第五十五話 英雄譚の残滓 顎と牙の蟲の頂 十五
カーテンの閉まりきった宿の一部屋。
部屋の角に、座り込んで俯いている。
ガリガリガリッ!
ぎざぎざに欠けた親指の爪。
血で滲んで赤い爪。病人みたいな青白い肌。血管の青がくっきりはっきり見えるくらい。けれども皺は無く、餓えてでもいるような骨張り具合でもない。
それは、ただの引きこもりのような、気色の悪い青白さ。
「つぅくん……」
ぼそり。
甲高く細い透き通った声は、小動物染みたその背丈に合っている。ただ小さいという訳ではない。まるで子供のように見える。
灰色のボロ布が数枚折り重なったような、辛うじて透けないくらいの黒く薄汚れたエプロンワンピース。それに顔をすっぽり覆える明らかにオーバーサイズなフードが付いている。
青く煤けた瞳が青白い燐光を放ち始める。
人によって大きく異なるが、魔力の欠乏状態は、個々人に決まった形式が存在する。それは生まれつきのもので、変わり様がない。
彼女のそれは、幾分派手で分かりやすいものだった。自身にだけでなく、他者から見ても分かるくらいに。
瞳に散る煤けが消え、光で満ちて、青い灯でもつけているように輝いたら、満タン。
尤も、彼女がそれを自らの口で教えた人物は唯一人である。そして、それは、彼女の待ち人。
急性の魔力欠乏からくる彼女固有の症状である強烈な眠気によって眠りに落ちる前、自分を背負ってくれていた待ち人である彼の背で、お願いされたから。
『おつかれさま。しっかり休んでいてくれ。少なくとも魔力が全快するまで。それまで必ず生きているから』
(そう言ってくれたから、安心して眠れた。だから、あとちょっと、我慢、しないと)
眠気はもう無い。二度寝したからって、回復速度が変わる訳でも無し。
懐から、曇った鏡を出しては、首を振って、我慢するようにしまい込む。
魔力は使ってしまえば、その分回復は遅れる。
自身の魔力の回復速度が早いとはいえ、満タンに近ければ近いほど、回復速度は遅れる。つまり、使ってしまえば我慢の時間が余計に増える訳で。
そうやって、部屋の角で縮こまっているのも、少しでも落ち着く為だ。
(いつまでこの時間が続…―)
自分由来の、けれども、もう自分ではない、自分の外の、自分色の魔力の発露! それは、遠い何処かではなく、目の前、この部屋の、自身が抜け出た、部屋の中央のベッドの上。
ガタンッ! と、激しく立ち上がる。
ぱぁぁぁぁ、と満面の笑みを一瞬浮かべて、何やら思い至り、その顔は、冷たく冷たく、冷えてゆく。幼げならがらも、鋭い目付きになって、魔法の準備をする。
心の中で詠唱を始める。
それは、自身が息をするように行使できる転移魔法ではなく、数種のアプローチの数種の治癒魔法。すぐさま放てるように、と。
ほぼすべての魔力を消費する、他者を巻き込んだ転移魔法。それ以外であれば、まだ全快時の半分を超えた程度の魔力量で彼女の場合、殆ど自由自在。抵抗なんてなく、受け入れる彼であるが故に猶更。
青い燐光が青い炎のように。部屋の中央辺りを丸々覆う。その中に、浮かぶ影。しかし、何故か、その影は二つ。
彼女は、準備していた魔法を崩し、別の魔法が為の薪に変える。彼女のそれぞれの手に、青い炎が、渦巻くように、巻き付く。
それらの炎が、色を失い、透明になる。先の光景が透過するも、それは歪んで見える。魔力の色が変わったのだ。青い燐光から、無色透明でありながら確かに存在する形に。
「「がはは……我が妻よ、緊急事態故、戻ったぞ」」
と、ベッドの上に、偉く不細工な、全く同じ姿形に、無色透明な魔力光をその身に纏いながら現れ、彼女に向かって、冷や汗交じりに微笑み掛けた。
そして、そんな見分けのつかない一卵性の双子の如くそっくりな二人が、互いに互いの顔を見て、同時に驚き、当時に、
「「誰だ貴様はあああああ! 【鬼呪蜻蜓】かぁあああ! 今になって人間に化けるとはぁぁっ!」」
「つぅくん。おかえり」
何故か一切の戸惑いのない彼女は、殆ど目を瞑るように笑顔を浮かべ、ベッドへとダイブしてゆきながら、二人へと、それぞれ、手を回す。
注入される魔力。
それは、見掛けだけの模倣魔力ではない。幾度も重なり合って、色濃く知っている、彼の魔力そのもの。自身の中に残るそれを元に、複製するように増やし、作ったそれを、打ち込んだということは――
左の手で抱えた方が、はじけ飛んだ。そして、巨大に実体化してゆき、宿を突き破るように、その巨躯で実体化した。
「【やるではないか。にしても、走査して浮かべた姿よりも数段醜かったではないか。捕捉されたと判断し、女の元に逃げて、転移で本当にとんずら、とは。まあ、良い。これはこれで儂に抗う実働部隊にも混沌が増すということだ。あまりに上手くいきすぎて、笑いが出るわ】」
倒壊音と共に、飛翔を始める。
街の外縁部であるそこに、人々の大量の悲鳴や逃避の音が鳴り響いた。
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