第三話 彼女は自蔑するのだろう。それ故に瞳の邪法と
自身に似つかわしくない宿。一人部屋。盗み見られる、盗み聞かれる心配もない。
(想像以上にリターンは大きかった……)
(この数か月……。彼らに価値があったり、後ろ盾がある可能性が無いとは言い切れなかった。だから私は受けざるを得なかった。首輪を付けられるとまではいかなくても、知られることによる危険は未知数だった。魔物の瞳を使って魔法を行使する。そんなもの、訊いたことがない……)
(知られていないだけで例が無い訳ではないかもしれなかったけれど、危険と見做され、排斥、最悪、討たれるまで……。そうはならなくても、マスターに悪意があったなら……。考えたくもない。でも、考えずにはいられない……)
(……。マスターはこれに関しての過去の例を提示する素振りは無かった。一部偽ってでも、例があるなら、提示して見せたら、向こうの望みにより近づいた筈。道を指し示す。教育。無駄を省く。無軌道を防ぐ。道の方向を制限する。でも、歩みは早くする)
(……。当たらずとも遠からずな思いつき。裏の無い善意。多分……これを選んで渡したことに、裏は無いんだと思う)
(聖水だって、きっと、そう。魔物の力を押さえる最もポピュラーな方法の一つだし、特に、混ざりものにそれは効く。私と外付けの瞳たちは、互いに異物。接合したら、ある意味、混ざり物、か。効くってことは、そういうこと、よね……。抑える手立てがあるってことはありがたいことだけれども、こんな手法、悪魔以上に悪魔染みて、悪辣で、悪趣味で、堕落してる……。何よりも、この在り方は、冒涜の体現の様な――)
現在、隻眼のコレクトル。一糸纏わず、ベッドの上に横たわって、天井へと伸ばしたような左腕、その手の先には、握られた二つの瞳。
眺めている。残された自身の右目で、二つの瞳を。
一つは、未だ生温く湿っている。赤黄色に煌めく蛇なる瞳。手にした元来と比べ、輝きと魔力も増しているのは気のせいではない。
もう一つは、ぽとぽとと滴っている。牛の特徴の色濃い、鬼交じりの牛擬きたる弱々しく、逃避の意図と終わりの水際が残留したかのような瞳。横長の黒き棒線のような光彩。それを囲うように、青黒く染まって濁った領域。そして、辺縁を白と血走る血管の痕跡。
(みんなの使う魔法とは、違い過ぎる。蒐集するには悪目立ちが過ぎる。人前で行使するには種類にかなりの制約がある。魔物の類と烙印を押される訳にはいかない……)
(邪蛇の類が魔法を使った姿は見知ってたから何とかなった。けど、これは……)
翳していた左腕から、
(聖水にもう、十分な時間、浸せた、と思う。血走りが痕跡になった昨日からもう、変化は無い。それに、この宿を使えるのもあと数日……。後を考えると、流石に限度)
(後の心配はしなくていい。宿主側に、交渉は済ませてある)
それを、手放す。
苦悶の尾を引く瞳が、廻り、落ち、嵌った。
それは、今後を考えての、実証。
「ぅぅぎ”ぃ”ぃ”ぃ……」
声だけは、せめて、と抑えに抑えた。色々と、漏れ始め、溢れ始め、流れ始め、嗚咽し始める。
(あの日は、本当に……運が、よかったんだ……)
自身の右目を喪ったあの日のことである。幸運な訳が無い。それでも。あのような状況に陥って、ある意味大切な失うにしては想定外もいいようなものは喪ったが、別の意味で大切なものの幾つかを喪わずに済んだ。それどころか、得た。
逃げるように里を出て。辿り着いた地で。想像よりもずっとましな状況で。
(だからこんな、残響、ごときに、負けてなんて、いられ、ない……)
どんどんひどくなる足許。
立ち上がる、汚泥の中から。
踏み、しめる。雷が落ちたかのような衝撃が、全身を伝う。それはきっと、その外来の瞳の、終焉の記憶。自分ではない別人の視界。逃げる遥か先を見据える、けれども霞む瞳。苦しくなる息。はちき切れそうな全身。強烈な寒気。そして――肚を、貫かれる感覚。魔力による底上げと制御を喪う四肢。崩れ倒れ、地面に抉れる。喪われてゆく熱。遠く、此処ではない草の原。果て無く続く、見果てぬそれ。それは、唯、平穏無事を求めて、自身が為だけに逃避した混ざり物の牡牛の末路。
性別こそ、種族こそ違うが、皮肉な位、それを引き継いだ、エルフの少女コレクトルに似付かわしかった。
自身由来のものに汚れ伏し、息絶え絶えに頭を起こし、滴るコレクトルは、強く疼く右眼を抜き取った。沈んでいたそれを拾い上げ、嵌めた。巨大な灼舌が周囲を薙ぎ払うようなエフェクト。熱の領域が展開され、シーツなどのベット一式、一瞬で、燃え尽きて、蒸気と灰に変わる。
体に残る残響。滴る液。生まれる痕跡。その個室に備え付けられた浄室の扉へとそれは続いた。
四角く、広い部屋。赤み掛かったオレンジ色のタイル地の、一辺3メートルの立方体な部屋である。
その部屋は、巨大な魔法具。浄室と呼称されるそれは、人間世界の金のあるところでのみ使用されるものとして。庶民以下の間では、生きているうちに一度は試してみたい憧れとして、話に出てくる。
扉である軟体か布か、その中間のような何か。内側から見たら、周囲のタイル地と同じに見え、外から見ると一見、しっかりとした、けれど無骨な、固く木目色の薄い木材の扉。
揺蕩うのが止み、一見、そこが密室になったところで、その魔道具は役割を果たす。外界と隔絶されたかのような完全防音完全防水の、暑くも寒くもない温度の空間が成立する。
空間が均一に、ミストに包まれる。その粒は大きくなって、無数に舞う滴になる。それは、一定の圧を持ち、特に汚濁のみを、表面から弾くように押し流す。
部屋から出ない限り、思う存分、その奇妙で奇異な不可思議を味わい続けることができる。一度っきりの体験としても実に最適な性質を持っている。
何とも便利この上ないその魔道具にも欠点はある。よく言われるのは三つ。
一つ。浄化対象は表面のみであること。中は対象の外のみ。だから、自ら手指を入れる必要がある。主に、髪の長い者がこれに関して文句を言いがちである。
二つ。所謂冷水であること。流れを作るために、熱を纏うはあまりに効率が落ちる故に。尤も、蛇眼を通じて熱を行使できるコレクトルには些細なことである。そして、これを交渉材料として、宿主に彼女は賢く提示していた。
そして――三つ。新たに生まれ続ける汚れの阻止には無力であること。
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