第五話 手を
OP 「テオ/Omoi」
コーネの街を出て二日。ようやく最初の村に到着した。
昨日は林道の途中で見つけた川岸で火を焚き、夜を明かした。
久しぶりに家の寝床以外で就寝したが、やはり良いものではないな。明らかに体に疲れが溜まっているのを感じる。
恐らく体がまだ慣れていないのだろう。冒険者歴がある程度長くなればこのような状況でもしっかり睡眠をとることが可能なのであろうが、俺にはまだまだ程遠い話だ。
この旅もまだ始まったばかりでなんだが、もう既に二度と野宿をしたくない気持ちがかなり強い。
収穫祭を終えたこの時期の風は肌寒いで済まないほどの冷え込みを見せ始めていた。
こちらもギーネの店で仕入れた体を温める効用がある薬草を焚火で温めたお湯に浸け込んで飲んでみたり、団長様による体温を上げるバフをかけて貰ったりといくつか防寒対策を講じたが、それでも体に冷風が吹き付けると、体感温度としては気温以上に苦しく感じるものがあった。
そして慣れない寝床。いや、寝床という概念すらないのだが。ただの地面なのだが。
毛布にくるまり体を縮こませるという普段とは違う体制に加え、風の音や木々のざわめき、川のせせらぐ音すらも普段耳にしないせいか雑音に聞こえてしまい、全くもって落ち着いて眠れなかった。
そして相方の団長様はというと、野宿が決まったというのにやけに冷静であった。
きっと戦争ではこの程度の野宿が当たり前なのだろう。それか普段からこの様な状況にも対応できるように訓練を積んでいるのか。
彼女は日が暮れる前にそそくさと夕飯の用意を始め、あっという間に二人分の食事を用意した。
夕飯の内容は川で獲った魚の串焼きと小さい窯で炊いた米を少々。残りは旅立ちの時に物資として持ってきた、乾燥させた野菜をお湯に沈めることで作られたちょっとしたスープだ。
俺は普段から割と質素な食生活をしているため、この食事内容自体はあまり負担に感じることは無かった。
しかし国を救った騎士団の団長様ともなれば、普段はもっと栄養バランスの考えられた体に良い食事をしているはずだ。
その中でこのような品揃えで大丈夫なのか?と少し身を案じたが、どうやら杞憂だったようだ。
団長様は文句ひとつ言わずに黙々とそれらの品々を食し、手際よく片付けをした後、鎧と武器を外し就寝の準備を行った。
個人的には王都で活躍している人間など、そのほとんどが地位や名誉、家柄や財力などにかまけて周囲の人間を見下しては自分の意を無理やり通す。それが思いのまま行かなければすぐ責任転嫁をして、暴言を吐き捨て汚い実力行使に手を伸ばす。そんなものだと薄っすら想像していた。
もちろん中にはそんな意地汚い貴族も居れば、聡明だと崇められるような殊勝な人間も当然いるのであろう。
しかし俺にとっては前者が多いという感覚なのは変わりない。
しかしこの団長様はやはりと言うべきか、そのような愚民などではあるわけが無かった。
ただこの場合、どれだけ聡明な人間であっても文句の一つでも言って良いような状況ではないか?とも思う。
まあこの程度の事で揺れているような人間が、国を代表する騎士団の団長を務めあげられるわけが無いか。
結局のところ、どこまで行ってもこの団長様は白羅の騎士団団長様なのだ。
さて、まずはこの村で宿を借りられるところがあるか探さなければな。
時刻はまだ昼過ぎ、ふらふらと歩き回っていれば一人ぐらいは村人と出会うだろう。
そう考えた俺と団長様は村人を探して村の中を歩き出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しばらく歩き回っていると畑の方に一人の村人見つけた。
よく見ると女性のようだ。歳はどちらからと言うとまだ若いほうであろうか。腰を曲げて一生懸命に畑仕事に精を出している。
「おおーい!ちょっと良いかあ!」
団長様は大きな声で彼女を呼んだ。その声が届いたのか、その村人は顔を上げて周りを見回した。
するとこちらに気が付いたのか、畑仕事の手を止めてゆっくりと近づいて来る。
その村人は近くまで来ると物珍しそうにこちらを見た
「これはこれは、騎士様がこの村に来るなんて珍しいこと。……それで、一体なんの御用でありましょうか?」
そういう農婦は態度すらも腰が低く、そこはかとない不安を感じているのが読み取れた。
それもそうか。いきなりこんな立派な騎士様がなんの変哲もない田舎のさらに外れにある村に足を運んできたのだ。
なにか相当な理由があると思っても仕方がない。自ずと不安になるもの分かる。
「実は今この男と二人で東方の村に向かう旅をしているのだが、今晩この村で夜を明かしたいと思っていてな。どこか泊まれそうなところはあるか?最悪、馬小屋とかでも良いぞ」
まあこんな村じゃ宿の一つもありはしない可能性は高い。ざっと周りを見回しても住居の数が数えられるぐらいしか存在しないのだから。
個人的には馬小屋もかなり抵抗はあるが、昨日のことを思うと安心して屋根や周りに人がいるところで眠りにつけるのであれば許容できるものだ。
馬小屋であれば藁もあるしそれを敷けば体を痛めずに横になれるしな。
「申し訳ないのですがこの村には宿というものが無く……。また馬を飼っている者もおりません故、馬小屋もございません…」
そうか馬小屋も無いか。となると誰かの住居にお邪魔するしかないかもな。
はてさて、この立派な騎士様と怪しげな男二人を快く泊めてくれる人間などこの村にいるのだろうか。
そんなことを思っていると続けて農婦が切り出した。
「ただこのまま放っておくのもなんなので、良ければ今晩は私達の家に泊まっていきませんか?きっと夫もそろそろ山から帰ってくることでしょう。その時話せばきっと納得してくれると思います」
お、これは急に風向きが変わってきたな。まさか自ら我々を泊めてくれるとは。ここは大人しくこの親切にあやかろうか。
俺と団長は一瞬目を合わせお互いに頷いた。
「そうか、それはとても助かる。それじゃあここはその言葉に甘えさせてもらおう」
団長がそう言うと農婦は「いえいえ」と軽く頭を下げた。
しかしこのまま何もせず泊まらせていただくのは少々気が引けるな。
どうやらそれは団長様も同じの様で、すぐに次のように切り出した。
「そうだな、ただこのまま何もせずに泊まらせていただくのも申し訳ない。時刻もまだまだ昼だし私にも畑仕事を手伝わせてくれ」
「いえいえ、そんな!騎士様にこんな汚れ仕事をしてもらうわけには…」
「なーに気にするな。ただ歩くだけでは体がなまってしまうからな。ときにはこのような仕事を行うのも大事だ。ほら、手伝わせてくれるな?」
農婦は「そこまで言うなら…」と納得してくれたようだ。
しかしながら、畑仕事を手伝うのに異論は全くもってありはしないのだが、いかんせん俺自身が見ての通り体の線が細い方だ。手伝いたい気持ちはやまやまだが、はたして俺が力になれるのか?邪魔をしないだろうか?勝手に心配になる。
団長に関しては見た目通りの筋力があるはずなので力仕事自体は問題ないだろう。
しかし王家直属の騎士団に所属している人間だ。きっとこのような仕事に無縁のまま育ってきた可能性は十二分にある。
ただ畑仕事と言っても重い物を運ぶだけではない。要は植物を育てるわけだ。繊細な作業もあることだろう。この団長様がそれを問題無く行えるかは少し疑問である。
そんなことを考えていると団長様が背負っている大剣と腰の剣を外し、その二本を俺に渡してきた。
「人描き殿、これを持っていてくれ。私は畑仕事を手伝ってくる。人描き殿はその間、自由にしていて良いぞ。せっかくだしこの村を少し散策してくると良い」
「え、良いのか?」
「ああ気にするな。私があんたの分まで働いてやるから」
「……そじゃあこちらもお言葉に甘えて」
まあ実際にこんな俺では力になれることはあまりないであろう。仕方がないここは大人しく邪魔をしないでおくか。
そうやって俺は団長の剣と大剣を両手に抱えるように受け取った。
その時、後方から幼い声が聞こえてきた。
「あれ、母ちゃん。その人たち誰?」
気が付くと俺の背後にいつの間にか男の子が立っていた。どうやらこの農婦の息子らしい。別の所でやっていた作業が終わって畑に戻ってきたのだろうか。
それとも外で遊んでいたところだったのだろか。
「ああこの方々は旅の途中の騎士様と、その………お供の方でよろしいのかしら?」
確かに見た目でいえば団長様は騎士だと分かりやすいが、隣にいる俺はぱっと見では何者か分かりにくい風貌だ。見る人によっては小汚いおっさんぐらいに見える人もいるだろう。
とは言え今さら俺と団長様の関係性を説明するのも長くなるし面倒だな。ここは一言で済ませられる“お供”という関係性で通した方が良さそうだ。
実際に今はこの団長様の直属の部下と言う扱いでもあるわけだし。
「まあ、そんなところです」
「へえ、これが騎士様か。初めて見たけどやっぱりかっこいいなぁ~。ねえねえ、その剣てやっぱり重いの?持ってみても良い?」
農婦の息子は無邪気な顔で俺が団長様から受け取った大剣を指さす。
「こら、失礼でしょ。全く男の子なんだから。ほら団長様は今から畑仕事を手伝ってくれるそうだから、あんたはお供の方を家まで案内して頂戴。荷物とか置いてもらうから」
「え、なんで?」
「今日はこのお二人が我が家に泊まるのよ」
「え、ほんと!?やった!そしたら騎士様なんか面白い話聞かせてよ!なんかすげー敵倒したとかそういうの!」
その問いかけに団長様も「ああもちろんだ!とびっきりの話を聞かせてやろう!」と頭を撫でて答えてやった。
きっとこんな村ではあまり娯楽の類が存在しないのだろう。そこにこんな立派な騎士様が目の前に現れれば、どんな話が凄い話が聞けるのかと男の子は誰だって興奮するものだ。
「分かった!それじゃお供の人、俺ん家はこっち!ついてきて!」
そういう彼は俺のマントの裾をグイグイと引っ張りながら、その宿泊先の家まで案内を始めてくれた。
その後方では「失礼ないようにねー」という農婦の声が響いていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
本日お邪魔する家に着くと、その広さに驚いた。
こんな辺境の地にある村にも関わらず、この村の住居はどれも大きいと感じる。
どうやらこの村は一丸となって林業などで生計を立てているらしく、村の大半がそのような仕事に携わっているため、当然ながら土木にも通ずる人間が多いようなのだ。
そのため村の男手が協力して、それぞれの住居を定期的に周りながら少しずつ改築していってるらしい。
例に漏れずこの子供の父親もそうらしく、この家は父親が趣味の範囲で改築を重ね続けこの村でも一二を争う大きさとなっているそうだ。
中に入ると広々としたリビングが広がり、よく見ると何個も部屋がある。
どうやら他にも子供が生まれた時用にいくつか部屋が用意されていたらしいが、今はそのどれもが物置になっている様だ。
そのため我々二人がそれぞれ泊まれるだけの部屋数は十分に有りそうだ。
男の子はその内の一室に俺を案内し、ここに団長様の二本の剣を置いておくと良いと丁寧に教えてくれた。
その部屋の隅に団長の剣たちを置くと男の子は目を輝かせ話しかけてきた。
「なあなあ!騎士様のお供ってやっぱり強くないとだめなのか!」
突然のそんなことを聞かれても正直分からない。
そもそも騎士団の内部事情など俺には欠片も知る由が無いため、彼女が普段どんな部下を連れて歩いているのかなんてものは全く把握していない。
それに団長である彼女に関しては、騎士団に所属する騎士すべてが部下みたいなものだ。
その全てをお供と呼んでも相違ない気もする。
そもそも騎士団と言っても、中には事務的な役割を果たす人間もいれば、後方で支援を行うような人間もいるだろう。
団長に関してはもしかすると秘書のような側近が居てもおかしくないと感じる。
そのような人間は間違いなく組織に必要な人間ではあるが、彼ら全てが戦闘の実力面で強者かと問われるとそんなことも無いだろうと思う。
ただこの場合、この男の子が問いかけているのは“戦闘の実力”的な意味合いが強いはずだ。
俺も今は団長様の直属の騎士という扱いだ。わざわざここで「そんなことないよと」答え、無駄に騎士団の権威を落とすこともないだろう。
「ああ、強くないと駄目だね。なんて言ったって騎士様をお守りしないといけないからな」
「うわ!やっぱりそうなんだ!……………でも騎士様をお守りするって、騎士様はお供に守られるくらいの強さってこと…?もしかして偉いだけでそんなに強くないの……?」
おっと……これは言葉選びを間違えたようだ。
これだから言葉というやつは。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時刻は夕暮れ前、俺は今晩泊めてもらう家の息子と何故か村のすぐそばにある山中にいる。
「わあ、やっぱ山の中はいろんな植物があるなぁ。見てよ!あの木なんてすっごい大きいよ!」
無邪気に笑顔を見せる彼はそう言ってさらに山奥へと進もうとする。
時は少し前。目の前で無邪気に笑う男の子の家で団長から預けられた武器を置いて早々、この子から「なあなあ、騎士様のお供ってやっぱり強くないとだめなの?」というご質問を頂いた。
俺は「強くないといけない、騎士様をお守りするために」という趣旨の答えをしたが、どうやらこの男の子はそれを「騎士様はお供に守られる程度の実力」と受け取ったようだ。
俺は「そんなことはない。とっても強い騎士様のお供は強くなきゃ騎士様の戦いについていけないからだよ」と訂正をした。
子供の物事の捉え方はなかなか難しいな。純粋な分、言葉を言葉通りに受け取ってしまう部分が多い。いかに自分が丁寧な会話が出来ていないかを痛感する。
そして現在、なぜこの山の中に二人でいるかと言うと、この男の子が山に入ることを望んだのだ。
この山は村の男たちの職場であり、あの村の林業は主にこの山の木々を使用して行われている。
そのため子供たちがこの山に入って仕事の邪魔をしないように、普段は子供たちだけでここの立ち入りは禁止されているらしい。
それに山では危険な獣も存在する。子供一人の状態で遭遇した場合の生存率はあまり高くないはずだ。
そのためこの村の子供たちはこの山を遊び場として気軽に立ち入ることが出来ないのだ。
だが今この男の子にとっては目の前に騎士様のお供という大人の存在が現れ、その大人は今晩我が家に宿泊したいと言う。
であるならば、そのお礼として自分をあの山に保護者となって連れて行けとのことだ。
さらにその大人は騎士様のお供という肩書持ちだ。獣に襲われたとしてもきっと何とかしてくれるという保証付きである。
まあ俺がこの男の子を獣や魔獣から守り切れる実力があるかどうかはさておき、ここまでの条件が揃っていることをすぐに判断して行動に移したことは素晴らしいと言える。
こやつ、実は結構賢いな?
いや、男の子というものは自分の好奇心と目的のためならどこまでだって賢くなれる生き物だということを俺が忘れていただけだな。
きっと普段からこの山に入れる機会を伺っていたのだろう。
とまあ、このような理由で俺はこの男の子のお守りをしているという状態だ。
まあどうせ畑仕事を手伝えないのだ。あのまま暇を持て余すよりはこちらの方が貢献できている気がする。
そうしている間にも男の子は「あの植物は何だろう?これは何の獣の足跡なのだろう?」と好奇心のまま心を躍らせ歩みを進める。その歩みは勇ましくも雄々しくも見えた。
俺はその姿を少し羨ましく思っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつの間にか太陽は夕暮れ少し前くらいまで傾き始めていた。
一通り山を探索した男の子は空が夕暮れに変わろうとしてるのを感じ取ったのか、そろそろ帰ろうと言って帰路につこうとした。
あれだけはしゃいでいたにも関わらず、思ったよりもあっけなく帰路に着くのだと思った。
この山は木々がかなり生い茂っている方だ。そろそろ暗くなるから帰ろうという感じで動き出すと、あっという間に太陽の日差しは入ってこなくなり、下山中に真っ暗になってしまってもおかしくない。
そのためこの判断は適正だと言える。恐らく両親にそのように教えられているのだろう。
とはいえこの歳で親の言いつけを守るのは良いことだ。同年齢の子の中には遊びの楽しさでなかなか帰路に着けない子も多いはず。
少なくともこの子が将来、非行に走る可能性は低そうだな。
そうやって俺と男の子は元来た道を辿って下山を開始した。
この時間となると男たちも既に仕事を終えて帰っている頃だろう。山の麓まで下りる間に他の人間にも獣にも会うことは無かった。
まあ何もなくて何よりだ。
何事も無く下山を終えた俺たちは、山と村を繋ぐ道を辿っていつの間にか村の入り口まで辿り着いた。
それじゃあそろそろ夕飯だからと男の子が再び家へ案内してくれようとしたその時、その光景は目に入ってきた。
「おい傷物!なんだよその顔!汚いんだよ!」
「そうだそうだ!お前んち、いつも楽して食い物貰っててずるいんだよ!」
そこには一人の女の子に対して三人の男の子たちが寄ってたかって言葉の刃物を投げつけている姿があった。
しかしその言葉を受ける少女は何も言い返さず、ただじっとその言葉を受け止めていた。
よく見るとその女の子の左顔には、額から目元を通り口元近くまで何かに引っ掻かれたような傷跡が見えた。
恐らくその傷の事を攻撃の対象にされているのであろう。
個人的にはそんなことで一人の少女を三人がかりで追い詰めるなど、男児の風上にも置けないと思うが、余所者の俺がここで口を出したところで根本的な解決にはならない。
それどころか他人に口出しされたことを根に持ってさらに少女への攻撃が激しくなってもおかしくはない。
残念ながら通りすがりの旅人の俺にはできることは何一つ無い。これは当事者同士か村の大人たちの介入により解決するのが一番だ。
気分が悪い物を見たなと思いそのままそこを立ち去ろうとしたその時、突然男の子は口を開いた。
「…………あいつの父親、魔獣に殺されたんだ」
“あいつ”というのはきっとあの女の子の事だろう。神妙な顔をする男の子はさらに話を続けた。
「親父さんと二人で山に入って山菜集めをしていたんだってさ。その時に魔獣に遭遇したんだって。あいつは顔を引っ搔かれて、親父さんは”あいつ”を逃がそうとしてそのまま……」
…………なるほど。まあ珍しい話じゃない。
人目が少ない場所に安易に踏み入り、慣れた場所だと思って歩きまわていたらどこからともなく魔獣が現れて、そのままその犠牲に。
これだから未だに冒険者なんて職業が身近なものとなっているのだ。
「この村はさ、肉とか山菜は男が山に入って獲ってくるのが普通なんだ。そりゃ体が弱いい女じゃ狩りをして、山で食い物沢山持って帰って来るなんて無理だからな。だからあいつの家も父親が他の大人と協力して食い物とってきてたんだ。」
なるほどな。つまりは林業を行うのと山で食料を獲ってくる役割を男性が担い、それ以外の農業や家事などは女性が担うのがこの村の分担らしい。
そしてあの女の子の父親は山で食料を獲って来る役割を担っていたと。
「でも山で食い物を獲って来るのって結構危ないじゃん?獣を狩らなきゃいけないし、獲物を追いかけて山奥に行くと魔獣に合うかもしれないし。だからあいつの親父が死んじゃって山からとれる食い物も結構減っちゃって。あいつの親父、結構凄い狩人だったんだって。俺の父ちゃんがそう言ってた。なのにあいつの家は畑仕事だけで変わらず山の食い物分けて貰ってて、それで他の家のやつらが怒ってるんだ」
…………これはまた難しい問題だな。
要はあの三人の男の子たちの言い分としては、「お前の家は親父が死んで畑仕事しかしてないくせに、自分の父親たちが獲得した食料を苦労なく食べているのが許せない!」と言ったところか。
さらには「子供と二人で安易に山に入って死んじまったせいで、狩れる獣が減ってただでさえこっちの食い物が少なくなっているのに!」も拍車をかけている様だ。
俺からすれば女の子の父親が亡くなったことは誰の所為でもない。魔獣の所為だ。
しかし狩りの中心人物が普段仕事をしている慣れた山で簡単に死んでしまったとあらば、その影響でありつける食い物が減った村人の不満と言うのも分からなくもない。
ただそれは単純な押し付けでしかないと思うが。
「あいつら、そういうこと言うのやめとけっていくら言っても止めないんだ。あいつもあいつもで少しぐらい言い返せばいいのに……」
そういう男の子は少し俯いて憤りを露わにしているのが分かった。
きっとあの三人の男の子たちも、自分の父親が危険を冒して山に入っていることを知っているだのろう。
今回のことで自分の家族が容易に死んでしまうといったことを初めて強く自覚したのはずだ。
その恐怖心とやるせなさは未だ小さい彼らには中々コントロールできるものではない。
その結果、あの少女を攻撃する事でなんとかその感情を解消しようとしている様にも見える。
ただ自分の恐怖心や負の感情を他人にぶつけているだけのこの状況は、彼らにとってもあまりいい状態ではない。いつかもっと大きな問題起こす可能性も十分にある。
個人的にはまだ幼い彼らには、その歳でそのような道に行って欲しくはないな。
ただそれを思っているのは俺だけでは無いようだ。
「あいつら、ちょっと前までみんなで仲良くできたのにさ。突然あんな感じになっちゃって。それであいつも最近は全然喋らなくなってさ……。」
俯いたままの少年はその小さい拳をキュッと握りしめるのが分かった。
そうか、君がそこまで思うのであれば、ここは一つ大人が手助けをしてやろうではないか。
「いいか少年。言葉なんかに頼るから誰も見向きしないんだ」
「……え?」
「だから、言葉なんかじゃ伝わらないこともあるってことだよ」
少年は明らかに困惑した顔をしていた。確かにこれだけじゃ俺の意図は伝わらない。
「言葉なんかじゃって、じゃあどうすればいいのさ?」
俺は腰を落とし少年と同じ目線になって答えた。
「いいか、それはな……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝、俺と団長様は早々に出発の準備を整えた。
この村の仕事は朝早くから始まるようだ。そのため俺らもそれに合わせて起床した。
久しぶりに朝早くに寝床から起きたが、意外と悪くないものだな。単純に気分が良い。
この旅が終わったら俺も普段の生活でもう少し早起きをしてみようかなと考えたが、まあきっと無理だろうな。
旅をしているという普段の生活と違う状況だからこそ、体がこの起床時間でもある程度は抵抗なく起きれているのだろう。
きっとこの時間に起きるのをこの旅で習慣化しないと、旅から帰っても結局は起きたい時間に起きることになるはずだ。
そうこうしている内に出発の時刻となった。泊まらせていただいた家主とこの村に入って最初に出会った農婦が村の出口まで見送りをしてくれた。
服装は二人とも仕事着だったため、この見送りが終わったらすぐにそれぞれの仕事に向かうようだ。
そしてその息子も一緒に見送り来てくれた。
「今回はいきなりの訪問であったのに宿泊から夕食までいただいてしまった。……心から感謝する」
「いやいや良いのさ。ここの村は良く冒険者や旅人が通る場所だからね。たまにこうゆうこともあるんだ。僕たちにとってはこの小さな村の働きを知ってもらえるだけで、この山で育った木々も喜ぶと思っている。だからお二人がこの村のことを沢山聞いてくれたのはとても嬉しかったよ」
昨夜はこの村のことをこの夫妻にいろいろ聞いてしまった。林業の事、山での狩りのこと、あとは二人の馴れ初めのこと。
もちろんこちら側も聞いてばかりはいられない。それ相応の話題を提供したつもりだ。
……………主に団長様が。
どんな戦場に赴いたか、普段の稽古はどのようなものか。
だがやはり一番盛り上がったのはやはりメラード帝国の大侵攻の話だろう。
この家族も団長様があの白羅の騎士団団長と聞いて、ものすごい驚きを見せていた。
特に少年の方は団長様の正体を聞いてからは目をさらに輝かせ、質問攻めが止まらなくなってしまった。
もちろん団長様も機密情報に関わる質問には答えられないとはっきり言っていた。しかしそれ以外の質問には、答えられる範囲でできる限り詳しく話を聞かせてやっていた。
その所為で少年がなかなか眠りに着かなくて両親も少し困り顔を見せていたくらいだ。
それよりもこんな田舎でも白羅の騎士団の功績が広まっていることに俺は驚いた。
話を聞くと、どうやら志願兵の募集がこの村でも行われていたいようだ。
いくら白羅の騎士団がいるとしても、戦力を集めて置いて損は全くないという王家の判断だろう。
結果的にいうと、この村から志願兵に応募した者は居なかった。
それもそうだ。ただでさえ人手が少ないこの村では、志願兵に応募する余裕がある家庭などほとんど存在しない。
例え独り身であったとしても他の村人から止められることだろうし、この村からたった一人で志願兵の集う王都まで向かうというのもまた相当の勇気がいる。
別に兵士を育てるのに力を入れているという訳でもない村だ。こんなものだろう。
ただこの募集によって、我が国が敵国に侵攻されているという事実は広く知れ渡った。
そしてまた、この窮地を救った英雄も知れ渡ったわけだ。
「それじゃあそろそろ行くことにしよう。またこの村に寄った時はよろしく頼む」
「ああ、いつでも待っている」
俺も三人に挨拶をして歩き出そうとしたその時だった。
「あの、お供の人……。き、昨日はありがとう」
少年は俯きながら少し言葉に詰まっていたが、確かに彼の口から礼の言葉が発せられた。
昨日まであんなに無邪気で小さく思えた男の子が、少しだけ大きくなったように見えた。
俺はこの村に来た時に団長がこの少年にしてやった様に、彼の目線の高さまで腰を落とし頭を撫でてその礼に応えてやった。
「いいんだ。よく頑張ったな」
その目は確かに勇敢な男の目をしていた。なにか覚悟が決まった証拠だ。
俺は立ち上がると三人に軽く頭を下げ団長の隣に並んだ。
そして俺たちはウバの村への旅路を再び歩き始めた。
眩い朝日の方角へと。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いいか少年。言葉なんかに頼るから誰も見向きしないんだ」
「……え?」
騎士様のお供はよく分からないことを言い始めた。
とっさに「え?」という言葉が先に口から出てしまった。
お供はそのまま言葉を続けた。
「だから、言葉なんかじゃ伝わらないこともあるってことだよ」
言葉の意味は分かるけど、これだけじゃ自分が何をすれば良いのかが全く分からない。
もっと具体的な、自分がどうすればいいかが聞きたかった。
「言葉なんかじゃって、じゃあどうすればいいのさ?」
縋るように言葉を発した。自分でも驚くほど声を振り絞ったのを感じた。
その言葉を聞いたお供は腰を落とし、俺と同じ目線になって答えた。
「いいか、それはな…手を繋ぐだけで良いんだ」
「……?ど、どいうこと…?」
思わずキョトンとした顔になってしまった。
多分それを読み取っただろうお供はさらに続けた。
「あの子の手を握ってやれ、そうすれば全部が変わる」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「おい傷物!なんだよその顔!汚いんだよ!」
「そうだそうだ!お前んち、いつも楽して食い物貰っててずるいんだよ!」
……今日もか。
ここ最近はいつもこんな感じで彼らから悪口を飛ばされる。
まあ、でもしょうがない。元を辿れば私にも非があるのは明らかだ。
あの日、お父さんのお仕事はお休みの日だった。
なんで?って聞いたら、山の神様が山の様子を見に来る日だから、狩りとかはやっちゃダメな日って言ってた。
だから父に「山に入るだけなら良いの?私もあの山に入ってみたい!」とお願いをした。だって隣の家の男の子はたまにあの山に連れて行ってもらってて楽しそうだったんだもの。
お父さんも私が山に興味を持ったのを嬉しそうにしていた。「今日はいっぱい山のことを教えてあげるからな!」と言っていたのを覚えている。
そうやって張り切ったお父さんに連れられて、私は初めてあの山に足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
山に入ってすぐは本当に面白いものばかりだった。
普段から食事に出てくる植物や見たことないお花。遠くでお父さんたちがいつも獲ってくる獣の一つの猪の姿も実際に目にして、私の目は文字通りキラキラしていたように見えたと思う。
そうやってしばらく山を探索した。私はまだまだ歩き回りたかったが、昼時でお腹が空いていたのも事実だ。
私の空腹に気づいたのか、そろそろ帰ってお昼を食べようかとお父さんが言い出したその時だった。
————グギャアア!———
空から聞いたことも無い鳴き声がした。
明らかに村でよく見る鳥たちの鳴き声とは違う。私は何だろうと空を見上げてその正体を探した。しかしお父さんはこの状況をすぐに理解したみたいだった
そしてそれは一瞬のことだった。
———ザクッ———
私の左半分の視界は途端に紅に染まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
何が起きたか分からなかった。
ただ痛みで顔を切られたのだと理解した。
幸い眼球自体は無事だったため、血で少し見えにくいがはっきりと目の前にいる“ソレ”を視界に捉えた。
“ソレ”の見た目は鳥の様に見えた。だけど明らかに普通の鳥類よりも伸びた爪、体の倍はあるような大きい翼。そして汚れた様にくすんだ紫色の体。
私の血液と同じくらい真赤に染まったその目で、こちらをじっと見据える姿はまさに“狩人”そのものであった。
“ソレ”と目が合った私が悲鳴を上げる間もなく、お父さんは私を抱きかかえ村の方へ走り出した。
そこで冷静になった私は魔獣という存在が居ることを思いだした。
魔獣なんてものは父や母、たまに村を通る行商人の口から聞くだけの存在だと思っていた。その話の中で聞く魔獣の姿は多種に渡り、姿かたちは知らなくともその内の一種が今確かに目の前にいるのだと遅れて脳が理解した。
お父さんが走りだしてすぐはこのまま逃げ切れると思った。
いくら魔獣だからと言って、毎日山で狩りの仕事をしているお父さんに簡単に追いつくなんて無理があると思ったから。
いや、ただそう信じたかっただけかもしれない。
でもそれがすぐに間違いだったことに気付かされる。
———ギャオオ!———
後方からお父さんの走る速さを明らかに超える速度でその鳴き声が近づいて来るのが分かった。
ユサユサと体が揺れる中で耳元でお父さんが小さく「クソッ…!」と言葉を漏らしたのが聞こえ、これは本当にマズい状況なのだと否が応でも理解した。
私が恐怖に震えているのが伝わったのか、お父さんは「大丈夫だ…!あともう少しだからな…!」と必死に声をかけてくれた。
山ではある程度、お父さんたち大人が仕事をするために山道が作られている。
しかしそれをそのまま通って下ったところで、あの速さでは真っ直ぐな道ではすぐ追いつかれてしまう。
だからお父さんは敢えて道が整備されていない山肌を、木々を縫いながら複雑に駆け降りることを選択した。
両手に私を抱えるお父さんは時折よろけて倒れそうになるも、それを自慢の脚力でなんとか堪えながら道なき道を進んだ。
私ももう十歳だ。女の子とは言え決して軽くない重さになっているはず。
それに加えて斜面を駆け降りているのだ。両手が上手く使えない状態で体のバランスを保つのは至難の業のはずだった。
しかしそれでも着々と山の麓が見えてきた。
山道の入口からは多少外れているが、村へと続く道のほぼ真横だと言って良い。
そしていつの間にか“ソレ”の追って来る音と気配は消えていた。
(あとはこの道を通って村に行くだけ…!)
私の脳はその見えかけた希望で無意識に安堵を覚えようとしていた。
そしてそれはきっとお父さんも同じだったと思う。
お互いにもう少しで助かる。そう思ったその時だった。
———ザシュッ———
いつの間に背後まで近づいていた“ソレ”は、私を襲った時と同じように遥か上空から一気に急降下し、お父さんの背中目掛けてその爪を容赦なく突き立てた。
木々を縫って追いかけるのではなく、邪魔な木々の上を飛行しながら距離を詰め、そこから狙いを定めて一気に急降下することで私達を確実に仕留めに来たのだ。
「ぐっ…!?ガハッ…!」
お父さんは思わず口から吐血し、前方に向かってそのまま倒れ込んだ。
私もそれと同時にお父さんの腕から投げ出され、斜面を転げ落ちた。
私は体を木々に打ち付けた痛みで、とてもじゃないがすぐには起き上がれなかった。
しかし運よく体が転がるのが止まった場所は山道の入り口のすぐ横だったため、あとはここから村へと続く道を辿っていけばすぐに助けを呼べるはずだ。
(い、痛い……!で、でも、あとはお父さんと帰るだけ…!)
そう思った私はすぐお父さんの方向を見た。
しかしそこには大きく翼を広げた“ソレ”に踏みつけられた、血塗れのお父さんが映っていた。
私は人生で初めて、大きな絶望というものを味わった。
強く突き立てられた“ソレ”の爪は、よく見るとお父さんの体を貫かんばかりに背中に突き刺さっていた。
お母さんから少しだけ医学の心得を教わっていた私には、その知識が明らかに内蔵を傷つけ致死量の血が噴き出しているのだと理解させた。
どうにかしてお父さんを助けたいと思ったが、どうすればあの化け物を追い払えるか全く想像がつかない。
そしてあの化け物を追い払えたとしても、その後お父さんに向かってできることは少しばかりの止血だろう。
もし本気で命を助けようとするのであれば、今すぐ村の医学に精通する者が総出で手当てに当たらねばならないはずだ。
つまりお父さんをこの状況で助けることはどちらにせよ絶望的だと、それまでの知識と思考する脳が答えを出してしまったのだ。
でもその時の私にはお父さんを見捨てるなんていう選択肢は無かった。
(まずはどうにかしてお父さんを助けないと……!)
どうする、どうしたらいい。一旦そこら辺に落ちている木の枝で“ソレ”に殴りかかろうか?
それとも遊びで練習した自慢の石投げで“ソレ”の目を潰してやろうか。
そんな事を考えていると、体温が沸々と上昇するのが分かった。
いつか村を通りがかった行商人がから買ったなんかの本に、人間は極限状態に陥ると体の血が滾り、本能的に戦闘態勢に入ると書いてあったのを思い出した。
恐らく私もその状態だったのだろう。
そして目の前の敵に攻撃を加えようとした時。
獲物を一つ仕留めたつもりになったのか、“ソレ”は私の方へその鋭い目を向けてきた。
その瞬間、その目に睨み付けられた恐怖でさっきまでお父さんを助けようと滾り始めていた血が一気に青ざめるのを感じた。
瞬く間に腰が抜けてしまった私に、“ソレ”が今にも羽ばたき飛びつこうと体を屈めたその時。私はさらに信じられないものを見た。
「はやく逃げろぉ!」
なんと瀕死状態のお父さんが“ソレ”の足に掴みかかり、何とか私の所まで行かせまいと必死に抵抗をし始めたのだ。
———ギャオオ!———
「ぐっ…!くそ……このやろう!」
その抵抗を受けた“ソレ”は、驚いた様子で暴れ始めた。
しかしお父さんに両足を掴まれその凶悪な爪を封じられた”ソレ”は、翼でバサバサとお父さんを叩くことしか出来ない様子だった。
それを見た私はハッと我に戻り、お父さんの所まで向かい“ソレ”への抵抗に加勢しようとした。
(今だったら何とかなるかも……!)
私は我を忘れて近くに落ちている木の枝を両手に持った。
これで”ソレ”の羽を叩き潰す。そうすればきっとそのダメージで飛べなくなる。
たとえ一撃で仕留めることが出来なかったとしても、何発だって殴ってやる。
そうやって飛べなくなった鳥なんて恐れるに足らないはずだ。
本能的にそう考えていた気がする。
私は意を決して”ソレ”に殴りかかろうと足を踏み出し始めた。
が、その時。
「来ちゃダメだ!逃げろ!」
私はその言葉で足を止めた。
なんでお父さんがそんなことを言うのか一瞬理解が出来なかった。
今思えば自分の娘をこの危険に巻き込まないよう逃がすためだと容易に理解できる。
しかし一種の興奮状態だった私は困惑の表情を浮かべることしか出来なかった。
こうしている間にも”ソレ”はお父さんへの攻撃の手を緩めない。
私はどうすれば良いのか分からず固まったままでいた。
見るからにお父さんの体力は減っていくばかり。
それでも中々行動を起こさない私に気付いたのか、お父さんは瀕死とは思えない程の笑顔を見せ、最後に力いっぱいの声でその一言を吐き出した。
「……愛してる!元気でな……!」
その言葉で一瞬力が抜けたのか、“ソレ”の左足がお父さんの手から抜けた。
そしてその解放された足の爪を、お父さんのお腹にザクッと突き刺したのだ。
———ブシュウウウ———
今度は確かに視界内で血しぶきが上がるのを捉えた。
私は涙が止まらなかった。
こんなになりながらもお父さんは残った右足を頑なに離すことは無かった。
このお父さんの頑張りを無駄にしてはいけない。私は覚悟を決め、振り返ることなく村へ向かって走り出した。
その最中、後方でお父さんの最後の叫び声が響いたのが聞こえた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そうして村に辿りついた私は泣きながらすぐお母さんに山で鳥の形をした魔獣に襲われたことを伝えた。
そしてお父さんが私をボロボロになりながら逃がしてくれたことも。
その後、狩りの仕事をしている大人たちが武器を持って山へ向かった。
お父さんの死体は最後に抵抗した場所にそのままの状態で見つかったらしい。
食い荒らされた様子は見られなかったそうだが、それでも酷い有様だったという。
その後すぐにお父さんの葬式が行われた。
狩りを先頭に立って指揮していたお父さんが亡くなったことで、村の狩りでの食料調達は激減したと聞いた。
それでも狩りに成功した時は、必ず隣の家のお父さんの同僚の方が以前と変わらない分け前を持って来てくれた。
その度にお母さんはすごく頭を下げて感謝の言葉を発していた。
同僚の方は「なにも気にすることはない。今まで食料を沢山獲れていたのはあなたの夫のおかげだ。今度はこちらが恩を返す番だ」と言ってくれた。
気を使っているのか、それとも本心からそう思っているのかは分からないが、お母さんも私も涙が止まらなかった。
そしてこの事は他の家の子も知ることになった。
それ以来、私は彼らに罵声を飛ばされるようになった。
きっといつもお腹いっぱいに食べていたお肉量が減らされでもしたのだろう。
私は肉を好き好んで食べる方ではないのでその気持ちは分からないが、いつも食べている山菜が減るのはすごく嫌だ。
もしかしたら彼らも同じ気持ちなのかもしれない。
先ほども言った通りお父さんが死んだことは元を辿れば私にも非がある。
あの日私が「山に行ってみたい」なんてことを言いださなければ、そもそもこんな事になってはいなかったのだから
だから私は彼らの罵声を黙って受け入れることしか出来なかった。
そして今日もお母さんの畑仕事を手伝った後に一人で農具の片づけをしていると、たまたま通りがかったいつもの三人に見つかり罵声を浴びているわけだ。
毎日毎日、正直言って彼らも飽きないことだなと思ってしまう。
でもしょうがない。これが私の罰だから。
きっといつか、狩りによる成果が前くらいまで回復したときに、この罰は終わるのだろう。
………いや、私がお父さんを殺したという罪は消えてなくなってはくれない。
きっとまた別の形で罰を受けることになるはずだ。
そうやって今日も彼らの罵声を受け付けながら、淡々と畑仕事の後片付けをした。
しかしそこに、許せない罵声が飛んできた。
「お前の母ちゃんも畑仕事ばかりやってないで、少しは山に入って死んだ父ちゃんの分まで狩りでもして来いよな!」
「そうだそうだ、俺らの飯だけ減らされてお前らの飯は今まで通りっておかしいだろ!お前とお前の母ちゃんで俺らの分の肉獲ってこいよ!」
この発言に私は頭に血が上りカッと熱くなるのを感じた。
私が何を言われても一向に構わない。でもお母さんを巻き込むのだけは許せなかった。
つい後片付けの手を止め、彼らキッと睨み付けてしまった。
「な、なんだよ。やんのか?あぁ!?」
彼らも最初こそはその目付きに少しばかり怯んだが、すぐに開き直り喧嘩腰で再び突っかかってきた。
向こうは三人がかり。いくら私が力いっぱい殴り合ったとしても勝てはしないだろう。
それでもお母さんの事まで言うのは納得いかなかった。
お母さんだってお父さんが死んじゃってから、すごい悲しそうに毎晩泣いていた。
その度に謝る私を抱きしめて「あんたの所為じゃないよ」って頭を撫でてくれた。
そこからすぐに畑を広げて、今まで以上に村に貢献しようと畑仕事に精をだしている。
なんの罪も無いそんなお母さんを、彼らが馬鹿にしていい道理があっていいのだろうか?
いやそんなもの、あっていいはずがない。
私は「お母さんは関係ない。今の発言だけは取り消せ」と言ってやろうと覚悟を決めた。
しかしその時だった。左手が生ぬるい温もりで包まれたのは。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺は意を決して彼らの元へと駆け出した。
近づいてみるとどうやら一触即発の雰囲気が漂っていた。
珍しくあいつが口答えでもしたのだろうか?
どちらにせよこれ以上彼らにこの女の子を攻撃させるわけにはいかない。
じりじり三人がにじり寄ってくる中、おれは彼女の左手を自分の右手で握りしめた。
———ギュッ———
四人は目の前の出来事にあっけらかんとした表情を浮かべていた。
当の彼女も何が起きたか分からないと言った顔をしている。
それもそうだ。こんな状況でいきなり手を握られるなんて、誰が想像できたであろうか。
お供が言うにはこれで目的の半分は達成できたというらしい。
(いいか?君が彼女の手を握ると当然彼らは何が起きたか分からないという顔をするはずだ。そうなれば一旦その場の険悪な雰囲気は収まる。そして困惑の空気が流れるはずだ)
………うん、確かにお供の言う通りになった。
四人の中に流れていた一触即発感は消え去り、今はこの場全員が困惑の顔を浮かべているのが分かる。
そしてここからは……。
(そのままただ無言であの三人を見つめるんだ)
俺は言葉の通り三人を文字通りただ見つめた。睨み付けるでも嘲笑うでもなく。
ただ黙って三人へ目線を移したのだ。
(そしたらあの三人はきっと、次は君を攻撃しようとするだろう)
「な、なんだお前。お前もこの女の仲間か?お前の家だって山の物の取り分減ったんだろ?それなのになんでそっちの味方するんだよ!そいつの父ちゃんが死んだからこんなことになってんだぞ!こいつのこと責めて何が悪いんだよ!」
(でもそれに応える必要は全くない。彼らはただ自分の不満をぶつける宛先が欲しいだけなのだから。この不満がぶちまけられれば、相手なんて誰だって良いのさ。ただ自分たちより弱くて責任を押し付けやすい宛先があの少女なだけだ)
「おい、どうなんだ!?なんとか言えよ!?ああ!?」
彼らの声は次第に大きくなるばかりだ。
(だからじっと彼女の隣に居てやれば良いのさ。一人じゃないぞって。いつでもこの少女以外にもこの子の味方は居るんだぞって所を見せつけてやれ。それだけできっと彼らは冷静になってくるはずだ)
しばらくすると本当に三人は段々としおらしくなっていく。
もはやここまで何もしない・言わない俺たちが気味悪く思えてきたのだろう。
(そしてもし何か言いたいことがあるならここだ。あの三人が静かになるこの瞬間、ここだけがその絶好の機会だ。)
俺は少しだけ唾を飲んで声を振り絞った。
勇気を出すのは今だと確かにそう感じた。
「こ、こいつの父ちゃんが死んだのは、こいつの所為じゃなくて、お、襲ってきた魔獣の所為だ」
……本当はもっといろいろ言いたいことがあった。なんでそんな意地悪言うんだって、なんでお前も言い返さないんだって。
俺はみんなで仲良くしたいよって、またみんなで遊ぼうって心の底から言いたかった。
でも多分それを言ったところで今の彼らにはそんな言葉は響かないだろう。何となくだけどそう思った。
だから三人が言う「お前の所為で山の幸の取り分が減った」という言葉だけは否定しようと決めていた。
だって本当に誰の所為でもないんだから。
それだけは、なにがあっても本当のことだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
彼が手を握り始めてから恐らく数分が経った。
恐らくと言うのは具体的な時間感覚が全く掴めなかったから。
だって初めて男の子に手を握られたんだもん。
彼は先ほど言った隣の家に住んでいるお父さんの同僚の息子だ。
同じ年に生まれたため昔は幼馴染としてよく遊んだものだが、お互い成長してからは遊びたいものが変わったり、彼の体の成長に伴い私の体力が彼についていけなくなって、遊ぶにしても気を使われていると感じるようになってしまったため、ここ最近は一緒に遊ぶのも疎遠になってまっていた。
彼のお父さんはこの村の林業と山での狩りを統括していて、彼のお母さんは畑の収穫物を管理している。彼の家はいわば村長のような役割をこの村で果たしている。
お二人は自分からそのように名乗ったりはしていないようだけど。
そんなことよりも、こうしている間に顔が熱くなるのを感じた。
なんでだろう?まだ寒い季節は始まったばかりなのに。
熱でも出たのだろうか?
しばらくそうやって彼に握られた左手を眺めていると、いつの間にかあの三人が帰っていくのに気づいた。
彼が何か言ってくれたのだろうか?申し訳ないが彼が手を握ってから今までの会話を何一つ聞いていなかった。
しかし少なくとも彼のお陰で私は助けられたのだと感じた。
あのまま彼が来てくれなかったら恐らく彼らと殴り合いになって、私はボロボロになって泣き喚きながら家路についていたであろう。
「あ、あの。なんか、ありがとう」
私は声を振り絞って言葉を発した。なんだかいつもより自分の声が震えているように聞こえた。
すると彼もまた緊張していたのか、少し胸を撫で下ろしながらも去っていく三人の背中を眺めながら答えた。
お互いに握った手は手汗でベトベトだった。
「いや、気にすんな。結局“俺は”何もしていないからな」
……?どういうことだろう?彼があの三人を追い払ってくれたのではないのか?
でも私にとってはそんなことはどうでも良かった。
ただ彼が隣に立っている。それだけが事実だったから。
「……ねえ、いつまで握ってるの?これ?」
私は繋がれた手に目線を落とした。
「いつまでだっていいだろ。そっちが離したいって言うんなら離すけど?」
彼は思ったよりも冷静なのか、目線を変えずに答えた。
「いや、別に…。そういう訳じゃないけど……」
ついぶっきらぼうに答えてしまった。なんでだろう?いつもはこんな風に受け答えすることないのに。
なんだか私だけ緊張しているみたいで空回りしている気がする。
「さっき言ったことだけどさ……」
突然彼は口を開いた。私はいきなりの発言にすこし驚いてしまった。
「え?な、なに?どれのこと?」
「はあ?なに、聞いてなかったの?」
聞いてなかったってなんのこと?いつの発言の話?
もしかして手を握られてから三人が去っていく間の話?
どうしよ…だとしたら全然聞いていなかった。
「う、うん。ごめん…」
私は正直に答えるしかなった。
こうなると分かっていれば、ちゃんとさっきまでの話を聞いていたのに。
「だからさ!お前の父ちゃんが死んだのはお前の所為じゃないっていうやつ!」
…………驚いた。そんな会話がさっきまでの間にあったとは。
私は気づいた時には「え…?」と口から出ていた。
「あれさ、本当の事だから。だからもう自分のこと、責めなくていい。もうちゃんと笑って生活すれば良いと思う。誰も本当にお前の所為だなんて思ってないから」
私はそれを聞いて、しばらく黙ることしか出来なかった。
………あの日から今日まで、自分を恨まなかった夜はない。朝起きたら全部夢で、本当はお父さんも生きていて、いつもの笑顔で「おはよう」って言ってくれる朝を望まなかったことはない。
あの日、お母さんは見たことないぐらい泣いていた。だから私がこれ以上泣いちゃいけないとも思っていた。だって私の所為でお父さんが死んだんだもの。
村の大人はみんな、私だけでも助かって良かったなんて言ってくれたけど、どう考えてもお父さんが生きててくれたほうが絶対に村の為になったはず。
そんなことを考えていたから、ずっと全部我慢していた、何もかも。
笑うのも泣くのも、口答えするのも喋るのも。
でも彼の一言で本当の気持ちが胸から溢れ出すのが分かった。
本当は私も救われたかった。
気づいた時には涙が零れ出すのを止められなかった。
「う、うああああん!」
私は年甲斐もなく声を上げて泣き喚いた。もう十歳になるというのに。
そして塞いでいた思いを全て口から吐き出した。
「分かってるよそんな事!全部あの魔獣の所為だって!でも私があの日山に行きたいなんて言わなきゃあんなことになってないし、お母さんだってあんなに畑仕事を頑張る必要だって、お父さんの事で泣くこともなかったんだよ!?あの魔獣も結局どっかに行っちゃうしさ…。じゃあ誰を恨めばいいの!?私だってもうこんな生活嫌だよ!またみんなと笑って過ごしたよおお!」
自分でも酷い泣き顔と言い分だと思う。
でもこれが私の全部なのだ。今の私の。
そのままどれくらい泣き散らかしたであろうか。すっかり日は暮れ始め、綺麗な夕暮れを空に映していた。
未だ私は「ひっく、ひっく」と言いながら止めどなく溢れる涙を拭いていた。
彼は何も言わないままだ。
そしてその右手もまた、私の左手に確かに繋がれたままであった。
「もうそろそろ帰らなきゃ……」
私が切り出した。
片づけてくると言ってから結構時間が経ってしまった。そろそろお母さんが心配する頃だと思った。
すると彼も「うん、そうだな」とだけ答えた。
そこからまたしばしの沈黙。今度は彼から切り出した。
「あのさ…」
私は彼から話出したのを少しばかり嬉しく思った。だってずっと喋らないんだもん。
これじゃあ結局何考えてるのか全然分からないわ。
「うん…」
私も短くその言葉に答えた。
「俺さ、いつか大きくなったらさ、狩りの仕事に就こうと思う」
驚いた。まさかこの話の流れでそんな事が言えるとは。
そもそも彼の家であれば、そんなことをしなくてもそれらの職業を管理するという役割をそのまま受け継ぐことが可能だろう。
でも彼はそんな家柄を捨てて山へ繰り出すと。
頭が悪いのか、それとも自分の家柄に気付いていないのか。
一体どっちなんだろう?
「そ、そうなんだ。それはどうして?」
私は恐る恐る彼に問いただした。どんな返答が返ってくるか全く予想が出来なかった。
今度は私の目をしっかりと見て、彼ははっきりとこう答えた。
「お前の家の分まで、俺が狩りで食い物獲ってきてやる」
私はまたしても「え?」と口から零していた。
「な、なんで?なんでわざわざそんなことするの?」
「なんでもいいだろ。俺がそうしたいんだから」
いくらなんでもそれは答えになっていない気がした。
でも彼は確かに私達のために職業を選ぶことにしたようなのだ。
こんなことがあって良いのだろうか?少なくとも私は、彼にこのような出来事がきっかけで職業を選んで欲しくは無かった。
「……私とお母さんの為ならそんなことやめて。そんなこと、別に私もお母さんも望んでない」
「だから!俺がそうしたいって言ってるだろう!」
彼は少し声を荒げた。私は堪らず体をビクッと跳ねらせて驚いてしまった。
それを見た彼はハッとして冷静さを取り戻したのか、少し顔を俯かせて話を続けた。
「今だって俺の父ちゃんがお前の家に食い物届けてるんだろ?だから今度は俺の番だ」
彼は再び顔を上げしっかりと私の目を見てその言葉を発した。
「だから、それまで待ってろ。俺が一人前になってお前の家まで立派な肉を持ち帰るまで。そうすりゃ誰にも文句言われなくなる。絶対に、二度とそんなこと言わせない」
発せられた言葉はとてもじゃないがロマンティックの欠片も無かった。
だがそれと同時になぜだか私はこの言葉を聞くために、これまでの時間が存在した様な気もした。
「そっか」とだけ私は答え、そこからまた少しの間沈黙の時間が流れた。
「そろそろ行くか」
しばらくすると、彼はそう言って私の手を引いた。
「え?ど、どこに行くの?」
いきなりの出来事でまたも驚きが隠せなかった。
なんでこう、いつもいきなりかなぁ。
「だから、帰るんだろ?家に」
「う、うん。そうだけど…」
「送ってく。ほら日が暮れちまう」
彼はそのまま少し強引に私の手を引いて家まで歩き出した。
…………こうやって誰かとこの道を歩いたのはいつ振りだろうか。
少なくとも最近は一人でいることが多かったのは確かだ。
夕暮れ越しに私達の影が長く伸びるのが見えた。
さっきまで流していた涙はいつの間にか乾ききっていた。
そういえば今日の晩御飯はなんだろうか。
もしよかったら今夜は彼に、私の料理を振る舞ってあげようと思った。
まだ簡単なものしか作れないけれども、それでも毎日お母さんの手伝いをしてるから、それなりのものが作れる気がしていた。
そうなったら彼のご両親に伝えとかないと。
お母さんはなんて言うかな?驚きながら「たまには良いよ」って言ってくれるかな?
そのまま私達は一言も会話をすることなく、家までの道を歩いた。
お互いに繋いだその手を離さないままで。
ED 「真っ赤な空を見ただろうか/BUMP OF CHICKEN」