練習曲
年の瀬も押し迫り、夫夏彦は三度目の脳梗塞で入院してしまいました。手際よく手術をして頂き、大事には至りませんでした。家族三人それぞれに、終わりの日がある事をわきまえて置かなければならないと思いました。その日の為の練習曲・・頂いた命・時間を大切に過ごしたいと思いました。
朝ドラを見た後の事です。トーク番組を見ながら食卓を片付けて居る処でした。「えぇ~と・・今日のテレビ番組表は・・。年末だけどいつも見ている事件物ありますよ。その後も、西村京太郎の・・」私藍子がチャンネルで探して番組表を見ながら言うと。夫夏彦は「〇△□・・」「あれ何?お父さん!呂律・・可笑しいんじゃない?あえいうえおあお・・言うて見んさい」「あ・い・〇△□・あれ?」「あ・え・い・う・え・お・あ・お・」「あ・い・〇△□あれ?言えんのお・・ウフフ」「可笑しいね!兄ちゃんちょっと来て!」病気とは、突然に来るものです。隣の部屋に居る息子冬彦を呼んだのです。息子は直ぐに救急車を呼んでいた。「いいよ!いいよ!車で連れて行くから!」私が言うと・・「いらん!自分で行く!」夫は何時もの強い口調で断っている。電話口の医師が様子を聞いて下さっている。「救急車で行かれるべきです。直ぐに参ります。マスクをして健康保険証とか診察券を用意して下さい」救急車で行けて命拾い致しました。パジャマを着ていた夫にコートを着せる事が出来なかった。左手が通らず、手がずり落ちて居た。夫は台車に寝かされて車に入って行った。沢山の質問を受けている。「お名前は?生年月日は?今日は何月何日ですか?」一応答えている。夫夏彦は私の手を握っていた。大丈夫!大丈夫!と心で励ましていた。「日にちは、昨日クリスマスよ」私が言うと・・「12月26日です」「奥さんいつ頃から可笑しいと思いましたか」「今朝ですね。呂律が回らなくて、自分で笑ったんですよ」「ソックス・・夕べの事ですが、左足のソックス履きにくそうにしているので・・。手伝わない様にしてるんよ。と見ていた息子に説明をしたんです。時間を掛ければ自分で履けて居ました。それ位ですかね。脳梗塞で通院してます。今回で三回目の脳梗塞です。データーがありますのでK病院にお願いします」「健康保険証を見せて下さい。診察券をお借りします」救急車でも診察券要るのかなと思った。これは次に受け入れて頂くK病院への手続きなのであった。ピィーポーピィーポーと鳴らしながら病院の横駐車場に着くと、直ぐに救急処置室の扉が開いて・・医師と看護師さん沢山の方々に出迎えて貰っている。「お名前は?生年月日は?今日の日付は?」ちゃんと答えている・・。「ご家族の方はこちらからどうぞ・・出られたら、待合があります。そこでお待ちください。係りの者が参ります」と守衛さんかな?に案内された。「外で待って居るからね」と夏彦に合図して待合に居ると・・日常の事や酒を飲むとか、その量を尋ねたり・タバコを吸うとか、その量・・止めたのなら、いつ頃止めたか・・。食事の様子など。沢山の設問用紙を貰う。(造影)CT検査の説明と同意書。局所血栓溶解術、血管拡張術の説明・同意書。IVR(放射線画像下治療)の説明。看護計画説明。前後しながらとにかく沢山であった。問診が書けた頃、医師から・・「これから大腿動脈(足の付け根)の血管からカテーテル(細い管)を通して、脳血管の閉塞部位まで誘導・・右首の血管が少し細くなっています。脆くなっているのですが、気を付けます。血栓がありますので取り除きます」その後医師の説明が理解出来て居るか如何かを書くようになっていた。確認である、良く出来ていると思った。それと日頃の体調とかを質問・・「いつも左手は110度に曲げて、左腹の上です。動かそうと思えば動くんですけど、重いのでしょうか。右手は杖をついて居ます。杖をついて家の中を歩きます。お風呂もトイレも自分で出来ます。食事も自分で・・時間を掛ければ、完食しています」看護師からは患者の日頃の様子を尋ねられた。性質は話をするのが好きですと書いて居る。「二階の集中治療室前でお待ちください。食事も済ませて下さい」(問診や説明、同意書は充分に出来ている。家に帰り、もう一度読んで、確認して居る)お昼過ぎ頃、担当医師が説明して下さった。「右首の血管の少し細くなって居る処・・長い血栓が出て来ました。脳に行く手前でした」ホルマリン漬けした血栓、血管の中だから細く長い・・10㎝位にもなっている。インターネットで見た事がありまして、恐ろしくなりました。ワクチンと結び付けて騒いでいる人達・・我が息子も気にしている。本当に関係あるのだろうか?
それと半年前、夏彦の足先が腫れて来るので、慌てて予約なしで検査をして貰った事を思い出しました。(人工血管置換術をして貰った5年前も足先がパンパンに腫れていたから、もしもまた再発かなと思いました)半年前のその時はまだ異常は見つからなかった。
これから集中治療室に移されて、診て頂くのである。アメニティセットとオムツを申し込んだ。コロナの影響で見舞いにも制限があり、お任せして帰る事になりました。明後日からは病院も休みになるので、家族でも出入りできないと云うのである。次の日一般病棟に移された。症状は進んで居なかった。顔色もよく呂律も回っているから、一安心です。只・・同室にコロナと判明した患者さんが居られて・・濃厚接触者となったのです。検査結果が出るまで、別の部屋に隔離されてしまいました。テレビカードが無いと言っても・・お金も届けられない。守衛室にお願いして届けて頂く事になりました。
夫夏彦は入院した折・・あれを持って来てくれ・・これを持って来てくれ・・と電話を掛けて来る人なんです。不安なのであろうか。今回も「いつもの薬瓶を持って来てくれ」と言うんです。「病院じゃから点滴に同じ薬入って居るよ」と言うのだが・・心細いのであろうか。ナースステイション迄届けたけれど・・注意されてしまいました。コロナ禍で夫は濃厚接触者なのでした。
息子冬彦と二人だけの年越しです。玄関にお正月花を飾って、一応のお正月準備はしてあります。冬彦が5人前のおせちを注文して呉れていました。「二人で食すのは勿体ないから・・半分取って冷凍して置くからね。お父さんが帰って来た時にね」「好きにしんさい」冬彦は言って呉れました。他にお刺身・煮物・酢の物・唐揚げなどありますので、結構な夕餉になりました。それに年越し蕎麦も量は半分位で作ります。結婚50年・・金婚式の年でもありました。年越しが息子と二人だけ、夫夏彦は三度目の脳梗塞をして入院中です。最悪とは思いませんでした。処置が早かったお蔭で、呂律も回って居るし普通に歩くことが出来ている。血栓を取り除いて頂いて、すっきりしたのかな?と思っています。そんな訳で藍子は、今迄の疲れが出たのかも知れない。寂しいとは思いませんでした。ぐっすり眠りたいと思いました。テレビを見てゴロゴロして見たいと思いました。コロナ禍です・・家族でも、病院に入れません。お蔭様で4日までゆっくり出来ます。有難いと思いました。(命に別状は無いから言える事です)
元旦 お屠蘇セットも出して・・一応のお正月気分になりました。年賀状は、5年前に遠慮させて頂く旨の挨拶をしています。息子と二人のんびりと過ごしました。3日は一人でデパートに出掛けました。夫が家に居ないから、ゆっくり買い物をして帰ろうと思いました。しかしながら、買ったものは・・娘真理子が見舞いに帰るというので、その部屋着・・。古くなったので、ソックスと下着。試作品の(量産前)レース使いの紺色のブラウスは掘り出し物です。良かった!嬉しい!福袋とチョコレートパフェは止めて早く帰りました。家が一番いいと思いました。(夫が病気では・・むしろ喧嘩などしていたら、派手な洋服買ったかな?)息子冬彦は遠くの神社に、初詣に行っていました。お父さんには厄除けのお守りをお土産にしていました。
息子冬彦はせっせと家の用事をするようになりました。と言うのも・・自分の思い込み部分だけですが、用事をして貰えるだけでも、有難いものです。例えば・・お風呂には常に水を張って置かなければならない。水道の水は浄水しなくてはならない。コーヒーはこの会社が良いとか、牛乳はこの種類・・歯磨は・・。「そこ迄言うなら、食べる物無くなってしまうよ。良い事だけど臨機応変にしてはどうですか。それに親達は後何年かの命なんよ、それ程しても大差ないと思う。それよりも独立して、自分の思う様に生きて行くことを考えて下さいよ。私達にも終わりがある事を考えて置いて下さい。今回は共に一人になる為の心の練習かも知れんよ」
朝、担当医師から電話がありました・・「退院日は何時にされますか?」「いつでもいいのですか?」退院日は病院の方で決めて貰って居たけどな・・。「明日も明後日もお休みですが、事務局の方はいいのでしょうか?」「請求書は後日郵便で送りますから」「そうですか。こちらも何時でもいいです。では明後日でお願いします」家族の体調も気遣って下さるのでしょうか。明後日・・遅い方にして貰って居ました。部屋の掃除とお布団を干して置きます。すみません、そして私も元気になって迎えに行きます。いつか人は終わりの日が来ます、今回は練習曲でしたか?・・頂いた命と時間を大切に過ごします。もう愚痴は零しません。頑張ります。 合掌
入院前と退院後とは、思いが違います。悪い物を取り除いたように・・わだかまりが砕かれたように、思われてなりません。いつかそれぞれに終わりの日が来ることを自覚して、今日の日を大切にしたいと思いました。