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バンとキャンディーシュガーハニー

作者: 夏野菜


▷◯◁


それは昔々と言うほどでもない少しの昔。夕暮れの小川のほとりで、キャラメル色の髪とミント色の瞳の麗しい小さきひとは土埃と傷だらけの薄汚れた大きいひとに言いました。


「それじゃああたしに名前をつけて!あんたの隣にふさわしい、新しい名前を!そうね、甘い響きの音がいいわ」

「甘い…?……キャンディーとか?」

「………うん。まあ、直接的なのも悪くないかもしれないわね。あんたにとって他に甘いものと言えば?」

「…シュガー」

「いいじゃないの。もうちょっと欲しいわね。他には?」

「………………ハニー?」

「それ全部繋げて言ってみて?」

「…キャンディーシュガーハニー?」

「甘くて素敵な響きね!それでいきましょう、バン!」



▷◯◁



ここは食文化が豊かな国、ミール国。その中の由緒ある歴史がある街、フラウ。さらにそこの大通りから一本入ったところにあるパン屋、ラブベーカリー。そこで働く俺。


「おはよう、バン。今日のおすすめはなんだい?」

「おはようございます。今日はベーコンエピが良く焼けてますよ。昨日いいベーコンが入ったんです」


「やあパン。今日いいのある?」

「俺の名前はバンですよ。セドじいさん。クロワッサンがおすすめかな。柔らかく焼き上がってます」


「どうも親切な店員さん。何かおすすめあるかしら?」

「こんにちは、ご婦人。今日はバゲットおすすめです。今日は最高にいい焼け具合ですよ。バターを塗ってトーストしたらさらに最高ですね」


忙しい昼を過ぎた頃、店長の奥さんであるトキさんが俺に声をかけた。


「バン、そろそろ休憩入っておいで」

「はい」


俺はエプロンを脱いで、レジ係をトキさんに預ける。そして店長のイスさんに軽く頭を下げてから厨房を抜けて、俺は裏手のドアからラブベーカリーを出た。


ラブベーカリーの敷地内には、パンを売る店舗と小さな小屋がある。その小さな小屋は物置兼俺の居候先である。地元を出てこのフラウに出稼ぎに来た俺は、空腹で野垂れ死にそうになっていたところをイス、トキ夫妻に運よく拾われた。そこから、住み込みで働くことになったのだ。


俺は小屋に入って、まかないのパンを小さい机に置く。そして窓側に置いてある、木のカゴをのぞき込んだ。今朝はそこで同居人がスヤスヤと寝ていたはずだが、その姿がない。


「キャンディーシュガーハニー?」


俺は同居人の名を呼んだ。返事はない。俺は小屋の窓を開ける。ラブベーカリーの敷地の外には小麦畑が広がっている。


「キャンディーシュガーハニー、昼メシだぞ」


少し声を張って呼んでみるが、やはり返事はない。どこかに出かけているようだ。


「…まあいいか」


そのうち腹を空かせて帰ってくるだろう。その間に昼食の準備をしよう。まずはカセットコンロでお湯を沸かす。そしてまかないの食パンを同居人が食べられるように小さくナイフで切る。戸棚から紅茶の茶葉と砂糖とジャムを取り出す。干しておいたポットに茶葉を入れて、湧いたお湯を入れる。小さな同居人用のカップを用意し、テーブルに置くと窓の外から声がした。


「バン!ちょっと来て!」


同居人の声だった。俺は窓の外を見る。


「どうした?」


すると窓の外に、俺の手のひらより少し大きいくらいの大きさの身体に透き通る羽根を持つ小さきひとがいた。一人じゃない二人だ。ひとりは、キャラメル色の髪にミント色の瞳の小さきひと。こちらが俺の同居人。そして、もうひとりは熟したブルーベリー色の髪でやけに泥だらけの小さきひと。瞳は固く閉じている。


「どうした、キャンディーシュガーハニー。そっちのひとは…」

「外で倒れてたの。そのままだと悪党に攫われかねないから、連れてきた。ちょっと手貸して!」


キャンディーシュガーハニーは、目を閉じたひとの片腕を自分の肩に回し、なんとか飛んでいるようだった。俺は慌てて両手を差し出して二人を手のひらで受け止める。


「ふーっ今世紀最大の大仕事だったわね」

「ご苦労様」


キャンディーシュガーハニーはブルーベリー色の髪の小さき人から手を離し、ふわりと浮かび上がった。


「水浴びをしてくるわ。あたしまで泥だらけになっちゃった」

「ああ」


俺はブルーベリー色の髪の小さきひとを手のひらから俺のベッドの上にそっと寝かせる。寝かせた小さきひとを俺は眺める。身に着けている服は柔らかそうでいかにも高そうな布だ。どこか金持ちの家に居着いていたのだろうか。にしてもひと攫いに見つからなくて良かった。もし見つかったらあっという間に闇オークション行きだったろう。最近はそういう事件も多い。


「ちょっとバン、この紅茶もしかしてつけすぎてない?」

「げっ」


いつの間にか戻ってきていたキャンディーシュガーハニーの声に俺ははっと気付いた。そうだ。紅茶を入れっぱなしだった。


「ちょっとしぶいわよこれ」

「すまんが、我慢してくれ」


キャンディーシュガーハニーが自分の身長と同じくらいの大きさのスプーンで器用にパンにジャムを塗る。


「ん、今日の食パンもいい焼け具合ね」

「そうだろう」


俺は自分で焼いたわけではないが、自慢げに頷いた。


「うっ」


ベッドの方からかすかな声がして、俺たちはそちらを向いた。


「……………ここは」


ブルーベリー色の髪の小さきひとが、頭を抑えながら身体を起こした。するとキャンディーシュガーハニーがふわりと飛び立ち、小さきひとに尋ねる。


「気分はどう?」

「君は…」

「あたしはキャンディーシュガーハニー。あっちにいるバンの隣人りんじんよ」


ブルーベリー色の髪の小さきひとは、ハチミツ色の瞳を俺に向けた。


「隣人…………」


隣人というのは、この国の制度のひとつである”隣の契り”を結んだ者同士のことを言う。


「そうか、君たちが僕を助けてくれたんですね」

「そうよ」


キャンディーシュガーハニーがにっこり笑って、俺はブルーベリー色の小さきひとに小さきひと用のコップを差し出す。


「喉は乾いていないか?」

「あ、ありがとうございます」

「あんたどこから来たの?名前はある?」


キャンディーシュガーハニーはずけずけと質問を重ねた。俺はもう少し落ち着いてからの方がいいんじゃないかと思ったが、小さきひとは小さきひと独自のコミュニケーションがあるので、大きいひとである俺から口は出さないでおいた方が良い。


ブルーベリー色の小さきひとはコップに口をつけて水を飲んでから、小さな声で答えた。


「…………………………言えません」

「言えない?」

「すみません、まだ言えないです」


ハチミツ色の瞳が瞬いて、ブルーベリー色の頭が深く下げられた。


「すみません、助けてもらって虫がいい話だとは思いますが、時が来るまで僕をここに居させてもらうことはできないでしょうか」


それを聞いて、キャンディーシュガーハニーが俺を見る。


「だってさ、バン。どうする?追い出す?」


俺は苦笑いをする。


「訳ありなんだろう。俺は別に好きにしてくれていいけど」

「バンならそう言うと思ったけど」

「キャンディーシュガーハニーが追い出したいって言うならそれでもいいよ」


それを聞いてキャンディーシュガーハニーがブルーベリー色の小さきひとを見る。


「…」


ハチミツ色の目が緊張の色を帯びた。ミント色の瞳が愉快そうに細くなった。


「じゃあ今からあんたのこと、居候くんって呼ぶから」

「!」

「ここに居着くからには、あたしの言う事聞いてもらうわよ」

「構いません、有難うございます!」

「バンの言う事もよ」

「はい!」


居候くんの元気な返事に満足したのか、キャンディーシュガーハニーがテーブルに戻ってきた。そして俺に楽しそうに話しかけた。


「さぁバン?居候くんに記念すべき第一の命令をどうぞ」


俺は頷いて、居候くんに笑いかけた。


「じゃあ水浴びをして泥を落としてくるといい。その後、一緒に食事をしよう」



ということで、ブルーベリー色の髪をした居候くんはその日から俺の小屋に居候することになった。次の日俺は居候くんのことをイスさんとトキさんに報告した。話を聞いたトキさんが眉を下げる。


「あらら…最近小さきひとの誘拐事件があったばかりだし、なんだか心配ね」

「そうですね。今のところ本人は元気そうなんですけど」

「なにか困ったことがあったら俺達にも言うんだぞ」

「はい。ありがとうございます」


するとトキさんが頬に手を当てた。


「にしても名前が言えないって…本当は隣人につけてもらった名前があるような言い方よね」

「それは俺も思いました」


小さきひとは基本名前を持たない。しかし大きいひとと隣の契りを交わすことで、大きいひとに名前をつけてもらうのだ。


「居候くんの隣人が心配してないかしら…」

「…心配なのはわかるが、あんまり詮索するもんじゃない」


イスさんの言葉に俺は頷く。


「はい。そうします」


むやみに詮索されたくない気持ちは俺はよく知っている。



居候くんはフラウの街に来たのは初めてのようで、キャンディーシュガーハニーは弟子ができたかのように毎日居候くんを連れて街を散策しているようだった。


居候くんはここに来た始めは恐縮していたが、遠慮を知らないキャンディーシュガーハニーに中てられてか日に日に元気によく話すようになってきた。しかし一向に自分の名前もどうして外で倒れていたかも明かさない。


そんなある日、パン屋の客が持っている新聞が俺の目に入った。


”王子の隣人が行方不明!騎士団により鋭意捜索中。情報求む!”


すると客が俺の視線に気付いた。


「店員さんも気になるかい?これ」

「あ、はい」

「心配だよなあ。隣人が行方不明だなんて。最近は誘拐事件も増えているというのに…」


俺は頷いて、尋ねてみる。


「行方不明になっている隣人はどんな容姿なんでしょうか」

「えっとここにはねえ…ブルーベリー色の髪にハチミツ色の瞳と書いてあるね」


俺は顔がひきつってしまわないように、真剣な顔のままさらに頷いた。


「なるほど」

「今週見つからなければ、王が懸賞金も出すらしい。早く見つかればいいがね」

「そうですね」


俺は少し遠い目をして今も街巡りをしている居候くんとキャンディーシュガーハニーに思いをはせた。


小さきひとの容姿は十人十色だが全員が全員まったく異なる容姿なんてことはなく、同じ髪色同じ瞳の色の小さきひとも複数人いると聞く。同じ髪色、同じ瞳だからといって、王子の隣人があの居候くんだと決めつけるのは早合点だろう。ただし可能性がゼロなわけでもない。しばらく注視する必要があるなと俺はひそかにため息をついた。


そして居候くんが特に何も話さないまま、王子の隣人が行方不明のまま一週間が経過した。そんな休日のとある朝のこと。


「バン、今日の買い出しあたしたちも一緒に行っていい?」


朝食を食べながらキャンディーシュガーハニーがそう言って、隣の居候くんが頷いた。


「いいけど。日用品の買い出しをするだけで特に面白いことをするわけではないぞ」

「それがいいのよ。ねえ居候くん?」

「ええ、キャンディーシュガーハニー」


二人はすっかり意気投合したようだ。それはいいことだが、俺は先日の新聞のことを思い出していた。


王子の隣人は未だ行方不明というのは客たちが話しているのを聞いた。そして先日の新聞記事の通りにことが進んでいるならば今はその行方不明の小さきひとに懸賞金が出ているのだろう。


俺が危惧しているのは、この辺でブルーベリー色の髪にハチミツ色の瞳の小さきひとは居候くん以外見たことないことだ。居候くんがもしそうでないとしても、居候くんを王子の隣人と勘違いするひとが出てくる可能性はある。


「どうしたの?難しい顔して」


キャンディーシュガーハニーが近づいてきて、俺の眉間をつんと突いた。王子の隣人の話はキャンディーシュガーハニーにもしていなかった。居候くんがここにきてから、キャンディーシュガーハニーはずっと一緒に行動しているためタイミングがなかなか無かった。


「いや別に。いいよ。じゃあみんなで一緒に行くか」

「有難うございます、バン」


居候くんは嬉しそうに頷いた。


朝食後、俺たちは身支度をして小屋を出た。キャンディーシュガーハニーは俺の頭の上に、居候くんは俺の右肩に座った。いつも日用品を買っている店までは少し距離があるので、二人を乗せたまま俺はのんびりと街中を歩いていく。


「この街はいいところですね」


居候くんが辺りを見渡しながら呟いた。俺は頷く。


「ああ。穏やかで暮らしやすいよ」

「そういえばバンはここの産まれなんですか?」

「いや、俺はここ出身じゃないな」

「へえ…それならどうしてこの街に?」

「あー」


俺はなんと言おうか少し迷って、口を開く。


「成り行きというか…流れ着いたというか…」


居候くんが不思議そうに首を傾げた。その時周囲から視線を感じて、俺は口を閉じる。歩みは止めずに、俺は何気ない振りをして周囲を用心深く見渡した。


「…後でゆっくり話すよ」

「いいんですか?楽しみにしてます」


居候くんは周囲の気配を特に感じていないようだった。俺は安心しつつ、二人を連れて街に出てきたことを少し後悔していた。いつも行く日用品の店は、人が少ない通りにある。俺たちだけになったら視線の主たちが仕掛けてくる可能性がある。気は抜けない。俺は何気ない振りをして、手首をほぐすように回した。


「キャンディーシュガーハニーは昔からこの街にいるんですよね」

「そうよ。あたしはもうとても長い間この街にいるの。バンに出会う前は違う名前だったし」


隣の契りはどちらかが死去することで契約解除となる。その場合、小さきひとは隣の契りでつけられた名前を次の新たな隣の契りを交わすまで使うことが多い。キャンディーシュガーハニーは俺と出会った時、隣人と死別したばかりだった。


「ああ…えっと…前の名前は…ジュリアンヌなんとかだったっけ」

「ジュリエンヌリリアーヌ!絶対覚えないわよね、あんた」


ちなみに小さきひとは長い名前を好む。俺たち大きいひとは短い名前ばかりなので、覚えるのが大変なのだ。


「バンと出会っていろいろあって、隣の契りを交わしたのよね~」

「え?その話も聞きたいです!」

「ま、まあそれも後で…」


しばらくして、俺たちは人通りの少ない道へと入った。


「この辺は相変わらず辛気臭いわね」


キャンディーシュガーハニーが嫌そうに呟いた。それなら一緒についてこなければよかったのに。


「そうだな」


そう呟いた瞬間、俺たちに近づく気配を感じた。振り向くと、男二人がこちらに向かって来ていた。


「バン!」


キャンディーシュガーハニーの声と共に、おれの身体は反射的に動いた。俺は肩に乗った居候くんを片手で覆い、振り落とさないようにして俺に殴りかかってきた男の手を受け止める。そしてもう一人の身体に足を叩き込んだ。


「ぐはっ」


蹴りが命中した男はあっさりと吹き飛んでいく。俺に拳を止められた男は、それを呆然を見送った。その男に俺は笑いかける。


「何の用でしょう?」


男は一瞬怯んだが、俺の肩に手を伸ばした。


「お前に用はない!用があるのはそいつだ!」


やはり居候くん目当てか。しかし両手を俺に差し出すなんて間抜けな奴だ。俺は男の手が肩に触れる前に、男の足をはらう。


「ぐっ!」


二人の男が道に転がる。俺はその間に肩から手を放して居候くんとキャンディーシュガーハニーに声をかける。


「二人とも。安全な場所に」

「ええ。行くわよ」

「はっはい」


キャンディーシュガーハニーに手を引かれ、居候くんは高く飛び上がった。これで心置きなく男たちを相手にすることができる。男たちは高く飛び上がったキャンディーシュガーハニーたちを見て、唇を噛んだ。


「くそっこいつ…!」

「せっかくの機会を!」


男たちはまだ戦闘意志があるようだ。俺はそっと息を吐く。あまりこういうことはしたくないが、今回ばかりは仕方ない。


「悪いがこちらも簡単に譲れるものではないんでね」


俺は拳を握り込んだ。





数分後。道端に伸びた男たちを俺は見下ろし、空を見上げた。


「もう大丈夫だ。二人とも」


そう声をかけると、隠れていたキャンディーシュガーハニーと居候くんがそっと俺の元に降りてきた。


「よくやったわ。さすがバンね!」


なぜか誇らしげなキャンディーシュガーハニーとは対照的に、居候くんは固い表情で俺を見て、こう言った。


「あの身のこなし…バン、あなたは只者じゃないんじゃ…?」


俺が何と説明しようか迷っていると、居候くんがはっとした表情をした。


「バン…?バンって…そうだ…もしかして、あなたは氷剣ひょうけんのバンじゃないでしょうか?」

「…人違いじゃないかな」


俺は逃げようとしたが、居候くんはさらに続ける。


「いえ!その鈍色の髪に、冷たい青色の瞳、そしてその体つき…間違いないです!あなたは氷剣のバンです!どうして今まで気づかなかったんでしょう!」


キャンディーシュガーハニーが俺に目を向ける。


「バンってあんた結構有名人だったのね」

「……」


俺は黙って微笑む。居候くんは興奮した様子で俺に尋ねた。


「でも大きな戦いの後、氷剣のバンは行方不明になったと聞いていました。まさかこの街にいたとは…」

「今はただのパン屋のバンだよ」


俺は居候くんにそう言った。居候くんは詳しく聞きたいという顔をしていたが、まずは買い出しが先だ。


「後で落ち着いたところで話すよ」



その後無事にいつもの店で買い出しを終え、俺たちは大通りのカフェに入った。


「これこれ!ここのストロベリーショコラパフェが食べたかったのよ!」


キャンディーシュガーハニーの前に小さきひと用のチョコソースとガトーショコラとストロベリーがふんだんに使われたパフェが置かれている。キャンディーシュガーハニーがわざわざついてきたのはこれが食べたかったからだったようだ。


「いいんですか?僕まで…」

「いいよ」


居候くんの前には、メロンとカスタードクリームとチーズケーキがふんだんに使われた小さきひと用のメロンチーズクリームパフェが置かれている。ちなみに俺の前には大きいひと用のバニラアイスとコーヒーがある。


俺たちはそれぞれ自分たちの前に置かれているものを口に入れる。


「うまい」

「美味しい~っ」

「美味しいです」


たまにはこういうものを食べるのも悪くないなと、俺はアイスを口に運びながらそう思った。しばらく甘味を堪能した後、俺は口を開く。


「じゃあどこから話そうか」


満面の笑みでパフェを食べていた居候くんがはっとしたように真剣な顔になって俺を見た。


「僕が興味があるのは、あなたがどうしてこの街に住むことになったのか…」


そして居候くんはちらりとキャンディーシュガーハニーを見る。


「そして、どうしてキャンディーシュガーハニーと隣の契りを結ぶことにしたのか、ぜひ知りたいです」


俺はパフェにがっつくキャンディーシュガーハニーと目を合わせた後、頷く。


「別に話せないことではないが、長くなるんだよな…」

「構いません」

「いや、俺が長い話は苦手で…」


そう苦笑いをすると、いつの間にかパフェを食べきっていたキャンディーシュガーハニーが手をあげた。


「それなら代わりにあたしが話してあげるわ!」



▷◯◁



それは昔々と言うほどでもない、具体的には二年と少し前のこと。小雨の降る小川の橋の上に、キャラメル色の髪とミント色の瞳の麗しい小さきひとが座っていました。その小さきひとの名は、ジュリエンヌリリアーヌ。その名をつけた隣人はかの有名な画家、デミ婦人でした。


「はあ…」


ジュリエンヌリリアーヌは悲しいため息をついていました。それは、数日前に隣人のデミがこの世を去ってしまったからです。デミはとても有名な画家で、それはそれは美しい絵を描く婦人でした。


「ふう…」


重いため息をつくジュリエンヌリリアーヌは、ぼんやりと遠くを見つめます。するとふと小川の先に大きいひとが倒れているのを見つけました。


「…」


ジュリエンヌリリアーヌは無視をしようかと思いましたが、デミだったらきっと助けるだろうと思い、様子を見に行くことにしました。


「ちょっと、そこのあんた」

「……」


倒れているのは、20代後半くらいの身体つきのしっかりしている男でした。鈍色の髪が泥にまみれて黒っぽく汚れていました。


「ねえ、死ぬならあたしの目の届かないところに行って欲しいんだけど」


ジュリエンヌリリアーヌは男に声をかけました。


「…」

「ちょっと?」

「…は…が…」

「ん?何?」

「…腹が減って…動けん…うっ」

「え~~~?ちょっと~~」


ジュリエンヌリリアーヌは男をつつきましたが、男はそれ以上言葉を発しません。ジュリエンヌリリアーヌは困った顔になり、考え込みました。そして、近くにデミのお気に入りのパン屋さんがあったことを思い出しました。あのパン屋の夫妻は優しいので、ジュリエンヌリリアーヌが頼んだらもしかしたらパンをこの人に恵んでくれるかも。頼んで駄目なら、この男は運がなかったということで放っておこう。ジュリエンヌリリアーヌはそう思いました。


そしてジュリエンヌリリアーヌの思った通り、パン屋のトキ婦人は男の元にパンを持って男の所に来てくれました。


「トキさん!こっちこっち!」

「あらあら…大変」


パンを持ったトキ婦人が男に近付くと、今まで微動だにしなかった男が突然顔をあげました。


「うわあ!」

「きゃあ!」


その勢いに驚いて、トキ婦人は思わずパンの入ったカゴを落としてしまいます。


「あら…」


すると小川に落ちていきそうだったパンを男が掴みました。


「…これ」


男がゆっくりと口を開きます。パンを見る男の目は青く、らんらんと輝いていました。


「もらっても…いいですか…お代は…身体で払うので…」

「いいですよ。それは昨日の残りのパンなので、お代はいらないです」


トキ婦人の言葉に男はうやうやしく頭を下げました。


「ありがとう…ございます…」

「ただ土が…」


トキ婦人が困ったようにそう言った瞬間、男はパンについた泥を少しも気にせず、パンにかじりつきました。あっという間にトキ婦人が持ってきたパンは無くなりました。


「ありがとうございました!この御恩は…一生忘れません」


男はきちんと身を正し、トキ婦人にお礼を言いました。


「いいえ。けれどこんなところで倒れてどうしたの?」

「…旅をしていました。しかし途中で食料が尽き、道端の草を食べたら毒で動けなくんなりまして…なんとかこの小川に辿り着いたはいんですが…空腹で動けなくなったのです」

「旅人にしてはバカねえ」


ジュリエンヌリリアーヌは男を眺めます。旅人にしては荷物が少なく、食料がないわりには体つきがしっかりしています。何やら訳アリのようです。ジュリエンヌリリアーヌとトキ婦人は顔を見合わせました。


「…今日行くところはあるの?」

「……野営は得意なので」


男は目を反らして答えました。トキ婦人はそんな男に優しい笑顔を向けました。


「じゃあ、今日はうちにいらっしゃい。古いけど使っていない小屋があるの。そこなら自由に使っていいから」

「えっトキ婦人大丈夫?こんな得体の知れない奴なんか連れこんで」

「大丈夫よ。うちの旦那さんは強いから。あなた、名前は?」

「俺は…バンと申します」

「あら!パン屋のうちにぴったりな名前ね」


そうして、バンはラブベーカリーに住み込みで働くようになりました。バンは素性の知れない怪しい奴でしたが、よく働き、礼儀も正しかったのですぐにお店に馴染みました。


ジュリエンヌリリアーヌはバンを見つけてしまった責任を感じて、度々ラブベーカリーに行きました。


「あ、えーっと…ジュリアンヌ…なんだっけ?」

「ジュリエンヌリリアーヌ!いい加減そろそろ覚えなさいよ」

「いや悪い。今まで小さきひとと話したことさえなかったから…小さきひとの名前は長くて覚えにくいな…」


バンはジュリエンヌリリアーヌの名前をなかなか覚えられないようで、よく間違えていました。


「…あんた、ここに来る前はどこにいたの?」


ジュリエンヌリリアーヌがそう尋ねると、バンは困ったように笑います。


「少なくとも、ここよりはひどいところだったな」


ジュリエンヌリリアーヌは優しいひとだったので、深くは詮索しませんでした。


そんなある日のことです。ジュリエンヌリリアーヌの隣人のデミの遺作が、オークションで高値で売られたというニュースが街を駆け巡りました。そしてまだ出回っていないデミの遺作があるという噂が広がりました。そのデミの遺作の場所は、彼女の隣人が知っているという噂も。


ジュリエンヌリリアーヌがパン屋にいくと、バンから尋ねられました。


「最近大丈夫か?」

「え?何が?」

「デミさんの遺作の噂のことだよ」


ジュリエンヌリリアーヌはふんと胸を張ります。


「大丈夫よ、あたしがどれだけこの街で生きてきたと思ってるの」

「それならいいが…」


ジュリエンヌリリアーヌは男の前では大丈夫だと言いましたが、最近自分をつけているひとがいることに気付いていました。しかし未だに得体のしれないバンを頼るほどジュリエンヌリリアーヌは弱くはありませんでした。


しかし数日後のことです。


「見つけたぞ!お前がデミの隣人だな!」


夕暮れ時の街を飛んでいたジュリエンヌリリアーヌに、手を伸ばす見知らぬ男がいました。


「なによあんた!」


ジュリエンヌリリアーヌは見事に男の手を交わしますが、ジュリエンヌリリアーヌを狙う手は一つじゃありませんでした。


「追え!」

「逃がすな!」


今まで隠れてジュリエンヌリリアーヌの様子を見ていた大きいひとたちが一斉に襲い掛かってきました。


「絶対捕まらないわよ!」


ジュリエンヌリリアーヌはそう叫んで逃げ回りましたが、長時間長距離を高速で飛ぶのにはかなりの体力が要ります。このままではどこかで失速して捕まるかもしれない。そう思ったジュリエンヌリリアーヌは、知り合いの家か店に逃げ込むことを考えました。


そしてちょうど近くにあったのが、ラブベーカリーでした。


「もうちょっと!」


ラブベーカリーまであと少し、というところでジュリエンヌリリアーヌはうっかり気を抜いてスピードを緩めてしまいました。それを狙った追っ手の一人が網を振り下ろしました。


「きゃあ!」


なんということでしょう。ジュリエンヌリリアーヌはラブベーカリーを目前にして捕まってしまったのです。


「離しなさい!」

「さあデミの遺産の場所をはいてもらおうか」

「誰が言うもんですか!」


ジュリエンヌリリアーヌは恐怖に震えながらも威勢よく叫びました。その時です。


「あの…店の前で騒がれると迷惑なんですが」


ラブベーカリーからバンが出てきました。


「バン!」


ジュリエンヌリリアーヌが名前を叫ぶと、バンは驚いたように目を丸めます。ジュリエンヌリリアーヌを網でとらえた男はバンに愛想笑いをしました。


「こりゃあ失礼…すぐに立ち去るんで」

「……」


バンはゆっくりとジュリエンヌリリアーヌと男たちを見渡します。その眼光は鋭く、男たちは少したじろぎました。


「な、なんだ?なんか文句あるのか?」

「いえ」

「ちょっと!」


あっさりと食い下がったバンを見てジュリエンヌリリアーヌは声を上げました。


「とにかく店の前から離れていただいていいですか」

「あ、ああ悪かったな…」


ジュリエンヌリリアーヌは絶望的な気持ちになりました。超仲良しではなくてもそこそこ親しいと思っていたひとにこうもあっさり見捨てられるとは思いもよらなかったのです。


「バン…」


男たちはぞろぞろとラブベーカリーの前を離れ、人通りが少ない路地へと移動しました。


「あのパン屋と知り合いだったのか?」

「助けてもらえなくて残念だったなあ」

「まあ助けに来ても多勢に無勢だろうがなあ」

「あんな弱そうな身なりじゃな」


男たちは下品な笑い声をあげました。ジュリエンヌリリアーヌは悲しみのあまり声も出ません。


その時でした。


「誰が弱そうだって?」


背後から声がしました。ジュリエンヌリリアーヌはすぐにわかりました。


「バン…?」

「ああ?さっきの店員か?」

「追いかけてきたのか?」


振りむいて、男たちは驚きました。バンはパン屋のエプロンを外してそこに立っていました。その表情は気迫に満ちていました。


「その小さいひとを放せ」

「うるせえ!」

「やっちまえ!」


バンに男たちが一斉に殴りかかりました。


「バン!」


ジュリエンヌリリアーヌは悲痛な声を上げましたが、その必要はありませんでした。


「な、なんだ…あいつは…?」


ジュリエンヌリリアーヌをとらえた網を持つ男が信じられないと言った様子で呆然としています。


バンは襲い掛かる男たちの拳を避け、自分の拳や足を叩き込んでいました。何発か男たちの拳や蹴りを受けていましたがびくともせず、その何倍もの力で殴り返しているように見えます。それは明らかに常人の動きではありません。そういう訓練や実戦を行ってきたひとの動きです。


「後はお前だけだな」


あっという間に男たちはバンに全員打倒され、残りはジュリエンヌリリアーヌをとらえた網を持つ男だけになりました。


「あ…あ…」


男は真っ青になってバンを見ます。数秒バンと男はにらみ合いましたが、男はあっさりとバンの気迫に負け、ジュリエンヌリリアーヌをとらえた網から手を離してその場から逃げ出しました。


「うわああああ」

「きゃあ」


男の手から離れた網は、地面に落ちる前にバンの手が掴みました。


「大丈夫か」

「ええ。大丈夫よ。ありがとう」


バンはそっと網からジュリエンヌリリアーヌを出してあげます。ジュリエンヌリリアーヌは自分の身体を見渡して、土を払いました。そしてバンを見ると、そちらも土埃とかすり傷で汚れていました。


「とりあえず水浴びがしたいわ。小川まで連れて行ってくれる?」


ジュリエンヌリリアーヌがそう言うと、バンは少し困った顔で微笑んで頷きました。


バンはジュリエンヌリリアーヌを連れて、自身が倒れていた小川へとやってきました。ジュリエンヌリリアーヌは小川で身体の汚れを落としていきます。バンは少し遠い目をしながらその様子を見守っていました。やがて汚れを落とし終えると、ジュリエンヌリリアーヌはバンに言います。


「バン、助けてくれてありがとう」

「ああ。無事でよかった」


そしてジュリエンヌリリアーヌは尋ねます。


「あんた、ただのひとじゃないわよね。もしかしてここに来る前、軍とかに所属していたんじゃない?」


バンは少しの間の後、静かに頷きました。


「ああ」

「そこを脱退してここに来たの?」


バンは首を振ります。


「違う。逃げ出して来たんだ」


それからバンは語り始めました。今まで自分が軍に所属していたこと。そこで多くの人を傷つけ、命を奪ってきたこと。つい先日の大戦でそれが嫌になり、軍から逃げ出したこと。そして逃げる道中でこの小川までたどり着いたこと。


「逃げ出した時、自分に誓いを立てた。もう二度と誰も傷つけないと」


バンは自分の手を握りしめます。


「この誓いを破ったら、もう自分は生きている資格はないと…」


ジュリエンヌリリアーヌは目を丸くしました。


「ちょっと!さっきので誓いを破ったって思ってるんじゃないでしょうね!」

「…」


バンは答えません。しかし沈黙が肯定を表しているとジュリエンヌリリアーヌは察しました。


「馬鹿ね!さっきのはノーカンでしょうよ!」

「…しかし…」

「あたしを助けたから、自分は死のうと思ってるってこと?」


ジュリエンヌリリアーヌはバンに詰め寄ります。バンは困ったように微笑みました。ジュリエンヌリリアーヌはその微笑みを見て、自分の右手をバンの頬に叩きつけました。


「馬鹿!あんた馬鹿ね!」

「…すまない」


俯こうとしたバンの顎を、ジュリエンヌリリアーヌは無理やり持ち上げました。


「いいわ!!あんた、あたしと隣の契りを交わしなさい!」

「……え?」


バンは目を丸くしました。


「と、隣の契りって…」

「大きいひとと小さきひとの契約よ。これを結ぶことであたしたちはお互いの隣人となって、街の控除を受けることができるようになったり、祝福を受けたりできるようになるわ」


バンはうろたえます。


「いや、しかし…隣の契りというのは君たち小さきひとにとっても大事なものなんじゃないか?一回結ぶと、どちらかが死ぬまで契約解除はできないんだろう?」

「ええそうよ!あんたはあたしが死ぬまで、あたしをその力で守ってくれればそれでいいわ!」


ジュリエンヌリリアーヌは胸を張ります。


「そうしたら、あたしもあんたを守ってあげるわ!」

「…君が俺を?」

「そうよ。得体のしれない流れ者のあんたがあたしと隣の契りと交わしたと聞けば、街の人たちも安心するはずよ。そうしたらあんたもこの街でもっと暮らしやすくなるはずだわ」


バンは思い当たることがあるのか、考えるような仕草をしました。


「…でも」

「でもじゃないわ!何が不満なの!」

「…得体のしれない俺なんかと隣の契りを交わしても、君に利点はないんじゃないのか」


バンは真剣な顔で言います。


「ただの同情なら…申し訳ないが、俺は断らせてもらいたい」


ジュリエンヌリリアーヌは首を振りました。


「ただの同情なんかじゃないわ。あたしはね、綺麗なものが好きなの」


バンは自分を指差しました。


「え…まさか俺がって言うのか?」

「そうよ。とても綺麗な身のこなしだったわ。あとあんたの誓いも切なくて悲しくて綺麗だと思うわ」


バンは信じられないものを見るような目でジュリエンヌリリアーヌを見ます。


「大好きな綺麗なものと一緒にいたいと思うのは同情かしら?」


ジュリエンヌリリアーヌの真っすぐな、堂々とした物言いにバンは照れながらも困惑したまま続けます。


「…いや、でも。俺は…隣人になれるようなひとじゃ…」


ジュリエンヌリリアーヌはふんと鼻で笑います。


「あたしがいいって言ってるの!それに、あたしはあそこのお店のパンが大好物なの」


バンは思わず眉を顰めました。


「…俺にたかろうって?」


ジュリエンヌリリアーヌはあっけらかんと頷きました。


「あたしに美味しいパンを食べさせてよ」

「……」

「ひとりよりふたりの方が楽しいわよ」


バンは心底驚いていました。自分はもう生きている価値がないと本気で思って本当に死ぬ気でいたのに、自分をここまで求めてくれるひとがいることに。そしてここまで求めてくれるのならば、このひとのためにもう少し生きてもいいかとも思いました。心身が汚れた自分を綺麗だと言ってくれたこのひとのために、残りの人生を捧げてもいいかもしれないと。


バンは心を決めて頷きました。


「…わかった。君と隣の契りを結ぶよ」

「当たり前よ!ここで断るなんてあり得ないわ」


ジュリエンヌリリアーヌの物言いに思わずバンは笑って、尋ねました。


「そういえば、この街に来てたまに聞く”祝福”ってなんなんだ?隣の契りを結ぶとそれが受けられるって」

「ああ、祝福っていうのはね何かいいことが起こることよ」

「…そんなに曖昧なことなのか?」

「そうよ。あたしたち小さきひとは古くから幸運を運ぶと言われてきているわ。だから隣の契りを交わすと、その幸運がバンにも訪れるかもしれないってことよ」


言っていることは曖昧なのに随分自信満々に言うジュリエンヌリリアーヌを見て、バンは思わず笑いました。


「そうか。そりゃいいな」

「それじゃああたしに名前をつけて!あんたの隣にふさわしい新しい名前を!そうね、甘い響きの音がいいわ」


そして薄汚れた大きいひとは、麗しい小さきひとに名前をつけました。



▷◯◁



「と、いうわけね」

「わ~!」

「うまく話を盛ったな…」


感動した様子で拍手する居候くんを俺はやや苦笑いで受け止めた。ところどころ脚色されてはいたが、話の筋に間違いはない。居候くんはひとしきり拍手をした後、少し顔を伏せた。


「キャンディーシュガーハニーとバンは強い絆で結ばれているんですね」


俺とキャンディーシュガーハニーは顔を見合わせる。すると、キャンディーシュガーハニーが居候くんの頭をぺんと叩いた。


「隣の契りを結んだのなら、自分の隣人を選んだ目を信じることね」


居候くんが瞬きをして、困ったように笑った。


「やっぱり、わかりますか…僕に隣人がいること…」


知っていたのか。俺はキャンディーシュガーハニーを見る。キャンディーシュガーハニーは真っすぐに居候くんを見据えた。


「ええ。自分で言いたくないなら、あたしから言いましょうか?」


居候くんは静かに首を振った。


「いいえ。僕から名乗ります」


居候くんは姿勢を正して俺たちを見た。


「僕の名前はリトルブルーベリーパイ。ミール国の第一王子の隣人です」


やっぱりそうか。俺は新聞記事を思い浮かべた。居候くん改め、リトルブルーベリーパイは眉を下げて続ける。


「…数日前王子と大喧嘩をしたんです。とても些細なことで」


王子も喧嘩とかすることあるんだな、と俺は内心呟く。ミール国の第一王子といえば、現在十八歳で物腰柔らかでとても賢く優秀だと客からの話でもよく聞く。


「その喧嘩で僕は王子に対して不義理な感情を抱きました。隣の契りを結んでいたらきっと決して湧いてはいけないような感情を…」


リトルブルーベリーパイの瞳が揺れている。


「僕は僕自身が怖くなったんです。この先王子と一緒にいることでその感情を増やしてしまわないかと…王子と一緒にいるのが苦痛になったらどうしようかと…だから、王子の元をいったん離れて考えることにしたんです。けど、長時間飛ぶのにはあまり慣れていなくて…途中で力尽きて…倒れてしまって…」


リトルブルーベリーパイは弱弱しく俯いた。そんなリトルブルーベリーパイをキャンディーシュガーハニーは一喝した。


「そんなんで悩むなんてあんた若いわね!」

「えっ」


リトルブルーベリーパイは驚いた顔でキャンディーシュガーハニーを見た。小さきひとは俺たち大きいひとよりも数百年は寿命が長いと言われている。キャンディーシュガーハニーはこの街にいる小さきひとの中でもかなりの長寿と呼ばれているのを聞いたことがあるが、詳しい年齢は知らない。だがそんなキャンディーシュガーハニーが若いというなら、リトルブルーベリーパイは若い部類に入るのだろう。


「隣の契りを交わしていたって、喧嘩もしたりするし相手のことを少しくらい嫌いになったりするわよ」

「そ、そうなんですか」

「ええ。デミの時もそうだったし、バンとも喧嘩ならしたことがあるわ!」


俺は黙って頷いた。些細なことで喧嘩をして一週間、いや一か月口を利かないことは普通にある。


「隣人なんてちょっと隣にいるのが嫌になったらなら少し離れて、また寂しくなれば隣に戻ればいいのよ」


リトルブルーベリーパイは困惑した様子だ。


「ぼ、僕が知っている隣人は、常に隣にいてお互いを想いあって尊重して支えあう関係だと…」

「まあそういう古臭い考え方するひともいることは否定しないわ」


キャンディーシュガーハニーは腕を組んで頷いた。


「いい?隣の契りというのは、あくまであたしたち小さきひとの愛情表現の一種なの」


それは初めて聞いた気がする。リトルブルーベリーパイもそうなのか、真剣な顔をしてキャンディーシュガーハニーの言葉を聞いている。


「あたしたち小さきひとは大きいひとと違って、言葉通りひとりでも生きていられる生き物よ。どこへでも行けて、どこでも生きられる」


小さきひとの生態系は多くが謎に包まれている。それを明かすことは大きいひとでも小さきひとでもできないとされている。


「そんなあたしたちが、あえてひとりの大きいひとを拠り所にすると宣誓する。それを隣の契りといつの間にか呼ぶようになったの」

「そうなんですか」

「そうよ。それからいつの間にか隣の契りに税の控除とか特典とかつくようになって、それを悪用されないように”隣の契り”はどちらかが死ぬまで破棄できないとかずっと一緒にいるべきとか制約がつくようになったのよね」

「へえ~」


俺もリトルブルーベリーパイと同じように関心する。


「だから、拠り所に対してどう思うかなんて自由なの」

「…」

「リトルブルーベリーパイ、最初はちゃんと王子のことを拠り所にしたいと思って隣の契りを結んだんでしょう?」


浮かない表情をしていたリトルブルーベリーパイは、その言葉を聞いて瞳に力を取り戻した。


「…はい。そうです」

「それならいいのよ。拠り所は行きたいときに行けば」


余計なお世話かな、と思いつつ俺は横から口を出す。


「でも出て行くときは、出て行くってちゃんと言った方がいいぞ。今回みたいなことになるからな」


今回というのは、行方不明になると懸賞金が出てその身を狙う輩が現れるということだ。


「…はい、そうですね。何も言わずに出ていくのは何より不義理なことだと、今は思います」


リトルブルーベリーパイはそう言って、俺たちを見た。


「帰って、王子とちゃんと話してこようと思います」

「そうね」

「それがいい」


そして俺たちはそれぞれのスイーツを食べ終えてカフェを出た。リトルブルーベリーパイはこのまま城に帰ると、カフェの前で別れることになった。


「隠したままお世話になってすみませんでした。先ほど助けてくれたことも、本当にありがとうございました」

「いいよ。ひと攫いには十分に気を付けるんだぞ」

「はい!」

「王子のところが嫌になったら、また遊びに来るといいわ」

「ありがとうございます」


リトルブルーベリーパイは空高く飛び上がった。そして大きく俺たちに手を振る。


「それでは!」


俺たちはリトルブルーベリーパイに手を振って見送った。


「それじゃあ帰るか」

「そうね」


キャンディーシュガーハニーは俺の右肩に座って、ご機嫌そうに足を揺らした。


「ご機嫌だな」

「まあね。拠り所は独占できる方がいいもの」


キャンディーシュガーハニーはそう言って笑った。俺はその言葉で唇が柔らかくほどけるのを感じながら、キャンディーシュガーハニーの話を思い出す。


「そういえば祝福って話、久しぶりに思い出しただんけど」


隣の契りを結ぶと祝福を受けるというやつだ。


「確かにキャンディーシュガーハニーが隣人になってから、前よりもいいことがあるって今気付いたよ」

「へえ、いいじゃない。例えば?」


俺は肩の重みを感じながら、できるだけさらりと言う。


「俺にはいつだって信頼できるひとがいるって思えること」

「あら!あんたもロマンチックなこと言えるようになったのね」

「うるさいよ」


俺とキャンディーシュガーハニーはそうして談笑しながら家へと帰った。




数日後客が持っている新聞を見せてもらうと、王子の隣人が帰ってきたという記事が載っていた。新聞には王子とリトルブルーベリーパイが笑顔で映った写真が載っている。無事に和解できたようだ。


「よかった」


俺がしみじみとその新聞を眺めていると、新聞の持ち主の客が笑って言った。


「そんなにその記事が大事なら、その新聞あげようか?」

「いいんですか?」

「いいよ、もう読み終わったやつだからね。いつもおすすめを教えてくれるお礼さ」

「ありがとうございます」


俺はありがたく新聞を受け取った。その時、ラブベーカリーの扉が開く音がして俺は声を出す。


「いらっしゃいま、せ!?」


語尾が声が思わず裏返ったのは、扉に立っている人物が新聞の写真と同じだったからだ。ラブベーカリーの入口に、王子が立っていた。一介のパン屋にすぎないラブベーカリーにミール国の第一王子が来店すれば変な声にもなる。


「お、王子…?!」


新聞をくれた客もあまりの驚きに腰を抜かしそうになっている。すると、王子のすぐ後ろから小さなひとが飛び出してきた。


「バン!」

「リトルブルーベリーパイ」


リトルブルーベリーパイは明るい笑顔で俺の前まで飛んできた。それを見て、王子が俺のもとへ真っすぐ歩いてくる。店の外に王子の付き人と思われる人が何人かいるのが見えた。


「君だね、バンという青年は」

「はっはい」


俺は返事をして姿勢を正した。王子と顔をあわせたのは初めてだった。軍に所属している時に遥か遠くの王子を見たことはあったが。


「君と、君の隣人にリトルブルーベリーパイが大変お世話になったと聞いたよ」


この場に好き勝手ものを言うキャンディーシュガーハニーがいなくてよかったという気持ちと、今こそいてくれという気持ちが混ざりあう。


「い、いえ」

「ぜひお礼がしたくてここに来たんだ」


リトルブルーベリーパイが王子の言葉ににこにこと頷いている。


「お礼、ですか」

「何か欲しいものはないかい?お金でも物でも」

「え…」


やけに気前のよい王子である。俺が困惑した顔をリトルブルーベリーパイに向けると、リトルブルーベリーパイは笑顔のままこう言った。


「王子がバンにお礼をしないと気が済まないって言うんです。多分家がほしいって言えば家もくれますよ」

「ああ、もちろんだとも」


王子はスケールが違うなあ。俺は心の中でそう呟いて、しかし首を振る。


「有り難いお言葉ですが、お金や物はいりません」


それは軍に所属していたときに頂いた。そして今の生活にはもう必要ない。だって今の生活で十分に満足しているからだ。


「そうか…」


少ししゅんとした王子に俺は続ける。


「代わりに、ここのパンを食べていかれませんか?」

「え」


王子が驚いたように瞬きをする。俺は笑った。


「俺自慢の、美味しいパンです」


するとどこからかとびきりご機嫌な声が聞こえてきた。


「そうよ!とーっても美味しんだから!」


声の方を見るとパン屋の窓枠にもたれかかって、キャンディーシュガーハニーがこちらをにこにことしながら見ていた。リトルブルーベリーパイが顔をぱっと明るくして声をあげる。


「キャンディーシュガーハニー!」

「久しぶりね、リトルブルーベリーパイ」


リトルブルーベリーパイはキャンディーシュガーハニーのところに飛んでいき、二人は楽しそうに言葉を交わし始めた。それを見た俺と王子は、お互い顔を見合わせる。すると王子がおずおずと口を開いた。


「本当にいいのか…?パンを食べるだけで…」

「ええ。俺はここのパンを食べて美味しいと言ってくれる人の顔がなによりも好きなんです」


そう言うと、王子は頷いて微笑んだ。思わず見惚れてしまいそうな綺麗な微笑みだった。


「そうか。じゃあバンが一番好きなパンを教えてくれるか?」

「ええ!」


その後王子とリトルブルーベリーパイはたくさんのパンを買って店を後にした。後日、なんと王子からパンが美味しかったという手紙が送られてきた。まめなひとである。


それからラブベーカリーは王子が訪れた店ということで、しばらく街の人たちの話題にあがることとなった。客足も増え、俺の仕事はとても忙しくなった。しかしその忙しささえ、今の俺にとっては心地よいものだった。もう他人の命を奪うために生きていたあの頃とは違うのだから。


「いらっしゃいませ!今日のパンも美味しいですよ」


俺はここで生きていくと決めたのだ。心から信頼できる隣人と共に。



▷◯◁


こうして、お騒がせな王子とその隣人の騒動は無事に幕を閉じました。


あたし、キャンディーシュガーハニーとバンはそれからも仲良く隣人として暮らしました。


めでたしめでたし!


▷◯◁


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