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人描きと銀嶺  作者: Nori
第三章 「メラード帝国」過去編

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17/17

第十一話 平和の独裁(後編)

OP  「orion/米津玄師」





「ただいま」



 扉を開け、家で待っているはずの妻に声をかける。

 それと同時に奥の方からドタドタとこちらに向かって来る慌ただしい足音が響く。



「お帰りなさい!」



 廊下の角から顔を出した妻の表情には相変わらずの笑顔が見え、私は強い安心感を覚えた。



「今日は早いですね!」

「ああ、とりあえず立て込んでいた仕事が一段落したからな」



 「そうだったんですね!」と言いながら近寄る身体からは花の甘い香りが漂っていた。



「ご飯、出来てますよ、すぐ食べますか?」



 そういえば妻と共に食事をするのは久しぶりの気がする。

 帰りが遅い時は先に食べておいて貰うことが多かったからな。

 私は帰宅後に作り置きされた料理を口にするのが日常となっていた。

 故に久しぶりの団欒に少しばかりが心が躍っていた。





「ああ、そうしようか」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 それなりの広さのリビングでの中で、そこまで大きくもないテーブルを二人で囲む。

 卓上に置かれているのはパンとビーフシチュー、最近の我が家の定番となっている食事だ。



 私の帰りが遅い時は一人で簡単に食べられるものが嬉しいからな。

 どうしても軽く温めるだけで手軽に食事が出来るスープ系を所望する事が多くなってしまう。



 だがそれだと食事に敏感な私に飽きてしまわぬように、時々こうしてシチューを献立に織り交ぜてくれるのだ。

幸いにも今夜はその献立に当たったらしい。



「そういえば来週からは休暇を貰ったから、またこの前みたいに何処かに出掛けようか」



 私がそう言うと妻は「本当ですか!?」と笑顔を見せてくれた。

 その表情でさらにシチューが美味に感じられた。



「それじゃあ、しばらくは帰りも早くなるんですか?」



 ……これまでにも何回かこの質問を投げられたことがあるが、その度に明確に答えられない立場がもどかしく感じる。



 首相という立場上、どこまでいっても仕事は尽きない。

 それでいて職務内容の優先度も高いものばかり。

 国民やこの国の行く末を思えば手を抜けないのが実状だ。



 そのような中で頻繁に帰宅時間を早めるというのは簡単には出来ない。

 毎回のことながら妻のこの質問には答えを濁すので精一杯である。



「……ごめんなさい、忘れてください!」



 私が解答を言い淀んでいると妻はきっぱりと話を終わらせた。

 そこには少しばかり無理した笑顔の表情が伺えた。

 相変わらず嘘が下手だな。



 しばらくの間、食卓から会話が無くなる。

 食器がぶつかりあう音だけがこの静寂を支えていた。



 この間に私は様々な考えを巡らせていた。

 これまでのこと、これからのこと、そして目の前に居る妻のこと。



 気が付くと私が政治の世界に入ってから13年が経とうとしていた。

 今の政府において、既に私という存在の影響は大したものでは無くなっている。



 決して首相という立場が小さなものになった訳では無いのだが、ここ数年は私の仕事を様々な大臣や若者に分配し、その成長を見届けることに注力をしてきた。

 そのため私が担うべき仕事の量や大きさが昔に比べて小さくなってきたのだ。



 これにより私の職務範囲は首相権限が無くては行えないものにまで縮小されていった。

 以前は細かい雑務にまで時間を取られていたからな。



 皇帝陛下も即位後から順調に公務をこなし、今では帝国のほぼ全土で皇帝陛下の顔を知らぬ国民は居ないのではないかという所まで来た。

 ロゴール様は基本的に外交政策に力を入れていたからな、こうして帝国内部に向けての公務が増えれば増えるほど現皇帝の威信が強まるのを肌で感じることも多くなった。



 これは、そろそろ潮時かもしれないな。

 いや、解放されたと言っても良い。

 ここまで来るのに思ったよりも時間がかかってしまった。

 互いに若者という時間を失い、私自身も姿見に映る自らに老いを感じることも多くなった。

 これから先、このような感覚を数えきれないほど味合うのかと思うと恐ろしさを感じてしまう。



 それにも関わらず妻は出会った頃と何ら変わらない美しさを見せている。

 ………というよりも歳を重ねるたびに魅力が増していないだろうか?



 あの頃の妻は確かに若かった、だが決して幼い少女でも無かった。

 遠くの世界に夢を見るでもなく、かと言って現実に打ちひしがれていた訳でも無い。

 エスタという人種に一定の暗い影は感じつつも、それでも自分なりに力強く世の中を生き抜く姿がそこにはあった。



 強かに生きるその姿に、私のこの胸は惹かれたのだ。



 そんな妻が歳を重ねるたびに、より人として成熟していくのを日々感じる。

 具体的な理由は分からない。

 だが私を脅したロゴール様は居なくなり、安定を見せ始めた帝国で私が政治の実権を握っておく理由も薄くなった。

 もう何にも縛られることは無い、これからは……。



 私は料理を口に運ぶ手を止め、真剣な眼差しを妻に向けた。

 それはあの時あの丘で、妻に最初で最後の花を贈った時のような心情であった。





「ラフィス、今度……」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





——————2年後——————




「それでは本日の議題は以上となります、閉会!」



 その声と共に会場に居る人間たちの緊張感が一気に緩むのを感じた。



 各々がその場で資料を軽く読み返した後、そそくさと退出の準備を進める。

 私も同じくして帰宅の準備を進めていると、先ほどの力強い声が背後から声をかけてきた。



「アイザ首相!」



 振り返ると本日の議会で司会を務めていた男と数人の議員が私を待ち構えていた。



「今まで長きに渡ってお疲れ様でした。私たちは、いやこの国はアイザ首相の功績を忘れることは無いでしょう。どうぞ、しばらくの間は奥様とゆっくりとお過ごしください」



 そう言って司会の男から餞別の花束を受け取った。

 両手で抱えられるほどの花束を持ったのはいつぶりだろうか?

 なんだか懐かしい気持ちになった。



 そういえばこの男もだいぶ歳をとったな。

 思えば当時の私も若すぎたのかもしれない。

 あの時は澄ました顔で御前会議の司会を務める彼にやたらイラつきを覚えたが、今では議会の立派な進行役を務める彼に感謝の念すら感じる。

 やはり15年の年月は確かなものだと実感した。





 「ああ、ありがとう」





 去りゆく者にはこれ以上の祝福は必要ない。

 私はそれだけ言い残し、その場を足早に後にした。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 帰路に着くため数人の議員たちと共に長い廊下を歩く。

 花束から発せられる微量の甘い香りが歩く議員たちの風で鼻をくすぐる。

 まさか私がこのような花束を貰う事になるとは、一体あの頃の誰が想像できただろうか?



 今日は私が首相として出席する最後の議会、それが先ほど滞りなく閉会を迎えた。

 内容としても帝国の未来についてしっかり話合えた有意義な時間であったと思う。



 既に議会では私の後任となる人物が次期首相として話し合いに参加していた。

 現首相として私もすぐ傍には居たが、その立場はもはや形骸的なものとなっていた。



 やはり持つべきものは優秀な部下だな。

 これもまたあの頃の誰が想像できただろうか、私の秘書であったお前がこの国の首相になるなど。



 最初に次期首相を任せたいと話した時には何とも言えない返しをされたが、最終的には覚悟を持って引き受けてくれたことに感謝だ。

 彼ならきっとこの国を良い方向へと導いてくれるはずだ。





 さて時刻はまだ昼前か。

 今日は早く帰って引っ越し準備の続きをしなければならないな。

 そう思い私は歩く速度を少し早めた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






「ラフィス、今度そう遠くない内に私の故郷に行かないか?」



 気が付いたら端を発するように口から言葉が出ていた。

 私の言葉を聞いた妻は当然の事ながら困惑の表情を浮かべていた。



「……それは、一体、どういう……?」



 気が付くと私は困惑する妻に構うことなく話を続けていた。

 やはり勢いというのは恐ろしいものだな。



「この国を出てしばらく北西に向かったところに私の故郷、正確には私の両親が生まれ育った土地がある。私もその土地で生まれたのだが、幼いうちに両親が亡くなり親戚によってこの国まで連れて来られて育った。だから私の中では故郷という実感はほとんど無いのだが、それでも両親と過ごした思い出は微かに記憶の片隅に存在する土地だ。」



 ここまで一気に話すと、ようやく困惑した妻の顔が目に入った。

 思えば自分の出生をここまで詳しく妻に話したことは記憶に無い。

 それは恐らく互いに両親を亡くしている私たちだからこそ、安易には踏み込めない領域として触れることが出来なかったからだ。



 実際の所、私も両親についてはあまり思い出したく無い部分もある。

 だからこそ妻が今の今まで何も言ってこなかったことには感謝している。

 一般的な夫婦であれば知っていて当然の話だからな、もしかしたらこの事で不安を感じさせてしまっていたら申し訳ないと思う。



「……ああ、すまない、少し急すぎたな」

「い、いえ……!こんなに勢いよく喋るのを見るのは久しぶりだったので、少し驚いただけです。どうぞ続けてください、それでその故郷には何の為に?」



 そう言って朗らかな笑顔を浮かべた妻は静かに料理を口に運ぶのを止めた。



「遥か昔から、その土地は訳あって争いの絶えない、言うなれば帝国以上の武装地域であった。そのため親戚たちは両親を亡くした私を連れてこの国まで逃れて来た。だがどうやらこの数十年の間に帝国と同じくらいの非武装地域にまでなったという話を最近聞いた。元々その土地は山林の多い地域、自然が広がり人の流入もそこまで多くない静かな場所だ。これからの人生は君とそこで静かに暮らしたいと考えている、他の何ものにも邪魔されずに。まずはその準備の一つとして下見に行きたいと考えている」



 話を聞いた妻は真剣な眼差しを私に向けたままで、その表情が何を意味しているかは分からなかった。

 少なくともすぐに答えを出せるものでは無いのは事実だし、私から強引に決めるものでもない。

 しばらくは考える時間が必要だろうと覚悟していた、しかし妻が口を開くのは思ったよりも早かった。



「分かりました、行きましょう」



 あまりにも早い返答に私は困惑を隠しきれなかった。



「……え、い、良いのか?」



 まるで呂律が回らないかのように言葉を発すると、妻は力強く頷きいつもの笑顔を見せた。



「はい!その下見とやらに行く日にちの目星はついていますか?あとその土地ってやっぱり寒いですか?北の方にあるって言っていたので。もしそうなら防寒具も用意しなきゃですね。あとはこの国からどのくらいかかるんでしょうか?お店を閉める期間をお客様に伝えなきゃなので」



 あまりにも妻の中で話がトントン拍子に進むため、私はさらに混乱に陥った。



「ま、待て、何もそんなに焦る必要も……、一体どうしたんだ?」



 そこまで言うと今度は妻がハッとする番になった。

 少し反省したような顔をすると軽く頭を下げて謝罪の言葉を述べた。



「すみません……!私ったら、焦ってたつもりじゃないんですけど、なんか、自分でもよく分からなくて、どうしちゃったんだろ……?」



 私に続いて妻も困惑の表情を浮かべる。

 一体、今夜の私たちはどうしてしまったというのだろう?

 こんなにも会話が嚙み合わないことは未だかつて無かったように思う。



 少し間が空き、私は今の状況が生まれた理由を明らかにするべく脳を高速で回転させた。

 そしてその結果、辿り着いた答えは一つだけであった。



「……すみません、本当は、すぐにでもアイザさんと二人きりになりたくて」



 私が答えに辿り着くと同時に妻の口から同じ答えが放たれた。



 静寂の中でお互いが見つめ合う。

 思えば結婚の契りを交わしてから私たち夫婦の間には常に何らかのしがらみが存在した。



 私は常に政治家として職務に追われ、妻はその夫人としての振る舞いを求められた。

 本当は気が付いていた、妻が外では多少無理をして人と関わっていたことを。

 元々が明るい性格のため大きな支障があった訳ではないのだが、それでも下手な行動が出来ないという心理的負担は徐々に重くのしかかってくることを私は知っている。



 最初のロゴール様との契約で定期的には妻と二人で過ごす纏まった時間は取れていた。

 だがそれも一般的な家庭から見れば微々たるもの。



 金銭的な心配をしたことは無かったが、私たち二人の間には常に見えない壁が立ちはだかっているような感覚は消えることが無かった。



 しかし、そんな息が詰まるような日々からもこれでようやく解放される。

 きっとお互いにその事実を理解したのだ。





 ああ、そうだ、これでやっと。





 その晩、久々に触れた妻の肌は酷く冷たく感じた。

 だがそれと同時に筋肉の少ない薄い身体が徐々に熱を帯びていく心地良さに胸が震えたのをよく覚えている。





 終始、私は月明かりに照らされた青い瞳を視界に捉えるのに精一杯であった。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「アイザ首相」



 ふと後方から私を呼びかける声が響いた。

 聞き慣れたその声に安心感を覚える。



「皇帝陛下」



 振り返った先には随分と大人びてしまい、皇帝としての貫禄を感じさせるまでになったジオスタ様が佇んでいた。



「ついに、行ってしまわれるのですか?」

「ええ、だいぶ時間がかかってしまいましたが」



 八方に空いた窓から入る風が私たちの間を吹き抜けるのを感じる。

 相変わらずこの部屋から見える景色はとても良いものだ。



 城の最上階、この小さな物見部屋から覗く帝都は変遷を続け、今では10年前の姿すら大して思い出せないほどの変わりようだ。



 だがそれも初代皇帝陛下が望んだこと。

 内戦で荒廃した帝国の再建と成長、最終的に彼はそのどちらも実現したと言って良い。

 その結晶が現在の帝都の姿であるのだ。



「……あの時は申し訳ありませんでした」



 見ると皇帝陛下は少し俯き暗い表情を浮かべていた。

 私は一体何を謝罪されているのか分からなかった。



「?……何のことを、仰られているのでしょうか?」

「……あの時、アイザ先生を無理やり政治の世界へと連れ出したことです」



 ああ、そう言えばそうだったな。

 私は自分の意思では無く半ば無理やりこの世界へと飛び込むこととなった。

少なくともジオスタ様がその一端となったのは間違いない。



 そういえば何故にあの時、ジオスタ様は私を経済大臣へと推したのだろうか。

 あの時点で私とロゴール様の間には接点は全くなかった。

 となると判断材料はご子息であるジオスタ様からの伝聞と実績。

 それに加えて独自に私の身辺も調べ回っていたようだから、それらの個人情報か。



 これらを包括したとしても、何の実績も無い大学教師を政府に引き入れる判断に至るまでには明らかにジオスタ様の意思が強く反映されていたと言わざるを得ない。

 そして私はその経緯を何一つ知らないままであった。



「私はずっと、この国を良くしたいと考えていました。それはきっと偉大な父の影響を幼少の頃から受けていたからでしょう。若き日の私にとって何かを学ぶ目的はそれ以外にありはしなかった」



 ジオスタ様は軽く窓の外に映る澄み切った青空を見上げながら、懐かしき日々を思い出すように話を続けた。



「学べば学ぶほど、あの頃の帝国に足りないものは経済だというものが見えてきて、それならば経済に精通している人に教えを請いたいと考えていました。そして行きついたのがアイザ先生、あなたです」



 やはり彼は優秀な生徒だ。

 どんな重圧があったのかは知らないが、少なくとも彼の中には純粋に国を思う気持ちがあったのだ。

 そしてそれを実践しようとした、その行動力は尊敬に値する。



「田舎の古い大学に帝国では珍しい経済学講師が務めている。私はすぐさま詳細を調べてアイザ先生の居る大学へと入学しました。あの頃に受けた講義は私にとっては革新的なものばかりでした」



 今でこそ経済や金融について専攻できる大学はちらほらと増えてきたが、あの頃の帝国では経済を詳しく学ぶこと自体が珍しいことであったからな。

 私の授業をわざわざ受けたい生徒が居ることを学長に伝えられた時には違和感を覚えたが、こうやって話を聞いてみると数少ない経済学講師である私に辿り着くことは必然であったのだ。



「この人こそが父に、いや、帝国に必要な人材だとすぐに確信しました。私は父にアイザ先生のことを伝え、それを聞いた父もある程度アイザ先生の身辺を調べたうえであの日に至りました」



 まあ、やり方は決して平和的なものではなかったかもしれないが、確実に目的を遂行するという点において的確であったのは間違いない。

 恐らくあの手法はロゴール様の判断であろう、ジオスタ様が積極的に私を脅しにかかるとは思えない。

 だが最終的にはジオスタ様もその手法に乗ったのだ。

自分で言うのもなんだが、そこまでして必要とされること自体は悪い気がしない。



「……本当は分かっていたのです、アイザ先生が政治になど興味が無いことを。あの頃の生活に十分満足していたことも、これ以上は余計な人生の荷物を増やしたくないことも」



 そう言ったジオスタ様の表情はより一層暗いものとなっていった。

 麗しいと形容できるその顔を見て私は何も言うことが出来なかった。



「それはアイザ先生と関われば関わるほど確かな実感となっていきました。この人の平穏な生活を崩すべきでは無いと、頭では確かに分かっていたのです。ですがそれと同時にこの人が帝国を動かす未来も見てみたいと、そう思わずにはいられなかった。そして大臣となれば今よりも経済的に豊かな生活を送れるというのを免罪符にし、これはアイザ先生にとっても悪くない選択肢なのだと自分を納得させて政治の場へと引き込んだ。……私は皇帝失格です。法治国家を目指しておきながら、そのために一人の国民の生活を犠牲にした。いや、皇帝という肩書きの上ですら無い、私自らの欲望のためですらあった。その結果、アイザ先生の短くない年月を拘束してしまった。本当に申し訳無いと思っています」



 そこまで言うとジオスタ様は静かに頭を下げた。



 ここまで聞けば確かにジオスタ様のしたことは褒められたことではないかもしれない。

 しかもそれが大陸最大国家である帝国を統べる皇帝とあれば尚更。

 だがそれ以上に彼のその後の人生は誰もが認める働きぶりであったのも事実。

 であれば私は皇帝としてのジオスタ様の功績を称えたいと思う。



 ……要は仕方が無かったことなのだ。

 どう頑張ろうと国の発展のためには誰かが犠牲にならねばならないもの。

 それが個人では無く集合体である国家の宿命、後は誰が割を食うかの話。

 今回は私だったというだけだ。



 私のこの15年、確かに短くはない年月を政治に捧げてしまったが、それでもこの国が未来に向かって進んでいくその渦中に居られたことは今や私にとって一種の誇りとなっていた。

 今となってはこれも神の導きなのかもしれないと思える。



「……顔を上げてください、ジオスタ様」



 私の言葉を聞き、その麗しい顔がゆっくりと私に向けられる。

 そこに明るい感情は一片たりとも浮かんでいるようには見えなかった。



 私はその曇った表情を少しだけでも晴らすために、あるいはこの胸の内をしっかりと整理するために、私はこの口を開いた。





「この15年、私はこの国に仕えることができて幸せでした」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 春の某日、風が吹く度に鼻がくすぐられ、相も変わらずくしゃみが出そうになる。

 最近は医療の発展もあってか花粉症の治療がこの帝国でもかなり進んだ。

 お陰でもうあの頃のように鼻をすすることも無くなったが、それでも春の陽気が漂う季節には少しだけ鼻腔を刺激されるのを感じる。

 単純にこの国には花粉を飛ばす木々が多すぎるのだ。

 やれやれ、花粉症対策も政策に入れておくべきだったな。



 そんなことを考えながら帝都で最も高い建物の階段をゆっくりと登る。

 今日でこの城ともおさらばだ。

 毎度のことながら訪れる度に苛立ちを覚える程の段数であったが、これで最後と思えば感慨深いものだ。

 まあ、城というのは主の威厳を示す役割も兼ねているからな、これくらいの高さはどの国も当たり前か。



 しばらく階段を登り続けると、ようやく皇帝陛下の居る玉座の間が見えてきた。

 開け放たれた荘厳な両開きの扉は、奥に座する皇帝陛下が実際の何倍も小さく思えてしまう程の存在感を示していた。



 人間の数倍はある高さと幅の扉をくぐると、そこには皇帝陛下の側近や親戚の面々が玉座の周りに集まり、左右の壁際には数えきれないほどの護衛兵が綺麗に列を成して直立していた。

 護衛兵の全てが鉄の鎧で身を包み、長い槍を右手に装備している。

 その姿はまさに勇敢な戦士だ。



 そして当然の事ながら、その中心に居るのは玉座へと鎮座する皇帝陛下。

 私はその目の前まで歩みを進めて片膝を着き、そして静かに頭を垂らした。



「皇帝陛下、並びに御親類の皆さま、この度はお集まり頂きまして誠にありがとうございます。本日はメラード帝国初代首相として、このアイザ=ホーレスト、最後のご挨拶に参りました」



 そこまで言うと部屋全体に拍手の音が響き渡った。

 少し顔を上げると、その場にいた全員が私に朗らかな笑みを向けながら両手を打ち合わせている姿が視界に入った。



 数秒後、拍手が鳴り止むと共に口を開いたのは皇太后陛下、つまりは亡きロゴール様の奥方であった。



「アイザ首相よ、長い間この国のためによくぞ尽力してくれた。先の皇帝である我が夫も今頃は其方に感謝の言葉を贈っていることだろう。其方の功績は決して忘れられるものでは無いことは明白。胸を張って残りの人生を歩むと良い」



 私は「恐悦至極に存じます」とだけ述べ、再び頭を垂れた。



 内心ではあのロゴール様が今さら感謝の言葉を述べるはずが無い、もしご存命であればどうせ次は他の分野で仕事を押し付けてくるはずだと考えていたが、ここは胸の中にしまっておこう。



 しかし久々に皇太后陛下と顔を合わせたが、相変わらずの若々しさである。

 確かご年齢はロゴール様よりも少し年上だったはず。

 元々ロゴール様自体も比較的若くして亡くなったのだが、だとしても生前のロゴール様よりも若く見えるその御姿には一体どんな魔法がかけられているのだろうか?

 私が聞く限りでは老化や生死を操れる魔法は存在しないはず。

 まさか呪術でも扱っているのであろうか?



 そんな疑問が私の頭の中に浮かぶ中、次に口を開いたのは皇后陛下であった。



「アイザ首相よ、私からも感謝の気持ちを述べさせてくれ、今まで本当によく尽くしてくれた。これまで陛下の公務が問題無く遂行されてきたのも全て其方の力添えあってこそのものだと認識している。其方が首相として陛下を支えてくれたこと、私も決して忘れることは無いだろう。長い間、誠にご苦労であった」



 私は「ありがたき幸せ」と述べ、先程と同様に頭を下げた。



 こうして見ると皇后陛下も相変わらずの美しさだ。

 陛下が婚姻なされたのは確か3年ほど前。

 しかし婚約関係自体はもっと前から結ばれていた。



 話を聞けばあの田舎の大学に通っていた頃にお互い出会ったらしい。

 私が財務大臣として帝都に向かってからもジオスタ様は1年ほど大学で勉強されていた。

 まさかその間に配偶者まで見つけて来るとは恐れ入る。

 まあ、この美形に聡明な人間性、女性から見れば非常に魅力的なのは一目瞭然のことではあるのだが。



 そして最後に口を開いたのは当然のことながら我がメラード帝国の長、ジオスタ=ガラクレト皇帝陛下だ。



 とはいえ互いに個人的な挨拶は既に済ませている。

 これは表向きの最後の挨拶。

 つまりは未来永劫、公的文書等に記される事となる歴史的な発言だ。



 そのような中でジオスタ様がどんな発言をするのか、正直言って昨晩から胸を躍らせていた。

 これを以って私は確かに歴史の立ち合い人となるのだ。



「……アイザ=ホーレスト殿、あなたが首相となって5年、財務大臣時代から数えて約15年、その決して短くはない月日の中で私は尊敬する貴方から多くの事を学びました」



 その瞬間、一同に驚愕とした空気が流れたのを感じた。



 ジオスタ様の中で私がどのような存在であろうと、帝国の頂点に君臨する皇帝陛下自身が皇族以外の国民を自分よりも持ち上げるような発言を、ましてや敬語を使うなど言語道断。

 皇族として、いや、国の長としてそのような姿は威信の失墜にも関わる、絶対あってはならない暗黙の決まり事だ。



 さらに言えばこれは公的文書にも残り続ける発言となる。

 帝国政府としてはそんなものを残しておける訳が無い。



 だがジオスタ様はそれを分かっていて発言をしている。

 例え慣習や皇帝としてのあるべき姿を無視したとしても、このような発言を選んだのだ。



「……あなたが居なければこの国はここまで来ることはなかったでしょう。それは無数に垂らされた運命の糸の中、たった一本、恐ろしい程に細く短い一本だったかもしれない。しかし様々な想いや行動が重なり、結果的に手繰り寄せたその一本が今日この日にまで繋がっていたとするならば、やはり神は存在するのかもしれない。そう思わずにはいられない程に素晴らしい時間の中を私は過ごすことが出来ました。もしかすると、あなたは自身にそこまで大それた力は無いとお考えかもしれない。ですがどうか忘れないでいて欲しい、あなたによって人生を大きく動かされた人間が居たことを、あなたが大切に想う数だけ、あなたを大切に想った人々が居たことを」



 気が付くと私は瞳の奥から涙が込み上げてくるのを実感した。

 そう、私は今この国で最も、紛れもなく歴史上最高の賛辞を受けているのだと、自然と身体が理解するような感覚であった。





「改めたまして、アイザ=ホーレスト首相、あなたがこの国に仕えたこと、あなたと共にこの国を統べることができたことを、私は一生の誇りに思います」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 気が付くと玉座の間には涙と嗚咽と、それを包み込むような拍手の嵐だけが鳴り響いていた。



 一体誰がこのような最後を想像できたであろうか、あの私がこのような人生を歩めると想像できたであろうか。



 他人を避け、一人で静かに生を消費する毎日から、愛する妻と出会い、国に仕え、皇帝陛下から最高の賛辞を受けるこの未来を、一体誰が。



 顔を上げるとジオスタ様も私と同じくして涙を流しているのが視界に映し出された。

 玉座に腰かける身体が震え、嗚咽交じりの弱々しい拍手が私に降りかかる。



 私は幸せ者だ、まだこの歳で人というものを知ることができたのだ。



 大丈夫だ、これからの人生もきっとこの縁は続いていく。

 帝国を離れることにはなるが、何かあればすぐにでも戻ってこようではないか。

 それが私のできる最大限の恩返しである。



 私は床に着いた片膝をゆっくりと上げ、その場で立ち上がった。

 視線は真っすぐにジオスタ様から逸らすことなく。



 ああ、これが互いに最後の顔合わせとなるだろう。

 だがそう落胆することも無い、私たちはまだそれほど歳を取っていないのだから。

 きっとまたいつか会える。

 目線だけで互いにそうやり取りをすると、私はサッと体を切り返し出口へと向かう。



 明日にはこの国を発って故郷へと向かうことが決まっている。

 大した距離では無いが、それでも簡単に会えなくなるのは事実だ。



 生まれて初めて経験する感覚、これが友との別れというやつなのかもしれない。

 いや、友との別れであれば既に一度経験しているではないか。

 まあ、あの人の場合は悪友であったがな。



 だが今回はいつかの再会を信じての別れとなる。

 別れには変わらないが、それでも胸の中がやたら透き通った気分になる、悪くない感覚だ。



 一歩ずつ、石畳の床を踏み締めながら歩く。

 靴の底から放たれる渇いた音すらも祝福に感じる。



 いざ大きな扉をくぐり、玉座の間を出ようとしたその時、後方で聴き馴染みの無い声が鳴り響いた。



「キャアアアア!!!」



 あまりの絶叫に驚いて私はすぐさま後ろを振り返った。



 なんだ、何事だ。

 皇帝陛下が転げでもしたのか?



 私は少しの不安を覚え、玉座の方へと目を凝らす。

 だがそこに映っていたものはその程度の悲劇などでは無かった。





——————バタッ、バタッ——————





 左右の壁際に立っていた数十人の護衛兵たちが次々に床へ倒れていく。

 その全員が例外なく、首を切り落とされて。



「な、なにが……!?」

「イヤアアアアアア!」



 それを見た一同が声を上げて慌てふためく。

 私は未だに状況が理解できず、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。



 この間にも玉座の床は鮮血で真っ赤に染め上げられていく。

 なんだこれは、一体なんなのだ。



 だがこんな状況でも、その場に居た誰もが理解したことが一つだけある。

 “敵襲”を受けている、と。



 その瞬間、全員が一気に動き出した。

 目的はただ一つ、皇帝陛下をお守りせねば。



 そうやって私も身体を動かそうとした時、“ソレ”は私の背後から静かに気配を現した。



「全員、動くな」



 空気が鉄のように固まるのを感じた。

 肺が一瞬だけ、確かに呼吸を止めたことを実感する。



 背後から現れた“ソレ”はゆっくりと私の横を通過し、鮮血で染まる赤い床の上を玉座に向かって歩き出す。



 初めは人間の後ろ姿に見えたその形は、私の視界に全容が収まっていくほど“ソレ”が(おぞ)ましいものだということを確かに示してきた。



 大柄な体格に身体中の様々な部位から飛び出した角のようなもの、暗い青色の肌に全身に浮き出た赤い血管。

 尾骶骨の辺りからは先が鋭く尖った尾が生えている。



 これは、まさか、そんな馬鹿な。



「やはり客人を出迎え入れるには“レッド・カーペット”に限る、そうは思わぬか?メラード帝国皇帝、並びに“平和の独裁者”ことアイザ=ホーレスト首相よ。まさか用意が無いとは思わずでね、悪いが少々を“血”を借りて用意させてもらった。うーむ、やはり客人としてこの上を歩くのは中々に気分が良いものだな。欲を言うのであれば本物の絨毯の方が嬉しかったのだがね」



 訳の分からないことを吹聴しながら鼻歌交じりに歩く“ソレ”は、まるで散歩をするかのように玉座に近づいていく。



 全員が恐怖で動けない中、一人の護衛兵が勇気を出してその手に持った槍を“ソレ”に差し向けた。



「う、うああああ!」



 どれだけの恐怖が彼を内側から支配してだろう。

 だがその護衛兵は恐怖心に打ち勝ち、勇猛果敢にその(おぞ)ましいものへと突進をする。

 その姿だけでも勲章に値する。



 そんな勇敢な彼の突進に目を向けた“ソレ”は特に動揺するでもなく、ただ一言だけ、再度我々に忠告をしてきた。



「全員、動くなと、言ったはずだが?」



 その瞬間、鋭利な “ソレ”の尾が護衛兵の首を切り落とした。

 まさに目にも止まらぬ速さ。

首が地面に落ち、尾に付いた返り血を“ソレ”が払うまで何が起きたのか理解が出来なかった。



 だがこれで一同の心は確実に一つとなった。

 この“魔族”に逆らってはいけないと。





 一瞬のうちに亡骸となった護衛兵を横目に“ソレ”は玉座に鎮座する皇帝陛下の眼前に辿り着いた。

そしてまるで狙いを定めた獲物を弄ぶかのように、不的な笑みを浮かべながら口を開く。

 私たちはその姿に傅くことしか出来なかった。





「さあ、諸君、それでは“話し合い”を始めようではないか?」







































次回、「メラード帝国」過去編 最終話



第十二話 「平和の玉砕」

















































ED  「タナトフォビア/キタニタツヤ」

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