第三話 良き夜を祈る
OP 「トレモロ/RADWIMPS」
薬草売りの露店を後にした団長様を追ってどのくらい経ったであろう。確実に太陽は空の頂点を通り過ぎ、もうしばらくもすれば美しい夕日を眺められる頃であろう。
あんなにも目立つはずの背格好と見てくれにも関わらず、あの後から一向に姿を見つけられない。
となると人込みから離れたと考えて良いだろう。どこか屋内の酒場に入ったか、もしくは宿に帰ったか。
いずれにしろこのまま屋外を探していても見つからない可能性が高い。今日のところは一旦諦めて、また明日声をかけようか。
そう思った矢先だった。
「お、人描き殿ではないか。こんなところで何をしているんだ」
え?と思い振り返った時にはもう既に、団長様はあと数歩というところにまで迫っていた。
俺はその気配の無さに寒気を感じた。
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なんだ?いつからそこに居た?全く分からない。足音や彼女に向けられる視線はおろか、鎧同士がぶつかり合う音すら聞こえなかった。
騎士団というものは気配の消し方すらも習うところなのであろうか?であればここは一つ俺もご教授願いたいところだ。
とは言え単純に俺が周りに目を配れなかっただけの可能性も捨てきれない。この団長様を探すのにそれなりの時間を要したからな。疲れているのだろう。ここは一旦そういうことにしておくことにした。
「ああ、ちょうどあんたを探していたんだ。それよりも今までどこに居たんだ?結構探したんだが」
「どこにって、腹ごしらえに酒場でたらふく食事をして、一旦宿に戻って夜の宴に備えようかなと」
あどけない顔で言う団長様は、左に見える古ぼけたレンガ造りの宿屋を指さした。
あぁなるほど。本当に酒屋に入って、宿に帰るところだったのか。そりゃ見つからない訳だ。
「それで、一体なんの用なんだ?」
これを伝えるのはなんだか後出し感があって、正直気が引ける部分もある。なぜなら薬草売りとの小話を盗み聞きしていたわけだ。
それを聞いた上での提案など、もしこれが商談などであれば狡いやつだと思われてもおかしくない。
しかし聞いてしまったものはしょうがないし、俺も今更この提案をしないという選択肢も無い。
俺は一呼吸置いて、言葉を発した。
「この前の弟の絵を描いて欲しいってやつ、今からでも引き受けても良いか?」
その言葉を聞いた途端、団長の顔は驚きに満ちたのがすぐに分かった。
「どうした突然、どんな風の吹き回しだ?初めて訪ねた時は、あんなに頑なに断っていたというのに」
「ああ、そうだな。ただし一つだけ条件がある」
「条件?その条件とは何かお聞かせ願おうか」
「ウバの村に銀嶺花を探しに行くのだろう?失礼ながら先ほどの薬草売りとの会話を聞いてしまった。それに俺も同行させて欲しい」
団長様は「なに?」と小さく言葉を零した。酷く怪訝な顔だ。
それもそうだろう。昼間の薬草売りとの会話は内容的には自分の家族のあまり快くない話であった。それをこっそり聞かれた上に、こんなよくわからない寂れた男を連れて魔獣の潜む森を進むのだ。仕事とあらば彼女も割り切って引き受けたであろう。しかしこれは完全に彼女の個人的な依頼であり、こちらも俺の個人的な条件だ。お互い強制力のない約束の中、彼女にとっては魔獣から一般人を守るという手間が一つ増えるわけだ。俺が当人であれば酷く気分が悪い。
それでも団長様は顎に手をあて目を閉じ、少し考えこう答えた。
「よし、良いだろう。ただしこちらも準備がある。聞いての通りウバの村はこのゼムレス王国の北東の地。北東地域はこのゼムレス王国でもあまり開拓のされていない土地だ。そのためこちらもある程度準備が必要だ」
まあそれもそうか。ここコーネの街はゼムレス王国の北に位置するとはいえ、交通の要所。他国へ出国する者や行商人が立ち寄り、旅の休憩地点になることが多い。
とはいえその程度の役割しか持たないのも事実。都市の様に潤沢な資源や人が集まるというほどでもない。ここを拠点として長旅をしようものなら、それなりの準備が必要だ。
「十日後だ。王都の者に先ほど連絡を入れた。恐らく十日後には物資や馬車等の手配をしてこの街まで寄越すだろう。念のため二人分の物資を積むよう言ってはあるが、それ以外の物はこの間に人描き殿自身で準備を整えてくれ。十日の長旅になるからな」
十日後…ねぇ…。今日連絡を入れて、それが届くのに丸一日。王都からこの街まで物資を積んだ馬車が来るまで約四日。つまり残りの五日で十日間の旅の準備を整えさせることになる。
はっきり言ってとんでもない速さだ。恐らく王家か騎士団に使える者に連絡を送ったのだろうが、たった二人分とはいえ十日間の旅の物資。それを遠方からのたった連絡一つで。
一体どれだけの権限が白羅の騎士団団長に与えられているのか、想像に難くない。
とはいえこちらも個人的に準備を整えたい物がある。十日ではいささか心配ではあるが、どうにかして間に合わせるしかない。
「分かった、十日後だな。それまでにこちらも準備を整えておこう。急に無理言ってすまない、感謝する」
「気にするな、こちらとしては全く問題ない。その代わり弟の絵に関してはよろしく頼むぞ」
「もちろんだ」
団長様の顔が朗らかになるのが伺えた。他人との会話でこのような表情を見たのはいつ振りだろうか。最近は他人とまともに話す機会も少ないような気がする。
この街に来たばかりの頃は、待ちゆく人々が俺の絵を見て笑顔を浮かべたものだ。だが近頃はお互いに慣れてきたのか、軽く挨拶を交わすような、言うなればただの隣人の様に接している気がする。
個人的には心地良い関係になれている気がするが、向こうからしたら見飽きた存在でしかないのだろうか。どちらにせよ真偽を確かめることはできないが。
「それじゃあ今夜は収穫祭をお互い楽しもう」
何気なく一旦の別れの挨拶としてその言葉を放ったが、団長様からは思いもよらない言葉が返ってきた。
「ああ約束だ、人描き殿」
そう言うと団長様は左の小指を突き出してきた。
「おいおい、指切りは大げさじゃないか?そこまでの事ではないだろう」
「いーや、約束だ。少なからず危険が潜む旅になる。楽しめる内は楽しんだ方が良い」
それもそうか。なんだか団長様からこの言葉を聞くと一味違って聞こえてくる。これこそがいくつもの死線を乗り越えて来たという自負と説得力なのだろうか。それとも弟さんの事を思い出してのことなのか。いくら屈強な団長様が着いているとはいえ、道行くのは魔獣の潜む森。万が一があってもおかしくはない。なぜなら人生何があるかは結局のところ誰も分かりはしないのだから。
それであれば、この夜を楽しむのもまた一興の様な気もしてきた。
「確かにそうだな。それじゃあ今夜はお互い良い夜にしよう」
そう言って俺は差し出された小指に、左の小指を絡ませた。
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収穫祭の夜はあちらこちらの酒場が大賑わいになる。
酒場と一纏めに言っても、各々の営業方針には大きな差がある。
やはり一番の賑わいを見せるのは冒険者ギルドに併設されている酒場であろう。
冒険者ギルドとはその名の通り冒険者の所属するギルドである。
そもそもこの世界では冒険者という定義自体が曖昧で、ひと昔前までは未開拓の地へ赴き、その周辺の調査・報告を行う者たちを冒険者と呼んでいた。
しかし時代は進み、魔獣の存在や魔法の普及により現在では魔獣の討伐や行商人の護衛、はたまた王家直属の特別な命令(戦争時の徴兵など)から近隣住民の困りごとの解決まで、様々な依頼をこなすこと自体が冒険者による仕事となっている。
そしてそんな冒険者達が集まって活動している冒険者ギルドの大本は、王都にある中央ギルドと呼ばれているものだ。
その中央ギルドが運営元となり、各地方にある主要な街にあるギルドを運営・統括している。
各地方のギルドはその街の名前を取ってギルド名がつけられており、この街の冒険者ギルドであれば“コーネ”の街の“ギルド”ということで“コーネギルド”という名称が付けられている。
冒険者ギルドは大抵がその街と周辺の村などの人口に応じて規模が決まり、その地域の比較的に大きな街に設置されることがほとんどだ。そしてその周辺の小さな街や村は一番近くの街にある冒険者ギルドに依頼を出す。そのようにして一つの冒険者ギルドがその地域一帯の依頼を一括管理し、その状況や活動を定期的に中央ギルドに報告する事で、このゼムレス王国全体の動向が監視・管理されている仕組みだ。
つまり今の冒険者ギルドはこのゼムレス王国の手足であり、我ら平民に救いの手を差し伸べてくれる英雄達の集まり場なのである。
そんな英雄達の憩いの場は当然のことながら酒場になるわけだ。
朝早くギルドを出発し、昼間は依頼内容をこなし、夕方には帰路に着き、夜は酒場で戦友たちと酒を片手に笑い語らいながら、明日への活力を満たす。
冒険者ギルドに併設される酒場はそんな冒険者生活の一端を担う役割を持っている。
また、そこに集まるのは冒険者だけではない。情報屋や鑑定士、武器職人や商人、依頼を出すために街の住人だって訪れるし、最近では金融業に勤しむ者など、ありとあらゆる人間たちの溜まり場でもある。
そのため巷では「全てを知りたければ酒場に行け。冒険者が居れば全てが集まる」なんて言われているぐらいだ。街の住人としてもそこは一種の居場所ですらあるわけだ。
そんな冒険者ギルドの酒場が収穫祭の夜に賑わっていないわけが無い。さぞかし繁盛して店主のしたり顔が見れていることだろう。
普段は酒を嗜む趣味は無いが、近々魔獣の潜む森目指して旅をすることになっている。これはもはや冒険者の端くれと言っても過言ではないのではないか?
そうと決まったら俺も酒場へと繰り出そうか。最近はあまり酒場自体に顔を出していなかったからな。久しい顔も見ることができるかもしれない。旅の準備の事で話をしたい人物も居ることだし。
………あとは団長殿と収穫祭の楽しもうと約束したばかりだしな。それを果たさずに朝を迎えるわけにはいかない。
俺は足早にコーネギルド併設酒場の“レノガ酒場”へと向かった。
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「いらっしゃいませ!“レノガ酒場”へようこそ!」
レノガ酒場の戸を開けると、麗しい美女達が肌の露出が多い服装で出迎えてくれる。久しぶりにこの光景を味わったが、いやはや男にとってはありがたいお出迎えだな。
どんな仏頂面の男であっても、これでは鼻の下伸ばしてしまうだろう。
よく見ると似たような恰好をした美女たちが店員としてそこら中を歩き回っている。
これも冒険者への労いの一つなのだろうか、それとも店主の趣味なのだろうか。
しかしこの俺はそんな誘惑には乗らない。ここは鮮やかに、そして表情一つ変えずに席について見せる。
そうして俺は出迎えてくれた美女の豊満な胸の谷間を横目で覗きながら酒を一杯注文した。
「エル酒を一杯くれ」
「エル酒一杯入りましたぁ!」
………きっと気づかれていないはずだ。……きっと、たぶん。
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エル酒を片手に席に着くと、すかさず大男が話しかけてきた。
「おいおい人描きさんじゃねーか!酒場に顔出すなんて随分久しぶりじゃないか!」
「ああ久しぶりだな“ジスト”」
たんまり酒を飲み込んだ匂いをプンプンさせたこの大男の名は“ジスト”。このコーネギルドの上級冒険者の一人だ。
この世界の冒険者には等級があり、その内訳は、初級・下級・中級・上級・最上級の五段階である。
そしてこの等級付けは基本的に実力主義だ。
貴族のような地位や爵位等、生まれで立場が決まってしまうような身分はこのゼムレス王国では少なくない。
しかしこの冒険者というものは職業柄、そのような身分で立場が決まることは全くと言って良いほど無い。
単純に難易度の高い依頼を多くこなす。これこそが冒険者を値踏みするたった一つの要素だ。
そのため辺境の平民が実力のみで成り上がり、上級冒険者としてその街の英雄として崇められることはそう珍しいことでもない。
そしてその背中を見て育った子供達の中から、また一人平民生まれの英雄が誕生するのだ。
それほどまでに上級冒険者とは街の住民からは憧れの的であり、尊敬すべき隣人なのである。
してこの大男。名を“ジスト”というが、先ほども説明した通りコーネギルドの上級冒険者である。
ジストはこの街に自分が住み着き始めた時からの仲で、この体格でこの陽気さ。正直言ってあまり得意な分類の人間ではないが、それでも悪い奴ではないことは確かだ。
田舎というものは多少なりとも閉鎖的な一面がある。このコーネの街もゼムレス王国北の地域一帯の中でも大きな街ではあるが、それも比較的の範疇だ。客観的に見て賑わっているとは言えないような街である。
その中で寂れた風貌のよそ者が突然住み着いたとなれば、それはそれは噂話で持ち切りになってしまう。良い噂も悪い噂も。
そんな状況で噂話を聞きつけたジストは、積極的に俺の元を訪れ交流を交わしてくれた。
その甲斐あってか、俺はこのさほど大きくもない街の住民たちと自然に打ち解けることが出来たのだ。
さすが上級冒険者、ただ依頼をこなすだけではない。恐らくこの男にはそこに至るまでの姿勢も含めて上級冒険者であり、だからこそ彼らは民衆に尊敬される存在なのだ。
「ところでどうしたんだい今日は。普段は酒なんて飲まんだろう、どういう風の吹き回しだ?」
「今日は収穫祭だぞ?俺だって少しくらいは羽目を外したくなることぐらいあるのさ」
「ほほう、そうかそうか。俺はてっきりあのお嬢様に会いに来たのかと」
そう言って立てた親指の指先は一人の女性に向いていた。
「ガッハッハ!なんだなんだ、もう終わりか!?こちとらまだまだ飲みだりないぞ!!」
……………ありゃ誰だ?
身に着けているものは鎧ではなく、白のドレスに似た普段着ではあるが、見た目は白髪の団長様に見える。
なんだ?酔っているのか?にしても飲みすぎでは?昼間の冷静さを知っている身からすると、もはや別人にしか思えない。
「おーい、もう終わりですかぁ?どうなんだぁ!?」
そう言って向かいの席に座っている若い冒険者をツンツンと小突く姿は、そこら辺の酒飲み中年にしか見えない。
そして小突かれている若者は目をグルグルさせ、ほぼ意識を失っている。
どうやら飲み比べ対決をしていたようだ。どうせ若者の方が、団長様のその美しい容姿に目を奪われ、勝利したら今度食事にでもという条件で勝負を仕掛けたのだろう。
そして圧倒的な差を見せつけられたと。
「誰だあれは、少なくとも俺はあんな大酒飲みの女性は知り合いに居ないぞ」
「おやおや、俺には白羅の騎士団の団長様に見えますがね。いやはや驚いた。まさかあそこまで酒に強いとは。挑んだあいつには悪いが、こりゃここに居る誰が挑んでも相手にならねーぞ?」
何を言う、お前だってかなりの酒飲みのくせに。まあジスト自体はあんな若い女にはあまり興味が無いのであろう。そういう意味では“相手”になる奴はここには居ないという表現は正しいか。
「それにしてもまさか人描き殿にあんなお相手が居たとは。あんたも隅に置けないねぇ」
そう言って酒をグビっと飲み干すジストの顔はやけに嬉しそうだ。
「そんなんじゃないさ、そもそも知り合いですらない。お互いただの取引相手だよ」
「ほう?それはどういう意味か詳しく聞かせてもらおうか?」
「だからそんなんじゃないって。……弟の絵を描いて欲しいんだとさ」
「なるほどお嬢様は弟がいるのか。……してなんであんたにその依頼を?」
…………確かに、なんでわざわざ俺なんだ?
別に絵描きなど王都や彼女の住む街にも山ほどいるだろう。いや山ほどは嘘かもしれないが。そもそもこのゼムレス王国内での絵描きの需要など微塵も知らないし、どの程度同業者がいるのかも全く分からない。
仮に王都や彼女の住む街に絵描きが全くいなかったとして、どこで俺の名前を聞きつけ依頼をする気になったのだろう。絵描きに依頼をするときは大抵、その絵描きが以前に描いた絵を品定めし、それを気に入った上で依頼をするものだ。少なくとも俺自身から彼女に絵を見せたことは無い。
………いや、絵を目にするだけなら一つだけ可能性がある。行商人だ。
単純なことであった。行商人に売った絵が、巡り巡って彼女の目に留まったのだ。
「行商人だ」
「え?」
「だから行商人だよ。きっと彼らに売り飛ばした絵が、どこかで彼女の目に留まったんだ」
「ほう?だとしたらなかなかの運命だな」
「運命だと?」
ジストは酒を置き、彼女の方に視線をやった。
「ああ運命だよ。この出会いはそういう定めだったんだよ」
何を言っているんだ?もし本当に先ほどの推察が合っているなら、それこそただの偶然に過ぎない出会いだ。そもそも運命なんてものは存在しない。そんなものがあるのなら俺のこの寂れた生活すらも運命だとでも言うのか?いや、俺自身はこの生活を結構気に入っているのだが。
少なくとも運命なんてものに自分の選択を委ねたくはない。なぜならこれまでの選択全てが運命だというのであれば、人間があれこれ悩み、選び、そして手にしてきたもの全てが無意味な気がしてしまうからだ。だから運命なんてものを俺はとてもじゃないが好きな言葉とは言えない。
「どういう考えがあるのかは知らないが、俺はそんなもの信じないぞ」
そう言って俺は右手に持った杯に入った、残り半分の酒を一気に飲み干した。
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そろそろ宴もたけなわなわけで、酒場中がコーネの英雄“レノガ”を称える唄、“大刀歌”の大合唱を始めた。
“レノガ”とはこのレノガ酒場の名の由来となった人物で、大昔の最上級冒険者の名だ。
店主曰く、このレノガ酒場ではその英雄を称え忘れぬように、銅像を作り、名を冠し、彼への賛歌を残し続けるという役割も持っているとのことだ。
幼い頃にこの地域一帯で育った者の中でレノガの名を知らぬ者は居ない。なんせ夜の枕元では彼の伝説を読み聞かせられ、その最後には必ずと言って良いほど「彼の様に立派に育ちなさい」と付け加えられるからである。
俺も昔にレノガの伝説を書物で呼んだことがあるが、今では信じられないような偉業も事細かに記されていた。まあ過去の英雄を持ち上げるために、多少は話を盛っているところも少なからずあるだろう。
ただそれにしては随分創り込まれた内容だったため、これを書いた著者はどれだけこのレノガという英雄を敬っていたかが伺える内容であったと記憶している。
そしてそんな彼を称えるために作られた大刀歌も、この街では歌えない者は居ない。
ただ驚いたのは、なぜか大刀歌を団長様も歌えたことだ。
話に聞くとレノガの伝説はコーネの街以外でも良く知られているようだ。なんでもゼムレス王国の三英雄の一人に数えられる程の剣豪だったらしい。騎士団として剣術の道を行く彼女だが、少しでも剣術を嗜んでいる者であればレノガの名前を知らぬ者は居ないと答えていた。そもそも“大刀歌”なんて名も、レノガが大剣使いだったとこからついた曲名なのだそうだ。ここまで聞くと団長様が大刀歌を歌えて当たり前なのだと納得できる。
そういえば団長様も背中に大剣を背負っていたな。それもレノガに影響を受けたものなのかと思ったり。
さてさて店員も含めてここに居る人間はほぼ全てが大興奮で大刀歌を合唱している中、隅の卓で一人つまらなさそうに飲んでいる男が居る。俺はこいつに用があるんだ。
俺は「よっこらせ」とその男の真正面の席に腰を落とした。
「よう、相変わらずつまらなさそうな顔をしているな」
「うるせぇ、お前が言えたもんじゃないだろ」
この男の名は“ヴェント”。この街で武器屋を営んでいる。
俺に負けず劣らずの仏頂面で、額にはねじり鉢巻きを巻いている。
武器の加工や生産の腕は一流だが、いかんせん気難しいところがある。しかしその腕は確かなため、遠方からも彼に武器の修理や特注生産の依頼が後を絶たない。
そしてヴェントの武器加工の売りは魔力加工である。
俺は専門外のため正直言って加工の優劣など微塵も分かりはしない。だがこの魔法兵器が普及している現代で、魔力加工が売りの武器職人はかなり重宝される。実際にヴェントに魔力加工を依頼した冒険者の話を一度だけ聞いたところ、その丁寧な加工はそもそもの武器の耐久力も上げ、通常の何倍も刃こぼれを防げるほどだという。
別に身内というほどの仲ではないが、同じ街の者がそこまで評価されるのは少しいい気分だ。
「で、なんの用だ?」
ヴェントはぶっきらぼうに言葉を吐いた。
「話が早くて助かるよ。実はいつものヤツを使えるように手入れして欲しいのが一つ。あと一つは”アレ”も新しく用意して欲しい」
「!?………お前、まさか…」
ヴェントは途端に目を見開き、酒を流し込む手を止めた。
まあ、正直この反応は予想が着いていた。
「違う、そんなんじゃないぞ。あそこに白羅の騎士団団長がいるだろう?今度彼女と共にここから東にあるウバの村に向かう」
「…………はあ?なんだってそんなことに……。それにあそこら辺一帯は魔獣がウヨウヨ住み着いてるって話じゃねーか。なんでわざわざそんな所に出向くことになってんだ?」
「まあ理由は追々説明する。とりあえず魔獣の居る森を抜ける訳だから、いつ魔獣に襲われても良いように俺も武器を携帯していたい」
「……………ほう、なるほどな。…………本当なんだな?」
ヴェントからはまだ疑いの色が晴れていないようだ。
「ああ本当だ。直接あそこに居る団長様に聞いてもらったって構わない」
そこまで言うとヴェントは一度だけ団長様の方を睨みつけ「分かったと」とだけ頷いた。
「それで、いつまでに用意できればいい?」
「十日後だ」
「十日後……ね。まあ、何とかして間に合わせよう。なにか要望はあるか?」
十日後はちと厳しかったか?この調子だったら優先的に用意してくれそうではあるが、なんせ彼にも他の客がいる。その辺の調整は難しいところなのであろう。
とはいえこちらも頼めるのはヴェントしか居ない。どうにかしてもらわねば。
「最低限の魔力加工だけしてあればいい。余裕があればできるだけ耐久力を上げるバフを頼む」
バフとは武器を加工する際に付与できる付属品みたいなものだ。いや、実際に付属品がついているわけではないが。
例えば同じ剣でも耐久力のバフが着いている方が耐久力が上がるし、攻撃力上昇のバフが着いていれば一振りで与えられるダメージは上昇する。そういう武器の付加価値的なものだ。
ではどうやってこのバフを武器に付与するかというと、ご存じの通り魔力加工によるものだ。
そしてこのバフの付与も例に漏れず職人の手によって大きく左右され、ヴェントのバフ加工は巷でも有名な出来なのだという。それゆえ遠方からの依頼が後を絶たないのだろう。
「分かった。それじゃあ十日後、必ず用意しよう」
「すまんな、急な依頼で。そう言ってもらえると助かるよ」
「ふん、高くつくぞ」と鼻を鳴らしたヴェントは残り僅かに入っていた酒を飲み干し、そそくさと酒場を出ていった。
ふう、一旦これで武器は何とか用意できそうだな。
魔獣への対抗手段はいくつもある。一番有効なのは武器や魔法の攻撃で倒すことだ。その他には隠密魔法で身を隠したり、魔法陣によって閉じ込めたり。
だが隠密魔法も必ずというものでもない。もし何かの弾みでそれが解けてしまった時、やはり確実な対抗手段となるのは討伐しかない。
今回はいくら団長様という護衛が居ようとも、自分の身は自分で守れる程度の手段は確保しておきたい。
一番良くないのは、追い込まれた時に選択肢が全くないことだ。どんなものも備えすぎなんてものは無い。
どんな状況にもできる限り備え尽くした上で、最後はただ時を待つだけ。それが俺の一種の流儀だ。
おっと大刀歌の合唱も終わったみたいだ。見回すと店主が閉店時間だと客たちを追い出している。
それに応えるように客たちも名残惜しそうに酒場を後にする。
あれだけ酔っぱらっていた団長様もはっきりと意識はあり、しっかりとした足取りで宿へと帰っていった。
すごいな、あれだけ飲んだのに。今夜の酒場で一番飲んだんじゃないか?それにも関わらずあの余裕顔。
さらには冒険者達と順にまた飲もう抱擁を順に交わし、確実にコーネの冒険者達をある意味“惚れさせて”いった。
さて、そろそろ俺も家へ帰るかな。
俺は空になった杯を店主に返し、「ごちそうさん」とだけ言い残し帰路に着いた。
ED 「夜ノ音/Hilcrhyme」