第十五話 割の良すぎる怪しい依頼 ~貴族の子息の護身術の稽古~ 三
コレクトルの席も用意され、勧められた紅茶に口をつけ、それをテーブルに置いたところで、
「早速ですが、条件を詰めていきましょう」
小さきマクスが、コレクトルに言った。
コレクトルがこくん、と頷き、
「契約書はこの場で作成します?」
と、背負ってきた袋の中から、羊皮紙とインクの瓶と羽根ペンを取り出し、インク瓶を開き、羽根ペンにインクを吸わせた。
「準備がいいな。それに、心得でもあるのか?」
そう、大きなポーロが感心しながら尋ねると、
「はい。付け焼きですが」
コレクトはそう、誇るでもなく、答えた。文字は元から読み書きでき、契約書の体裁や、記載の形式などは、予め、ツグやミツに教えて貰っていた。かなり気合の入った、前もっての準備。
「弟よ。どうする?」
「話に集中して貰うことに重点を置くべきしょう。グレン、頼む」
と、大ききポーロが、控えていた家令グレンへ指示すると、
「コレクトル様。面白いものを御見せしましょう。ペンを置いて頂けますか?」
すると、ペンがひとりでに浮かび上がり、そのペン先が、軌跡を描く。
【契約書】
と。
「そして。更にもう一枚に、もう一本」
家令グレンが、羊皮紙と羽根ペンを出し、放り投げると、地面に落ちず、
浮かんだままのそれら。
羽根ペンは、しゅっ、と机に向かってゆき、机に置かれた、蓋のあいたインク瓶にその先端を突っ込んで、同じように、
【契約書】
全く、同じ筆跡に、濃さ。まるで、複製の魔法でも使ったかのように。
「動作の記録と再生。それがわたくしの魔法で御座います。言葉を介する魔法の才能はからっきしですが、何故かこれだけは無詠唱で自由自在なので御座います。あまりに人が少ない。そう思いませんでしたか? それは、私が。一人で。事務仕事から力仕事、家事仕事まで含めて、殆ど全て任されているからでございます」
「ふふ、グレン。長すぎますよ」
「……。ごほん。では、そういうことですので、コレクトル様はお話に集中なさってください。契約書作成とは別に、今日ここで今からされる話は全て書き記されていただきますので、ご了承ください。こちらも同じように二点作成しておりますので」
「あ、ありがとうございます」
コレクトルはその魔法の、派手さは無いが、実に魔法らしい便利さにかなり食い気味になっていたからだ。使い道も使い勝手も、恐らく、恐ろしいくらいに広汎である。少なくとも、事務作業員何人分、いや、二桁、下手すればもっと――ともかく、言葉の通りなら、流動的な判断を必要としない、決められた仕事、判断が不要で動作が決まっている単純な仕事は、それ一つで、恐ろしいくらいの効率化が可能になる。
村で事務作業を一手に引き受けていたコレクトルは、凄まじい価値をそれに感じていて、想像が止まらなかったのである。
「では、さっそく、私たち特有の事情、というのを見せておきたいのですが、コレクトルさん、着替え、持ってきておりますか?」
「えぇ。まぁ」
と、コレクトルは、今しているローブな服装とは別に持ってきていた衣装を、荷物から取り出し、びらん、と見せた。それは、指定された役割である、メイド服。
「着替えのために部屋を貸していただけないでしょうか」
「いいえ、そういうつもりで言ったのではないのです」
「……。兄貴。後は俺が」
「頼みますよ。はぁ。どうも説明というのは苦手なのですよね……」
「コレクトルさん。俺らの一族はある特異体質を先祖から継いできているんだが、それは、他者の体験を追体験することと、自らの体験を他者に体験させることなのだ」
「……?」
「魔法ではない。恐らく。魔封じの類の効果は受けないことは実証済だからな。……。はぁ。俺も大概回りくどいな。兄貴のことを言えんな……」
「どうあったって説明しにくいことって、ありますし……」
自身の眼帯を上から抑えながら、コレクトルはそう言った。コレクトルは気を使ってそういった訳ではない。
「そうか。感謝する。できる限り簡潔に言うなら、俺たちは、貴方のナイフ使いの経験を辿らせて頂くことで、習得に掛かる時間を短くしたいのだよ」
「問題ありま…―いや、もしかしてですが、何かデメリットがあるのでしょうか……」
「あるといえばあるのだが、結構難しいところでな。兄上が着替えを用意させるために、貴方が街中でわざわざ着て歩かなさそうな服装を指定し、着替えとして持ってこさせた訳なのだが、……。すまん、後は、頼む……グレン……」
「ポーロ様……。貴方様もう良い齢ではありませんか。コレクトル様。ダールトン家の血統能力である、体験の共有は、再生する記憶の持ち主も、共有させて貰う側も、同じようにその過去を、まるで体験しているかのように、極めて鮮明に、追憶することになる、のです。つまり、用意した着替えというのは詰まるところ、衣類を汚すような体験がその中に含まれている場合を踏まえて、ということです」
そう、家令グレンは、自身の左目元を指差し、コレクトルに暗に伝える。
「……。覚悟、決まり過ぎではありませんか……? この眼を喪ったのは暴漢に襲われたときで、冒険で失った訳ではありませんので、ご心配なく」
そう、気丈にコレクトルはふるまってみせた。
「コレクトルさん。念のために、どういうものなのか、俺の経験の一つを追体験することで、試してみないか? 俺たちのこの奇妙な能力に貴方から見た想定外が無いか知るには多分一番いいやり方だと思うが。一応言っておくと、再生するのは、俺と兄上がグレンに鍛錬と称されてしごかれて二人そろって負ける、一連の記憶だ。右手の掌で、緩く握るように貴方の頭に触れることで、始まる。俺の手から頭から離れれば解除できるからそう心配はいらないと思う。ちなみに、逆に貴方の体験を共有させてもらう場合は、緩く握るように貴方の頭に触れる。この場合、再現されている体験の中で、貴方が意識して拒絶の意思を示したら解除される。この解除は拒めないから安心してくれてい。話が少し逸れたが、始めようと思う。心の準備ができたなら、席から立ってくれ」
そう言われて、コレクトルは間を開けることなく立ち上がった。
「怖がるでも不気味がるでもなく、わくわくして貰えるとは思わなかったよ」
と、大ききポーロの大きい掌が、コレクトルの頭へと、がっしりと乗ったのだった。