第三十九話 魔の瞳を求めて 泡沫藻屑の穏やかな永遠 一
コレクトルは、それを無意識に避けていた。人間やその亜種に属する存在の瞳を嵌めることを。人から離れた存在の瞳の意思にすら、引き摺られ、苦しめられた。ただ嵌めただけで。亡骸のそれに。
こびりついたように消えず、まるで自分が味わっているかのように、その時の気持ちも、身体の状態も、自身の精神や肉体の強度を無視して、押し寄せてくるのだから。
その上、生前の通りとはいかずとも、それらには意思の残骸が程度の差はあれど残っており、特に、憤怒や悲嘆や絶望塗れの断末魔といった、負の感情ほど、強く残っている。
だから。
候補にすら上がってこない。
だというのに――嵌めて、しまった。
それに、意思は、無い。
唯の記憶だ。
焼き付いただけの。
コレクトルを拒絶するでもない。素敵な夢に溺れされてくれる訳でもない。感情も疲労も、押し付けて来ず、解釈すら自由。
知らない眩しさだ。
遮るものが無く、水だけの周囲。降り注ぐ太陽。そのせいか、生温い心地。遮るものなく、自由な身体。ぬるま湯の中に浮かんでいるかのような気分。決して届かぬ底。水蹴る足裏。
ただ、この匂いは、未知のもの。
この光景は、未知のもの。
かもめ、と言うそれらの鳴き声が聞こえる。
湖とは違う、波の音が聞こえる。
そんな波に自身は揺られている。
それは、自分の身体だ。
これまで瞳を入れたとき見せられた光景とは違い、隻眼の、まま。右側だけな、自身の視界。
本の中でしか知らない、大海原の光景。
手足を上手くばたつかせ、水面から頭を出し、見渡す限り、同じ光景が果て無く続いている。
陸地の存在は確認できない。
他の生き物の気配は無く、自分しかいない、そんな感覚。それが自分の直観か、受けているこの再現光景のせいかは分からない。
コレクトルは脱力するように、仰向けに浮かんだ。
遮るもの無くとも、日焼けを気にする必要もない。誰かに見られる恐れもない。肉付き乏しくとも、水に特に苦手意識などないコレクトルは、あっさりと、楽に浮かんでみせた。
眩い太陽に薄目を開くのもやめ、目を、瞑る。
それは、自身を制御しきった、綺麗な浮遊だった。そのまま眠ってしまっても問題ないかのような。
波は穏やかで激しくなりそうな気配も無い。
この光景に主張は無い。
でも、だからこそ、終わりも想像がつかない。
だが、どう転んだとしても、それは誰かの過去でしかない。自分の今にはなりえないのだ。
そう。
コレクトルは知るよしもない。
意識を囚われ、現実にいないことに気づかない。外で起こっている現実に、気付く筈もない。穏やかな生温さと心地よさが、違和感からコレクトルを限りなく遠ざけているから。
ミツの誤算は、それが、人間の瞳であることに気付かなかったこと。
確かにそれに意思は無かった。確かにそれは人の目と分かりようのないくらい、見掛けが変質していた。それはまるで、魔道具のような効果を見掛け上持っていた。それの効果を、持ち主であるダールトン家ですら誤認していた。
それの本当の効果が発揮される機会が無かったから。それの来歴が不明であったから。一種のインテリアだろうと思われていたが、大きさは眼窩に嵌りそうな程よい大きさであり、危険性は少なそうで、何かコレクトルが嵌めて効果を発揮できれば、程度の安牌という品。
来歴が分からないというのが懸念点だった。何か起こっても来歴から対応策を用意できない。
ミツは、僅かな猶予の間に、権能とは別に魔法を紡いでいた。
やったことは単純。重く閉ざされた扉を開けながら、瞬く間に上がる水位に対する対応と自身の行動時間を延ばす為の、水面より上と天井までの間の空気のできる限りの蒐集。
ツグも同じことをやっているだろうと想定した上で。
扉を開けたのもそのため。
大ききボーロが対応策を持っているかは不明な為、その辺りのフォローはツグを信じる他ない。
そうして、ミツは水没する。
蒐集した空気によって、呼吸は保つ。
それでも――よりによって、開けた扉から、目を瞑って脱力した様子のコレクトルが、水に沈んでいながら、息をしている様子どころか溺れている様子すら見せず、そのまま、扉の外へと、水流に乗って流されていったのだから、一刻も早く、見つけ、起こすか、取り出すか、しなくてはならない。
身体は浮かばない。ゴーレム擬きな今の身体は。
面を外すにも、水の中で、となると……。
つまり、コレクトルだけではなく、自分自身にも時間が無い、ということ。
その上、何故か、水温が徐々に、上がってきているような……。
早朝の汲みたての井戸水のような冷たさだった筈のそれは、汲み取ってしばらくした程よい温度のそれに変化していた。
気のせいかどうかも定かではない。
このような仕掛けがあったのだから、他に追加の効果や制限が降りかかっても全くおかしくはないのだから。
隣の部屋。
「ツグさんっ!」
大ききボーロがそう、声をあげた。
ツグがその結果取った行動は、当然、振り回されているその権能の行使。よって、それ以外の行動という選択肢は消えていた。
だが――
大ききボーロの身体が膨れ上がるように隆起してゆきながら、ミツのそれとは違って権能行使によって生じる硬直を起こしているツグを抱え、天井に突き抜けるように巨大化しながら、蹴りで隣の部屋への風穴を開けようとしつつ、天井へ肘撃ちして、ツグをそのまま上へと通し、置く。
足先の感覚から分かった。壁に穴は開いていない。つまり、この現象による影響を受けている、ということ。
即座に、巨大化を解除し始めながら、床を思いっきり蹴る。本来なら、突き抜けてめり込む。だがそうならず、床蹴りを推進力に変えて、打ちあがりながら、身体が元の大きさへと収縮してゆく。
能力が為に魔法込みの特注である衣装は、破れも伸びもせず、元に戻る。能力の副作用で、大ききボーロの存在感が消失する。
上の階にも、水位が上昇し、迫ってくる。勢いは先ほどではないのはきっと、下の階層の他の部屋や廊下などに水が流れていっていると推測しつつも、それでもこうやって、昇ってくるということは、と――
硬直が終わり、困惑し、周囲を見渡して、通されてきた床の穴の下の、のぼってくる水面にへたりこんで固まってしまったツグを、心の中で、御免、と謝罪し、大ききボーロは存在感の完全に消えたその身で、抱え、背負い、扉を開けて、廊下へと駆け出した。
大ききボーロのその行動に、困惑し、暴れ、声をあげるツグに、謝ることも今はしても意味がないし伝わらないと、そこは割り切る。存在感が戻るまでの間も、無駄にもできないのだから、と。
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