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人描きと銀嶺  作者: Nori
第一章 コーネの街編
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プロローグ 運命





 秋の初め、今日はやけに風が渇いている気がする。

 この前まで茹だるような暑さの夏だった気もするが、それがいつの間にか肌寒い季節の訪れを実感するまでになってしまった。



 思い返すと今年の夏はやけに短かったような気がする。

 仕事の傍ら弟と過ごす一日一日が、かけがえのないものだと思えるようになってきたからだろうか?



 人は充実した時間を過ごすと、時が過ぎるのを早く感じると聞く。

 だが最近ではそんなものは迷信だと思うようになった。

 なぜなら億劫な時間でさえも、早く過ぎるように感じ始めたからだ。

 もしやこれが歳をとるということか。

 このままの速さで歳をとり続けると、そのうち一年を一か月と感じるようになってしまうのではないかと恐怖を覚えた。



 ふと、この夏に私は何にそこまで時間を使っていたのかを振り返った。

 だが思い出すのは弟のあの顔ばかり。



 この問いの答えはまだしばらく変わりそうにない。

 そのことに少しばかりの絶望感を感じてしまった自分が情けなかった。



 不意に子供たちの元気な声が鼓膜を震わせた。

意識は現実に引き戻され、そのまま辺りを見渡すと王都がいつも以上に賑わっていることに気付く。



 ああ、そういえば“収穫祈願祭”の時期か。

 目の前には祭りで賑わう大通りが目に入った。



 大抵の国や地域では毎年秋になると収穫祭が行われる。

 農作物の収穫に感謝し、来年の豊作を祈る祭りだ。



 だがこの国では王都でのみ、“収穫祈願祭”が行われる。

 それは農作物が無事に収穫できることを祈る祭りだ。



 子供の頃よくこんな話を聞かされた。

 その昔、ある年の天変地異でこの国は致命的な大飢饉に直面したらしい。

 それまでも収穫祭という名で毎年秋には農作物の収穫に感謝し、神に祈りを捧げていた。

 だがその年を境にめっきり農作物が育たなくなってしまったらしい。

 正確には収穫時期の直前になると、嵐が訪れたり龍に襲われたりで、農作物自体は育っていたものの、収穫にこぎつけることが出来なくなっていたらしい。



 そこでとある村の男がこう考えた。

 「自分たちの取り分の中から神に感謝を捧げるのではなく、先んじて神に感謝を伝える必要があるのではないか?」と。



 そしてその村ではその年、収穫時期直前になると村のありったけの食料を放出し、神に祈りを捧げた。

 自分たちの手元には必要最低限の食料のみを残して。



 するとどうだろう、今まで起きていた秋の天変地異はその村に訪れることなく、その村では無事に育てた分の農作物を収穫する事ができたというではないか。

 この話は王国中に広まり、次の年にはあちらこちらの街と村で収穫時期の前になると神への祈りが行われるようになった。



 だが決して全ての村でそれができた訳では無い。

 度重なる飢饉により、もはやその日暮らしも精一杯の地域も少なくなかった。

 そこでこの話を耳にした王は、それぞれの村の代わりに王自らが国民全員分の祈りを捧げることにした。

内容は定かでは無いが、その祈りは実に一週間にも及び、終わる頃には王自身も衰弱しきっていたと聞く。



 その決死の祈りが届いたのか、その年は見事に王国全土で豊作を記録し、それが収穫祈願祭の元になったのだという。



 今はその形を大きく変え、収穫祭とは違った行事が行われる祭りにまで発展した。



 そこから生まれた言葉が「まずは祈り、感謝せよ。話はそれからだ」だと言われている。

 これは小学校の国語の教科書にも載っている有名な言葉だ。



 私自身はこの言葉を割と気に入っている。

 何かをしてもらってから感謝するのでは遅い。

 誰だって行動する前から相手に感謝をされれば、気持ちよく相手のために動けるはずだ。



 そこから思いやりの輪が徐々に広がっていくのだ。

 それはここ数年で嫌と言うほど実感している。



 例え今は結果が出ていなくとも、先に感謝と祈りを捧げれば必ず良い方向へと道は進んでいく。

 それが自分の思い描いたような道では無かったとしても。



 逆に言えば、そう信じることしか今の私にはできなかった。

 その無力感を肌に感じながらも、絶対に折れはしないとここまで歩いてきた。



 だがどうやら人間には限界というものがあるらしい。

 結果が出ない日々が続けばいつかは折れてしまう。

 どんなに頑丈に作られた剣だとしても、絶対に折れないという保証が無いように。




 ふと、打ちひしがれ疲弊しきった私の肩を、何者かが叩いた気がした。

 驚いて後ろを振り返るが、そこには私を呼んだ人間は存在しないように見えた。



 気のせいか?

 そう考えて帰路に着こうとした時、視界の端で煌めく何かが目に入った。



 それは骨董屋の露店の隅に置かれた一枚の絵。

 そこには一人の少年が溢れんばかりの笑顔で描かれていた。



 それなりに古い絵なのだろうか、細かい所を見ると所々色褪せている。

 特に絵に興味がある訳では無いが、なぜかその古臭い絵に強烈に惹かれた。

 弟も体が不自由ながら家でもできる趣味の一つとして絵を嗜んでいる。

 そのため多少は私も絵の心得がある。

 とは言えそれも素人に毛が生えた程度だ。



 そんな私がなぜだかこの絵に強く引き寄せられる。

 特に頭の中に理由は浮かんでこない、本能とも言うべきだろうか。

 気が付くと店主の目の前に立ち、その絵を指さしていた。



「なあ、店主。この絵は誰が描いたものなんだ?」



 私の質問に店主は少し考え込み、謎が解けたように口を開いた。



「ああ、思い出した!北にある街、コーネに住む男が描いたものだよ」



 店主はなぜか作者の名を口に出さなかった。

 無名の画家ということだろうか?



「これを描いた男の名は何と言うのだ?」

「さあ、知らないねぇ。なんせ街の住人も彼の事をよく知らないというんだ」



 街の住民ですら詳しいことは知らない正体不明の絵描き。

 そんな人物が描いた絵をなぜこの店主は持っているのか、それすらも怪しくて堪らない。



 怪しくて堪らない、はずなのに、私は気が付くと無心で言葉を発していた。



「この絵を描いた人物に会いたいのだが、もう少し詳しい情報は無いか?」

「なんだい、あんた変わってるねぇ?うーん、そうだねえ……ああ、そう言えばこの男はほぼ毎日、街の中心にある噴水で絵を描いているって言っていたな。私もその物珍しさについ一枚売ってくれないかと声をかけたんだった」



 コーネの街の中心でほぼ毎日絵を描いている男。

 ここまでの情報があれば、なんとかその男とやらには出会えそうだ。



 私が店主に感謝を伝えようとした時、当の店主はまだ何か情報を思い出そうとしている様子であった。

 そして捻り出したような声でその言葉を放った。





「そう言えば、人の絵しか描かないから街の人間からは“人描き”って呼ばれていたな」





挿絵(By みてみん)


絵:坂夏樹(@sakana_tu_ki)

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