表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

6日目・7日目

 私は、子どもを産んだことがありません。結婚は夢のまた夢、一生そばにいたいと思えるぐらい、誰かを愛したことさえないのです。

「かあさま、ただいま」

「おかえりなさい」

 今日、私に「子ども」が来ました。スノウホワイトのあたたかい格好をした、守ってあげないとはかなく溶けてしまいそうな、男の子です。

「かあさま、ココアの牛乳を、たっぷり入れてくださいますか」

「いいですよ」

 たいていのお店で売っていて、数百円で手に入れられる飲み物を「贅沢」だという子に、もっと贅沢させてあげたくなりました。仕上げに、生クリームを絞るのです。すでに混ぜられて袋に詰められている物があることを、学校の同級生から聞きました。

「いただきます。わあ、洋菓子のようだ」

「スプーンで混ぜても、そのまますくって食べても、おいしいよ」

 この子との夜が、私をさびしくさせなくなりました。この子のお母さんを苦しめた病気を調べたくて、他にかかった人を治したくて、勉強にも身が入りました。担任の先生に「やったらできるじゃない。遅咲きだったのね」と背中を叩かれ、必ず夢を叶えようと思いました。

「ごちそうさまでした。かあさま、それでは行って参ります」

 私は急いで椅子を離れ、彼を抱きしめました。

「いってらっしゃい。気をつけて」

 綿雪にまぎれて、彼は出かけました。



 月が明るかった、7度目の夜。ココアを飲んだ彼は、ゆっくりと言いました。

「お別れの日が、来ました」

 2枚重ねたアルミ製のお椀を、うっかり落としそうになりました。

「明日から、帰ってこないということ?」

 彼は意志の強い瞳を、私に向けました。

「港の名前を思い出せたのです。そこへ行きます」

「私もついていくよ。お母さんだから」

「かあさまは、まだ来てはなりません」

「どうして……」

「夢があるのでしょう。かあさまはそれを叶えなくては」

 白い手が、私の腰にまわりました。重ね着していたのですが、ひんやりとしました。

「かあさまにも、海へ行かねばならない日が来ます。そうしたら、もう1度会えるかもしれません」

「……今は、いけないの?」

 私のおなかに、彼は頭をこすりつけました。

「かあさまには、この先も元気でいてもらいたいのです。あちらに行ったかあさまの分まで」

「わずかな時間だった……。もっとお母さんらしいことをしてあげたかったな」

「ぼくも、もっと、子どもでいたかったです」

「待っていて」

 彼を座らせ、私は台所へお椀を運びました。大家さんに、かき氷器を借りて良かったと心から思いました。大家さんには怪訝な顔をされましたが、いつかこの子に食べさせたくて。業務用スーパーまで隣町へ行って良かった、何でも売っているという、うたい文句は、嘘ではありませんでした。みぞれ味のシロップをやっと見つけられて、お店の中で飛び上がりました。

「冷蔵庫の氷だから、透き通っていないけど……」

「かあさま…………!」

 母と子の、内緒の味を食べてもらいましょう。季節外れですが、召しあがれ。

「ありがとう……、ありがとう……、かあさま。最高の贅沢です」

「お母さん、とっても嬉しいよ。私のは、海の味がするな……甘いけど、塩の味…………」

 鼻をすすりながら、私は彼においていかれないよう、スプーンを進めました。

「……最後に、教えてほしいことがあるんだけど、いいですか?」

「かあさまになら、何でも」

「お名前は? お母さんなのに子どもの名前を知らないのは、おかしいよ」

 水が一滴も見当たらないお椀をテーブルに置き、彼は穏やかに言いました。

「作歩、み わ じ ら さ く ほ」

窓へ走り、彼は指で文字を書きました。「水和(みわ)(じら)(さく)()」。彼の名前でした。

「それでは、行って参ります。さようなら」

 私は、ドアを押す彼の肩を、ぎゅっとつかみました。

「ハルよ、ハル! 百色(ももしき)ハル!」

 彼は、やや驚いたようでしたが、大人びた表情になってうなずきました。

「海に行っても、覚えていて! 私、あなたに会えて、本当に…………!!」


 彼がいなくなって、ドアに背を預け、膝を抱えて私は赤ちゃんのように泣きました。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ