第9話 足利義政薨去
九代将軍義煕くんが早逝した後、政務に復帰した八代将軍義政伯父さんなんだけど、健康面で限界が来ていたみたいだ。
元々発作を起こして倒れたことが過去にもあったらしいのだが、長享三年(一四八九年)八月に再び発作に襲われた。
義政伯父さんは今回の発作が原因で右半身が上手く動かせなくなったらしい。それでも権力を手放さずに頑張った。庭園造りにどこまで貪欲なのかと。
その二ヶ月後、元号が変わって延徳元年十月、伯父さんはまたまた発作で倒れる。もはやこれまでと誰もが思うような状態だったらしいが、ここでも見事に復活した。
さすがの伯父さんも死期を悟ったのか、ボクと親父様がお見舞いに訪れることを許可してくれた。京の都にやって来てから半年ほど経つが、初めて面会が許されたのだ。
義政伯父さんと親父様が直接顔を合わせるのは、およそ二十年振りだ。応仁の乱の最中に、親父様が西軍に寝返って以来の対面になる。
病床の伯父さんは弱々しく見えたが、強い意志を感じさせた。特に足利将軍家の行く末に関しては非常に心配しているようだった。
ボクに対しては「後を頼んだ」と言い渡し、親父様に対しては「余の狭量さのせいで苦労をかけた。これからは将軍家を盛り立ててくれ」と言葉をかけてくれた。
これらの言葉に親父様は泣き崩れた。二十年振りに兄弟の仲が修復されたのだ。
年が明けて延徳二年(一四九〇年)正月七日、義政伯父さんは永遠に帰らぬ人となった。享年五十五歳。
ライフワークだった東山山荘の造営だが、銀閣の上棟は昨年実施されていて、伯父さんはなんとか見届けることができた。あと少しで完成する庭園の工事は伯父さんの死後も続けられることが決まっている。
今回の葬儀はボクたち親子も参列することが許された。富子伯母さんの計らいである。
義政伯父さんは生前、遠く美濃国で暮らしている弟のことを気遣っていて、こっそりと便宜をはかってくれていたという話を葬儀の場で参列者から教えてもらった。この兄弟はもう少し早く和解できたのではないかというのがボクの感想だ。
ともあれ、義政伯父さんが亡くなったことで、次代将軍の選抜が始まった。
候補者はボクと清晃くんの二人。
ボクの主な支持者は日野富子伯母さんと畠山政長さん。政長さんは元東軍所属なのに、こちらに付いてくれるなんて本当に有り難い。
対する清晃くんの方は細川政元と伊勢貞宗さん。……政元はともかく、貞宗さんもあちらに付いてしまったのは悲しいなあ。
次期将軍を巡る政治駆け引きが行われた結果、ボクが十代将軍に就任すると決定した。やはり富子伯母さんの発言力が強く、反対派を封じ込めてしまったようだ。
……この人には一生頭が上がらないな。
多くの人に支えられながら、ボクの将軍就任は秒読み段階に入ったのであった。