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人描きと銀嶺  作者: Nori
第三章 「メラード帝国」過去編

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15/17

第十一話 平和の独裁(前編)

OP  「アリア/BUMP OF CHICKIN」





——————25年前——————





「ハックション!」

「先生おはよう!もしかして花粉症?」

「ああ、おはよう。どうやらそのようだ。」



 爽やかな春の匂いに鼻がくすぐられ、思わずくしゃみが飛び出した。

 私は鼻をすすりながら街に一つだけある大きめの大学へ向かう道を歩き続けた。



 特にいつもと変わらない街並みをゆっくり歩いていると、数日前に学長から聞いた話をふと思い出す。



 そういえば今日から私の講義に新入生がやってくると言っていたな。

 どうやら私の講義を聞くことを熱望しているらしく、もし会話をすることがあれば良くしてやってくれとのことだった。



 これはあれだ、恐らくどこかのお偉いさんの子供に違いない。

 わざわざ学長からこんなお達しがくるのだ、間違ないはず。



 これは面倒な事になったな。

 本人がそれなりに真面目な学生であれば良いが、もし手に負えないような出来損ないだった場合は目も当てられない。

 それでもって低い評価を付ければ圧力がかかるのだろう?

 まったく、教師という仕事も楽じゃないな。



 というか私の講義を熱望しているとはどういったことだ?

 この時代に経済についてそこまで熱心な学生がいるとは到底思えない。

 もしかすると冷やかしだろうか?



 そんなことを考え憂鬱な心境になりながらトボトボ歩いていると、ポンポンと後ろから肩を叩かれた。

 この感じはいつものあいつだろう。

 毎日毎日、本当に飽きないやつだ。



「アイザさん!おはようございます!」

「……ああ、おはよう」



 そこには茶髪に美しい青い瞳を持った女が一人立っていた。



「あの、今日はこちらを!」

「……ああ、ありがとう」



 そうやって俺は一輪の花を受け取った。

 今日は綺麗な青色の小さい花だった。



 不愛想に答える俺の顔が見えていないのか、この女は幸せそうな顔で学校に向かう私を見送る。





 私は受け取った花をシャツの胸ポケットに飾り、香りを少しだけ嗅いだ。

 鼻腔を優しく包むような香りに再び春の陽気を感じた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「では今日の講義はここまで、質問がある者は後で私の所まで来るように。今日は夕方まで校内に居る予定だ」



 教材を閉じ、そそくさと教壇から降りる。

 それと同時に一人の生徒が私に声をかけて来た。



「先生!」



 見るとそれは今日から私の講義を受けることになったあの生徒であった。



 身長はそれなりに高く、見た目も爽やかな好青年。

 これはどれほどの女子を魅了してきたのだろうか、そしてこれから先もきっとその人数は増え続けていくことだろう。



 身なりは周りにいる生徒よりも一段と小奇麗。(周りにいると言っても数人しか私の講義は受けていないが)

 やはりお偉いさんの息子と言ったところだろうか。



「どうした、えっと……」

「ジオスタです!」



 私が名前を知らないと察したのか、すぐに自ら名乗ってくれた。

 まあ知らないというよりは覚えていないのだが。



「……ジオスタ、何か質問か?」

「いいえ!本日から先生の講義を受けることになったので、そのご挨拶をと!」



 随分と礼儀正しい生徒じゃないか

 少し肩透かしを喰らった気分だ。



「……そうか、これからよろしく頼む」

「はい!よろしくお願いいたします!」



 そう言って彼は腰が直角になるまで頭を下げた。

 礼儀正しく真摯に人と向き合うその姿勢は評価に値する。



 とはいえ常にこの熱量で接してくるのだとすれば、それはそれで面倒だ。

 私的には穏やかに日々の業務をこなし、自分の愛するものに時間を使えればそれで良いのだ。



 一生徒に肩入れをして、なんでもかんでも相手をすると考えただけで億劫なこと極まりない。

 講義に関する課題を出し、客観的な数値を見て生徒を評価するだけでいたいのだ。



 だが既に学長には釘を刺されている、全く相手をしない訳にもいかないか。

 少なくとも私自身は前々から生徒の疑問にはなるべく付き合うように接してきたつもりだ。

 その負担がほんの少し増えるだけ。

 そう考えれば大したことでもないかもしれない。





 そうやって私は自分自身を納得させ、その場を後にした。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 結局今日も誰一人として私に質問をしてくる生徒は居なかった。

が、まあ、そんなものだろう。

そもそも私の講義を受けているのはたった数人。

もっと言えば、この大学に通っている生徒も大した人数ではない。



 それもそのはず、大陸で最も広大な土地を持つこのメラード帝国では、学問などよりも武術が重要視されるのは当然のことだ。



 つい20数年前まで内戦の絶えなかったこの国では、いつまた再び革命やらの武力抗争が起きてもおかしくはない。

 新しい勢力が政権を獲り、それがまたすぐに奪い取られる。

 歴史を見るともうここ数十年はずっとその調子だ。



 だがそんな中でも、過去このメラード帝国が唯一、大陸最大の名に恥じないような統一時代もあったと聞く。

 この大学もその時に作られた本来は権威ある学び舎だ。

 まあ、今は名ばかりのこのザマだが。



「……帰るか」



 私は次の講義の準備を終えて研究室を出た。

春の香りに花をくすぐられ、再び小さいくしゃみが飛びだした。





 ふとシャツの胸ポケットに目をやると、今朝にあの女から受け取った青い花が未だ綺麗な花弁を広げて風に揺られていた。

 何となく、風が心地良いと感じた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 夕暮れが街を橙色に染める時間、私は今朝来た道を逆方向に歩いていく。



「あ、アイザさん!」



 今度は私から見て左手の方から声をかけられた。

 そこに居たのは花屋の店仕舞いをするあの女だ。



「今、お帰りですか?」



 上目遣いで眩しい笑顔を見せるその瞳は、胸に飾られた花と違わぬ程に美しい青色をしていた。



 瞳が青い人間は”エスタ”と呼ばれ、その先祖は元々大陸の西側に住んでいた原住民が起源だと聞く。

 それがいつの間にか大陸の各地へと渡り、その子孫が今も青い瞳を受け継いでいるのだとか。



 歴史を見ていくと、その美しい瞳から神の生まれ変わりだと崇められたり、はたまたその物珍しさに不当な扱いを受けたり、国や地域によってエスタが辿ってきた歴史も様々だ。

 だがこの帝国という国では広大な領土のお陰か、多種多様な人種が存在するということで何か特別な扱いを受けることは無い。



 まあ、そもそも瞳が青いというだけで、他の人種よりも何か特別秀でている訳でも劣っている訳でも無い。

 見た目だってそれ以外は特に私たちとなんら変わりはない。

 この国の人間からしてみれば、種としてはっきりとした能力の違いが無いのであれば自分たちと大して変わらない。

あとは個人の才能と努力による違いだけだ。

 そして個人の能力が最も評価される、それがこのメラード帝国という国なのだ。



 少し考え込んでいる私を不思議そうに見つめる女は、沈黙に耐えきれず言葉を発した。



「あの、アイザさん?どうかしました?」

「……いや、なんでもない。今帰りだ」



 その言葉を聞いた女はすぐに明るい顔になり話を続けた。



「そうでしたか!それじゃあこの後はどこかお食事にでも行きませんか?もうすぐうちも閉める時間なので!」



 食事、か。

 そういえばここ最近は誰かと食事をした記憶がない。

 一瞬だけ、面倒だなとも思ってしまったが、いつもと違う日常を過ごすこと自体は悪いことではない。



「……分かった。それでは東の公園で待ち合わせよう。店仕舞いが終わったら来てくれ」



 そう言うと女は屈託の無い笑顔を見せ、声を先ほどよりも大きくして言葉を返した。





「はい!分かりました!では後ほど!」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 時刻は6時を回ったところだろうか?

 街灯の明かりがぽつぽつと灯り始め、風も少し肌寒くなってきた。



 公園のベンチに腰掛け、最近購入したばかりの小説も中盤まで差し掛かった頃、あの女はやって来た。



「遅くなってしまってすみません!」



 声のした方向に顔を向けると、随分とめかし込んだ女が小走りで駆け寄って来た。



 紫のスラっとしたドレスに長い髪をまとめ、肩には小さめのカバンの紐をかけていた。

 いつもはあどけない印象を受ける見た目だが、なんだか今日はやたら大人びて見える。



 まさかわざわざ一度帰宅して準備してきたのか?

 なぜそこまでしてくるのだ?

 私なんて朝となんら変わりない、しがない教師の恰好だというのに。



「……ああ、問題ない。だいぶ暗くなってきたな、できるだけ近場で済ませようか」



 いくら内向的な私といえ、幸いにもいくつか店の当てはある。

 ここでたまにの外食が生きてくるのだ。



 私は読んでいた頁にしおりを挟んでゆっくりと本を閉じ、いつものように歩き出した。

 それを見た女も慌てて横に並ぶ。



 その時、ふと女の足元が視界に入った。

 普段とは違う、余所行き用の綺麗な靴だ。

いつもは花屋という立ち仕事という事もあり、機能性重視の地味な靴を履いていたはずだが、今はなんとも歩きづらそうな靴だ。



 この靴はなんと言ったか、確か西側の国でよく履かれている“ハイヒール”というやつだったか。

 踵を高くし身長を良く見せたところで何が良いのかは全く分からないが、好んで履く人間にとってみれば大事な事なのだろう。



 ここで私は癖でつい下を向いて歩いていることに気が付いた。

 一人で居る分には特に問題ないだろうが、今は他人と共に歩いているのだ。

 これが礼儀に反するのかどうかは知らないが、相手からすれば何となく気分が良いものではないと感じた。



 それにこの歩行速度では少々辛いか。

 私はこのハイヒールなるものを履いたことは無いが、どう見ても歩きやすいとは言えないような靴だ。





 私は女に悟られないように徐々に歩く速度を緩めた。

 その間もハイヒールの小気味いい足音が公園に響いていた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 静かな店の中でナイフと皿が触れ合う音が飛び交っている。

 周りの人間からすると少しばかり私の格好はカジュアルかもしれないが、それでも店の雰囲気を壊すほどではないかと思う。

 こういう時に大学に務めていて良かったと感じる。

 仕事終わりの格好でも敷居が高めの食事処に気兼ねなく入れる。



 反対に服装は雰囲気通りの女の方はこの店の中で一番ぎこちない動きを見せていた。

 恐らくこのような場所で食事をしたことが無いのだろう。

 右手に持つナイフの動きがだいぶ覚束ない。



 表情も強張っており緊張しているのが見て取れる。

 これは店選びを間違えてしまったな。



「……大丈夫か?」



 私の声にハッとした女はすぐに取り繕ったような笑顔を見せ、ぎこちなく動かしていた右手を止めた。



「すみません!私、こうゆうお店に“あまり”来たことなくて……!ちょっとだけ食べるの下手ですけど、美味しくいただいています!」



 そう言って女は不格好に切り取られた肉片を口に運び「美味しい!」と笑顔を零した。



 嘘をつけ、“あまり”では無く“全く”の間違いだろ。

 私とて見てればそれくらいは分かる。



 せっかく食事に誘ってくれたというのに、これではただ相手に無理をさせてしまっただけになってしまったな。

 これは店に入る前に気付けなかった私の落ち度だ。



 思えば店の前に着いた時点で既に表情が強張っていた。

 慣れない恰好と他人との食事で緊張しているのかと思っていたが、どうやら理由はそれ以外にもあったようだ。



 ただ向こう側も食事の作法を全く知らなかった訳では無く、料理が届くやいなや私と同じように食器を使い始めたため、ある程度は作法の知識があったらしい。

 だが知っているのと実践するのでは雲泥の差だ。

 ナイフとフォークの使い方など数回使えば大抵の人間は慣れるものだ。

 それが出来ていないということは全くと言って良いほど使用経験が無いという事を示している。



 もし次回があるのであれば、これらの事も考慮して店選びをしなくてはいけないな。

 そう誓った私に女は少しだけ暗い表情を見せて話かけた。



「あの、アイザさん、もしかして幻滅しました……?」



 私は一瞬にしてナイフを動かす手を止めた。



 幻滅しただななんてとんでもない。

 別にこのような食事処に来ない人間など山ほどいる。



 私の方こそ配慮が足りなかったと言って良い。

 店に案内する前に希望を聞いて置かなかったのは私の落ち度だ。

 完全にエスコートに失敗している。



 よく考えれば普段は質素な恰好で花屋を営んでいるこの女が、積極的にこのような店に足を運ぶとは思えないと普段の私なら気づけたはずだ。

 もし連れて行くのであれば、カウンターで落ち着いて酒を飲めるバーにでも連れて行くべきだった。



 だが何故か私は公園でこの女を視界に捉えた瞬間にその選択肢を抹消してしまっていた。

 あの時の自分の思考を推察するに、きっとこの女が似合う食事処がこの店だと脳が無意識に判断をしたのだろう。



 それは何故か?

 ………多分この女がそれほどまでに美しかったからだ。



「……いや、特に幻滅したとかでは無い。むしろ私の方こそすまなかった。君の希望を聞かずにこの店に連れてきてしまった」

「いえ!全然そんなことないです!私の方こそお恥ずかしい所をお見せしてしまって申し訳ないです。一応こういうお店の作法は一通り祖母から聞いてはいたのですが、実際にやるのとでは全然違いますね」



 女はそう言ってクスっと笑い、再び手を動かし始めた。

 その動きは相変わらずぎこちないものであった。



「でも、アイザさんが私のために選んでくれた、それだけで本当に私は満足なんです。本当にそれだけで」



 その微笑みが私の罪悪感をより一層強めた。

 それと同時に何とも言えない胸の暖かさも感じた。





 私はこの感情に見合う名前を必死に探したが、いくら過去の経験や先人たちの言葉を借りてもその正体に辿り着くことは無かった。

 結局その日はこの感情が何だったのか知ることができずに、自宅のベッドに身体を滑り込ませたのを今もよく覚えている。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 料理を食べ終え店の扉を開けると、肌寒い風が全身に当たり私は小さく身震いをした。

 後から出て来た女も私に続いて身体を縮こませる。



「わぁ!さ、寒いですね!」



 春が訪れたと言っても夜は冷える日も少なくない。

 どうやら今日は特別風の冷たい夜に当たってしまったようだ。

 私も女も昼間の陽気に合わせて薄着を選択してしまっている。

 これは早く帰らねば風邪を引いてしまうかもしれないな。



「そうだな、風邪を引かない内に早く帰ろう。送っていく」



 私のその言葉を聞いた女の表情は少し曇ったようにも見えたが、すぐにそれはいつもの笑顔へと変わった。





「ありがとうございます!それじゃあ行きましょうか!」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 大通りは未だちらほらと人が行きかっているのが分かる。

 明るめの街灯が等間隔にいくも並び、暗い夜空に支配された街をぼんやりと照らしていた。



 時折狭い路地から吹き付ける強い風に当たり、お互いの前髪が激しく揺れる。

 その度に寒さで身体が身震いを起こす。



「……随分風が冷たいが、大丈夫か?」

「はい!お家につくまでならなんとか大丈夫そうです!それよりもアイザさんの方は大丈夫ですか?もしかしてここからアイザさんのお家って遠かったりしますか?」



 それよりも、か。

 どう考えても私よりもそちらの方が薄着だろう。

 ドレスから露わになっている肩が何よりもの証拠だ。

 見ているだけで風邪を引きそうな恰好である。



「……安心してくれ、ここからそう遠くは無い。なんならこちらは私の家の方向だからむしろ帰り道で助かっている」



 私の言葉を聞いて女は安堵の表情を浮かべ、またあの笑顔を見せた。



「良かった!それじゃあ私も安心して帰れます!」



 そう言った女が歩く速度を少しだけ緩めたのが分かった。



 少しの間、大して重くもない沈黙が流れたが、意を決したように女が口を開いた。



「……あの、なんであの時、私を助けてくださったんですか?」



 この質問は恐らく、この女が私に見せる態度の核心に迫るものであった。



 事の発端は数日前、私がいつものように大学へと向かう最中に起きた。



 その女は花屋の営業前の準備をしていた



「キャッ!」



 突然、甲高い声が聞こえ、そのすぐ後に「ドシャ!」という鈍い音が辺りに響いた。

 どうやら沢山の花が入ったバケツを持ったまま躓いたらしい。



 そこに通りかかったのが大学へ向かう私という訳だ。



 私自身はどちらかというと神を信仰している身だ。

 まあ熱心に信仰しているという訳では無いが、家族が敬謙なオロスト教であったために幼い頃から神の教えを学んで育ってきた。



 そしてこの胸の中にある少しばかりの信仰心がこう問いかけた。

 この女を助けないのか?と



 いくら面倒くさがりな私でも、神の信仰心に逆らうことまでは簡単に出来ない。

 気が付くと身体が自然と女の方へと歩みを進めていた。



「……大丈夫か?」



 私は転倒し床に倒れ込んだ女に声をかける。

 その声に驚いたのか、女は身体を少し跳ねさせ言葉を発した。



「あ、あ、大丈夫です!ご、ご心配ありがとうございます!」



 女は自身の醜態を恥ずかしく感じたのかすぐに立ち上がり、あまり顔を見せないように頭を下げた。



 ざっと見た感じだと店には危険だと判断できそうな段差は無かった。

 つまりはこの女は何もないところで躓き転倒したのだ。



 今から大学に向かったとしてもどうせ講義が始まるまでには時間があるので、私は床に散らばった花たちを女と共に拾い集めることにした。



 一通り集め終わると女は再び深々と頭を下げ、礼の言葉を述べた。



「あの!手伝って下さりありがとうございました!」



 肩の長さに切られた茶髪が垂れ、再び持ち上がる時にはその美しい青い瞳に私の目は奪われた。



(これは…!確か、エスタと言ったか?)



 私はあまりの驚きに何かしらの反応をすることが出来なかった。

 普通だったら驚くか、その美しい瞳に何かしら話題として触れるのだろうが、咄嗟の美しさに身が固まったように動くことが出来なかったのだ。



 だがこのままその瞳に気を取られている訳にもいかないため、すぐさま私は「気にすることはない」とだけ言い残しその場を後にした。



 それからだ、この女が私に絡んでくるようになったのは。



 たかが散らばった花を拾ってやっただけだというのに何故か私があの花屋を通るたびに声をかけてくるようになり、今では毎日のように一輪の花を渡してくる始末だ。



 一度だけ互いに名前を名乗り合う会話があったが、たったの一回で私が名を正確に覚えられる訳もなく、結局聞き返す申し訳なさもあり、うろ覚えの状態で今日まで来てしまった



 というのが私と女の出会いという訳だが、先ほども述べた通りこの女を助けた理由は私の良心が働いた訳でも何か特別な理由があったという訳でもない。

 なんとなく神が助けろと言っている、そう思っただけだ。

 理由などそれ以上でもそれ以下でもない。

 昔からそう言う教育を受けて育っただけだ。

 そういう習慣と呼んでも良いだろう。



 とにかくそこに何か信念や高尚な理由があった訳ではではなく、ただ単に義務に等しい感覚で行動をしたまでだ。



 私はこの理由をそのまま伝えてしまおうか少し悩んだ。



 だがそう思った矢先、私の答えを聞く前に女は再び口を開いた。





「もしかして、私がエスタだからですか……?」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 少しの沈黙が流れたが、私は未だ言葉に詰まったままでいた。



 この女がどういう思いでこの言葉を発したのかは分からないが、何やら気軽に答えて良いような質問ではない気がした。



「私がエスタだから、あの時、私を助けてくれたんですか?」



 そのような事実は断じて有りはしない。

 何故なら花を拾い集め終わるまで私はこの女がエスタであるということは知らなかったからだ。



「アイザさんも、私の事を普通じゃないって思いますか…?」



 そう言う女の瞳に僅かだが涙が浮かんでいるのが分かった。



「そんな事は決して無い!私はそもそも君がエスタだということを知らなかった!」



 少し強い語気になってしまったが、これは噓偽りの無い事実だ。

 信じて貰えるかどうかは分からないが真っすぐに私の心を伝えたつもりである。



 私の真剣な目を受け、女もそれを分かってくれたようだった。



「……はい、知っています。だってアイザさん、毎朝あの道を通る時、私のお店に興味を示したことなんて、一回もないですもんね!」



皮肉交じりの回答ではあったが、女はいつもの明るい笑顔を見せてくれた。



 しばらくすると、女は俯きながらポツリと話し始めた。



「今日、いつも通りお店に立っていたら、一人のお客さんが来て、私の事を見るなり、とてつもないほど怖がったんです」



 ここからでは俯いた女の表情を確認することが出来なかったが、本人としては見られたくない顔をしていそうだ。

 私は特に反応することなく耳を傾け続けた。



「そのお客さんはお年を召したおじいさんだったんですけど、ご家族に聞いたところ昔は軍人さんだったようで……その時に何かエスタの人と因縁があったんじゃないかって……」



 なるほど、それで自分が改めて異質な存在だと認識し、急に不安になったという訳か。

 確かにエスタの瞳は驚くほど美しいものだ。

 現に私もその美しさに見惚れて身動きが取れなくなってしまったからな。



 だがその歴史は血塗られた部分も少なくない。

 エスタというだけで何かしらの蔑視や神聖視、もしくは因縁なんかを付けられてもおかしくはない。



「時々思うんです。エスタになんて生まれて来なければこんな思いをする必要も無かったのかなぁって。今日だっておじいさんに怖がられることも無かったかもしれないし、いちいち他人の優しさを疑うことだってきっと無かった。いくらこの国のほとんどの人たちがエスタを特別視しなかったとしても、今も異質なものを見るような目に時々出会っては、自分がどういう人種なのかを思い知らされるんです」



 私は言葉を発する事が出来なかった。

 いや、正確には何かを言おうと努力はしたのだが、何を言っても意味が無いような気がしたのだ。



 幸いにも、長い沈黙が生まれる前に女は話を続けた。



「……でも、アイザさんだけは違った。この目を見ても特に反応することは無かった。ただ目の前の人を助けて、そのまま去っていった。はっきり言って生まれて初めての経験でした。初めて自分が同じ人間として扱われたと感じることが出来たんです。私もこの世界のただの一部だって、思えた気がしたんです」



 やめてくれ、そんなんじゃない、そんな高尚な人間ではないのだ、私は。

 大学の教師だって特に志があってなった訳じゃない。

 たまたま仕事を選ぶうえで、それなりに地位があり、かつ私の好きな研究ができるという理由で選んだまでだ。



 それに何度も言うが、あの時は善意があって助けた訳じゃない。

 手を貸せる時間と余裕、そして謎の義務感がたまたまあっただけだ。



「だから、アイザさんのことをもっと知りたいと思ったんです。今日はあんまり話せませんでしたけどね(笑)」



 クスッとした顔にはもう涙は映っていなかった。

 私は初めて向けられる感情にどう反応していいのか分からないままだった。



 そうこうしているうちに女の自宅に辿り着いたようだ。

 見た目は何の変哲もない、一般的な一人暮らしが住むレンガ造りのアパートであった。



 4階建ての2階に住んでいるようで、ベランダには何か植物が育てられているのが目に入ったが、暗くてそれが何のかまでは分からなかった。



「それじゃあアイザさん、今日は本当にありがとうございました!お陰様で楽しい時間を過ごせました!あの、またお誘いしてもよろしいでしょうか……?」

「……ああ、もちろんだ」



 結局あれから私は碌な言葉をかけることが出来なかった。

 私とは全く違う境遇の人間にかける最適な言葉など、この世のどこを探しても見つかりはしないだろう。

 故に私は何かしらの言葉を投げかけることさえも無駄だと感じてしまっていた。

 最終的には自らの胸の中で答えを出すことでしか解決はしないのだと。



 そして女と軽い挨拶をして自宅へ帰ろうとしたその時、胸の中の何かがこう問いかけて来た。



(本当にこのままで良いのか?)



 そうだ、私は教師だ。

 目の前にいる人間が例え生徒では無かったとしても、答えは彼女自身で出さなくてはいけなかったとしても、それに伴う何かは手助けできるのではないのか?

 少しでもこの女性を導くことが出来るのではないのか?





 気が付くと私はアパートの階段に消えて行こうとする女の腕を掴んでいた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 一体何がどうなっているのだ……?



 ジオスタという青年が私の講義を受け始めて早2か月。

 春も終わりに差し掛かった頃、私は何故か学長にすぐさま来るよう呼び出された。



 なんの要件も聞かされずに呼び出されるのは初めてであったため、少し不思議に思いながらも私は指定された場所へと出向いた。



 場所は大学の応接室、小さい長方形のテーブルを挟んで片側に2つずつ、計4つの並べられた椅子の扉から見て左手前に私が、隣には白髪と白髭を伸ばした学長が、斜め前にはジオスタという生徒が。



 そして目の前には立派な赤の鎧を着た、このメラード帝国の最高権力者、皇帝陛下なる人物が座していた。



「お前がアイザ=ホーレストで、間違いないか?」

「は、はい、間違いありませんが……」



 これは本当に一体どうゆうことなのだ?

 何がどうなったら大学の応接室で皇帝陛下と向き合って会話するなんてことになるのだ。



「そうかそうか。ああ、自己紹介が遅れたな、私はこの国の皇帝、ロゴール=ガラクレトという。実はな、今日はそなたに折り入って頼みがあって来た」



 頼み?皇帝陛下が?わざわざ私に?一体なんの要件で?



「頼み、ですか……詳細を聞いてもよろしいでしょうか?」



 私は息を飲んで言葉を待った。

 その間も皇帝陛下は立派な口髭を逸らせるような笑顔を見せている。



 余裕そうなその表情からは私が”頼み”とやらを断るとは少しも考えていないことが読み取れる。

 まあ、基本的に皇帝の”頼み“なんてものは世間一般でいう”頼み事”などとは全く違うものだ。

 もし断ろうものなら家に帰れなくなってもおかしくはない。

恐らくそれが分かっているからこその余裕なのだろう。



 そしてその余裕綽々の皇帝陛下殿は満を持したように口を開いた。





「ああ、単刀直入に言おう、君にはこの国の財務大臣になって欲しい」





「………はい?」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「アイザさん?アイザさーん?」



 気が付くと女が私の顔前で掌を見せ軽く振っていた。

 どうやらつい考え込んでしまっていたらしい。



「あ、ああ、どうかしたのか?」

「どうかしたのはアイザさんの方です!なんだか今日はずっと考え込んでいますよ?何かあったんですか?」



 女は不思議そうに私の顔を覗き込んだ。

 純粋無垢なその表情が今は少し鬱陶しいと感じられた。



 あれからこの女とは頻繁に会う仲になっていた。

 劇場に行ってみたり、バーで酒を嗜んだり、それはまあ様々なところに二人で出向いては言葉を交わした。



 今日も前から気になっていた古本屋に二人で入り浸っていたところだ。

 聞くところによるとこの女は幼くして両親を亡くし、それからは祖母に育てられたのだという。

 祖母が読書好きだったためにこの女自身もよく本を読むのだと。

 まあ、その祖母とやらも数年前に亡くなってしまったようだが。



 お互い本好きということで今日は二人で読みたい本を一気に買い込んでしまった。

 この10数冊をお互いに交換しながら読み進めていく予定だ。





 これ自体は傍から見ればなんてことの無い男女の日常だろう。

 だがそんな日常の崩壊の音は確実に近づいていた。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 全ては数日前、皇帝陛下が私の前に現れたことから始まった。



「ざ、財務大臣、ですか?」

「ああ、そうだ」



 財務大臣というのは、あの財務大臣か?

 国の財政に関わる機関の長である、あの財務大臣のことなのか?



「失礼ですが皇帝陛下、それは一体、どうゆうことでしょうか?」

「言葉通りだ、君には私の元で財務大臣として働いてもらいたい」



 聞き間違えなどでは無かった、はっきりと皇帝陛下の口から財務大臣という単語が飛び出した。



「財務大臣……恐れ入りますが、なぜ私のような者に財務大臣を任せるという話になったのでしょうか?確かに私は経済学を中心に講義を行ってはいますが、政治の世界に繋がりなどは一切持ちませんし、この大学も現在では大して生徒数の居ない寂れた学校です。そこで講義をする私に名があるとは到底思えません。一体どのようにして私と言う人物が皇帝陛下の耳に入ったのかをお聞きしてもよろしいでしょうか?」



 大学を微妙に貶され一瞬だけムッとした学長の顔が横目に映ったが、今そんなことはどうでもいい。



 大抵の場合、政治の世界に身を置くことになるのは言葉の通り政治家だ。

 だが役職によってはその道のプロとやらに大臣に就任させる場合もある。



 分かりやすいのは教育大臣。

 これは政治家で無くとも、その国の中で有名大学に務めていた名のある教授や高等教育の現場に長年携わって来た人物がなるというのも珍しくない。

 政府に入るためには実績が重視される傾向にあるため、このように教育に関しての貢献や長年の働きが認められて初めて、教育に関して政府の立場から仕事をするという形になるのだ。



 だが私はどうだ?

 昔はそこそこ賑わっていたかもしれないが、今では辺境の下級学舎と似たような運営の大学で数年ほど経済について講義しているしがない教師でしかない。



 そんな実績もコネもない私の元に、如何様にして財務大臣なるものへの話が上がるのか甚だ不思議であった。



「ああ、それについてはな、私の息子から聞いたのだ。自分の通う大学に経済学に関して優秀な教師がいるとな」



 そう言うと皇帝陛下は目線を右側へとやった。

 その視線の先にはあのお偉いさんの息子と思い込んでいた生徒、ジオスタが満面の笑みを向けていた。



「息子、さん?」

「はい先生!先生は覚えておられないかもしれませんが、本名をジオスタ=ガラクレトと申します!」



 その苗字は紛れもない、現皇帝陛下と同じものであった。



 そうか、だからか、わざわざ学長がこの生徒が入学してきた時、珍しく私を呼び出してまで釘を刺してきたのは。

 学長め、この生徒が皇帝陛下の子息と知っていながら、私には大して情報を与えなかったな。

 もし私が皇帝陛下の子息と知っていれば、適当な理由を付けてまともに相手をしなくなると考えたのだろう。



 だからと言って何もしないで横柄な態度を取られても困る。

 だから一応は釘を刺しに来たという訳か。



 結果的にその判断は正解だ。

 こんな面倒ごとに巻き込まれると分かっていれば、私もこの勉強熱心な生徒に深入りはしなかった。

 講義外で真摯に質問に答えることも無かったし、この国の将来について熱心に語り合うことも無かった。



 この生徒の厄介な所は、人名を覚えるのが苦手な私に敢えて本名を教えることをせず、皇帝陛下との繋がりを悟らせなかったことだ。

 これも学長の入れ知恵であろう。

 私はレポートや成果物に人物が特定出来れば記入する名の表記は固定していなかった。

 どうせ本名が覚えられないのだから最初に名と苗字のどちらか短い方を名乗らせて、それを記入させたり、あだ名を決めて記入させたりもしていた。



 そして今回はそれが裏目に出てしまった。

 まさかこんな事態になるとは。



「先生の講義とこの国の将来への考えは大変素晴らしいものでした!父から兼ねてより経済に強い人材が欲しいと聞かされていたこともあり、僭越ながら僕の方から父にアイザ先生を薦めさせて頂きました!」



 「薦めさせて頂きました!」じゃないよ、本当にどうするんだよこれ。

 政治の世界に入るなんて、こっちはまっぴらごめんだぞ?

 これ以上の地位と名誉など、はっきり言ってなんの意味もないからな。



 そもそも私は今の生活で十分に幸福を感じている。

 それが政治の世界に入るとなると、やれ権力争いがどうとか、やれ内乱がどうとか、わざわざ悩まなくて良いことまで四六時中考えなければいけない生活の始まりだ。

 激務に多忙、今のこの生活が忙殺されることはほぼ確実だ。



 それに一番大切なものを守るためにも、到底この願いは受け入れられない。



「……あの、大変申し訳ないのですが皇帝陛下、私自身は政治の世界に入る気は毛頭ございません。確かにご子息様とこの国の行く末について会話をしたことは事実ですが、その内容はあくまで私の個人的な見解でしかありません。この国を良い方向に進めるための建設的な”話し合い”とは到底言えないようなものです。……これは小耳に挟んだ話なのですが、どうやら皇帝陛下は“議会”なるものを開こうとしているとお聞きしました。この帝国にも将来的には政党政治、ひいては民主主義が必要だとお考えなのでしょう。ですが皇帝陛下が即位してからしばらく経ったというのに、未だそれが実現されていないのはどういった障壁があるのでしょうか?後学のためにもご教授いただきたいです」



 一瞬で学長の顔が青ざめるのが分かった。

 何か言おうとしているようだが構うものか。

 そもそもあんたはこの場で何かを言う権利は持ち得ない。

 黙って私に任せておけ、決して悪い様にはしない。



 私の侮辱とも言える物言いにも皇帝陛下は眉一つ動かすことは無かった。

 さすが戦乱を生き抜いて帝国の頂きに立った男。

 このくらいの挑発では動じないか。



「というのも、その“話し合い”の場がそもそも開かれていないのに、そこになんの実績も無い大学教師とやらを引き込もうというのは、些か疑問を持つ側近の方々も多いのではないでしょうか?何の信頼も実績も無い人間が政府の側に立てると知ったら内部の反発は大きくなり、それこそ皇帝陛下が目指す政治の姿は遠のくばかりだと私は考えます。そのために、まず皇帝陛下が行うべきことは“話し合い”の場を整えることではないでしょうか?もちろんそれは一時的なものではいけません。私のような人間でも今後は問題無く政治に参加できる基盤、それさえ作れてしまえば後は自然に経済と話し合いに秀でた優秀な人材が政治の門を叩くこととなるでしょう。もしその時になっても、皇帝陛下が私を財務大臣に推してくださるというのであれば、その時は私も満を持して皇帝陛下のお力になれるよう尽力させていただきます。私は逃げも隠れもいたしません。この大学でこれからもずっと、生徒と共にさらに学び続けていく所存です」



 我ながらこの緊張状態で、だいぶ的を得たことを言えた気がする。



 もはや皇帝陛下に上から物を言うという時代が違えば即打ち首レベルの言動だが、言論を重んじている様子の皇帝陛下であれば一応は筋が通っている(ように聞こえる)理屈を簡単に突っぱねるとは思えなかった。



 そのためここで皇帝陛下が激怒してしまうと私と学長の今後の生活がかなり危なくなるという半分賭けみたいな言動でもあったのだが、皇帝の頼みを痛み無しに断るためにはこのくらい強気でなければ交渉にすらならないだろう。



 ここまでの私の言葉を聞いても皇帝陛下は眉一つ動かさない。



(さて、どうなる?)



 数えれば大した時間では無かったかもしれないが、そのほんの少しの沈黙が私にとっては異様に長く感じられた。



 私の冷や汗がツーと一筋、頬を伝ったところで皇帝陛下は口を開いた。



「ククッ……!ハッハッハッハ!」



 まず最初にその大きく開いた口から出たのは笑い声であった。

 そして次いで出たのは冷静な声。



「その強気の交渉術とよく回る口は、一体どこで覚えたのだ?我も後学のために是非ともお聞かせ願いたいところだ」



 その一言で私と学長は一瞬で凍り付いた。

 長い物に巻かれる質の学長に関してはこの世の終わりみたいな顔をしている。



「まあ、そう怯えなくとも良い。別に獲って食おうなどという訳ではないのだからな。あくまでこちらは“頼み事”をしに来ただけだ。無理を言って財務大臣になってもらおうという訳ではないから安心してくれ」



 良かった、どうやら話が分かる人ではあるみたいだ。



 ………まあそれもそうか。

 よくよく考えてみれば、こんな大して名もない大学教師を本気で財務大臣にしようなどとは最初から思ってもいないはずだ。

 ただ自分の息子がやたら推してくるから、一応引き入れておくかぐらいのものであろう。

 全く、皇帝陛下も中々の親バカであらせられる。



 むしろいくら息子の推薦と言えども見ず知らずの人間を政府に引き入れる方が嫌なため断ってくれとまで考えていた可能性はある。



 ではなぜそんな人間をわざわざここまで出向いて見に来たかと言うと、もしかしたら息子に学問を教えているという人物の人となりを測ってみたいという部分があったのかもしれない。



 一つ分かることは、私はこの賭けに勝ったということだ。

 これで安心して明日を迎えられる。



「ああ、そういえば」



 その瞬間、皇帝陛下は何かを思い出したかのように口を開いた。






 そしてそれはこの盤面を一気にひっくり返す衝撃的な一言であった。





「あのエスタの娘とは随分仲が良いみたいじゃないか?」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 結局の所、私はこの男を舐めていたのだ。

 まさかそこまで調べ上げていたとは。



「それはまた、一体どういう意味でしょうか……?」

「なーに、大したことじゃない。あの美貌もさることながら、人柄も良いらしいじゃないか。営んでいる花屋も割と繁盛していると聞く。ただまあ、あの娘に“何かあったら”そなたが悲しむと思ってな」



 学長は私と女の関係を知らないため何のことだかピンと来ていないようだが、これは明らかな脅迫だ。

 そう、私がこの場で脅迫をされているのだ、あの女を盾に。



 くそ、こればっかりは想定外であった。

 であれば今までの会話はなんであったというのだ?

最初からこの男は私をなんとしてでも財務大臣へと引き込むつもりだったというのか?



 この時点で、一筋であった冷や汗がいつの間にか顔全体に滲み出しているのが分かった。



「お互いに身寄りが無い様だが、家族関係で何かあったのか?もしよかったらそちらも聞かせてくれないか?私であれば何か力になれるかもしれない」



 私はこの時点で最初から拒否権など無かったのだと認識した。

 学長もどうやら風向きが変わったことを理解したようだ。

 再び焦りの表情を浮かべた。



 くそ、一瞬でも話が通じる人間だと考えてしまった私が馬鹿だった。

 目の前にいるのは戦乱の時代に帝国の頂点に立った、紛れもない帝国最強の男。

 私如きが話合いの相手になる筈もなかったのだ。



「……条件がいくつかあります」

「ん?条件とは一体に何に際した条件だ?」



 とぼけやがって、この畜生が。



「……財務大臣を、引き受けます。それに伴っていくつか条件を提示させて下さい」



 その言葉を聞いた瞬間、皇帝陛下はとびっきりの笑顔を見せた。



「そうかそうか!それはありがたいことだ!では、その条件というのはどういうものなのか聞かせて貰おうか」





「はい、それは……」





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「ん?あれ?アイザさんじゃないですか!?」



 そこにはワイシャツの袖を捲り、汗だくになりながら腰を曲げているアイザさんが居た。



 私の声に驚いたのかアイザさんは身体をビクッとさせてこちらを向いた。

 それは焦りなのか驚きなのか、少なくともアイザさんと知り合ってからは見たことが無い表情をしていた。



「あ、ああ、ど、どうしてここに?」



 アイザさんが珍しく動揺している。

 初めて見るアイザさんの様子に新鮮さを感じると共に、一体こんな所で何をしているんだろうという疑問がさらに強くなった。



「それはこっちの台詞ですよ!こんな山の中にまで来て、一体何をしていたんですか?」



 そう、私たちが今来ているところは街の近くにある山の中腹。

 まあ山と言っても足して高くもない、もはや少し高めの丘と言って良いぐらいの山だけど。



 それでも木々が生い茂り、所々には珍しい花が咲いていたりと植生の状況は結構良いため、私自身もたまに来ては店に並べる花を採りに来たりしている。



「私か?私は、えっと、そうだな……まあ、気分転換に……」



 ……さすがに嘘が下手過ぎない?

 どう考えてもおかしいでしょ、気分転換なんて。

 アイザさんが気分転換する時は大体おいしいご飯を食べに行くとか本を読むとかのはず。

 わざわざこんな所で農作業してますみたいな恰好で気分転換は無理がありすぎるでしょ。



「……クスッ、それじゃあ、ちょっと私の気分転換にも付き合ってくださいよ!」





 私はそう言って、いつものお気に入りの場所までアイザさんを案内した。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「はー!ここはやっぱり空気が良いなあ!」



 私は身体を目一杯伸ばしてから解放し、そのまま大きく息を吐いた。



アイザさんを連れて来たのは山の頂上付近にあるちょっとした広場のような所。

 そこには芝生みたいに低い草が生い茂り、木々が生えていないため山の麓にある街がよく見渡せる、今まで誰にも言ってこなかったお気に入りの場所だ。



「ここにこんな場所があったとは……」

「良い所ですよね!私の秘密の場所なんです」



 私はそのまま緑の絨毯に勢いよく寝そべった。

 空に浮かぶ雲がゆっくり流れていくのが良く分かった。



 私に釣られてアイザさんも隣で横になろうとする。

 慎重に、ゆっくりと、緑の絨毯を確かめるように。



「それで、あそこで何をしていたんですか?」



 アイザさんは基本的に自分の事をあまり話そうとはしない。

 どちらかと言うと私の話に質問をしてくることがほとんどだ。

 私のことを知ろうとしてくれるのは嬉しいけど、私の方もアイザさんをもっと知りたいと感じる時がたまにある。



 なんて言えば良いんだろう、自分に無関心?ていうのかな、なんだか自分には何も無いから話すことも無いっていう雰囲気を感じる。



 それでも私が質問すればそれには当たり前のように答えてくれる。

 でもやっぱりその回答はどこか淡白で、自分の事を詳しく話そうとはしない。



 でもここ数カ月アイザさんと関わって見て分かったことが一つある。

 多分それは他人との話し方が分からないんだと思う。



 アイザさんがこれまでどんな人生を送って来たのかは分からないけど、聞いた所によると親御さんはもう居ないらしい。

 成人するまでは親戚に育てられたみたいだけど、その親戚も最近亡くなってしまったから今では天涯孤独の身になったって言ってた。



 ご両親がいつ頃亡くなったのかは聞かなかったけど、多分結構前なんだと思う。

 それもアイザさんが幼い頃から、とか。



 だから他人との会話の仕方がどこか淡白と言うか、必要以上に深入りしないようにというか。



 そして結局私はその壁を壊すことが出来なかった。

 むしろアイザさんからすれば私のことは鬱陶しいと感じる部分が多いのかもしれない。

 実際に今もさっきの不自然な状況をアイザさんからは説明しようとはしてこない。



 ああ、結局私の独りよがりだったのかなぁ。

 そう思いながら私はアイザさんの言葉を待った。



「君は、帝都に行ったことがあるか?」

「……え?」



 一体どういった流れの話だろうか?

 帝都?

 帝都って、あの帝都のこと?



「昔、祖母に連れられて一度だけ行ったことがありますけど……それがどうかしたんですか?」

「いや、大したことではないのだが。その時の帝都の様子は憶えているか?」

「まあ、初めての帝都だったのでいろんなものがキラキラして見えたのを憶えています。そう言えばそこにあったお花屋さんがすっごい大きくて、中に入ると沢山のお花に囲まれたのに感動して将来は絶対お花屋さんになるんだ!って思ってました(笑)」



 私の言葉を聞くとアイザさんはまた何か考え込んだようだった。

 私はそれ以上何かを聞く事はしなかった。



「実はな、近々、仕事で帝都に行かなければいけない用事ができてな」

「え!?それって出張てことですか……?」



 私が恐る恐る聞くと、アイザさんはゆっくりと首を横に振った。



「いや、正確には転職という奴かな。帝都で新たな仕事に就くことになったんだ」



 私は驚きを隠せなかった。

 つまりはこの街から出て帝都で暮らしていくつもりなのだ。



「どうして、そんな、急に……」

「ちょっと知り合いの伝手でな。帝都で仕事を手伝ってくれと言われているのだ」



 帝都に知り合いが居るだなんて、そんな話は一度も聞いたことが無かった。

 結局私はこの人のことをほとんど知らないまま今日まで来たんだなと改めて痛感した。



「……どのくらいで、こちらへ帰って来るんですか?」

「分からない。もしかするともう帰ってこれないかもしれない」



 淡々と言葉を並べるアイザさんに対して、私は上手く言葉が出ない。



そこからは長い沈黙が流れた。



だがその沈黙を破って来たのは珍しくアイザさんの方からだった。



「もう一度、帝都に行ってみたいと思ったことはあるか?」

「え?それはどういう意味ですか?」

「いや、そのままの意味だ」



 ぶっきらぼうな問いに私は少し考えてから答えた。



「……また行ってみたいなと思ったことは何度かありますけど、でも今はこの街でお花屋さんをやるのが楽しいですし、あまりこの街を離れたいとは思いませんね」



 私は正直な気持ちをそのまま答えた。

 アイザさんは相変わらず表情を変えない。



「そうか。じゃあ、私と一緒にだったら、どうだ?」

「………え?」



 またしても私は言葉を発する事が出来なかった。

 今日のアイザさんはやっぱりおかしい。

 ずっと言っていることが変だ。



「これを」



 そう言ってズボンのポケットから取り出されたのは少しだけクシャッと潰れた一輪の青い花だった。



「これ……」



 これは前にアイザさんに渡した花だ。

 そういえばこの花もこの山で採ったっけ。

 結構珍しい花だからそこら辺のお花屋さんには売ってないはず。

 てことはわざわざこの山まで探しに来たってこと?

 なんでそんなことを。



 アイザさんの手に収まったその花は少し花弁が折れ曲がってしまっているけど、それでも空に向けられた頭が日差しを浴びてその青色が際立って見えた。



「なんで、これを……」

「あの日、この花を受け取った時、とても綺麗な花だと思った。まるで君の瞳のように。あちこち花屋を探したがどこにも売っていなかった。だからここまで探しに来た」



 この言葉で段々と胸が高鳴るのが分かった。

 自分の鼓動が早くてうるさい。

 お願い、今だけは静かにして。

今だけは、アイザさんの声だけ聞いていたいの。



 アイザさんは意を決したように私の目を見つめて来た。

 一瞬の揺らぎも見られないほどに。



「ラフィス、私と一緒に帝都へ来てくれ。君に傍に居て欲しい」



 途端に優しい風が私たちを包み込んだ。

 まるで妖精たちが何かを祝っているようだった。



「な、なんで……!」



 気が付くと嗚咽交じりに言葉が溢れ出していた。

 それでもアイザさんはその視線を寸分たりとも動かすことは無かった。





 そしてその口から発せられた果実よりも甘い言葉を、私はきっと生涯忘れることはないんだと思う。





「君を愛している」






ED  「愛のことば/スピッツ」

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