第十話 一搔き(後編)
OP 「RE:RE:/ASIAN KUNG-FU GENERATION」
気が付くと私たちの視界は再び暗闇に包まれた。
パッと見では自分たちがどこに居るのか分からなかったが、壁には等間隔に鉄格子のような窓が付けられ、星明りによってここが長い廊下のような場所だと認識できた。
壁は石造りで天井にはランプが並んで吊るされていたが、この夜中だというのになぜか全て消灯されている。
状況を理解しようと辺りを見回しす。
その瞬間、後方から人間の気配を感じ取った。
上手く隠しているため聞き取りにくかったが、僅かに地面と何かが擦れる音が聞こえる。
振り返るとそこには案の定、全身を黒のマントで覆っている人描き殿がゆっくりとこちらへ近づいて来ていた。
先程の青年姿からかなり成長し、体型含めてすっかり私たちの知る人描き殿と同じ見た目になっていた。
それでも現在よりはまだ若々しさというか、寂れた感じは大分少ないな。
人描き殿の視線を追ってみると、ちょうど私たちが居る場所の壁際にあるドアに向けられているのが分かる。
恐らくこの部屋に今回の標的がいるのだろう。
私は暗殺が本業ではないため詳しいことは分からないが、足音を消す技術や人間を一撃で沈める技術ははっきり言って一級品の技であるように感じる。
特に鉤爪で喉元を正確に引き裂くのは至難の業だ。
剣やナイフと違って人描き殿の鉤爪は三本爪仕様。
その三本を正確に、あるいはその内の一本を他二本に邪魔されぬよう急所に当てるのはかなりの修練が必要なはず。
ラードが暴れ出したあの時、何度目を疑ったことか。
敵二人をそれぞれ正確に、一撃で仕留める姿はまさしく“一搔き”の異名に相応しい様相であった。
そんな一搔き殿はササッと扉の前まで行くと、片耳を当てて中の様子を盗み聞く。
しかし、何を聞き取ったのか途端に渋い表情を浮かべる。
しばらくそのままドアの向こう側へと耳を傾けていたが、何か決意したかのように静かに鉤爪を握り、ドアノブに手をかけた。
音を立てないよう静かに開けると、そこは静寂に満ちた空間だった。
おかしな事があるとするならば、壁には大きな穴が空き、向こう側の住宅街を一望できるようになっていたこと。
そして足元に数人の兵士が血塗れの状態で倒れていた事だろう。
「これは……!」
一搔き殿からは焦る様子が伺えた。
まあ、当然のことだろう。
この兵士たちが標的かどうかは分からないが、少なくとも暗殺をしようと入った部屋はめちゃくちゃに荒らされ、なぜか複数の兵士たちは既に倒れ込んでいる。
これではまるで戦闘が終わった後にその場に乗り込んだ救助隊のようだ。
一搔き殿はすぐに足元の兵士たちに駆け寄る。
ほぼ全ての兵が息を引き取っているが、唯一まだ瀕死状態で生き残っている兵が一人だけ居たのに気が付いたようだった。
一搔き殿はその生き残った兵の後頭部を手で支え、必死に声をかける。
「おい!どうした!何があった!」
声をかけられた兵士は意識朦朧となりながらも、一搔き殿の声を聞くと反応を見せた。
「あ…た、助け…か?」
声をかけられた兵士はどうやら一搔き殿の事を本気で救助隊かなんかだと思っているらしい。
まあ、無理もないだろう。
この状況で、この暗闇で、このように声をかけられれば、例え様相が全くそのようには見えずとも救助が来たと考えてしまっても不思議ではない。
「いや、そういう訳じゃ……」
一搔き殿は兵士の言葉を小さく否定するが、その言葉を言い切る前に兵士は最後の力を振り絞って一搔き殿の腕の袖を掴んだ。
「や、やつらを、ハア…追え…!やつらは、ハア…必ず、王を、ハア…脅かす……!」
王を脅かす。
兵士は息も絶え絶えにその言葉を一搔き殿に伝えた。
「王を脅かす、だと…?なんだ、一体どういう事だ!?」
一搔き殿が詳細を聞こうとした時には、兵士は袖を掴むことすら出来なくなっていた。
それでもその兵士はしっかりとその目を見開き、確かに一搔き殿の方へと視線を向けると苦しそうな声でその言葉を放った。
「銀嶺花を、やつらに渡すな……!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「銀嶺花……?」
そこまで言うと兵士の全身から力が抜け、絶命したことが分かった。
それよりもこの兵士、いま “銀嶺花”と言ったか?
まさかこの兵士たちも銀嶺花を探していたというのだろうか?
一搔き殿は絶命した兵士の遺体をその場に寝かせ、辺りを見回した。
そこには恐らく何か資料が置かれていた形跡がある机と、ボロボロになったペンが床にいくつか転がっていた。
壁際に一つだけ棚があるが、その中身も綺麗に無くなり、周りにはそこに入れられていたであろう書類の切れ端が散らばっていた。
ふと私は転がっている兵士たちに目を向けた。
兵士であれば鎧や装飾品の紋章から、どこの所属か分かると思ったからだ。
私は先程まで一搔き殿に抱えられていた兵の傍まで近づき、その鎧を観察した。
だがこれまた驚きの事実がそこにはあった。
「これは、王の私兵だ……!」
私たち王家直属組織のトップとなる指揮官は基本的に王だ。
そのため私たちが王に直接仕えていると勘違いする者が稀に居るが、決してそういう訳では無い。
正確に言うと“王、並びに王家を中心とする政府”に仕えている状態だ。
そのため私たちの雇主には王の傍で側近として政治を動かしている貴族たちも含まれる。
それに伴って王は独断で直属組織を簡単に動かすことは出来ない。
なぜなら設立当時からこの王家直属組織というのは、ゼムレス王国の最大戦力であり、それを王が個人的に扱えるというのは危険視されたからだ。
だがここにいる兵士たちはその類では無い。
これは紛れもなく王に直接仕えている兵士たちであり、王が個人的に誰との相談も無く自由に動かせる兵たちだ。
基本的に彼らの役割は王の警護や私邸などの警備にあたっている。
だが稀に一部の部隊がこのように街へ出て探偵紛いの事をする時もあると聞く。
つまりこの兵士たちは王に指示を受け、この場所で何らかの活動をしていたところを壁をぶち抜いて入って来た何者かに襲われたと考えるのが妥当であろう。
そしてその何者かも私たちと同様に“銀嶺花”を探している可能性が高いようだ。
だが兵士の口ぶりだと銀嶺花を悪用?しようとしているように聞こえる。
コーネで出会った薬草売りのギーネからは魔力の器を増幅させ体内に多くの魔力を取り込めるようになるという話であった。
その時は聞かなかったが、それほどまでに人体に大きな影響を与える植物であれば何らかの方法で悪用出来なくもないのは事実だ。
例えば魔力兵器、とか。
もしやそれを狙って過去に別の組織が既に動き出していたということか?
ギーネ自身も銀嶺花という存在は村の話でしか聞いたことが無く、興味も無いためあまり信じるなと言っていたが、この出来事を受けて銀嶺花は実際に存在する可能性がかなり高くなった。
であればその性質を狙って動き出す人間も出て来るのは必然。
銀嶺花自体がどこにどのくらい生息しているかは分からないが、既にその生息地が確実に知られているのであれば、大人しく私たちに譲ってくれるとは思えない。
なんせ王の私兵を襲うような組織だからな。
これはこの先の旅がますます危険なものとなって来る可能性が高まった。
できれば穏便に済ませたい所なのだが。
そうこうしている内に一搔き殿は部屋の中を調べ回っていた。
——————カサッ……——————
「ん?これは…?」
すると足元に一枚の紙の切れ端が落ちていることに気が付いたようだ。
それを拾い上げ、眉をひそめながら記載されている内容を見つめる。
そこには簡単な地図の端と何やら座標の様な数字の羅列が途中で千切れて記載されていた。
それをみた瞬間、一搔き殿の目の色が変わった。
「な…!まさか…!」
一搔き殿は一目散に部屋を出て、どこかへと全力で駆け出した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつも通り場面が変わり、私たちは暗い森の中へと飛ばされた。
夜も更けたような暗さの中、上を見上げると満点の星空が視界を覆い尽くした。
王都のように光源が無い森の中、その煌めく星たちに少し感動していると、視界の端に何やら明るい光を捉えた。
その方向に顔を向けるとすぐにそれが何なのかが分かった。
「……火事か?」
その赤い光源は勢いよく煙を上げながら、付近の星空を邪魔するように揺らめいている。
初めは何が起きているか分からなかったが、次のグラの言葉でその意識は一変した。
「……何か聞こえる……叫び声……?」
そう言われて私もその方向に耳を澄ます。
小さくだが確かに人の声が聞こえる。
「……確かに聞こえるな」
私とグラは顔を見合わせてその方向に動き出すことにした。
だがその時、私たちの耳にはさらに別の音が飛び込んできた。
——————タッ…タッ…タッ…タッ…——————
「……グラ、聞こえるか?」
「……うん、何か来る……」
火事とは反対方向から一定の間隔で鳴り続けるその音は段々と音量を上げて、確実に私たちの方へと近づいて来る。
この世界のものに私たちは干渉できないため、例えこの音の正体が何であっても特に被害は無いだろうが、それでも何故か私の鼓動は早まり緊張感で体が硬直するのを実感した。
——————タッ…タッ…タッ…タッ…!——————
「……来る」
私たちは何故か体を身構えて、その音の正体を待つ。
すると木々の向こうでぼんやりと黒い影が映った。
恐らくこれが音の正体なのであろう。
その影はとてつもない速さでこちらに向かってくる。
ようやくその実態をこの目で捉えられる距離まで近づいた時、私たちは馴染みのある顔に驚きを覚えた。
「ねぇ、あれって……」
「……ああ、人描き殿だ」
その影の正体は瞳を紫にした人描き殿であった。
見るとその恰好は王の私兵たちが倒れていた部屋を出た時と同じままである。
あの部屋を勢いよく出た後、恐らくそのままこの場所へと向かって来たのであろう。
——————タッ…タッ…タッ…タッ…!——————
必死に走り続ける人描き殿は、速度を落とすことなく私たちの横を素早く通り過ぎて行った。
その姿はまるで獣そのものだ。
駆け抜けて行った方向を見てみると、その先にはあの火の手が見えた。
向かう先は恐らくあそこだ。
ここは人描き殿について行きたいところだが、如何せんグラを連れてあの速さについて行くことは容易ではない。
人描き殿が呪いの力を使用している以上、私も加護の力を使わなければ易々とは追いつけないはずだ。
それに私の全力にグラの身体が持つかどうかも怪しい。
抱えて走ろうにも木々が邪魔なため、片腕は開けて何かあった時に対処できるようにしておきたい。
どうするか悩んでいたところで、私は一つの案を思いついた。
「そうだグラ!ラードに乗れるか!?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
——————タッ、タッ、タッ、タッ——————
人描き殿は既にかなり先まで走り去ってしまったようだ。
森の中を必死に駆けて行くが中々背中が見つからない。
——————ドタッ、ドタッ、ドタッ、ドタッ——————
そして私の隣で大きな足音を立てて駆けるのは猫型巨獣の影、ラードである。
グラは影から伸びる巨体の背中に跨り、振り落とされないようにしがみついている。
あの村でラードを目撃した時はグラの影から上半身のみが伸び、下半身は影に繋がれて細い線のようになっていたが、今はハッキリと四肢が現れ、その四つ足でしっかりと地面を駆け抜けている。
走りだす前にグラとはどう繋がっているのか確認したが、特にグラとは物理的に繋がりがあるわけでは無いようであった。
つまりはグラ自身に潜んでいるというよりも、グラの影に身を潜めているのだ。
見れば見るほどこのラードという生き物が不思議な存在だということが分かる。
いや、そもそも生き物かどうかもよく分からないが。
そうこうしながら私たちは人描き殿の後を追いかける。
「どうだ、きつくないか?」
「うん、大丈夫。ラードも久しぶりに走れて嬉しそう」
嬉しそうと言われても、私からその表情から読み取ることが出来ない。
だがラードが活き活きとしていることは何となく分かった。
「あとどれくらいで追いつくかな……?」
「分からん……だが、そろそろ追いついてもおかしくないはずだ」
人描き殿も中々の速度で移動していたが、こちらもそれに負けず劣らずの速さで森を駆け抜けている。
もし人描き殿が火事場へと向かっているのであれば、そろそろ到着している頃だろう。
であれば、もうじき人描き殿と遭遇するはずだが……。
「……ん?……あれ見て!」
グラが急に声を大きくした。
指さす方へと私も視線を向けると、そこには森を抜けた広場が見えた。
「ここって……!」
「ああ、間違いない。ここは“透楼”の訓練場だ……!」
そこには人描き殿が透楼に連れて来られた時に体力測定をした訓練場が存在した。
「……臭う」
何かが焦げた匂い、近い。
私はハッとして木々の上から見える炎の行方を探した。
「まさか……!」
それは確かに、あのアジトの方向から立ち込めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「グラ!行くぞ!」
「うん!」
私たちは視認した火の手に向かってすぐさま駆け出した。
あれは明らかにアジトがある方向だ。
さらに先ほどから小さく聞こえていた叫び声のような音も段々と近くなっている。
この感じ……何度も味わったあの感覚だ。
まさかこんな所でそれを味わうことになるとは。
この訓練場からアジトへ向かうまでは一本道を通るだけ。
私たちは横並びになってその道を駆け抜ける。
人間一人と巨獣一匹でもまだ道幅に少し余裕がある。
これほどの道をわざわざアジトから伸ばすというのは中々の労力がかかったはずだ。
このような集団を称えるのは立場上は少し気が引けるが、個人的な意見を言うのであればこれはとてつもない組織力だ。
基本的に闇ギルドというのは、どこまでいっても“ならず者集団”でしかない。
そのため最初は金銭目的のために団結するが所詮は金目当ての寄せ集め。
大抵は必ずどこかで内輪揉めが起きて、そこから組織が瓦解。
結果的に組織力が落ちた闇ギルドは杜撰な仕事でイギルに尻尾を掴まれやすくなる。
だがこの透楼は違う。
見つかりにくいアジトを用意し、中では衣食住を充実させる。
さらには訓練場まで用意して一人一人の能力の向上まで管理。
はっきり言って我ら騎士団も見習うべきところは多くある。
良い人材を育てるには良い環境が必要。
我々もそんなことは分かり切っているつもりではあるが、いざ実践しようとなるとかなりの労力が必要なのは明白。
だがこの透楼なる闇ギルドはそれを実践し続けているのだ。
人描き殿も言っていたが、あのボスと呼ばれる男の手腕をもってすれば正規の立場で今頃は何かしらの長として活躍していたことだろう。
だが、どうやら透楼に属する人間たちは訳合って今の生活を選んでいるらしい。
そういえばヒースが元々は透楼のほとんどがギルドに居たと言っていたな。
何やらギルドと確執があるらしい。
その場に居た訳ではないし、どちらかの言い分を聞いた訳では無いため、客観的な立場で彼らの状況を判断することは出来ない。
だが彼らをはぐれ者の無法者とするにはあまりにも惜しいと、既に私は感じ始めてしまっているのだ。
もしも彼らが未だこの道を歩んでいるのであれば、私の力で何かしら出来ないかと考えてしまう。
ただそれは私だけの意思ではどうにもならないだろう。
先ほども言った通り彼らは元々正規ギルドに居た人間たちだ。
だがそれを自らの意思で手放して今ここにいるのだ。
果たして私の説得や説法とも取れる話を聞いてくれるのか。
そんなことを考えている間にあの叫び声の内容がはっきりと聞き取れるまでの距離まで来たようだ。
走りながらだとまだ少し聞き取りにくいが、今度は確かにその声の内容まで耳に届く距離だ。
私はそのまま声のする方へと耳を傾けた。
出来ればその内容が私の想像するものとは違ったものであるようにと、少しばかりの祈りも込めて。
「そうか………」
「え?今何か言った?」
私の呟きにグラが反応した。
驚いた、つい声に出てしまっていたのか。
だがこの速度で移動している中、私のこのような呟きまで捉えるとは、呪いの影響かもしれんがグラも相当耳が良いようだ。
「……いや、なんでもない」
傍から見ると今の私は暗い顔をしていたのだろうな。
それもこれも、この先に待っている展開が恐らく私の想像通りであるからだ。
とはいえ、この記憶がこの先どう繋がっているかは実際にこの目で確かめねばならないのも事実。
私はそのまま走る足の速度を少しだけ上げた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しばらくすると透楼のアジトの入り口付近が見えて来た。
そしてやはり、そこには私の想像通りの光景が広がっていた。
「うおりゃー!」
「ぐわあ!」
「どりゃー!」
男たちが力む声がそこら中に響く。
——————キンッ!キンッ!——————
——————ドゴーン!——————
そして剣が弾き合う音と魔法による砲撃がさらに怒号を大きくし、そこは確かに戦場と化していた。
あの火の手は魔法のぶつかり合いによって森の木々が燃えた事で発生していたようだ。
「これって……」
グラにとっては恐らく初めての戦場。
例えここが記憶の中だったとしても怖気づいてしまうのは仕方が無い。
その表情からは確かに恐怖を読み取れた。
戦闘をしているのは、やはり透楼の人間たちだ。
よく見るとヒースの率いる2番隊に所属している男たちがほとんどのようだ。
2番隊は傭兵集団と聞いていたが、戦場の中には魔法を操る人間も見られた。
恐らくあれは違う部隊に所属しているのだろう。
そしてそんな透楼が対峙している相手は……
「ねえ、あれってさ……」
グラは既に何かを察しているようだ。
まあ、察しているというよりは見れば分かるという感じか。
「クソッ…!なんなんだよ、コイツら!」
恐らく突然の襲撃。
どうやら透楼側も自分たちが何と対峙しているかは分かっていない様子。
それもそうか。
私たちでさえ最近までその存在を認識していなかった。
まさかこの時には既に存在していたとはな。
ますます底が知れない集団だ。
「果ての集い……貴様らは一体……?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔法の飛び交う轟音と、それに搔き消されないように叫ぶ人間たちの怒号が飛び交う戦場。
その内の半数は透楼の傭兵と魔法使いたち。
そして残りのもう半数は黒ローブ姿の剣士と魔法使いたちだ。
グラからすれば、この黒ローブの集団は一種のトラウマのような存在のはず。
大事な姉を傷つけられ、自らの力が暴走するきっかけになった要因そのものだからだ。
私は正直言ってこの状況に不安を感じた。
もし奴らを目にした結果、再びあの時のように感情が昂ってラードが暴走でもしたら、私一人でその状況を抑えられる自身が全く無いのだ。
例えここが現実世界では無かったとしても、呪いの暴走がこの世界でどのような影響を与えるかは未知数。
出来るだけ危険だと思われる行為は避けたい。
それにあの時はレニのお陰でグラ自身も落ち着きを取り戻すことが出来たはず。
それは今までの関係値や信頼があってこそだ。
実際に私の言葉では興奮したグラに何一つ届くことは無かった。
そしてもう一つの不安要素、それは私の力では呪いに対抗することが困難だということ。
何故かは分からないが私の魔力ではラードを抑え込むのに膨大な魔力が必要だ。
一時的に防御魔法で抑えつけることが出来ても、とてもじゃないが疲れきって落ち着くのを待つほどは耐えられないだろう。
つまり今ここでラードが暴れ出してしまえば、その先どうなるかはこの世界次第となる。
この世界のほとんどに私たちは干渉できない。
逆に言えばこの世界からも私たちに干渉することが無いという事になる。
そんな状態でラードが暴走した時、この世界が崩れ去るのか。
仮にそうなった時に私たちはどうなってしまうのか、皆目見当も付かない。
何より私自身がこの記憶の先を見たいと望んでいる。
こんな所で危ない橋を渡りたくないのが本音だ。
私はグラの方をチラッと見つめた。
どんな顔をしているかを確かめたくなったのだ。
だが私のそんな不安はどうやら杞憂だったらしい。
グラはしっかりと果ての集いを見つめ、その戦いの様子を受け止めているようだった。
いや、ただ単に受け止めているだけでは無いな。
その顔からは怒りにもにた感情を読み取れる。
「グラ、大丈夫か?」
私は怪訝な表情をするグラに問いかけた。
「こいつら、ずっと前からこんなことしてたのか…!」
驚いた。
どうやらグラは自分たち以外にも、それも自分が知るずっと前から、この集団が人を襲うという行為をしていることに怒りを感じているようであった。
その感情自体は不思議なものではないが、なんとなくの違和感を感じる。
はっきりと言語化できるものではないが、なんというか、この歳の子供がそこまで他人に感情を寄せることが出来るものなのか?といった感じだ。
自分や自分の大切なものを傷つけられることに敏感になるというのはなんとなく分かるのだが、この透楼の人間たちはグラには全くの無関係な人間だ。
それでもって果ての集いの敵意が見知らぬ人間たちに向いたとして、それに反応して怒りを感じれるほど共感力が高いようには少なくともこの旅の中では見えなかった。
なんとなくだが気味が悪いと感じてしまう私がそこには居た。
それは私自身がこの歳の時に、そこまでの心の余裕を持てないような子供だったからだろうか?
兎にも角にも、グラの様子が大丈夫そうなことは確認できた。
あとは人描き殿を見つけることだ。
私たちはその場で戦場の中から人描き殿の姿を探した。
だがどれだけ探してもその姿は見当たらない。
「……居ないね」
「……ああ。ひょっとして、ここを目指していた訳ではないのか……?」
だとしたら一体どこへ行ったというのだ?
少なくとも私たちは人描き殿の後を追ってここに辿り着いた。
人描き殿からしても、あの形相で向かった先がこの透楼のアジト以外にあるとは思えない。
このままでは全く見当がつかない。
そう立ち尽くしていたその時、透楼の1人が放った言葉に私たちは耳を奪われた。
「いいか!なんとしても堪えろ!こいつらを絶対にボスの元に通すな!」
その声は傭兵集団である2番隊を束ねるヒースの声であった。
「うおお!」
「うがああ!」
その声に呼応するように透楼の男たちは士気をさらに上げた。
その影響か押され気味であった戦況が徐々に盛り返しつつあるようにも見える。
それよりもヒースの先程の言葉。
ボスの元に通すなと言っていたな。
もしかすると、この戦場のその先にボスが避難しているのか、はたまた別の戦力と交戦しているのかもしれない。
そうなってくると人描き殿もそちらへ向かった可能性が高いな。
「グラ!先へ行くぞ!この先に人描き殿が居る可能性が高い!」
グラはすぐさま「分かった!」と答え、戦場のその先の道をじっと見つめた。
先に行くということは、この戦場を突っ切って奥に進むということだ。
例えこの世界に干渉されないとはいえ、まだ年端のいかない子供が進むには、あまりに戦場というのは残酷なものだ。
こうしている間にも、透楼の男たちは剣で胴体を切り裂かれ、魔法で半身が吹き飛ばされ、地面には死体の原型すら残っていないような肉片の残骸がそこかしこに散乱している状態だ。
グラにとってみれば、これほどまでの狂気は未だかつて味わったことが無いかもしれない。
グラ自身は奴隷であったらしいが、その時に味わった狂気とはまた違ったものが目に映っているはず。
奴隷として受ける屈辱には人の悪意が込められている場合が多い。
「この人間を弄んでやろう」だったり、ただの労働力としてボロ切れのように扱われたり。
そこには確かに悪意が見て取れるのだ。
だが今この戦場ではどうだろうか?
彼らはきっと個人に向けた悪意というよりも、組織としての正解のために戦っているはず。
そこにあるのは「弄んでやろう」などという陰湿な悪意ではなく、ただただ「正義のために」という残酷な殺し合いなのだ。
正義の暴走とはよくいったものだが、戦場とは基本的にそのような場なのだ。
お互いがお互いに、大切なもののために戦っているという狂気である。
だからこそグラにとってみればこの光景は奴隷時代とはまた違った恐怖心や嫌悪感を覚えることだろう。
よく見るとグラの額から頬にかけて一筋の汗が伝ったのが分かった。
普段は無表情で何を考えているのか分かりづらいことが多いが、この記憶の中に入ってからは人間らしいところを沢山見ている気がする。
不安や恐怖に怯えながらも、意を決したグラは迷い無き声でラードに指示を出す。
「ラード、行くよ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「行くぞ!」
私はヒースと同じく、声高らかにグラとラードに呼びかけた。
それを聞いた瞬間、ラードは一気に地面を駆け出す。
グラも振り落とされないように必死にその背中にしがみついていた。
私も遅れを取らないようにその隣について行く。
正直に言って、今更ながらに私も少し不安を感じているところがある。
いくらこの世界から干渉されないと言っても、ここは記憶の中の世界である。
強い記憶が具現化して、その影響を受けないとは言い切れない。
つまりこの戦場を通過するのも、もしかしたら命取りになる可能性も無くはないはずだ。
だが不思議と体は恐怖を感じていない。
なんというか、誰かに背中を押されているような、そんな感覚。
(なんだ、これは……?)
前にもこんな感覚を味わったことがあるような気がする。
懐かしいような、頼もしいような、はたまた愛おしいような。
そんな何かが私に「大丈夫」と投げかけている、そう感じずにはいられないのだ。
私はその応援を背後に感じながら一歩一歩、力強く地面を踏みしめていく。
「どりゃあ!」
——————ドゴオオン!——————
私たちは叫び声と轟音の中に身を投じた。
一瞬にして目の前の世界が何故か低速度に動くように感じた。
飛び交う魔法の粒たちがよく目に入り、ぶつかり合う剣の隙間に身体を滑り込ませる。
それらが身体に確実に触れる距離に入る。
私は痛みを覚悟した。
当然この程度の攻撃で私自身が致命傷を受けることは無いだろう。
だがグラはどうだ?
激しい痛みを感じてしまう可能性が十分にあるはず。
私はすぐさま防御魔法を展開しようとした。
いつも通りの感覚で左手をグラの方へと向ける。
だがここで致命的な事に気が付く。
そう、魔法が発動しないのだ。
どれだけ力を込めても魔法が発動する気配は一向にない。
グラの方を横目で視界に捉えると、彼はギュッと目を瞑って歯を食いしばっていた。
あの幼い身体に痛みが入ると思うとなんとも心苦しい。
だがここを越えねば恐らく記憶は先に進まない。
ここだ、今しかない。
私は声を大にしてグラに声をかけた。
「ラード、飛ぶんだ!」
私のその声に反応してラードは勢いよく頭上へと飛び跳ねた
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
こうやって跳躍するのはいつぶりだろうか。
空を飛んでいる訳ではないが、こうして人間を見下ろせる高さに上昇するのは、いつも謎に気持ちよさを感じてしまうな。
もしかしたら幼少の人描き殿もこんな気持ちを少しばかり味わっていたのかもしれないな。
横を見ると隣のラードも負けず劣らずの大跳躍だ。
さすが猫型巨獣、宙を飛躍すると改めてその身体のしなやかさに目が惹かれる。
狩りに特化した身体を模した姿は、例えそれが影なるものだとしても異様な美しさを感じてしまうほどだ。
そういえば先程、ラードは確実に私の声に反応して空高く飛び跳ねた。
ラードがグラ以外のいう事を聞くのは初めてではないだろうか?
たとえ主人がグラだとしても、ラード自体は他の人間の言葉を認識できているのかもしれない。
実際にグラの指示無しに今こうやって私と共に上空を跳躍している訳だからな。
ますますこのラードという存在が私は分からなくなっていた。
とにかく、この高さと勢いであればさすがに戦場を越えて向こう側へと続く道に抜けられるはずだ。
そう思った矢先、水の魔法が私たちの横を掠めるように発射されたのが分かった。
「危ない!」
それは一切の躊躇なくグラとラードの方向へと一直線に向かっていく。
よく見ると空中に果ての集いの魔法使いが浮いているのが分かった。
まさか飛行魔法まで使えるとは。
飛行魔法自体は決して難易度の高い魔法という訳ではないが、持続して魔力を消耗するのと、その操作に身体中の神経が使われるため、戦闘をしながら使用するのは中々の技量と経験が必要になってくる。
まさか果ての集いにそれを実践出来る者が居るとは。
これは厄介な刺客が居たもんだ。
そしてその空中にいる魔法使いへと透楼の魔法攻撃が集中する。
当然だ、戦場において高所を取られるというのは恐ろしく危険なことである。
透楼の人間たちもそれはよく分かっているはず。
故に問答無用で高所を陣取れるあの魔法使いをどうにかしようと皆一斉に魔法を撃ち始めたのである。
そしてその射線がグラを掠める。
「うわあ!」
幸いにもそれは直撃する事は無く、水飛沫だけがグラにかかる。
だが、ずぶ濡れになってもおかしくない量の水を浴びたにも関わらず、グラの身体は全くもって濡れる事は無かった。
これでこの世界から干渉されることは無いというのが証明された。
最終的には私の心配は杞憂となったが、案ずるに越したことは無いだろう。
グラは魔法が通過するのを間近で見たことで驚きはしていたが、恐怖心を抱いているという素振りは見えなかった。
こちらの心配も杞憂に終わったようだ。
そうしている間に私たちは戦場を飛び越し、その向こう側へ着地した。
「大丈夫か?」
特に被害を被っている訳ではないため大して聞く意味も無いが、念のためグラの心理状態を把握しておきたかった。
「大丈夫」
凛々しい顔でそう答えるグラに、私は少しだけ頼もしさを感じた。
「そうか、それじゃあ先を急ぐぞ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アジトのある岩壁を目指して一本道を登っていく。
道中は山道のように険しい傾斜が見られたが、これもラードは軽々と駆けて抜けて行く。
どうやら森で見えた火の手はアジトの入り口付近から上がっているようだ。
火の手が見えるということは確かに戦闘が起きているということ。
状況から見てボスが戦闘していると考えてまず間違い無いだろう。
しばらくその一本道を登っていくと突然、轟音が鳴り響いた。
——————ゴオオン!——————
そしてその音と共に激しい地響き。
どうやら戦闘が起きている場所がかなり近いようだ。
私たちはさらに歩みを進める。
すると目の前に見覚えのある人影が見えて来た。
「あれは……人描き殿だ……!」
ようやく追いついた。
私とグラは足を止め、一人佇む人描き殿の元へとゆっくりと近づく。
だがその視線の先には驚くべき光景が映し出された。
「……ボス!」
なんとそこには血塗れになったボスの姿があったのだ。
片膝を地面につき、肩で息をする姿はまさしく追い詰められた獣。
それでもその目から闘争の灯は消えていなかった。
「一体何があったというのだ……!」
私とグラは道の少し先へと進む。
アジトの入り口に続く一本道は山肌を取り囲むように螺旋状に伸びているため、曲がり道でボスの先にいるであろう人間の姿が死角で見えていなかった。
だが人描き殿と同じ位置まで行くと、その者の姿をゆっくりと認識する事が出来た。
「なにあれ……!」
「これは……!」
私とグラはその姿に驚きを隠せなかった。
そこに居たのはボスよりもさらに背の高い一人の男。
だが明らかにその姿は、人間と言うにはおぞましい様相をしていた。
「……終わりか?」
空気が歪むと思えるほどの、低く、重い声。
ここが記憶の中だと分かっていながらも身体中の肌が逆立つ感覚を覚えた。
私は一瞬にしてそこから動くことが出来なくなってしまった。
一人の人間からこれほどの圧を感じたのは陣麗殿と閃麗殿以来である。
軽く首を回してボスを見下す男の身体は、暗くて良く見えないが首から下がやたらゴツゴツしているように見える。
それがこちらへとゆっくりと近づいて来ると、その姿の全貌が明らかになり、それを人間と称したことをすぐさま後悔することとなった。
異様に発達した筋肉、全体的にくすんだ青色の肌に気色の悪いくらいに浮き出た赤い血管。
そう、それはかつて大陸中を恐怖で陥れた悪魔的な存在。
“魔族”の姿であった。
「なんで、こんな所に……!」
文献でしか見たことが無かった存在が、今、目の前に、確かに存在している。
こんな事は断じてあってはならない。
勇者ギスクスが魔王を討伐したことで決着した人類と魔族の大戦争以降、生存した魔族はただの一度も確認報告がされていない。
つまり魔族は人間の手によって絶滅させられたはずなのだ。
呪いの影響で身体の一部が魔族のようになる人間は存在するが、全身がここまで魔族化する人間など私が知る限りでは未だ確認されていないはず。
だがこの男は違う。
おぞましいその姿、明らかに全身が魔族そのものなのだ。
「な、なにあれ……!」
幼いながらも今までよく精神を保っていたグラでさえ、恐怖に慄く様子が見て取れた。
「チッ…化け物が……!」
どうやらボスは既に身体の所々に致命傷を負っているようだ。
マントと地面の隙間から大量の血が流れ落ちるのが見え、その場に鮮血の水溜まりが作られていた。
「ボス!!」
それを見た人描き殿が大声で呼びかける。
その表情からは絶望がひしひしと伝わって来る。
その声で人描き殿の存在を認識したのか、ボスは振り返ることなく指示を出す。
「ソル!そのままあいつらの所へ戻れ!どうにかして出来る限りの人員を逃がすことに尽力しろ!」
それは間違い無く透楼の”敗走”を意味する指示であった。
「そんな…!ボスは…!?」
「うるせぇ……!ハァ、ハァ、……早く行け!」
心配する人描き殿を突き放すその声は、もう今にも途切れそうな程にか細いものになっていた。
だがそんな姿を見せられれば人描き殿だって簡単に見捨てる事は出来ない。
彼は鉤爪を装備し、戦闘する意思を明らかにした。
「……ほう?貴様、良い眼をしているな」
魔族の男は人描き殿の紫眼を見るなり、その瞳を褒め始めた。
呪いによって自分たちと似たような紫眼を持ったことについてなのか、はたまたこの絶望的な戦局でも諦めず戦う意思を見せたことなのか、私にはその言葉の真意は分かりかねる。
しかし一つだけ分かることがある。
それはこの魔族がただの少しも敗北するとは考えていないということだ。
「だが命は大切にした方が良い。長が命がけで作り出したこの時間を簡単に無駄する気か?こうしている間にも下の仲間たちがどうなっているかは分かっているだろう?一人でも生き延びることが出来るようにこの時間を使うことの方が懸命に思えるがな、私は」
そう言うと魔族は右の掌を人描き殿へと向ける。
その瞬間、その掌からは紫色の光線が人描き殿に向けて一直線に放たれた。
「避けろ!」
気が付くと私は人描き殿に向けて叫んでいた。
ここが記憶の中だというにも関わらず。
反射的にあの光線が当たれば一溜まりも無いことを感じたのだ。
あれはきっと魔法とはまた違う類。
これもまた話でしか聞いたことの無い“呪術”と呼ばれるものだと悟った。
「あっ」
人描き殿はその光線にまともに反応することすら出来ていなかった。
気づいた頃にはそれはすぐ目の前まで迫っていた。
「ぐっ!」
——————ドゴオオン!——————
あっという間に光線は着弾し、その場が爆発の煙幕で包まれた。
「人描き殿ぉ!」
何度でも言うが私の声が届く事は無い。
だがこの時の私はそう叫ばずにはいられなかったのだ。
しばらくして砂埃が晴れ、その中心に人影がぼんやりと浮かび上がった。
「ハア、ハア……」
尻もちを着いているものの、どうやら人描き殿は無事みたいだ。
なんとか寸前の所で何とか避けられたらしい。
「ほう?その眼、良く見えるようだな」
魔族の男は首を傾げて少し驚いた顔をしたが、すぐさま元の表情に戻り、再び右の掌を人描き殿に向けた。
「だが、果たして次も避けられるか?試してみようか」
あの光線が発射されることは容易に分かる。
先ほどよりも速い弾速で放たれれば次はまぐれでも避けられないだろう。
私と同じようにそのことを察知したのか、人描き殿は焦りの表情を見せる。
それを見た魔族の男は気色の悪い笑顔を浮かべて一言。
「さらばだ」
目にも止まらぬ速度で紫の光線が私たちの目の前を切り裂いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
——————ドゴオオン!——————
先ほどと同じように、とてつもない轟音と砂埃に辺りが包まれる。
その場に居た3人、いや、2人と1体の影はあっと言う間に視認できなくなってしまった。
「どうなった……?」
砂埃が晴れるまでしばらく待つと、徐々に人影がうっすらと認識できた。
そこに映った人影は確かに二本足で立ち、全身を覆うマントを靡かせている。
私は咄嗟に人描き殿はこの攻撃も回避したのだと思い込んだ。
だがその人影の背後にもう一つ、尻もちを着いたままの影が浮かび上がったのだ。
不思議に思った私はやたら威厳のある立ち姿に目を向けると、その足元から滴る液体を確認できる。
砂埃が晴れ、奥に居る魔族が見える頃にはその現状をはっきりと認識することとなった。
「ボ、ボス………!」
そこには人描き殿を庇うように血を流すボスの姿があった。
「カハッ…!」
ボスの口から大量の血液が吐かれた。
この出血量は恐らく内臓がやられている。
辛うじて光線が身体を貫くことは無かったようだが、致命傷を負ったのは明白。
いつ気を失ってもおかしくないはずだ。
そんな中でもボスはしっかりと両足で立ち、背後に居る人描き殿の盾になる意思が強く伺える。
「ほう?よく防いだな。しかし、もう限界か?」
魔族はまた気色の悪い笑みを浮かべると、再び掌に呪力を集め始める。
その場に居る誰もが確信した、次の攻撃は誰も耐えられないと。
この状況で出来ることは”逃げる”という選択肢を取ることだけだ。
ただそれも確実に逃げ切れるという保証はない。
少なくとも二人の内、どちらかは命を落とすだろう。
それを誰よりも早く悟ったのは恐らくボスだ。
禍々しく集束する呪力を見た瞬間、彼は人描き殿にいち早く指示を出した。
「ソル!今すぐヒースたちの元へ向かえ!」
「え……?」
それを聞いた人描き殿は困惑の表情を隠せない様子。
ボスは羽織っていたマントを脱ぎ、それを人描き殿の方へと丸めて投げ捨てた。
「全員退散だ!この場から出来る限り遠くへ離れること!そう伝えろ!」
丸めて投げ捨てられたマントを受け取る人描き殿は、その言葉でボスの意図を理解したようだ。
全身が露わになったその姿は満身創痍もいいところ。
身体のいたるところから血が吹き出し、生きる屍というのを体現していた。
展望がまるでないとはまさにこのこと。
ボスは少しでも被害を減らすために“逃げる”という選択をしたのだ。
だがそんなボスの指示に納得していない人間が一名。
「ボスは!?ボスはどうするんだ!?」
「………こいつをここで殺す!」
振り絞ったように出された声からは、未だ諦めの炎は消えていない。
普段はマントに身を包んでいため分からなかったが良く鍛えられた身体だ。
闇ギルドを率いる上で、荒くれ者たちを束ねる長であり続けるために彼自身も鍛錬を怠らなかったのだろう。
決して若くはないその心と身体に鞭を打ってきたのが良く分かる。
この闘志を見せられればまだまだ戦えると勘違いしてしまってもおかしくはないだろう。
だが私が思うに、これはただの“ハッタリ”というやつだ。
勝てる見込みもなければ全員で逃げ切れる保証も無い。
であればボスがやろうとしていることは恐らく”しんがり”だ。
どうにかこの魔族をここに引き留めて、残りの透楼の人間たちを逃がそうという魂胆なのだろう。
きっとそれは人描き殿も分かっている。
人描き殿にとっては、このまま立ち去ればそれはボスを見殺しにするも同義。
恐らく簡単には動かないだろう。
だが振り返ったボスの目を見た瞬間、その意思はボスの意向で動くことを固めたようであった。
「行け、ソル。頼む」
その真剣な眼差しに、人描き殿は異を唱えることすら出来なかった。
ただ一言だけ「どうかご無事で」の言葉だけ残し、ヒースたちの元へと走りだした。
「話は終わりか?」
この魔族はわざわざ二人の話が終わるまで待っていたというのか。
人描き殿が見えなくなったのを確認してから口を開いた。
「……ああ、続きを、やろうか」
息も絶え絶えだとしても、目の前の敵に勇敢に立ち向かう姿はさながら英雄。
私はこの男の存在を決して忘れないだろう。
ボスは戦闘態勢に入り、魔族の攻撃を迎え撃つつもりだ。
一瞬の静寂の後、その忌まわしい手から光線が放たれ私たちの視界は光に包まれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
気が付くと私たちは再び森の中に居た。
周囲は暗闇に包まれ木々の枝葉が風で揺れる音だけが聞こえてくる。
いや、もう一つ、別の音が聞こえた。
耳を澄ますとそれが人間の呼吸音だということが分かる。
辺りを見回すと一本の木の裏からブーツを履いた人間の足が見えた。
どうやらその木に寄りかかって身を潜めているようだ。
私たちはその人間の元へとゆっくり近づくと、そこに居たのは肩で大きく息をする人描き殿であった。
きっと先ほどまで走り続けていたのだろう。
天を仰ぐように呼吸をし、その手元にはボスから受け取ったマントを大事そうに抱えていた。
なんとかあの魔族からは逃げ切れたようだが、いつまた襲ってくるか分からない恐怖は拭いきれないはず。
その極限状態が地面に落ちた枝が折れる音にさえも極度に身体を反応させる。
——————パキッ——————
「……!?……誰だ!?」
すぐさま戦闘態勢をとる。
だがそこに居たのは人描き殿にとっては見慣れた顔の人間であった。
「ソル!僕だ!」
小声で呼びかける男は同じく戦場から逃げ出してきたであろうヒースであった。
「ヒースさん!?」
人描き殿は身体をよろめかせるヒースにすぐさま駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
片腹を抑えるヒースはその場で膝を着いてしゃがみ込んだ。
大丈夫かと聞かれれば、命に別状は無さそうだ。
だが明らかにかなりの負傷を負っている。
立っているのもやっとだろう。
「良かった……無事で……!」
こんな状態になりながらも人描き殿の心配をするヒースは、そのの全身をよく見て状態を把握し始めた。
「左腕が折れているな、右足も痛めているのか?」
傭兵とは言え瞬時にここまで人体の状況を把握できるのはさすがとしか言いようがない。
彼もまたボスと同じく2番隊の隊長としてさまざまなものを学習したのだろう。
自らの負傷を言い当てられ戸惑う人描き殿であったが、自分の痛みに比べればヒースの方はかなりの重症だ。
彼自身もまたヒースの心配をするのは自然なことだろう。
「いえ、俺は大丈夫です……!それよりもヒースさんの方が……!」
そこまで聞くとヒースは人描き殿の言葉を制止し、切羽詰まったような顔で言葉を発した。
「いいか、よく聞け。まだこの辺りでアイツらが僕らを探し回っている。だが見たところ街の方までは追う気は無いみたいだ」
ヒースは人描き殿の両肩に手を置き、言い聞かせるように話を続けた。
「お前はこの先にあるコーネの街まで逃げろ。そこまで行けばさすがに追っては来ないはずだ」
その眼からは何か決意じみたものを感じ取れる。
だが人描き殿にしてみれば、そんなことよりも今後の事についての方が重要らしい。
「街まで逃げろって、その後は……!?透楼は一体どうなるんですか……!?」
ヒースはその質問に簡単には答えることが出来ないようであった
少しの間、言葉に詰まった様子を見せたが意を決して人描き殿に今後の事を話始めた。
「透楼は……これで解散だ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
静かな夜の森の中、人描き殿の小さく漏らした声が無常に響いた。
「……え?」
その表情から思いがけない言葉を聞いたという事は容易に想像できる。
「ヒースさん、一体何を言って……」
力の抜けた顔をする人描き殿に胸を痛めたのか、一瞬ヒースはその眼を逸らしそうになった。
だがすぐにまた真剣な眼差しを向け直し、その言葉の真意を話始めた。
「僕とボスは過去に、ある”約束”をしていた」
「約、束……?」
すっかり腑抜けた顔になってしまった人描き殿に向かって、ヒースはゆっくりと言い聞かせるように話を続ける。
「いや、僕だけじゃない、これは透楼としての決まりだ。それは……ボスが死んだ時に、透楼を解散させるという決まりだ」
「……透楼を解散って、どうしてですか!?」
段々と頭が追いついて来たのか、ついに人描き殿は感情を出して言葉を発した。
「大体、ヒースさんはボスが亡くなったところを直接確認していないでしょう!?それでどうやって死んだって判断したんですか!?」
「そのマント、ボスのだろう……?」
「え……?」
本人も無意識だったのか、人描き殿は手元のマントをいつの間にか強く握りしめていた。
ヒースの言葉で薄汚れたマントを見ると自らの手でしわを作っていたことに気が付き、そっとその手の力を抜いた。
「……だから、なんなんですか。そのマントを今俺が手にしていることとボスが死んだかどうかは関係ないじゃないですか……!」
このままでは人描き殿の感情が昂ってしまう。
そう判断したヒースは先に人描き殿を落ち着かせることにした。
「落ち着けソル!アイツらに見つかる!」
ハッとした人描き殿はすぐさま冷静さを取り戻した。
「……これは前々から決められていたことなんだ。この取り決めをした時、ボスは自分の死を確認できない状況になることも想定していた。だから自らの死を悟った時のために、いくつか合図を用意していた。そのうちの一つが“マントを預ける”ことなんだ」
そう、つまりはボスがマントを人描き殿に預けた時点で透楼の解散は決定していたのだ。
「な、なんで、じゃあもうみんなとは会えないってことですか!?」
「……生きていれば、いずれどこかで再会することもあるだろう。だが透楼としての活動は行わない。ボスの遺言には、ボス亡き後に透楼の再建をすることを禁じるとある。つまり透楼を組織すること自体がボスの意向に背くことになるんだ」
目の前の述べられている事実を何一つ信じ込めない人描き殿は、相手がヒースであるにもかかわらず強硬な態度を取るようになっていく。
「……証拠は、あるんですか?」
その言葉にヒースは「ある」と静かに頷く。
すぐに自らの胸倉を漁り、一枚の封筒を取り出した。
その表には確かにボスの指印が押されていた。
「……中を見ても?」
「もちろんだ」
人描き殿はその封筒を受け取り、既に封の開けられている口から一枚の折りたたまれた紙を取り出す。
それをゆっくりと広げると、そこに書かれた内容を静かに読み始めた。
私たちも人描き殿の背後から遺言の中身を覗き込む。
読み進めると確かに「我の死後、透楼を組織として再結成することを禁じる」との記載があった。
人描き殿はしばらくその遺言書なるものを読み続け、決して多くは無い項目全てを読み終えると自然と涙を零し始めた。
合図があったわけでも決定的な記載があったわけでもない。
そもそも人描き殿自身、ボスがあそこに魔族を殺すと言い放った時点でボスの死を覚悟してはずだ。
人描き殿ほどの実力があればボスが勝てないことぐらい、分からないはずがない。
だがどうしても心のどこかで期待をしていたのだろう。
ボスであればあの状況をどうにか打開できる、いつもの顔で自分たちの前に現れるだろう、そんな淡い期待を抱いてしまっていたのかもしれない。
それはきっと、人描き殿自身が既に一度、家族を失くしているからだろうか。
再び家族を失うという恐怖が本能的に頭で分かっている事実を拒絶してしまう。
何もこれは戦場で戦う者に限られたことではない、人間であれば誰もが経験し得ることだ。
だからこそ僅かな希望で担保していた心の支えが崩れ去った今、彼は取り留めも無く涙を流し始めたのだろう。
心が現実を受け入れ始めたのだ。
涙を流し、小さな嗚咽を零す人描き殿にヒースは小さく声をかけた。
「……最後まで読んだか?」
人描き殿はハッとして最後の一文に目を通す。
そこにはこう書かれていた。
「みんな、今までありがとう。 —ザス=レダート—」
初めて目にする名に人描き殿は戸惑いの様子を見せた。
いや、正確には自分と同じ苗字が書かれていたことに驚いたようであった。
「………ザス、レダート?」
「ああ、それがボスの本当の名だ」
つまりボスは人描き殿に自分と同じ苗字を与えていたのだ。
そう、あの時の「息子になれ」発言は、噓偽りの無い真意であったのだ。
「な、なんで……!」
すっかり困惑した人描き殿に、ヒースは事の経緯を話始めた。
「前にも話したと思うが、僕たちは昔、ギルドに所属する冒険者だった」
これは以前、人描き殿がヒースにボスはなぜ闇ギルドを運営しているのかという質問の中で答えられたことだ。
「じゃあなんで僕たちがそのギルドを抜けたかというと、それはボスの実の息子が関わっているんだ」
「実の、息子…?」
あんな仕事人間に実の息子が居たのか。
ということは妻を含めた家族が元々存在していたはず。
それがどういう経緯で闇ギルドを率いるまでになったのか。
いつの間にか私もザス=レダートという男に興味が沸いて来た。
「ボスは元々とあるギルドのギルド長をしていた。ボス自身も若くして上級冒険者に上り詰めるほどの実力者。その周辺地域では一二を争う依頼率を誇るギルドだった」
小声のまま始まるヒースの回想に、人描き殿は前のめりで耳を傾ける。
「だがある日、ボスが仕事で出張から帰って来ると、その街は龍に襲われた後だった。僕たちもボスと同じく仕事で遠出していたからその場に居合わせたわけじゃない。だが僕たちが見たその景色は、焼け野原以外の何ものでも無かった」
「龍に…」と小さく零す人描き殿はこの時点で何かを察したようだ。
「ギルドに残っていたうちの冒険者が何とか街を守ろうとしたが、結果はこのザマだ。それと同時に、街が焼かれた喧騒に飲まれてボスの奥さんと息子さんも行方不明になってしまった」
ボスもまた龍によって家族を失ってしまったのだ。
彼の年齢からから考えると、もう20年以上は前の話だろう。
その頃までは龍と言うのは頻繁に存在を確認され、街や村が襲われることは珍しくは無かったという。
逆に考えれば、ここ最近は龍そのものが息を潜めるように姿をくらませている。
何か過去とは違った状況にでもなったのだろうか?
「ボスは必死に中央ギルドに要請し、龍の討伐と行方不明者捜索の協力依頼を出した」
そこからヒースの表情が曇り始める。
「だが…結果的に言うと中央ギルドはこれを拒否した。理由は記録に残っている限り、龍の討伐成功事例は僅か一件だけだということ。また行方不明者の捜索も、龍の業火に見舞われてしまえば骨も残らないことがほとんどということで、中央ギルドの対応としては街の復興作業者の派遣のみに留まった」
骨も残らない、それは事実と言って良い。
現に私の母もボロボロになったドレスを残し、存在そのものが蒸発してしまったかのように消え去ってしまった。
その中で絶望的な確率の生存者を探すよりも、街の復興に向けて力を注ぐべきと判断した中央ギルドを私自身は非難することができない。
だがそれはあくまで第三者から見た目線の話。
目の前で家族の死を確認した訳では無いボスにとっては、僅かな可能性に賭けてでも捜索をしたいはずだ。
「ボスはこれに納得できず、ギルド長を辞職。個人で家族と街を襲った龍の捜索を行う事にしたんだ」
そこまで聞いた人描き殿は、まだ納得しきれていない点があるようで、ヒースに質問を投げかける。
「そ、それでなんで闇ギルドをすることになったんですか……?」
ヒースは何かを懐かしむような表情を見せ、話を続けた。
「……僕たちが勝手に付いてきたんだ、ボスに。まだ僕たちが冒険者として駆け出しの頃、ボスはあの手この手で無名の冒険者たちを手助けしてくれていた。それは僕たちが一人前を名乗れるようになってからも変わらなかった。いつしか僕たちの目的は冒険者としての名誉よりも、ボスに対する恩返しに変わっていった。だからこそあの人数の冒険者が透楼としてボスの手となり足となり、今日のこの日まで活動してこれたんだ」
普段はあんなに無愛想だと言うのに、それでも慕う人が多かったのはこの頃の経験があったからなのか。
そしてそれが形になったのがあの闇ギルド、透楼。
普段は闇ギルドとして資金を集めながらも、その実際の目的はボスの家族を探すこと。
闇ギルド自体を肯定するつもりはさらさら無いが、私自身は同情の余地はいくらでもあると感じてしまう。
「それが、ボスの過去……」
「ああそうだ。そしてボスが探し続けていた息子の名は……」
その瞬間、辺り一帯にそよ風が吹いた。
揺れる木々の枝が、次に発せられる言葉を私たちと共に待ち遠しいと言っているように思えた。
「その息子の名は、ソル=レダートという」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そよ風が止み、辺りは再び静寂に包まれた。
言葉を聞いた人描き殿の沈黙がやけに長く感じた。
「な、なんで、それって……」
「ああ、ボスは君に実の息子と同じ名前を授けた。もしかしたら龍の襲撃から生還した君が、未だ見つからない息子に重なったのかもしれない。あの日、アジトで君の名を聞いた時、その場に居た全員が悟った。ああ、ボスはやっと解放されたんだと」
すると今度はヒースの方が目に涙を浮かべ始めた。
「それからのボスは変わったよ。実の息子を探すための生活から、幼い君の成長を見守るための生活になった。それは僕たちも含めてだ。ボスも、僕たちも、心のどこかで本当は分かってたんだ。なんせ20年探した。それでも手がかりの一つも見当たらない。傭兵業の傍ら、黒い首飾りを付けていたという事だけを頼りにあちこちで情報を集めた。でもその糸口すら掴めない。もう、みんな疲れ切っていた」
端麗な青年の顔に浮かぶ涙はかくも美しい。
だがその涙が拭かれると、それは再び険しい表情に戻り、一気に現実へと引き戻されたようだった。
「だが君が来てから全てが変わった。少なくとも僕は君の成長のためだけに残りの人生を歩んできた。そしてその役目を今、ボスに代わって最後まで果たす」
「ヒースさん、何を言って……」
ヒースは腰の物入れから巾着を取り出し人描き殿の掌へと乗せた。
——————ジャラッ——————
「これは……!」
「今まで俺たちが貯めて来たありったけの金だ。この国で最も価値のある金貨数十枚分。これだけあれば、しばらくは問題無く暮らしていけるはずだ」
そう言うと青年はスッと立ち上がり、腰に携えた長刀を抜いた。
「ソル、この先に街があると言ったのを覚えているか?いくらこの辺りが辺境とはいえ、そこはそれなりに大きな街だ。静かに生きていく分には不自由しないはずだ」
そしてゆっくりと街とは逆方向に歩みを進める。
「しばらくはそこでゆっくりと暮らすと良い。なに、心配はするな、君ならきっとうまくやれる。なんせ一人でも生きていけるようにボスからは沢山の事を教わっただろ?」
「ヒースさん、何言ってるんですか……?一体どうし…」
その瞬間、ヒースの視線の先から人の声と足音が微かに聞こえた。
それも一つや二つじゃない。
明らかに集団がこちらへ接近して来ている。
「!?……あれは!?」
「さっきの奴らが追いかけて来たんだ。思ったよりも執念深いらしいな」
そして青年は長刀を構え、戦闘態勢に入る。
言葉が無くとも分かる、襲撃者たちをここで迎え撃つつもりだ。
人描き殿を逃がすため、それだけのために、彼は今、その身を捧げて奴らに立ち向かおうとしているのだ。
「さあ、行け!ソル!ここから先は君だけの人生だ!君が選び、君自身で掴み取れ!」
ヒースの言葉に再び人描き殿は涙を浮かべる。
「そんな、駄目だ!ヒースさん!せめて一緒に行こう!二人で逃げればなんとか……!」
「ならないよ、アジトでの戦いを見ただろ。全員が死力を尽くした。でも戦況は覆らなかった。あれはそういう奴らなんだ。僕もきっと、君一人を逃がすので精一杯になる」
ヒースの言葉はきっと正しい。
実際にその状況を目にしていただけに、人描き殿は何一つ反論が出来なかった。
「だから行け!ソル!ボスと息子さんの分まで生きるんだ!そして……」
その場に居た全員が息を飲んでその言葉を待った。
きっとその言葉はその後の人描き殿の人生を、良くも悪くも縛り付ける呪いになったように私は感じた。
「必ず幸せになれよ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
場面が変わり、気が付くと私たちは広い草原の一本道に立っていた。
時刻は昼前だろうか。
太陽がまだ空の頂点までは昇り詰めていないような気がした。
気持ちのいい風が吹く中、辺りを見回すと遠くに見覚えのあるものが視界に入る。
「ん?あれは……」
目を細めてそれに視線を合わせると、そこには広く伸びる壁のようなものが見えた。
そして足元の一本道が伸びるその先には、確かにあの日、人描き殿と旅立った街の入り口が存在したのだ。
「あれは、コーネだ……!」
私がそれに気づいた瞬間、グラが後ろから声をかけて来る。
「ねえ、あれって……」
咄嗟に振り返ると、その先には風に吹かれて靡く物体が見えた。
この距離では一瞬それが何なのか認識できなかったが、それが徐々に近づいて来ると、はっきりとその全貌を理解することが出来た。
「人描き殿……!」
寂れたマントを身に纏い、その華奢な身体は今にも折れて風に飛ばされてしまうのではないかと心配になるやつれようだ。
ゆっくりと、一歩ずつ、確実にコーネを目指して歩みを進める。
その姿からは一種の執念じみたものを感じ取れた。
しばらくすると、無事、人描き殿はなんとかコーネまで辿り着くことができた。
だが問題はここからだ。
まずは何とか今日泊まれる宿を見つけなければならない。
また街で暮らしていくのであれば、金を稼ぐ手段も何かしら見つける必要がある。
金自体は当面のあいだ問題無いかもしれないが、職というのは信頼の証だ。
自分が何者なのかはっきりとさせることは、この先暮らしていく上で重要な事となる。
宿や家を貸し出す側だって、よく分からないが金は持っている人間に安心して居住地を貸し出そうとは思えない。
これから街で暮らしていく上での必須項目であろう。
だが今の人描き殿にそんなことを考える余裕は無いのが見て取れる。
疲労で今にも倒れそうだ。
そんな中、どうにか彼は宿を探すために歩みを始めた。
しばらくすると宿屋の看板が目に入る。
その瞬間、人描き殿はまるで体が吸い込まれるかのように、何の躊躇いも無くその扉を開けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「………朝、か」
窓の外から聞こえる鳥たちのさえずりで目を覚ます。
昨日まであれほど不規則な生活をしていたというのに、体はまるで習慣かのように覚醒したことに一種の驚きを覚えた。
アジトの中では基本的に日が射さないため、こうやって朝日を浴びての起床は久しい気がする。
そのまましばらく窓の外に映る街の景色を眺めていると、特に何かを得た訳でも無いのに身体が謎の幸福感を感じていることに気が付いた。
もしかすると、これが巷で聞く気分が良いというやつなのかもしれない。
そう言えばもうだいぶ薄れてしまった遠い記憶の中で似た経験をしたことを思い出す。
あの時は確か開かれたドアの外から鼻腔の奥を刺激されるような匂いがして、それが大好物だと気づいて飛び起きた。
そんな何でもない日常が何度も繰り返された、そういう何でもない記憶だ。
飯の事を考えていると無性に腹が減って来た。
人間の身体というものは単純なものだな。
ゆっくりと上半身を起こし、ベッドの横に立つ。
その瞬間、あれほど気分よく起きれたというのに身体中が悲鳴を上げるのを感じた。
全身に酷い倦怠感を感じ、特に折れているであろう左手と痛めた右足にはどうしようもない痛みが走った。
これはすぐにでも病院に行かなければならないと分かる。
だがそれよりも先に腹ごしらえだ。
身支度を整え宿から出ると、どこからともなく良い香りがした。
恐らく食事処が一斉に朝の仕込みを始めたのだろう。
これは昼食選びが楽しみになってきた。
少し歩いてみると朝から開店している食事処を見つけた。
どうやら海鮮系の料理が主なようだ。
そう言えばしばらく海の幸は口にしていないな。
アジトで食べるには鮮度を保つのが難しいし、保存食にするのにも少し扱いずらい。
俺は意を決して、この店に入ることを決めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
腹が満たされたはいいが、これから何をして過ごそう。
ヒースさんには幸せになれと言われたが、今の俺にとってはあまりにも漠然とした目標であった。
透楼を失った今、俺の中の幸せの定義すらも失われた。
正直今までは、このまま透楼の皆となんとか笑いあって過ごせればいいと思っていた。
だがよくよく考えてみると透楼は闇ギルド。
少なくともそこら辺の家族みたいに平穏な日々を送り続けるというのは無理な話だ。
結局のところは政府や世間から追われる身だからな。
何かに怯えて過ごし続けることが幸せだとは考え難い。
となると逆に考えれば、この街で平穏な生活をして一生を終えることこそが幸せの定義に当てはまるのではなかろうか?
不法な依頼を受けて金を稼ぐ、そんなものからは足を洗って平穏でも危険はない、むしろ健やかともいえるような生活、ボスもそれを望んでいたりするのかもしれないなどと考える。
実際にボスがそんな事を望んでいるかどうかは分からない。
少なくとも俺は様々な事を教わってきたが、そのどれもがサバイバル術みたいなものだ。
あとは少し深堀した学問。
街で一般人として生きていく術は何一つとして教わって来なかった。
そんなことを考えながら、とりあえずはここがどういう街なのかを知るために大通りを歩いていた。
少し歩くとこの街の特性が見えて来た。
どうやら物流で大事な役割を担っている街のようだ。
それもそうか。
この先の北の地域は広大であまりにも不毛。
どこか一つ、物流の中心が無ければ各村が存続し続けることなど不可能に近い。
となるとこの国の各地の商品がある程度この街に集まっていることになる。
その証拠に街の中心では露店商がぽつぽつと見られ、商人たちが仕入れをする姿も確認できた。
特にすることも無いのでぼんやりとその露店商を眺めていると、一つの商品が目に留まった。
そこには絵具と筆、さらには絵画用の紙までもが売り場に並べられていたのだ。
気が付くと、いつの間にか体は吸い込まれるようにその露店へと向かい、店主に絵を描くための道具一式を含めた値段を聞いていた。
不審な男を見るような眼で一瞬見つめられたが、旅人とでも思ってくれたのか、金を出すと素直に商品を渡してくれた。
あとは、椅子が居るな。
そう考え雑貨屋を探す。
幸いにも広場のすぐ傍に雑貨屋らしき店があった。
こちらも小汚い様相に怪訝な目を向けられたが、折り畳みの持ち運べる椅子があるかと聞くと、こちらもスッと商品を見せてくれた。
木製なので耐久性には少し不安はあるが、別にいつまでも使い続ける物でもないだろうとすぐさま購入。
そうやって必要なものを買い込み、再び街の中心にある広場に着く頃には両手が荷物でいっぱいになっていた。
まずは折りたたまれた小さい椅子を開き、それに腰かける。
「キィ…」と小さく軋んだ音がしたが、座り心地は悪くない。
そして画板の上に紙を設置し、ペンを右手に握って辺りを見回す。
何かモデルになるものは無いか、そう思い視線を散らすが特段描きたいと思うような造形物は存在しなかった。
ふと記憶の中を辿ると、遠い昔に描いていた森の風景を思い出す。
そういえばあの絵はどうなったのだろうか?
少なくとも完成させた記憶は存在しない。
だからと言って何故かその風景画を今度は完成させようという気にはならなかった。
謎にその光景が無機質に感じられたからかもしれない。
そうしている内に甲高い子供たちの声が耳に入って来た。
まだ幼い男児たちが広場の中心にある噴水を囲んで追いかけっこなるものをしている。
特に何かを考えた訳でもない。
ただ無性に彼らの笑顔を留めておきたいと感じた。
しばらく走り回る少年たちを見ていると、やはりその中では足の速い遅いが見られる。
中でも一番遅いと見られるあの子は、ずっと追いかけてばかりで誰一人として追いつくことが出来ていなかった。
だが何故だろう、最も弾けるような笑顔を見せるのもまたこの子だと感じられた。
気が付くと右手は動き出していた。
幼い輪郭に映るあの花火のような笑顔を描きとめるのに必死になった。
時折街の中に爽やかな風が吹き、マントと髪が揺れる。
前髪が視界に入ってチラついたが不思議と嫌な気分はしなかった。
そう言えばマントに穴が空いていたな、後で直しておかなければ。
昼食はどうしようか?やはり肉が食いたいな。
それよりも病院に行かなくてはいけないな。
こうしてみると、何も無いような自分にも何かしらの欲求はあるのだと感じる。
幸か不幸か、だが確かにそこには生活を感じられた。
カラッとした風が吹き、冬の訪れをその身に感じる。
不思議と身体の倦怠感と痛みは感じなくなっていた。
耳にはただ、ただ、あの少年を描くための音だけが響いていた。
ED 「ムスタング/ASIAN KUNG-FU GENERATION」




