除ー! 煙突をぴかぴかにしますよ!」

 アクセルたちは新入りの大声にニヤリと嬉しそうに笑った。そして、ますます声を高らかに上げ、客を探す。道行く人が振り返り、子供たちがきゃっきゃと囃し立てた。

 しばらくすると、四階の建物の窓で女の人が手を振っているのが見えた。

「よし、涼太。行こう」とアクセル。俺達二人は皆から抜け出して、客の元へ向かった。

 客のふくよかな女性はすぐさま俺達をリビングの暖炉の側に招いた。

「暖炉の煙が抜けないから、ちょっと見て下さらない?」

 アクセルはちょっと暖炉の中をのぞくと、頷きながら言った。

「ああ、これは大分煤すすが溜まってますね。今から一人、暖炉の中に入って煤を払い落とします。それでうまく煙が抜けるでしょう」

 女性はリビングが汚れそうだと思ったのか、ちょっと不安そうな顔をした。が、結局頷いた。

「お任せするわ」

「決まりだ。涼太、暖炉の中には取っ手が上まで続いている。それで煙突の上まで登って行ってくれ。上までいったら腕を左右に伸ばして、大きな煙突に繋がっているもう一つの穴を探して両手で殴れ。煤の塊が詰まっているはずだ。煤は下に落としていいからな」

 流石本職、実にきびきびとした説明だけど……あの、俺がやるの?

 不安が顔に出ていたのか、アクセルは俺を引き寄せると耳打ちした。

「……暖炉の中に、煙突の精がいるはずだ。そいつからこの街の火葬場のことについて何でもいいから聞いてきてくれ。火葬場の事は煙突に聞くのが一番だ。あの女は俺が引き留めておく。……それともお前が引き留め役をやるか?」

 俺は慌てて首を振った。女の人に何を話せばいいってんだよ。

「じゃあ、煙突の精のことは任せた」

 トンと励ますように背中を叩かれた。……わかったよ、やりますって。

 俺は目を閉じると思い切って暖炉の中の取っ手を握りしめ、上へと昇っていく。……案の定、煤が滝のように降ってきた。もろに被ってしまい、くしゃみが止まらない。煤は耳の穴にも、口の中にも入ってきた。目をつむっていたのは大正解だった。ついに鼻もつまり、口で息をするが、息苦しくてめまいまでしてきた。

 正直戻ろうかと思ったが、ここで降りたら男が廃ると思い直す。意地でも昇る。

 しばらくして、手探りで空気穴を見つけた。手を突っ込み、煤の塊をほじくり出し、下に落とす。に、任務完了……?

『よし、よくやった涼坊! あとは煙突の精に話を聞くだけだ』

 そうか、まだそれがあったか……。

 半ばやけくそで上まで昇りきると、新鮮な空気が頬を撫でた。貪るようにして深呼吸を繰り返す。空気穴の隙間から四角い空が見えた。そこにひょこんと煙突の精が上から覗き込んできた。黒い髪の男の子に見える。その子が感心したように口を開いた。

『おおー、大したガッツだ少年』

「いや、お前も少年だし。……げほっ」

 うむむ、煤のせいでツッコミもキレがない。煙突の精は不思議そうに小首を傾げた。

『そうか? ここいらの煙突は皆同じ長さだから、これが普通だ。それにお前の連れてる煙突の精も子供じゃあないか』

 鶴が不満そうに反駁する。

『いや俺は、折れたからこのサイズなのであって……。まぁいいや。それより聞きたいことがある』

 煙突の精はコクリと首を縦に振った。

『ああ、いいぞ。綺麗にしてもらった礼だ。何でも聞いてくれ』

 俺は煤で真っ黒になった口を開く。

「ええと、この街の火葬場についてなんだけど。最近何か変わったことはないか? スヴァリアの王様がここで焼かれるんじゃないかって噂があるんだ」

 煙突の精は鷹揚に頷いた。

『ああ、その噂か。というかここだけじゃなく十二都市全部で囁かれてる噂だろう? 知っているよ。……まぁ、俺も気になって煙突仲間に聞いてみたんだけど、この街で王様そのものを見た人は誰もいないなぁ。肝心の火葬場の煙突の精もこの件に関しちゃだんまりだし』

 くそ、手掛かりが途絶えた。

 俺があからさまにがっかりしたのに驚いたのか、煙突の精は慌てて口を開いた。

『まてまて、少年。諦めるのが早すぎるぞ』

 じっとりと見上げる。

「……というと?」

『せっかくここまで来たんだ。別のアプローチをしてみなさい。別に王様の目撃者がいなくても、王様がいるかわかる方法があるだろう?』

 別のアプローチ……? わからなくて煤で汚れた手で頭をばりばりと掻く。ぱらぱらと煤が落ちた。ぼんやりと眺める。

 煤……、燃やすもの……、王様……別のアプローチ?

 しばらく悩んで、ハッと閃いた。

「あ、王様を燃やすのに質のいい薪が大量に要るんだ。短時間にひと一人灰にするんだから、よほどの火力じゃないと……」

『おおー、正解だ。やるじゃないか少年』

 煙突の精が嬉しそうに指を鳴らした。

『そう、それぞれの街の火葬場にどのくらいの薪が運ばれたのか把握すれば、手掛かりの一つにはなる。あとは薪の質だが、値段の高い広葉樹の方が火力が高い』

「じゃ、じゃあ、広葉樹の薪がどの位火葬場に運ばれたのか見れば……!」

 王様がどの都市にいるのかわかるわけだ!

『そうとも、頭のいい子は好きだよ。よし、更に耳寄りな情報をやろう。この前三軒隣の煙突の精が、夜中に荷馬車三台分のブリュークナの薪――ああ、これはめちゃくちゃ値段の張る広葉樹だな――を火葬場に運びこむのを見たらしい。どうだ? 夜中ってところが如何にも怪しげだろう?』

 俺もパチリと指を鳴らした。

「ビンゴ!」

『……か、どうかは他の街を確認してからだが、この街の火葬場の可能性は高くなったな』

 と鶴が安堵したように笑う。

 煙突の精は胸を張った。

『ふふん。ヘルンの煙突の精も中々やるもんだろう?』

「もう天才だよ! ありがとう煙突の精!」

 煙突の精はにっこりと笑って執事のようなお辞儀をした。

「こちらこそ、煙突を綺麗にしてくれてありがとう。少しでもお礼になれば幸いだ。またな少年」

 俺達は笑いあうと、手を振って別れた。

 未だ降ってくる煤にせき込みながら、俺たちは下に降りていく。ようやっと暖炉から出ると、……アクセルはどんな話術で引き込んだのか、女性と紅茶を飲みながら談笑していた。急に脱力する。

「はぁ、終わりましたよっと」

「ああ、よくやった。お疲れさん」

 片手を上げて労うアクセル。小憎たらしいな!

「あら、ありがとうね。ちょっと時間が掛ったみたいだけど、暖炉はうまく燃えそうかしら」

 女性は紅茶を置くと、財布の中から銅貨を取り出しアクセルに渡した。

「それはもう、勿論。夏の恋のように燃え上がりますよ」

 アクセルはおべっかを言って女性の手をとった。女性の顔が赤くなる。……なんだこの空気。

「では、お嬢様。私たちはこれで失礼します。暖炉の煤が溜まったらまたいつでもお呼びください」

「ありがとう。またね」

 アクセルはお辞儀をすると、俺を促して外に出た。


□□□


 夕方。

 その後みんなと合流し、天幕に戻ってきた。

 待ち受けていたスヴェンに報告すると、感心したように頷いていた。

「なるほどな。薪の仕入れか。それは盲点だった」

「勿論、他の街と比較する必要はあると思いますけど、目撃情報のあるヘルンが有力かと……」

「調べてみる価値はありそうだ。早速他の都市に潜伏している調査員たちに連絡しよう」

 だが、その前に……、とスヴェンは苦笑した。

「早速君の出番だ、涼太。みんなを風呂に入れてやってくれ。もちろん君も入った方が良いな。全員煤で真っ黒だ」

 俺達は顔を見合わせた。顔の中で白いのは歯だけ。あとは首筋も胸も腕も何から何まで真っ黒だった。服はもともと黒い外套なので煤が目立たないが、歩く度にパラパラと黒い粉が降ってきた。これはマズい。

 いますぐ風呂を……!

 銭湯屋の使命感が、沸き上がる――! ほど俺は熱血ではないが、確かに全員風呂に入れねばならないことは確かだった。

「すぐに沸かします!」

 俺と鶴は天幕を飛び出し、鶴の中の銭湯を出しても構わない場所を探し始めた。


□□□


 素っ裸の子供たちがはしゃぐ声が、風呂場に反響した。

「なんだこの風呂……! でっけぇ! 湯舟がいくつもある!」

「しかもお湯が延々と湧き出てくるよ! 怖い! 隙間に誰かいるの!?」

「壁にでっかい絵が描いてあるよ! 山の絵だ。綺麗だなぁ」

「総タイル張りとか、職人にいくら払ったんだよ!」

「レバー回したらお湯が出てきた! 向こうに誰かいるの? どんな仕組みなの?」

 ……うるせー! 思わず耳を塞ぐ。

 こいつら脱衣所では猫を借りてきたかのように大人しかったのに、風呂場に出た途端歓声がすごい。

「……そんなに珍しいのか? 風呂ってこっちにもあるんじゃないの?」

 横に並んで、呆気にとられながらあたりを見回していたアクセルに聞いてみる。

「……あるっちゃああるが、ここに比べたらちゃちなもんだよ。居酒屋の片隅で、鍋で沸かしたお湯を湯桶に入れて、衝立を立てて、入るだけ。こんな無尽蔵に湯が沸いてくる風呂なんて、王族でも無理だ……」

 いやまぁ、無尽蔵ってわけでもないんだけどね。燃料はまだあるとはいえ、貯水タンクが空になったらそこで終わりだし。

「なぁ、入ってみてもいいか?」

 恐る恐る聞いてくるアクセル。お前そんなキャラだっけ?

「こんな綺麗な風呂使うの初めてだから、なんか怖くってな……」

 ……まぁ気持ちはわかる。

「入る前に、身体洗ってからな。煤だらけの身体じゃ湯を汚しちまうから」

「わかった。……お前ら聞いたな! 身体を洗ってからだぞ!」

 アクセルは大声で煤だらけの身体のまま湯舟に飛び込もうとしていた子達を制止した。「は~い」と元気のいい返事が帰って来た。今度は洗い場の蛇口の使い方を教える羽目になったが。


「っあー。生き返るーー」

「そりゃあよかった」

 湯舟に浸かって手足を気持ちよさそうに伸ばすアクセル。おっさんのような台詞だが、まあ散々働いた後だし、そういう感嘆の声が出るのも分かる。俺も倣って伸びをした。気持ちいい。

 アクセルがしみじみと言う。

「お前この銭湯の跡継ぎなんだってな。いいな。金もがっぽり入るだろ?」

「そうでもないさ。俺の国だと普通の家にお風呂がついてるんだよ。銭湯に来るのは昔なじみがほとんどだし、客足も少なくなってきてる」

「お前の国わけわかんねぇな……。でもまぁ、継げるなら継いどけ。手に職持ってるやつの方が強いんだからさ」

 異世界でもそういう事言われるとは……。

 鶴に耳にたこができるほど言われたことだから、内心うんざりして肩をすくめた。

「継がないよ。俺、やりたいことあるんだ。銭湯やってる場合じゃない」

「へえ、お前のやりたいことって?」

 鶴が耳をそばだててる気配を感じる。この前の喧嘩じゃあ、言い合いになってそれどころじゃなかったからな。俺はしばらく言いよどんだが、結局口を開いた。

「……母親がどこから来たのか知りたいんだ」

「は? 母親?」

 予想外だったのか、アクセルは素っ頓狂な声を出した。

「そう。俺の母ちゃんは外国人だったらしいんだけど、どこの国の人かわからなくてさ。親父も知らないらしい」

「……親父さん、よくその人と結婚したな」

「放っておけなかったらしい。嵐の日に家の前で倒れてて、保護したんだって。でも母ちゃんはどこでもない国の言葉をしゃべるし、行方不明者リストにも載ってないし、警察もお手上げでさ。結局、親父が身元引受人になったんだ」

 そんで母ちゃんは拙いながらも銭湯を手伝うようになった。親父と一緒に働くうちに想い合うようになり、結婚して俺を身ごもって……。そして俺のお産の時に母ちゃんは死んだ。

「だからまぁ、もし母ちゃんの家族がどこかの国にいるなら、会って謝りたいなって思ってさ。あなたの娘は俺を生むために亡くなってしまいました。ごめんなさい……って」

 許してもらえるかはわかんないけど、そうしないと罪悪感で潰されそうだった。

「だから、銭湯は継げない。母ちゃんの故郷を探すため世界中を旅しなきゃいけないからな」

 俺のやりたいこと発表会終わり! と言ってことさらに明るく笑ってみるものの……やっぱり雰囲気が重い。言わなきゃよかったかもな……。

『涼坊、俺そんな理由があるなんて知らなくて……。この前酷い事言って悪かった……』

 鶴がしょんぼりと謝ってくる。俺はあえて笑った。

「いいって別に。黙ってた俺も悪いし。……まぁそんなわけで銭湯を継ぐのは無理なんだ。悪いけど、わかってくれな」

 しかし、鶴は静かに首を振った。

『いや、俺は待ってるよ。お前が女将さんの故郷を探して戻ってくるのを。それまで親父さんと銭湯を守りきってみせる』

 まてまてまて。なんでそうなる!?

「前から思ってたけど、なんでお前そんなに俺と銭湯やりたがるの? さみしいの?」

『ばっ、馬鹿。違う! ……肝心の女将さんにお前と、この銭湯のことを頼まれたからだよ』

「は? お前俺の母ちゃんの言葉分かったの!?」

 あまりの衝撃に思わず勢いよく立ち上がってしまった。湯舟から湯が溢れる。

 鶴は俺の勢いにのけぞりながらも答えた。

『い、いや、分からなかったけど、俺のことは見えてたみたいだ。よくお前のいた腹を指して何か言って、俺に拝むポーズをしていたよ。ああこれは俺にお前のことを頼んでるなってはっきりわかった。銭湯も同じ』

 まさか俺以外に鶴が見える人がいたとは! ……いや逆か、母ちゃんの見える能力が俺に引き継がれたってことかもしれない。

「考えすぎてめまいがしてきた……」

「湯あたりかもな。まぁそれはそうと、他に手掛かりはないのか? 流石に場当たりで探すのは無理があるぜ?」

 アクセルが至極真っ当なことを言った。だが抜かりはない。

「ボイスレコーダー……ええと、録音機械に母ちゃんの肉声が録音されてる。親父が母ちゃんに日記代わりにしろって渡したみたいなんだ」

「録音、機械? なんだかよくわからないが、それを使えばお前の母親の声が聞こえるってことか。なら母親の言葉が通じる国が、お前の母親の祖国ってことになるな」

「あと写真もある。それを見せれば、顔もわかるはずだ」

 写真が何なのかわからないのか、アクセルは首をかしげたが。似顔絵のようなものだと納得したらしい。

「お前の母親の国、無事見つかるといいな」

 そうアクセルは心から祈るように言うものだから、俺は不覚にも胸にこみあげるものを感じた。


□□□


 翌日、各都市の調査隊は薪の仕入れについて重点的に情報を集めた。本命の街を探すために。

 王様の救出のチャンスは一度だけ。もし本命以外の街に襲撃を掛けたら、その時点で王様を助けるのが間に合わなくなる。それを防ぐ為にはより正確な情報が必要だ。

 俺達もヘルンに再潜入して、より確実な証拠集めに走る。今度は薪屋の煙突掃除に赴き、昨日の煙突の精の証言を固めに行った。結果は……ビンゴ。

「やはり本命はヘルンか……!」

 天幕の中で各地からの報告を受けたスヴェンが、嬉しそうに叫んだ。他の都市では火葬場に薪の仕入れはなかったらしい。天幕の中に集まったみんなも、安心したように息を吐いた。

「よかった、何とか間に合いましたね」

 俺も安堵の吐息をつく。明日はもう王様が燃やされる日だった。

「ああ、各都市に分割した軍もこちらに向かわせている。正直都市の包囲戦を行うにはギリギリの人数だが、こちらには煙突の騎士たちがいる。君たちがいれば百人力だ」

 スヴェンの視線を受けてアクセルが頼もし気に頷いた。

「任せてくれ。俺達の王様は俺達自身で救い出す」

 アクセルがこんなに熱くなるなんて、随分と王様は人気らしい。……いや、俺が王様のことを知らなすぎるんだ。もし助けに行ったとして、救出対象者の顔をしらないのでは、あまりに間が抜けている。

 俺はこっそりとアクセルに耳打ちした。

「なぁ、アクセル。王様ってどんな人だ?」

「んー、そうだな。勇猛で、前線に立つのも厭わない武人だ。っていっても武骨じゃなくて、容姿はどちらかというとかっこいいというか……」

 そこでアクセルは何かに気付いたかのように言葉を切り、まじまじと俺を見た。

「……非常に王様に失礼な気がするけど、お前にちょこっと似てる気がする」

「前半が余計な気がするんですがそれは」

 普通にお前と同じ位かっこいいよ(はあと)でいいと思うんだけど!

「馬鹿言え、お前と王様じゃアリョウスとスロウウスくらい違うよ」

 なんのことかわからないが、馬鹿にされてるのだけはよくわかった。制裁にデコピンをかます。アクセルは大げさに痛がってみせた。周りのみんなも笑う。

 スヴェンも笑っていたが、しばらくして咳払いをした。グダグダになりかけた空気が一瞬で引き締まる。

「ここからが本番だ。王の救出作戦を発表する」

 ごくりと誰かの喉が鳴った。


□□□


 作戦そのものはシンプルだった。

 今日中に煙突掃除人たちは煙突の精を引き連れて、ヘルンに潜伏する。

 翌朝、スヴァリア軍がヘルンを包囲・攻撃し、敵の目をひきつけている間に、ヘルン市内では煙突掃除人たちが煙突の騎士と共に火葬場を襲撃する。王様を救出後、離脱すること。

 

「言葉にすれば簡単なのになぁ……」

 心の内はそうはいかない。戦いの場に出るという緊張感が、心臓を高鳴らせていた。

「別にお前まで参加する必要はなかったんだぞ。お前はただこっちの事情に巻き込まれただけなんだから」

 天幕の外で出発の準備をしていると、アクセルが呆れたように声をかけてきた。

「そうはいくか。ここまで来て自分だけ大人しく待ってるなんてできるわけないだろ」

 俺の強がりを聞いて、アクセルは肩をすくめた。

「まぁ、別にいいけど。俺がフォローすればいいだけなんだし。……いやでも、事と次第によっちゃあ連れていけないな」

 鋭い視線に思わずたじろぐ。

「な、なんだよ。事って……」

「ずばり、お前の煙突の騎士は戦えるのかってこと。お前自身の魔力もあるのか心配だし」

 そういえば、軍では煙突掃除人が煙突の騎士のマスターとなり、観測手や砲に魔力を込めて一緒に戦うんだった。俺にできるだろうか。

 アクセルは鋭い視線を崩さない。

「試してもいいか?」

「も、もちろん。……鶴?」

 背中にいた鶴に声をかけると、鶴はこともなげに頷いた。

『はいはい、変形ね。ちょっと待ってろ……っと!』

 そう言ってすぐに、ズシン……! と鶴の変身した煙突の騎士が着地する重々しい音が、あたりに響き渡った。影が差した。

 アクセルが見上げて絶句する。

「で、デカいな……」

 そりゃそうでしょう、縦横に普通の家の二軒分はあるし。

「こうまでデカいと、壁として使えそうだな。あとは右腕の砲は、と。……折れてる?」

「雷が直撃して折れたんだ。折れる前は23mはあった」

「めーとる? ってどの位だ?」

「えーっと……」

 俺は例えに悩んだが、結局歩いて示すことにした。雪がさくさくと音を立てた。

「ここから、…………………………ここまで」

 アクセルが遠い。よくみるとぷるぷると震えているようだった。

 大急ぎで戻りかける。すると……。

「な、長すぎだろ!!」

 とアクセルは大声で叫んだ。び、びっくりした。どうやら震えていたのはショックだったかららしい。

「そんなに長いのか?」

「普通の煙突の5倍はある。それだけの長さがあれば、街の外からでも火葬場に狙撃が出来たのに……おしいな」

 ほんとに悔しそうだった。

「で、でも今のままでも戦えなくはないんだろ?」

「まぁな。残った煙突の長さでも普通の煙突の騎士と同じくらいだ。十分戦える。……お前の魔力があればな」

「ファッ!?」

「煙突の騎士の右腕の砲は、マスターが魔力を込めないと撃てない。……というか魔力を魔弾として打ち出すと言った方が正しいか」

 そう言ってアクセルは、煙突の騎士(鶴)の右腕の砲に手を触れた。バチンと青い光が走り、砲の出口から淡い光が見えた。

「今魔力を込めた。ツルだっけ? 撃ってみな」

『こ、こうか?』

 鶴は砲を樹に向かって水平に構えた。グッと力を込めたと思いきや、ポンっと青白い光の玉が打ち出された。まっすぐに樹に向かって飛び、ぶつかってフッと消えた。

「おおー」

 これが魔弾か!

「よし、合格。流石に今回は威力はゼロに落としたが、本番じゃ建物が吹っ飛ぶくらいの威力になるから注意しろよ」

 さて、とこちらを振り返るアクセル。

「今度はお前の番な。……大丈夫だ、お前ならできるって」

 よほど不安そうな顔をしていたのか、宥めるように言われた。 

「いいか、へその下から力が湧きだすイメージだ。体幹を伝って手のひらから放出するように、砲に押し当てる」

 言われた通りに、手のひらを鶴の砲に押し当てる。腹の底が熱くなった気がした。

「ば、馬鹿もういいやめろ!」

「ふぇ?」

 気が付けば、鶴の砲からは青い輝きが溢れんばかりになっていた。

「……これ成功?」

「やり過ぎだ馬鹿! 砲身が爆発する手前だぞ!」

「え!」

 思わず手を離そうとすると、手を重ねて押しとどめられる。

「いいか、今度は逆に手のひらから身の内に力を戻すイメージだ。……そう、吸収するように意識して」

 しばらくすると、青い光は俺の手を伝って、体の中に吸い込まれていった。

 アクセルはそれを見届けてやっと手を離した。

「……はぁ、本番ではいまの十分の一の力でいいからな」

「お、おう」

「お前が十分にやれることが分かって嬉しいよ……ったく、これだけの魔力があれば王鳴も起こせそうだな。お前は王族じゃないからむりだろうけど」

 疲れたように肩をすくめるアクセル。

「俺の意外な才能に痺れた?」

「ばーか、危なっかしいって意味だ。間違っても味方に当てるなよ」

 そう言われるとちょっと不安になる。が、あえて茶化した。

「どうかな、アクセルになら当てても大丈夫そうだけど」

「馬鹿ぬかせ」

「わぷっ」

 わしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜられる。緊張でこわばった肩の力が抜けた気がした。

 アクセルが言い聞かせるように囁く。

「お前が戦えるのはわかったけど、できるだけ自分の身を守ることに集中しろ。いいな?」

 確かに戦いは本職に任せるのが一番だろう。俺は神妙に頷いた。アクセルは笑った。

「心配するな、必ず全員生きて帰れる。無論王様も一緒だ」

 頼もしい台詞に俺は戦場に赴く不安が解けていくのを感じた。

 ……決戦は明日。

 

□□□


 作戦通り、俺達煙突掃除人組は、ヘルンに潜入して一夜を過ごすことにする。

 どうせ緊張で眠れないので、居酒屋で酔客に紛れて。葡萄酒をいっぱいひっかけて、たわいもないおしゃべりに興じる。スヴァリアのうまい食い物の話だったり、家族の話だったり。

 ひと際耳を惹いたのはスヴァリアの叛乱未遂の話だった。叛乱軍が迫り王様は必死に妹姫を逃がしたが、妹姫は王鳴を起こし行方不明になってしまった。どこの世界に飛ばされたかも知れず、王は今でも妹姫を呼び寄せようと王鳴を繰り返しているという。

「哀しい話だな……」

 アクセルがグラスを手で弄びながら言う。

「スヴェンのおっさんが、妹姫様を最後まで護衛したんだけど、残念なことに敵の足止めをしている最中に妹姫様は王鳴を起こし、行方不明になったらしい。今でも責任感じてるみたいだな」

 そんな話ばかりしていたら、いつの間にか空が白んでいた。明け方だ。

 居酒屋の女将さんに金を支払い、店を出ると。――ドン、と落雷のような轟音が、早朝の市内に響き渡った。

 ……始まった!

 俺達は続く轟音を背に、揃って駆け出す。向かうは王を焼く火葬場。スヴァリアの軍がヘルンの軍を足止めいる間に、王様を救わなければ。

 市民たちは路上に出て何事かが起きたのか、しきりに視線を方々に向けていた。やがて、先ほどから続く轟音が雷ではなく、野戦砲の爆音だと知れ渡ると大混乱に陥った。女たちは大通りに逃げ、子供は戸口でわんわんと泣き叫ぶ。男たちは慌てて鎧を着こんだ。そして槍やマスケット銃を頼みに威勢を付け、砲撃されている城壁の方へ走っていった。彼らとすれ違いざま思う。

(異世界の人たちってたくましいな!)

 その備えから、日常の安全を常に脅かされてきたと知れた。盗賊、強請、狼、無頼者、ときには内乱や国と国との争い。そういったものから自らを守るのに武装せざるを得なかったのだ。

「見えてきたぞ!」

 いくつもの大通りを抜けて、アクセルが叫んだ。巨大なレンガ造りの火葬場が見えた。空に届かんばかりにそびえたつ煙突。中に様々な部屋があるのか意外に大きい。庁舎みたいだ。手前には武装した警備兵。俺たちが迫ってくるのを見て警戒心を露にする。マスケット銃を構えて、警告してくる。

「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」

「ばーか、撃てるもんなら撃ってみろ!」

 走りながら叫びかえしたアクセルに、遠慮はいらぬとばかりに狙いをつける兵隊。その銃弾が撃ち込まれたとき、アクセルの目の前には煙突の騎士が壁となってマスターを守っていた。

「王様を助けるため、この火葬場は破壊させてもらう!」

 合図とともに俺たちは自身の煙突の精を変形させ、煙突の騎士を出現させた。

「全員魔力込め!」

 ズシンと重心を低くし、火葬場に向けて砲を構える煙突の騎士に、みんなありったけの魔力を砲に込める。青白い光で大通りが白く染まった。俺も鶴の砲に魔力を込めた。

「行けるか、鶴!」

『おう、戦争の頃を思い出すなぁ! 実に高揚する!』

「よし、アクセルの合図と共に撃つぞ!」

 その機会はすぐに訪れた。

「全員斉射!」

 流星のような光が幾筋も砲門から飛び出し、次々と火葬場に命中した。轟音と共にレンガが崩れた。

 火葬場の中の小さな礼拝堂のような部屋が露になったが、そこに王はいない。

 まだこの火葬場には連れてこられていないらしい。

「まだだ、引き続き魔力込め!」

 応じて砲に魔力を込めようとしたとき――、背後から青い光が飛んできた。当たりはしなかったが、明らかに俺たちを狙った魔弾。

「なっ!」

 振り返ると、こちらに重々しい音を立てて駆けてくる煙突の騎士。敵方の煙突の騎士だ!

「ひるむな! 敵の数は少ない。半数は敵に対峙し、半数は引き続き火葬場を攻撃しろ!」

 そこからは撃ちあいになった。

 俺と鶴は引き続き、火葬場を攻撃することにした。敵に背を向ける形になるが仕方ない。鶴が俺を守るように腹側に庇った。鶴の巨体に魔弾が続々命中する。

「だ、大丈夫なのか鶴?」

『まぁちょっとかゆいくらいだ。煙突がへし折れた時に比べればどうってことない』

 余裕そうだが、本当はどうなのかわからない。はやく、早く火葬場を破壊しなければ……!

 焦るあまりに魔力を込めすぎた。

「あ……」

『危ねぇ! このまま撃つぞ!』

 鶴は、緊急回避のためだろう、狙いを定める間も惜しんで魔弾を発射した。

 巨大な彗星のごとき魔弾がボロボロになった火葬場に吸い込まれていく……。

 一瞬後、ズズーン……。と、芯まで痺れるような地響きを立てて火葬場は崩落した。最後のあがきなのか火葬場は化け物の大きさのような煙突の騎士に変形した。その身体からレンガが剥落し、降ってくる。俺は慌てて鶴の影に隠れた。

 火葬場の煙突の騎士は、巨体故に動きが鈍い。そして度重なる砲撃で身体はボロボロだ。

 こちらに掴みかかってきたが、こちらの煙突の騎士たちは指の間をすりぬけ、逆に砲を向ける。

「止めだ! 撃て!」

 アクセルの指揮の元、一斉砲撃。……至近距離から全弾命中し、火葬場は耐え切れず、とうとう崩れ果てた。


 轟音と共に崩れる火葬場に、俺たちは快哉を叫んだ。これでこの街で王が焼かれることはない。

 あとはあちらで気絶している警備兵をたたき起こして、王様の居場所を吐かせるだけだ。

 この街で王様が焼かれることは決まっていたのだから、王様はきっとこの街にいるはず。

 アクセルが檄を飛ばす。

「気を緩めるなよ! 王様を助けて帰るまでが作戦だか、ら……な……?」

 急にアクセルの語気が弱まった。

 何かと思い、煙突の騎士の肩の上のアクセルを見上げると、彼は空を仰ぎ見て驚愕しているようだった。

 気付けば他のみんなも呆気に取られている。

 はらり、と空からかすかな何かが降ってくる。それは赤い色をしていて、ふわふわしていた。

 思わず手のひらに捕まえると、それはすぐに溶けて、手のひらに赤い雫だけを残した。

「赤い……、雪?」

「――っ! 全員撤退!」

 アクセルが耐え切れないように叫んだ。みんなも我に返ると、煙突の騎士に命令し、全速力で来た道を戻り始めた。

「な、なんだ!? 王様を探すんじゃないのかよ!」

『いいから涼坊、遅れないようについて行くぞ! なにか事情があるんだ!』

 そう言って鶴は、俺を肩に乗せて煙突の騎士形態のまま走り出した。路上にいた市民たちは踏みつぶされないように慌てて道の両脇に逃げた。

 普通の煙突の騎士と、鶴の巨体ではそもそも歩幅からして違う。俺たちは容易くアクセルに追いついた。

「アクセル何があった!? 王様を探さなくていいのかよ! それとも見捨てるのか!?」

 大声で問いかけると、アクセルは忌々しそうに舌打ちした。相当苛立ってる? その顔を一筋の冷や汗が流れた。

(いや、恐怖だ、これは……)

 振り切るように、アクセルは叫んだ。

「王様は死んだ! 王灰の混じった雪は赤くなる! くそっ! この街じゃなくて、他の街で王様が焼かれたんだ!」

「なっ!」

 絶句。

(そ、それじゃあ、何のためにここまで――。なら、俺はもう元の世界に帰れないのか!?)

 動揺して鶴の肩から滑り落ちそうになる。鶴がとっさに支えてくれた。

『しっかりしろ、涼坊! まだ敵地の真っただ中だ。考えるのはここを抜けてからにしろ!』

 アクセルも気炎を吐いた。

「ああそうだ、とにかく生きて帰ることだけに集中しろ! あとはおっさんがうまくやってくれる」

 それはまるでに自分に言い聞かせているような台詞だった。アクセルもどうしたらいいのかわからないらしい。

 この混乱にもかかわらず、赤い雪は静かにしんしんと降り続けている。それがこの敗走を決定づけているようで、俺は唇を噛み締めた。

 追っ手はすぐ後ろに迫っている。地に響くような複数の音。背後から続々と魔弾が飛んできた。

 味方の煙突の騎士に当たって、轟音と共に片腕がえぐり取られる。悲鳴が上がった。マズい……!

「アクセル! 俺がしんがりを務める! 全速力で走れ!」

「分かった! そっちは頼む」

 俺達は敵に背中を晒し逃げている。でも、鶴の巨体なら盾になれるはず……! 青白い魔弾が幾筋も鶴の身体に命中した。鶴が呻いた。

「悪い、鶴! もう少しだけ耐えてくれ!」

『……っ、ああ! こんなの屁でもない』 

 この判断が正しいのかわからない。けど、ひっきりなしに飛んでくる魔弾から仲間を守れる。鶴の耐久力に賭けるしかない。

 仲間の煙突掃除人が悲鳴を上げた。

「ああ、くそ、回り込まれた! 正面から煙突の騎士五体!」

 アクセルが迷いなく命令を下す。

「強行突破する! 走りながらでいい、撃て!」

 狙いも定まらない中だ。こちらが撃った魔弾は敵の上を通り過ぎたり、大通りに立ち並ぶアパートメントに当たって、レンガを容赦なくえぐり取った。それでも何発かは敵に向かうものの、それの2倍は敵から飛んできた。彼我の距離が近づくにつれ、敵味方にどんどん命中していく。

 遂に味方一体のど真ん中に魔弾が炸裂した。身体が崩れる。その煙突の騎士は最期の力を振り絞って、別の煙突の騎士にマスターを預けた。生きてはいるが、誰も彼も身体に傷を負っている。致命傷ではないがいつまでもつか……。

 らちが明かないと思ったのか鶴が叫ぶ。

『涼太、最大出力の停止射撃なら五体まとめて吹っ飛ばせるぞ! 5秒でいい!』

「わかった! みんな両脇に避けてくれ! ドでかいのを撃つから」

 合図でみんな走りながら両脇に避ける。鶴は急に止まったがために、横滑りし、石畳が重々しい音を立ててめくれあがった。その間にも右腕の砲で狙いを敵につける。魔力は砲の暴発する寸前まで込めた。

 一瞬ピタリと鶴の身体が停止する。発射。青い巨星のような、魔弾が敵に吸い込まれていく……。

 着弾! 腹に響くような轟音を立てて、敵の煙突の騎士が吹っ飛ぶ。

「今だ、走れ!」

 アクセルが叫ぶ。煙突の騎士の残骸を横目に、正面を突破した。

 市民たちは逃げ惑う。外から砲撃があったと思いきや、今度は街の内側で魔弾が飛び交い、火葬場が崩壊したのだ。どこに逃げていいのかわからず、右往左往していた。

 それでも街の外に向かうにつれ、徐々に市民の数は減ってくる。……いや、逆に武装した市民が増えてきた。彼らは俺達が敵の煙突の騎士に追われながら通り過ぎるていくのを、目を丸くして見ていた。彼らは門外の敵に対処するために詰めているらしい。

(と、いうことは……市門が近いのか)

 野戦砲の音は途絶えている。ヘルン軍は市外のスヴァリア軍とにらみ合いになってると思われた。

 

 とうとうたどり着いた市門では、騎兵が閉じた市門の内側で待機していた。

 ……しかし、まさか市内からスヴァリアの煙突の騎士が現れると思っていなかったのだろう。大混乱になった。

 スヴァリア軍は本格的な戦争をするつもりは無い。それだけの軍勢がいないのだ。ただ、ヘルン軍の目を市外にくぎ付けにしたいだけだ。

 だから、野戦砲を撃ちはするが、狙いは散発的だった。集中砲火はしない。ヘルン軍に本気になられては困るからだ。ただ、それが意図の読めない攻撃として映るようだ。なんらかの策を警戒して、自然、籠城の構えになる。それがスヴェンの狙いだった。……ただ脱出の時にはいささか不利に働いた。人が多い。

 アクセルが叫ぶ。

「涼太! またデカいのをぶちかませ!」

「了解! ……鶴、いけるか!?」

 鶴はボロボロになった左腕で砲を支えた。

『わかった。やってみる』

 短い返事をして、鶴は魔弾を撃った。人々の間をすり抜けるように一直線。閉じた市門に轟音と共に命中し、門を粉々に砕いた。外が見えた。降りしきる赤い雪でうっすら赤くなった雪原が。

 少し遠くにスヴァリア軍が陣を敷いていた。

「よし、よくやった! みんな急げ、もう少しだ!」

 アクセルの声にわずかばかりの安堵が滲む。ここまでくればもうすぐだ。雪原に足を踏み出す。

 スヴァリア軍が迎え入れるかのように前進する。

(ああ、生きて脱出できる……)

 そう安堵したのが、悪かったのか。

「ばっ、涼太! 上だ! 逃げろ!」

 反射的に上を見る。稜堡の上からマスケット銃でこちらに狙いをつけている銃兵がいた。照準越しに目があった気がした。

 ――そして銃声。

 なぜか俺には銃口から出る弾の様子がはっきり見えた。スローモーションで、このままでは俺の胸を射貫く

様まではっきりと。

(っ、死にたくない……! 帰るんだ! みんなで生きて――!)

 俺は何か叫んだ気がした。自分の耳は馬鹿になったかのように、自分の心臓の音しか伝えなかった。

 見覚えのある白い光が溢れ――。きつく目を閉じた。


□□□


 声が聞こえる――。

「おい、ここはどこだ!?」

 驚愕するスヴェンの声。

「涼太起きろ、死ぬな!」

 必死なアクセルの声。

『こらアクセル、揺らすな! 頭を打ってるかもしれないだろ!?』

 これは鶴の声……。

 そして、……。

「……お、お前ら誰だ? どっから来た。ど、泥棒か? ……って、え、涼?」

(親父の声……!?)


 はっ、と目を覚ました。どうやら仰向けに寝かされてたらしく、視界には自分を心配そうに覗き込む人たちの姿が。スヴェン、アクセル、煙突の精の鶴、煙突掃除人のみんな……そして親父。

「な、なんで親父が!」

 ぐわんぐわんと頭痛のする頭をなんとかなだめ、半身を起こす。

「なんでってここは俺達の家だろ。それよりお前、三日も行方不明になってどこ行ってたんだ? それにこいつらは誰だ?」

 警戒心たっぷりに指さされたのは異世界で一緒にいた面々だ。親父と並べるとすさまじい違和感。

「ちょっと待ってくれ、俺も何が何だか……」

 見回してみると、確かに我が家だった。ちゃぶ台。日に焼けた畳。かあちゃんの写真の飾られた仏壇。年代物の箪笥。そしてテレビ。

「家に帰って来たのか……?」

 ぼんやりと独りごちると、アクセルが驚いたように瞬きした。

「家? ここ、お前んちなのか? ってことは異世界!?」

 スヴェンが慎重に口を開いた。

「どうやら、王鳴が起こったらしい。王は焼かれたというのに、なぜだ? まさか、王は生きている……?」

 アクセルは戸惑いながらも、神妙に首を振った。

「いや、赤い雪が降ったから、亡くなったはずだ。あれは王が灰にならないと降らない」

 結局間に合わなかったのだ……。煙突掃除人のみんなも悔しそうに視線を落とした。

 空気が重くなる。

「……涼、いったいこいつら何の話をしてるんだ? こいつらはお前の何?」

 異世界組の言葉のわからない親父が、空気を読まずに耳打ちしてくる。

 俺は親父の口を塞いだ。

「いいから黙ってて、親父! 今大事な話をしてるんだから」

 むぐむぐと口ごもる親父。……しばらくして、親父はためいきを吐くと、仏壇の前に腰を下ろした。

「母さん、俺達の息子は行方不明になった挙句、なんだかよくわからない外国人を連れてくる不良になっちまったよ。俺がついていながら、……すまない」

 そうして、かあちゃんの写真を手に取り、露骨に嘆息してみせる。当てつけか!

 その光景を異世界組は不思議そうに見ていたが、……スヴェンは驚いたように目を見開いた。

「し、失礼! その絵を見せてくれ!」

 そういうが早いが、親父から写真を奪い取った。その勢いに唖然となるみんな。

「……なぜここに、王女の絵が?」

 スヴェンは呆然と震える指で写真をなぞった。

「そ、その写真は、俺の母ちゃんですよ」

 恐る恐る伝えると、スヴェンは俺をまじまじと見つめた。

「母親? お前の?」

「そう。お産の時に亡くなっちまったけど」

「…………そうか。するとお前は王女のご子息なのだな……」

 スヴェンは感に堪えないように深呼吸すると、……俺に慇懃に頭を下げた。

「あなたがアン王女の忘れ形見だと知らぬとはいえ、数々の無礼をお許しください、王子」

 俺は飛び上がって驚いた。

「お、王子……!? 俺が?」

「はい、あなたは叛乱未遂事件の時に、王鳴によって行方不明になったアン王女のご子息です」

 アクセルが素っ頓狂な声をあげた。

「ま、待てすると、おっさんが護衛していた王女って、こいつの母親か!」

 そ、そういえば、ヘルンに潜入した時にそんな話を聞いたような……。

「思い当たる節は……?」

 スヴェンの問いかけで、全ての糸が頭の中をよぎった。

「か、かあちゃんが話す言葉がどこの国のものでもなかったのも、行方不明者のリストになかったのも、誰にも見えなかった鶴をかあちゃんが見たのも、俺が煙突の精を見える能力を引き継いだのも、俺が王様に似てるのも……」

 全部、かあちゃんがスヴァリアの人間で王族だったからか……!

 驚愕の表情を浮かべる俺をみて、スヴェンは悲しげな表情をした。

「ああ、そうすると、全てが繋がりますね……。やはり王は三日前にはすでに……」

 一人で納得しているスヴェンに、俺は慌てて説明を求めた。

「どういうことですか、それ! いやその前に、敬語はやめてください!」

「し、しかし……」

 軍人としてのさがか、上下関係が骨身に沁みているらしい。ならば……!

「め、命令です! 敬語は、なし!」

「わ、わかりまし……。いや、わかった……」

 勢いに押されるかのように頷くスヴェン。

 王族の命令ならばてきめんに効くと思ったが、成功した。

「よし! それで、何が繋がったんですか!?」

「……涼太があちらの世界に転移したのは、王による王鳴で召喚されたのだと、我々はそう考えていた。が、それは間違いだった。涼太は王族だ。ならば、自身で王鳴を引き起こせる。涼太は自分の力で異世界に転移したのだ。心当たりはないか?」

 そう言われて、思い返してみる。

「……あの時は鶴の煙突がこちらに倒れてきて、死にたくないって思ったら、気付いたらあっちの世界に行ってたような……」

「それだ。王鳴は『王族が望むもの』を転移させる術。死にたくないという願望を転移という形で叶えたとしても不思議じゃない」

「……それだと王様も自分自身を異世界に転移できるんじゃ?」

 スヴェンは首を振った。

「できたらとっくにやってる。王自身の転移は恐らく敵が結界で防いでいる」

 なるほど。俺が考えつくことは全部試した後らしい。

 アクセルが小首を傾げた。

「じゃあ、今回の王鳴は? なんで俺達まで転移してるんだ?」

「……それも俺かもしれない。銃で撃たれて、『死にたくない! みんなで生きて帰るんだ』って思ったから……」

 みんなごと、自宅に帰ってしまったようだ。

 スヴェンが言葉を続ける。

「先ほど、王が身罷られても王鳴が起きたのは、涼太が王鳴を起こしたからだろう。そうなると前提が違ってくる。我々は三日前に王鳴を起こしたのは王だと考え、生存を信じてきた。だが、それは涼太の王鳴だった。王による王鳴はずいぶん前に途絶えていた。王はすでに亡くなっているかもしれない……」

 スヴェンの声が震えている。掛ける言葉が見つからなかった。

『それは早計じゃないか?』

 ポツリと鶴が言った。ハッと全員の視線が鶴に集中する。……あらためて見ると、鶴の姿は痛々しい。元々雷でひび割れた肌だが、先ほどの戦闘で負傷したらしくひびが広がっている。

 鶴は自分の手のひびをなぞりながら言った。

『なぁ、スヴェン殿。王を焼いて作った王灰には、破壊されたものを回復させる効果があるって言ってたよな。そして、赤い雪は王灰が溶けているとも』

「あ、ああ……」

『ならなんで、赤い雪に触れたのに俺のひびは直らないんだ?』

 スヴェンは目を見開いた。

『赤い雪が降りしきる中戦ったのに他の煙突の騎士の負傷も直ってなかったし、なんなら破壊した街も回復していなかった。……あれは王灰じゃないんじゃないか?』

「馬鹿な、王灰じゃないのに赤い雪が降るはずが……」

 そう言いかけて、口を覆うスヴェン。何かに思い至ったようだ。

「……いや、万に一つの可能性もないことはない、か。雪の核となる塵が赤ければ赤い雪になる。王灰が赤いから、赤い雪はみんな王灰の雪だと思っていたが、……他の赤い塵の可能性が? まさかそんなことが……」

 自分で口にしていても信じられない。そうありありとわかる口調だった。


 混乱する俺達の耳に、突如女性の声が響いた。思わず飛び上がる。

 振り向くと、親父がつまらなそうにテレビをつけていた。女性のレポーターが砂漠で何か言っている。

「ちょっ、親父やめろって!」

「なんだよ、ここは俺の家なんだから好きにさせろ。お前はそこの外人さん達と仲良くやってればいいじゃないか」

 そう口を尖らせて抗議された。

(拗ねてる……! なんて大人気ない親父なんだ!)

 慌ててリモコンを取り上げようと親父ともみあいになる。スヴェンたちは目を丸くしてテレビを見ていた。テレビを初めて見たらしい。

 テレビの中ではレポーターが興奮して、砂漠を指さしている。

《――数時間前、白い光と共に、サハラ砂漠の赤い砂が消失しました! ご覧ください! 砂丘がまるまる消えてきます! 竜巻ではありません! 風は全くありませんでした!》

 ぴたり、と俺はリモコンを奪おうとする動きを止めた。

(白い、ひかり――? 赤い、砂?)

 フラッシュバックする。

 俺が王鳴で転移した時は、全て白い光に包まれはしなかったか?

 ……ハッと気付き、スヴェンたちにまくし立てた。

「わかった! 砂漠の赤い砂だ! 王鳴によって砂漠の砂が召喚されて、雪の核になり、赤い雪を降らせたんだ。あれは王灰じゃなかったんだ。王様は焼かれてない! それどころか、王鳴が使われたってことは、王様はまだ生きている!」

 スヴェンは思わずといったように立ち上がった。

「それは本当か!」

「ああ、あの赤い雪は、俺たちを諦めさせるために打ったヘルン市の罠だったんです。おそらく王様を脅して召喚させたんだ」

 だけど、火葬場は破壊した。もうヘルン市で王さまを燃やすことはできないはず……。

(なら、火葬場が無事な他の都市に移送されるのか? それとも……)

 考え込む俺の耳に、またテレビの女性の声が割って入ってきた。

《先ほど入ったニュースです! ○○国××の火葬場が、白い光に包まれて消失しました! 繰り返します! 火葬場が消失しました!》

 ……火葬場? まさか火葬場を召喚したのか!?

 テレビに映っている、観光客が撮影した火葬場が消える映像をみて、アクセルが唸った。

「移送をしてる間に雪雲が消えると判断したのか。ヘルン市は異世界の火葬場を使って、ヘルンで王様を焼く気だ!」

 スヴェンが眉根を寄せて、苦々し気に言う。

「……時間がない。涼太、我々をヘルンまで戻せるか? 全軍を擁してヘルンを攻撃し、王を救い出さねば!」

 俺は頷いた。

「やってみる」

 目を閉じて強く祈る。

(みんなでヘルンに戻る、みんなでヘルンに戻る――! 王様を救うんだ!)

 しかし、……なにも起こらない。

 何度か試してみても、同じだ。俺は深いため息を吐いた。

「――だめだ、命の危機じゃないと転移できないかもしれない」

 先の二例を見る限り、俺の王鳴は火事場のクソ力だったようだ。死にかけないと発動しないらしい。

「……誰か俺を刺してくれないか?」

 そう言ってみんなを見回すと、驚愕して戸惑っているようだった。

「王族を害すなど、俺には……」

 忠実な軍人であるスヴェンが、それだけはできないとばかりに首を振った。

 (ならば……)

 アクセルに視線を移すと……しばらく葛藤していたようだが、真剣な目で俺と目を合わせ、頷いた。

「……俺がやる」

 アクセルは腰にあったナイフを鞘から抜いて、静かに構えた。俺は頷いた。

「悪い、頼む」

 親父は、まさかと顔を青くして、よろめきながら立ち上がった。

「お、おい。お前ら一体何を――!」

「親父、悪りぃ。すぐ帰ってくるから。……やってくれ、アクセル!」

 言い残す間もあればこそ。アクセルはナイフを振りかぶり、一直線に俺の胸を刺してきた。

 また、ゆっくりと時間が流れる。こめかみが拍動し、息が苦しくなる。

 

 白い光が溢れ、部屋を埋め尽くした。


□□□


 ――気が付くと、雪上に倒れ伏していた。

「涼太、起きろ! 早く王様を助けに行かないと間に合わない!」

 アクセルに叱責され、急いで立ち上がる。

「ここはどこだ!?」

「ヘルン市を見下ろす小高い雪山だ! 見ろ、城壁が見える。確かに王灰が降ったにしては街が直っていない。やっぱりあの雪はフェイクだったのか。……なぁ、あの巨大な煙突が異世界の火葬場か? でかいな!」

 アクセルの驚愕した声につられてヘルン市を見ると、白い煙突が突き出しているのが見えた。ちょうど破壊した火葬場跡と同じ位置だろう。

 スヴェンが望遠鏡であたりを見回して言う。

「……スヴァリア軍は一時撤退したようだな。恐らく三日前の駐留場所だった森の中に待機しているんだろう。……マズいな」

 スヴェンが深刻そうに眉根を寄せた。

「ど、どういうこと?」

「今から山を下りて、駐留地に走り、軍を動かしたとしても遅すぎる。その間に王が焼かれるだろう。王を助けるには今でなければ……!」

 その声から焦りが伺えた。

 しかし、アクセルが無茶を言うなとばかりに、声を荒げた。

「でもこの人数で突入しても、火葬場に辿りつく前に全滅だ! それ以前に間に合うかどうか……」

 焦燥に駆られて、せわしなく対策を話し合うみんな。

 俺は唇を噛み締めながら、必死に頭を回していた。

(なにか、何か方法はないか……! いますぐ火葬場を破壊するような決定打は――!)

 全身がこわばり、声が遠ざかる。身体は熱いのに、冷や汗がこめかみを伝う。

 気が遠くなる……。

 頭は暴走し、ランダムで記憶を映し出した。

『破壊されたものを回復させる王灰』

『ひび割れた鶴の折れた煙突』

 アクセルの言葉、『それだけの長さがあれば、街の外からでも火葬場に、

 ――狙撃ができたのに』

(そうか、これなら――!)

 パッと、意識が浮上し目の前が明るくなる。

 俺はアクセルに向かって叫んだ。

「アクセル、ナイフを貸せ! あと誰か火をもってないか?」

 俺の剣幕に驚いた顔をしたアクセルだが、我に返るとナイフの柄を差し出してきた。

「な、何をする気だ?」

「王灰を作る。そして鶴の煙突を直す!」

 名指しされた鶴は素っ頓狂な声を上げた。

『お、俺!?』

「そうだ。お前の煙突は折れていなければ、23mはある砲になる。アクセルが言ってた、『それだけの長さがあれば、街の外からでも火葬場に狙撃ができる』って」

 アクセルが感嘆の声を上げた。

「ああ! その手があったか! 幸いここはヘルンを見渡せる山だ。射程も十分ある」

 俺は頷くと、アクセルから受け取ったナイフで、ゆるく伸ばした淡い金髪を切った。

 モデル業のために伸ばしていたが、背に腹は代えられない。むしろ偶然とはいえ、髪を伸ばしていた幸運に感謝する思いだった。

 すかさず仲間の煙突掃除人のひとりが火のついた薪を差し出してきた。火打石を持っていたらしい。

 礼を言って受け取ると、鶴に呼び掛ける。

「ありがとう。……鶴!」

『あいよ!』

 意を汲んだ鶴が煙突の騎士形態に変形する。地響きのような音を立てて、着地した。

 折れた右腕の砲を差し出される。俺は鶴の砲の上で、髪の束をあぶった。

(……うまくいきますように)

 ぱらぱらと赤い灰が鶴の砲に降りかかる。灰が触れた瞬間に鶴のひび割れが一瞬で直った。これが王灰! 歓声が上がる。

(よかった、これなら――)

 続いて無くなった砲身の切り口に灰を振りかける。光が切り口に沿って円筒形にまっすぐ伸びていき、……どんどん長くなっていく。

「離れて!」

 慌ててみんなが離れる。鶴が砲の重さに足を踏ん張る。地面がめり込んだ。

 ……煙突の長さ約23mは伊達じゃない。

 光が淡く消える頃には、長大な砲身が横たわっていた――。

「こ、これは……!」

 あまりの長さに度肝を抜かれたのか、みんな開いた口が塞がらないようだった。

 俺は火のついた薪を雪に刺して火を消すと、鶴に呼び掛けた。

「鶴、いけそうか?」

『……ああ、問題ない』

 鶴は砲の重さに何度かふらついたが、腰を落とし重心を見極めてからはその姿勢は安定した。

「よし、全員で魔力を込めるぞ! 多分俺のだけじゃ足りないから!」

 呆気に取られていた面々だが、俺の要請に我に返ると鶴の砲身にみんなで手を押し当てた。青い光がほとばしり、鶴の砲身に魔力が充填されていく。

『もういい! 十分だ』

 鶴が声をかけるころには、大気がビリビリ震えるほどの魔力が込められていた。

「よし! 照準、火葬場!」

 合図と共にゴウンと砲身が持ち上がり、何度か調整した後、ピタリと止まった。次に仲間の煙突の騎士が砲を肩で支え、射角を固定した。

 望遠鏡をのぞいていたスヴェンが、驚いて声を上げた。

「王だ……! 火葬場に向かって歩かされている。まだ火葬場までの距離はあるが……」

「今撃ったら巻き込まれそう?」

「いや、今撃たないと間に合わない!」

 なら迷う時間はない……!

「撃て!」

 合図と共に轟音が響き渡り、俺たちは耳を押さえた。空気が振動し、木々に積もった雪がどさりと落下する。

 青く巨大な魔弾は弧を描き、――火葬場に着弾した。

 引き裂かれ、押しつぶされ、崩壊する建物。

 白い化粧石が剥がれ落ち、鉄筋が露になった。煙突はへし折れ、残骸がバラバラと広場に降り注ぐ。

「王様は!?」

 予想外に大きい被害に慌ててスヴェンに確認する。

「大丈夫だ、護衛兵に守られている」

 ほっと安堵して吐息を漏らすスヴェン。俺もこわばった肩をなでおろした。

 しばらくして山の下の方から複数の馬蹄の音が聞こえてきた。アクセルが歓声を上げる。

「スヴァリア軍だ! 砲撃音を聞いて何が起きたか確認に来たんだ」

「この山に来る。合流して、ヘルン市を攻めよう。涼太たちはこの山からから砲撃を続行し、ヘルン軍を牽制してくれ」

 俺はすぐさま頷いた。

「わかりました! 王様を絶対に救い出してくださいね」

 スヴェンは頷いて笑うと、「後を頼む」と言いおいて山を駆け下りていった。半分の煙突掃除人が後に続いた。

 残された煙突掃除人と俺たちは、すぐさま鶴の砲身に魔力を込め始める。

 

 初めて、勝ち目が見えてきた――。


□□□


 俺達の援護射撃は轟音と共にヘルンの城壁を吹き飛ばした。

 瓦礫の合間を縫って、スヴェンたちはスヴァリア軍は、ヘルン市に突入した。まっすぐに王を目指して広場を駆ける。山の上からでも市内の混乱ぶりが見て取れた。もしかすると、市民たちはスヴァリアの王様がヘルンにいるなんて知らなかったのかもしれない。でもそれがこちらに有利に働いた。市民の混乱を前にヘルン軍は行く手を阻まれ、少人数での乱入を容易く許してしまう。

 アクセルが望遠鏡を覗きながら、観測手を務めてくれた。腹の底に響く地鳴りと共に魔弾が発射される。何度も何度も。鶴の砲身が焼け付きそうなほど、撃ち続けて――。

 アクセルが不意に叫んだ。

「おっさんが王様の保護に成功したぞ!」

「本当か!」

「ああ、王様はおっさんの馬に同乗している。……よし、援護射撃を続けるぞ! くれぐれも王様たちに当てるなよ!」

 あと少しだ! 魔力不足なのか緊張感なのか、砲に魔力を込める手が震えてきた。

(思えばこの三日間必死だった。あとは、母ちゃんの家族だった王様を助けるだけだ! 絶対に王様は殺させない――!)

 力の限り魔力を込める。アクセルが吠えた。

「撃てェ!」

 最後の砲撃は、市門前でスヴァリア軍の脱出を阻む騎兵隊に命中した。スヴァリア軍は残兵たちを蹴散らして、一心不乱に駆ける。

 そうして、――ついに王様たちはヘルン市を脱出した。


「「「っしゃぁああああああああ!!!!」」」

 全員で快哉を叫ぶ。こんなに身の内から喜びが湧いてきたのは久しぶりだった。何度か死にかけて、それでも得た勝利に胸が震えた。

 喜びを分かち合おうと、鶴を振り返る。するとあれだけ大きな煙突の騎士の巨体は、ぽひゅんと間抜けな音を立てて縮み、後には大人の姿の鶴がへたり込んでいた。王灰のおかげで身体のひびも煙突も直ったので元の姿に戻ったのだ。近寄って、声をかける。

「お疲れ、鶴。ありがとうな」

 鶴は疲れた顔をしながらも、晴れ晴れとした笑顔だ。

『おう、涼坊。どういたしましてだ。お前もよく頑張ったな』

「うん、俺の相棒がお前でよかったよ。じゃなかったら、ここまでうまくやれなかった。ありがとう、これからもよろしくな」

 心の底からの感謝を伝えると、鶴はくすぐったそうに笑い、ばりばりと頭を掻いた。照れてる。

『ま、まぁな、お前には俺がついてないとな! てなわけで、俺からもよろしく頼むわ』

 そうして二人で目を合わせて、ニッと笑いあった。

「なあににやついてるんだ、二人とも」

 どすっと、アクセルが圧し掛かってきた。

「おう、アクセル。お前にも言おうと思ってた。お疲れさん、そんでありがとな」

「へへっ、そんなかしこまらなくても分かってるよ。お疲れさん。お前と一緒にやれてよかったぜ」

 照れくさそうにそう言うと、みんなに向かって声を張り上げる。

「さぁ、王様たちに合流するぞ! 最後まで気を抜かずにだ。王様にもらうご褒美を楽しみにしてな!」

「「「おう!!!」」」

 俺達は鬨の声を上げると、意気揚々と山を下りていった。


 ――こうして王様の救出作戦は成功したのだった。


□□□


 スヴァリア国境に敷いた陣にて。

 俺達は王様たちスヴァリア軍と合流した。

 王様直々に労いの言葉を掛けたいということで、俺たちはひときわ大きな天幕に招かれた。

 周りのみんなが椅子に座った王様を前に膝を折って、頭を下げるのをみて、俺も慌てて真似をする。

 王様は俺たち一人ひとりをねぎらった後、最後にこう言った。

「異世界からの客人よ。こうべを上げよ。顔を見たい」

 俺は片膝をついたまま、頭を上げた。ひたりと王様と目が合う。

 王様は偉丈夫だった。淡い金の短髪、深慮を湛えた茶色の瞳、豊かな髭。

 アクセルはおれにちょっと似てるって言ってたけど、似ているのは淡い金髪くらいで断然王様の方がカッコ良かった。

 王様が何日を捕虜として過ごしたかは知らない。けれどここで椅子に座る王様は、かつての不遇を感じさせないほど堂々としていた。

 王様は俺の顔を見ると息を呑んで、ふらりと立ち上がった。

 ゆっくりと俺の目に前にまで来る。視線は外れない。王様は膝をついて、震える指で両手で俺の頬を包み込んだ。そして、懐かしむように、長い吐息をついた。

「……たしかに、アンの面影がある。そうか、お前がアンの忘れ形見か……」

 スヴェンから知らせが行ったようだ。王の妹姫、アン王女のご子息がいます、と。俺は頷いた。

「はい、王様。おれ、いや私は涼太と言います」

 緊張でこわばった声が出た。王様は、優しく笑った。

「よいよい、気楽にせよ。アンの息子なれば、余の甥だ。何の遠慮もいらぬ」

「きょ、恐縮です!」

 無理だよ、気楽になんて……。俺がこわばった笑みを浮かべるのを見て、王様はふふふと笑った。

「固くなるなというに。……まぁよい、お前にはいろいろと聞きたいことがある。時間はあるか?」

「は、はい。もちろん……」

「決まりだ。――スヴェン」

「はっ!」

 王様の意を受け、天幕の入り口に控えていたスヴェンが、みんなを促して天幕の外へと連れていった。

 王様と、二人っきり……。いや、通訳の煙突の精と鶴もいるけど。それでも四人。広い天幕が更に広く感じた。こ、心細い……。

「すまんな、王ともなると面倒でいかん。人目があると甥と気楽に語り合うこともできんとは、不便なことよ」

 あれ、いきなりくだけた……?

 王様は椅子をすすめてくれた。そして王様自身も俺の目の前に椅子を持ってきて座った。

「聞きたいこととはアレだ、お前の母や家族の思い出話だ」

「し、しかし王様、母は私が生まれた時には亡くなっていて、正直母との思い出話はないのです……」

 しょんぼりしてそう言うと、王様は優しく肩を叩いた。

「つらいことを言わせてすまなかった。しかし、余が聞きたいのはお前の母や家族の話だ。正直お前のことも知りたいし、お前の父のことも知りたい。なんでもいい、話してはくれまいか」

 穏やかな口調に泣きそうになる。俺は、潤む目を拭いながら頷いた。

 

 それからは、思い出話に花が咲いた。

 母ちゃんのことは、親父や近所の常連客から教えてもらったことしか話せなかったが、それでも王様は楽しそうに聞いていた。特に母ちゃんが銭湯の経営に敏腕を振るった話では、さも愉快そうに笑っていた。

「あれは、女だてらに学問がうまくてな。経済学や経営学は特に強かった。そうか異世界で役に立つとは、何が幸いするかわからんな」

 話は親父や俺にも及んだ。親父はゴリラに似ていると、口を滑らせてしまったが、王様はゴリラを知らなかったらしい。まぁ異世界だからなと安心していると、「ゴリラとは何なのだ」と追撃を受けた。

 しょうがないから、うほうほとゴリラのまねをしてみると、王様は天幕の外まで響くような笑い声を上げた。

 王様自身の話も聞いた。母ちゃんと王様はとても仲の良い兄妹で、母ちゃんは嫁に行かないで王様の宰相になると言って聞かなかったらしい。自分の学問で王様を支えたいと。

「アンは美人で賢いから縁談もひっきりなしに来たのだが、嫁に行っては俺の役に立てないと全部独断で断ってしまってな。派手に喧嘩になった。いや、俺は嬉しかったのだが、表だっては叱るしかあるまい。アンはふてくされるしで、あれは本当に困った……」

 困った、という割には懐かしそうに笑っている。ああ、王様は母ちゃんのことをほんとに可愛がっていたのだなと、自然に思った。

 なのに、王様と思い出話を重ねるたびに、俺の心は真っ黒になっていくようだった。息がしづらい。

 不意にじんわりと涙が出た。

「お、おい。どうした……?」

 王様が慌てて、ハンカチを渡してくる。俺は固辞したが、王様は手ずからハンカチで涙を拭ってくれた。ますます涙腺が緩む。

「……もし母ちゃんが生きていれば、王様と再会できたのにと思うと。悔しくてなりません。お、俺が母ちゃんを殺したようなものです……。俺が生まれてこなければ……。ごめんなさい、ごめんなさい王様……」

 子供のようにしゃくりあげながら懺悔する。いつも抱えていた悔恨がここまで大きくなっていたことに、今初めて気づいた。

 王様は俺を抱きしめた。背中を優しく叩いてくれる。

「何を言う。アンがお前が生まれてくることを望んだのだ。自分を責めるな。アンはお前を生めて幸せだったと思うぞ」

「で、でも……」

 本当にそうだろうか? 母ちゃんは本当に俺を恨んでいないのだろうか? 

 そんな疑いを俺の表情から読み取ったのか、王様がふんと強気に笑った。

「兄たる俺の言葉だぞ、信じろ。……まぁ証拠がないわけでもない。見ていろ」

 王様は虚空に手をかざす。王様の身体から魔力がほとばしり、白い光が溢れる。王鳴だ。

 一瞬後、王様の手には母ちゃんの肉声が録音されたボイスレコーダーが握られていた。

「煙突掃除人の子供がアンの肉声が聞ける装置が異世界にあると言っていたが、……さてこれはどう使うのかな」

 王様は俺にボイスレコーダーを手渡した。慌てて操作して、再生する。……これが証拠?

 母ちゃんの声が流れ出す。

 昔は何を言っているかわからなかったが、今はスヴァリアの煙突の精が鶴に煙突語で通訳してくれて、その言葉を鶴が更に日本語に訳してくれる。こんな具合に――。

【ヘイセイ○○年××月△△日。今日は銭湯のボイラーの使い方を学ぶ。私の国にいた煙突の精をこの世界で初めて見た。言葉は通じないようだったが、身振り手振りでお腹の子のことを頼んだ。いつまでも我が子とこの銭湯を見守っていてくれますように】

 鶴が母ちゃんに俺のことを頼まれた日のことだ! 鶴は俺の言っていたことは正しかっただろ? とどや顔して見せた。

 レコーダーはその後の母ちゃんの毎日を次々と伝えてくれた。

 つわりが軽かったこと。食べ過ぎて太り、兄さんが自分と気づいてくれるか不安なこと。タカアキさん(親父の名前だ)のことがとても好きで、幸せだということ。

 ――俺は親父と一緒にいる幸せも俺が奪ってしまったのか。胸が痛い。

「まぁまて、落ち込むな。最後のメッセージを聞いてからでも遅くない。今だけ早送りにせよ」

 最後のメッセージ。――出産直前だ。

【ヘイセイ○〇年□□月〇〇日。とうとうこの時が来ました。お医者様からこの世界でも出産は命がけだと聞きました。だから、もし私が死んでしまった時のために、涼太にメッセージを残します。――涼太へ、生まれてきてくれてありがとう。思いがけないお母さんの死であなたが悲しんでいないかどうかとても心配です。でも大丈夫。たとえ私が死んだとしても、私はあなたの側にずっと私はいます。一緒にいてあなたの成長を喜び、あなたが悲しいときは慰め、あなたに幸多からんとずっと祈っています。どうか悲しまないで、あなたの人生を生きてください。あなたが生きていることがお母さんの喜びです。お誕生日おめでとう涼太。タカアキさんと銭湯をよろしくね】

 それきり、母ちゃんの日記は終わった。

 ぼろぼろと涙が流れる。王様が俺の涙を拭いながら言う。

「我が妹は最期までお前のことを欠片も恨んでいなかったぞ。無論俺もだ。むしろお前が健やかに成長し、俺を救うまでに勇猛果敢な人間になってくれたことを喜ばしく思う。……今までずっと自分を責めてきて苦しかったな。もう大丈夫だ」

 もう駄目だった。涙腺が決壊し、俺は声を上げて泣いた。天幕の外にいるだろうみんなは、さぞかし驚いているに違いない。でも止まらなかった。

 王様は小さな子供のようになってしまった俺を、再び抱きしめた。

 おれは涙に震える声で、「ありがとう……ありがとう……」と呟いた。

 母ちゃんに、親父に、鶴に、そして王様に――謝罪ではなく、感謝の言葉を。


□□□

 

 天幕の群れから離れて、雪原にダイブする。泣きはらした顔が冷えて心地いい。

(あんなに泣いたの久しぶりだ……。ちょっと恥ずかしいけどすっきりした)

 くすくす笑っていると、頭の方からさくさくと足音。そして隣にどすっと誰かが腰を下ろした。

 首をひねって見上げるとアクセルだった。

「よかったな、涼太」

 主語も何もない言葉だったが、俺には伝わった。

「おう。これで安心して帰れる」

 俺は身体を起こして、雪の上に座りなおした。アクセルと同じ方向を向く。雪原の彼方に夕陽が沈んでいくところだった。

「帰るのか? てっきり王様が引き留めたって思ったけど」

「引き留められたよ。でも俺の世界は向こうだ。親父にもすぐ帰るって言っちゃったし」

 そう言って伸びをする。この世界に居たのはたった三日だけど、毎日が驚くほど濃かった。愛着も湧くし、皆と別れるのは寂しい。

「そっか……まぁそうだよな」

 アクセルがため息を吐く。俺は笑った。

「んな顔するなよ、また来るからさ」

「え?」

 アクセルが俺の顔を見た。ばちっと視線が合う。

「俺さ、母ちゃんの国をもっともっと知りたいって思った。王様にも母ちゃんのことをもっと聞きたいし、スヴァリアのお土産を母ちゃんの墓前に供えたいし。親父にも母ちゃんの国のことを教えてあげたいなってさ」

 だから、また来るよ。と、俺は言った。思いがけない言葉だったのか、アクセルは目を見開いて、照れ笑いした。

「……おう、待ってる」

『もちろん、俺も連れて行ってくれるんだよな、涼坊!』

 後ろに張り付いていた鶴が威勢よく言う。

「当然だろ。お前は俺の相棒なんだからさ。そうだ、異世界のあちこちで銭湯開きながら旅をするか。この世界なら需要がありそうだし」

『! マジか。腕が鳴るな』

 鶴が興奮し、アクセルは頷いた。

「そりゃあいい、国中の煙突掃除人たちが飛びつくぞ。あんな綺麗な風呂は無いからなぁ。俺達も冷やかしがてら行ってやるよ」

「おう、お前達ならいつでも歓迎するよ。約束する」

 うん、と頷いて、アクセルは優しい顔で笑った。初めて見る顔だった。

「……ありがとな、涼太。お前がいてくれてよかった」

 そう言って右手を差し出される。握手だ。

 異世界の挨拶として三日前にスヴェンと交わしたけど、アクセルは覚えていてくれたらしい。

「ああ、こちらこそありがとう。アクセル」

 俺も強く握り返した。アクセルに俺の抱く感謝の気持ちの、ありったけを込めて。

(……母ちゃん、俺、生まれてきてよかったよ。アクセルたちに出会えて本当に良かった)

 悔恨も自責の念も、この世界がすべて溶かしてくれた。


 雪原を赤く染める夕陽を前に――俺は初めて世界が美しいと思えた。

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