夢うつつ 民話 なたれ小僧様より
今日もまたパッとしない一日だった。上司からは企画書のダメ出しを食らい一からやり直しと告げられ、営業先では約束の時間を間違えたっぷり油を絞られる。足は棒のようになり、疲れがミルフィーユの様に積み重なっていく。私は福岡と熊本の県境の田舎まちで育ち東京へ進学した。ほどほどの大学に入り、ほどほどの成績で卒業、その後ほどほどの会社に入社した。もうすぐ30歳を迎え社内でも中堅に数えられるがいまだにうだつが上がらない。
仕事も終わりボロボロの身体で電車に乗った。電車は混み、座れない。1時間半も手すりにつかまり揺られると思うと糸の切れた操り人形になった気分だ。しばらくすると前の席が空いた。今日唯一の幸運がやって来た。小さな幸運に大喜びし私は席に座った。ほっとひと息つくとそのまま眠りに落ちていた。
どれくらい寝ていたのだろう、私は誰かの熱い視線を感じて目を覚ました。目の前には青色の大きな箱を置いたおばあさんが私の顔をまじまじと見つめている。私は反射的に立ち上がりおばあさんに席を譲った。おばあさんはお礼を言い席に座ると荷物を足元に置いた。あんなにじっと見つめなくても良いのにと心の中でつぶやく。それにしても目力だけで私の眠りを覚ますとはたいしたものだ。おばあさんは手持ち無沙汰な様子で時折私の顔を見上げる。目が合うとにっこり笑い目尻に皺を寄せなんとも心温まる。席を譲った甲斐があったと思いながらゆれる電車に体を任せる。
降りる駅に着くとおばあさんも席を立ち扉に向かい歩き始めた。同じ駅で降りるのだ。おばあさんは両手で抱えた荷物が重そうでよちよち歩いている。見ていられなくなり「荷物を持ちましょうか」と声をかけた。彼女は大袈裟な笑みを浮かべ、頷きながら私に荷物を渡した。片手で受け取った荷物はとても重く、身体は傾き私までその場でよろけた。なんでこんな重い荷物を持っているのだ。とても老人の持てる重さではない。一体何が入っているのか。私の頭の中は「はてな」でいっぱいになる。電車を降り駅の出口まで来る頃には私の額から大粒の汗が流れだしていた。ここからバスに乗って帰るというのでどうにかバス停まで荷物を運んだ。おばあさんと別れると荷物を持っていた手が痺れていた。あんな重い荷物を抱えバスに乗れるのか。ただ、親切もあまり度が過ぎると変な誤解を受けると思い、私は駅ナカのスーパーへ弁当を買いに向かった。時間も遅く置いてある弁当は少なかったが半額のシールが貼ってある。妙に得した気分だ。
買い物を終えバス停に向かうとおばあさんが私を待っていたかのようにベンチに座っていた。周りに人影もなくバスは何台か到着しているはずだ。私は仕方なく声をかけた。するとおばあさんは、バスに乗ろうと荷物を抱えた時腰を痛めしばらく座っていたのだと言う。今日はこのおばあさんと縁があるらしくバスの行先も私と同じだと分かった。バスが到着するとおばあさんは手ぶらで乗り込み、私は重い荷物を手に持ち乗り込んだ。成り行きで家まで送ることになった。やはり今日はついていない。
バスを降りると彼女の道案内で細い路地に入る。外灯もなく辺りは真っ暗闇だ。家から漏れる灯りをたよりに彼女の後を追いかけ歩く。少し心細くなっている私をよそにおばあさんは歩みを早め昔の話をし始めた。この辺りは一面田んぼだったとか狸が出ていたとか。相槌を打つ私は荷物が重く体が斜めに傾きながら歩いていた。私は帰り道を心配しながら必死で彼女に着いていく。
彼女の家に着くと上がるよう勧められたが、お腹も空いていたので玄関先に荷物を置きすぐに帰ろうとした。するとおばあさんはお礼にと私にキーホルダーをくれた。鼻水を垂らした子供の絵柄だ。不思議そうに眺める私におばあさんはなんでも願い事が叶うはなたれ小僧だと言う。彼女は大丈夫なのか、そう思ったが話が長くなるのを恐れ素直に貰う事にした。彼女の家を後にした私は、無事バス停までたどり着くのか不安な思いではなたれ小僧を眺めた。ふと、田舎に伝わる昔話を思い出した。しかし願いが叶うキーホルダーなんて聞いたことが無い。私はそのままカバンの中に放り込んだ。
今日は大事な取引先のプレゼンだ。この日のために私は半年前から準備をしていた。このプレゼンに成功し冴えない人生ともおさらばしたい。取引先に一番に乗り込み資料配りやスライドの設定を終え最後に発表用に作った資料をカバンから取り出そうした。しかしその資料が見当たらない。
「うそ、最後にカバンに入れたはずだ」
私は慌ててカバンの中身を全部出した。しかし資料はない。悪い夢を見ているのか。夢なら今すぐ覚めてくれ。はぁ、冴えない人生はまだまだ続きそうだ。いや、このプレゼンに失敗したら冴えないどころで済まされないぞ。私は腕時計を見た。会議まであと20分。会社の人に届けてもらうにしても片道40分はかかる。終わった。完全に終わってしまった。放心状態の私は、カバンから出した書類をぼんやり眺めていた。書類の中にキーホルダーが挟まっている。手に取るとおばあさんから貰ったはなたれ小僧様が、私と同じ間抜けな顔をしている。そう言えばあの時、おばあさんはなんでも願い事が叶うと言っていた。私は藁にも縋る想いでキーホルダーに願い事をする。
「はなたれ小僧様私の大事な資料を今すぐここに持ってきてください」
私は念仏を唱えるようにつぶやいた。一瞬、鼻をすするような音が聞こえた。あたりを見渡すが、誰もいないし何も変わらない。その時、会社の同僚達が会議室に入って来た。そのうちの一人が私にファイルを手渡した。
「今日は期待しているぞ。これで主任間違いなしだな」
手にしたファイルには発表用の資料が入っている。はなたれ小僧様が願いを叶えてくれたのか。同僚達の声も私の耳に届かない。私は手の中の小僧様を見つめ「ありがとうございます」と小声でささやき胸ポケットに入れた。
プレゼンは無事終わり取引先の評価も上々だった。半年間取り組んだ仕事も無事終わり、晴れ晴れとした気分だ。はなたれ小僧様のおかげだ。そう言えば、昔話ではエビナマスを食べさせていたようだが。
その後、私ははなたれ小僧様に2つの願い事をした。1つ目は女性と付き合ったことのない私が願うお決まりの言葉。
「はなたれ小僧様。私に彼女が出来ますようお願いします」
すると、再び鼻をすする音が聞こえた。次の日、会社でも人気の女の子から告白された。なぜ私なのかと聞くと、彼女は毎日上司から怒られてもヘコたれない姿に惹かれたと言った。褒められているのか、けなされているのか解らない。何はさておき願いは叶った。
2つ目の願い事は、年末の宝くじを買った時にした。今年もまたよく当たると言われている売り場までわざわざ足を運んだ。勿論はなたれ小僧様は胸ポットに入れている。売り場に到着するとすでに大勢の人が並んでいた。私は列に並び宝くじを買った。手にした宝くじとキーホルダーを両手に包み込み拝むように話しかける。
「はなたれ小僧様。どうかこの宝くじを当てて下さい」
みたび、鼻をすする音が聞こえて来た。この音は願いを聞き入れてくれた合図なのか。そう思いながら私は宝くじとキーホルダーを胸ポケットにいれた。なぜか私の頬は緩み通りを歩く人は気味悪そうに避けて歩く。年末が楽しみだ。今年はいつもと違う年の瀬になるだろう。
年末、テーブルにバラで買った宝くじを広げテレビを着けた。末等から順に抽選が始まり残り3つを残すのみだ。徐々に緊張が高まり手の平にじんわり汗をかいている。3等の当選番号がテレビに映った。なんと目の前に同じ番号の宝くじがある。3等、100万円が当ったのだ。慌ててくじを手に取り、もう一度当選番号と見比べる。同じだ。1等の抽選前に当たりくじが出る意外な展開。その後抽選が進んだが、結局当りくじは3等だけだった。1等を期待していた私は気落ちしキーホルダーに目を移す。そう言えばあの時、宝くじが当たりますようにと願っただけだった。もし、1等が当りますようにと願っていたら違う結果になっていたのか。悔しさは残るが、新年に100万円のお年玉は私を楽しませてくれるのに十分だ。
正月も過ぎ、私ははなたれ小僧様をくれたおばあさんの家にお礼に行くことにした。手土産のいちご大福は東京でも評判のお店の代物だ。おばあさんの喜ぶ顔を思いながら家に向かった。
暗い時に一度行ったきり、家にたどり着くのか不安に思ったが不思議とスムーズに行けた。木造の家はあちこち傷んでいる。前に訪れた時は暗く気付かなかったが、彼女はなぜ鼻たれ小僧様に古くなった家を直してもらうよう願わないのか。そう思いながら家の呼び鈴を鳴らした。呼び鈴の音が妙に懐かしい。中からおばあさんの声が聞こえ、ガラス戸の玄関に人影が写った。私が戸を開けるとおばあさんが出迎えてくれた。
玄関で挨拶を済ませ、私は居間に通された。茶色い格子柄のカバーが掛けられたこたつが部屋の中央に陣取っている。付きっぱなしのテレビから流れる音だけが寂しさを紛らわす様に響く。彼女はテレビを消し、私にこたつに入るよう勧めた。こたつは掘りこたつなっており、足元のヒーターが狭いこたつを温めていた。土産のいちご大福を渡すとさっそくお茶と一緒に出してくれた。彼女は息子の小さい頃の話を目尻に皺を寄せながら楽しそうに話している。きっと大切に育てられたに違いない、そう思いながら今はどうしているのかと尋ねた。するとおばあちゃんは急に悲しい表情になりひとり息子は30歳の時、交通事故で亡くなったと話した。しまった、と思ったがもう手遅れだ。温かい部屋の空気が急に寒くなり何処からともなくすきま風が入って来た。外は今にも雪が降り出すような寒さだ。すきま風の入る部屋では彼女が体調を壊しかねない。私はこのキーホルダーを返すので部屋の修理をお願いしてはと話した。すると彼女は大丈夫、慣れていると言い受け取らない。また、小僧様がいるので心配ないと言う。私は少し痴呆があるのかと思いながら、その場は聞き流す。年を取ると仕方ない。私はまた遊びに来ようと思った。
最後に仏壇にお参りして帰ろうと思い、仏間へ案内してもらった。部屋に入ると前に運んだ青い空箱とテーブルの上にエビナマスが置いてあった。
「エビナマス」
私は何か思い出せないモヤモヤとした感情が湧いた。しかし仏壇の前に座るとそのモヤモヤも忘れ、鐘を鳴し静かに手を合わせた。鐘の音が静かな部屋に響き渡る。私はおばあさんがいつまでも元気で過ごせますよう願った。
お参りを済ませ立ち上がると仏壇に一枚の写真が飾られていた。若い頃の家族写真の様だ。右には旦那さん。優しそうな眼差で写っている。真中にいるのは若い頃のおばあさんの様だ。綺麗な女性は幸せいっぱいの笑みを浮かべている。今もなおその面影は残っている様だ。一番左に息子が写っていた。
「えっ」
その姿に驚き、私は素っ頓狂な声を挙げた。なんと私にそっくりな若者が写真に写っている。そっくりと言うレベルではない。今の私が写っているのだ。急に心臓の音が耳に響き、寒い部屋にもかかわらず額から汗が流れる。写真の前で立ちすくむ私に、後ろからおばあさんの声が聞こえる。
「おかえり、いさお」
彼女はなぜ、知るはずのない私の名前を呼ぶのか。顔が強張っているのが自分でも分る。振り向くのが怖い。彼女はどんな顔で私を見ているのか。体が動かない。頭の中も機能停止状態だ。
意を決し振り返ると、おばあさんの眼からなみだの雫がこぼれ落ちている。何か遠い昔を懐かしむ様に私を観ている。背中に寒気が走り私は視線を逸らした。その時、家のどこかで物音が聞こえ、突然障子に人影が写った。障子に現れた黒い影は子供の様だ。なぜここに子供がいるのか。もしかして・・・。小さな手の影が障子に伸び、音もたてずに開かれた。