第六十三話 英雄譚の残滓 顎と牙の蟲の頂 二十三
常に、微かに青みの残る黄昏時の空。
この空間の入口は常にそこである。
初見であれば、突如の高高度の落下から始まるそれに、落ち着いてなぞいられないだろうが、生憎、もう三度目であり、加えて、肩を並べること久しい相方の初見の狼狽振りをこうやって眺められるのだから。
「あぁあああああああああ――」
「ふふ、落ちついて周りを見なよ」
役人ラークが絶叫の声をあげる。半泣きで、ギルド長ゾディアを、見る。なんだんだ、これは? と、言わんばかりに。
ギルド長ゾディアの言葉は届いていないようで、周りを見る余裕なんてまるでないらしい。
(私のときなんか、翼竜の火炎というお迎えもあったというのに。まあ、仕方ない。そういう奴だよな、君は)
両手をのばし、役人ラークの両手首をつかむ。握りこまれた両拳をほどき、恋人繋ぎでもするように、自身の両掌と、役人ラークの両掌を合わせるように、絡ませて。ほんの少し、浮遊を助けるように、魔力で、その縮こまった体を伸ばさせる。
空の上で、身体を遥か下の地面に平行に向けて。うつ伏せから顔を上げるかのように。
繋がって、人間二人分の全長の棒となった二人は、互いを真っすぐ見つめて、ゆっくりと回るように、緩やかに降下している。
「ほぉら。どうだい? 綺麗、だろう?」
それは眩い微笑み。
「……。そう、だな……」
(何が、とは言ってくれなくとも、そうやって顔を背けてしまえば、言ったも同然、じゃあないか。照れるなぁ……)
「アーミヤ君が落下時点を拠点に防衛してくれている。【鬼呪蜻蜓】の薄い分体と影の配下たち。この場の理を誤魔化すには、どうやらまだまだ不完全らしくてね。最も大きく力を持たせていた分体を単独で、奥へと進めていたみたいだったけど、相応しくない者を惑わす理は無効化できても、相応しくない者を排除する理は無効化できていなかったようで。だから、ダールトン家御当主が追いつけ、交戦状態に入った」
「無謀が過ぎる……」
一瞬、ギルド長ゾディアの方を見て、すぐさま、目を逸らす。
「思うところがあるなら、真っすぐこっちを見て言いなよ」
「この状態で言っても仕方ないかもしれないが……わたしを、惑わすな……」
と、自身の左手とギルド長ゾディアの右手をほどき、顔を背けたまま、指差す。その緩んですかすかな胸元を。
「……。先に惑わしてきたのは君の癖に」
あの日を思い出しながら、そう、小さく、小さく呟いた。
「ん? 聞こえぬぞ?」
「何でもないよ」
そう言いながら、魔法で紡いだ。青い、糸。束ねて、紐。
(帯かリボンか。どっちでもいいや)
空いてる右手で、後ろでくくった。大きな大きな、蝶々結び。
「これでもうはだけない。そろそろ、城壁の頂が見える高度だ」
唐突に、夕焼け色の空だけが続く光景からうってかわり、入り組んだ城壁の迷路が見えた。それらは時折、うねるように、順路を変えるように組み代わり、まるで生きているように見える。
「大掛かりにも限度があるだろう……」
「王の座と、此処の入口以外には繋がっていない。故に一本道、とのことらしいよ。ダールトン家御当主は何処かな? ひょっとしたら見えるかもしれない。地点によって見せ方が違うらしいから見つかるとは限らないけど。進めさえすれば、何処かで立ち止まってくれていたら追いつけはする筈だけども」
「それより、着地に準備は必要か?」
「私が手を放したら、身体の力を抜いて。それだけでいい。体が地面に垂直になって、ふわっと、降り立てるから。着地狩りなんてものをされないようにアーミヤ君に無理言って残って貰ったからね。後続を用意できない方が不味いだろうし、ダールトン家御当主はまだ底を見せる気配も無かったし、噂に聞く伝家の宝刀を抜くでもないから、まだ粘れると踏んだんだ。っと。放すよ」
二人の身体は、地面に垂直になって、ゆっくり降りてゆく。城壁の頂の高さから。ゆっくりゆっくり。下の光景がはっきり見えてくる。現在残っている破壊と損傷の痕跡が、よく、見える。
「……。全滅、して、ないか……?」
「……。こんな予定、私は聞いていない……。殲滅できたらできたで、待機をお願いしていた……」
降り立った二人。周囲に散らばる、潰れた黒い炭のような数多の汚れはきっと、【鬼呪蜻蜓】の無数の眷属の残骸。
血を流して、白い肌地を桃地~血色に染めて横たえている小さくとも翼竜であった存在が、数十体も。せいぜい、一度に数体が襲ってくる程度であり、襲われるのは敵だけの筈なのに。
不審なのは、【鬼呪蜻蜓】の死体が一つも残されていない、ということ。だが、魔力の痕跡は残っていて、それらは悉く、意味を為さない断末魔のようなもの。数十、下手すればもっと多くの……。
そして、何より――
苔むした石畳な地面を、円形に、熱で溶かし、開けたかのような、斜めに下方向へ続いている大穴が空いていた。
「未だ、新しいな……。だがこれは……」
「アーミヤ君の魔力痕と一致しない……。けれども、【鬼呪蜻蜓】やその眷属のものとも……」
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