最終話 知命
長嘉十二年(一五一五年)。
ボクは知命の五十歳を迎えていた。孔子と違って、別に天命なんて悟っていないけどね。
将軍職は既に倅へ譲って、今は悠々自適の隠居生活を送っている。
倅というのは、ボクと政元の間に生まれた長男坊である。結局、ボクは男児を一人しか授からなかったのだ。女の子は四人産まれたんだけど。
将軍家の「義」と政元の「元」で「義元」って名前を付けようかと思ったりもしたけど、あまりにも安直な命名なのと、有名武将と名前が丸被りなのとで取りやめにした。代わりに「義礎」とした。第十一代将軍足利義礎である。
ボクは政治の世界から完全に身を退いて、倅に全てを任せている。父親が口出しをして親子仲が険悪になるのは嫌だったしね。困ったことがあったら相談しに来いとだけ言ってある。
ボクの妹の聖寿が倅をサポートしてくれているというのが大きいのか、今のところ一回も相談に来てくれていない。父親として頼もしいのと寂しいのが半々くらいの心もちである。
幕府が抱えていた難題をボクがだいたい片付けたから、後を継いだ倅が楽をできているのだ。そう思い込むようにしている。
将軍家だけではなく、細川家も代替わりしている。
讃州家から迎え入れた新嫡男くんがそのまま京兆家を受け継いだ。名前はボクの一字を与えて「細川材元」とした。何やら日本酒の作り方みたいな響きだが仕方ない。我慢してもらおう。
元嫡男だった聡明丸くんは、三河守護となって見事に平定してのけた。面倒な気質だと評判の三河武士たちを服属させるとはお見事としか言えない。彼にもボクの一字を与えて「細川材之」と名付けた。
他の諸家もほとんど代替わりをしている。若い世代がこの平和な世を牽引していくのだ。
そう。平和な世の中なのである。
本来ならば、日本全国の大名が合戦につぐ合戦を繰り広げる戦国時代のはずなのに。
歴史が完璧に変わってしまっていて、他国へ攻め込むだとか、家臣が主君を討つだとか、そんな剣呑なことが起こらないのだ。わざわざ幕府が関与するまでもない小競り合いが、日本のどこかで散発的に発生するのがせいぜいである。あの関東武士ですら戦争を起こしていない。
守護が他人様の所領を収奪することもほとんどなくなってしまった。
ひとえに足利将軍がにらみをきかせているからである。何か悪さをすると、すぐに将軍からの叱責が飛ぶ。それを無視したら、次は幕府軍が送り込まれてしまう。そんなわけで、全国の有力者はおとなしくせざるを得ないのだ。
将軍家は山城国を保有するくらいでそこまで強いというわけではないが、後ろに細川家が控えている。将軍に逆らうということは、細川の大軍を敵に回すということと同義なのだ。
完全に虎の威を借る狐ですね!
細川家のおかげなのだが、足利将軍の権威が高まっているのも事実である。
応仁の乱後に地方へ下向していた守護も、足利将軍に目を付けられたくないのか自発的に京の都に戻ってきた。幕府の力が強くなった結果、各地の状況も安定したので、領地から離れられるようになったという事情もあるのだろう。
ボクとしては参勤交代制度みたいに年一回顔を出すくらいで構わなかったのだけど、まあ良しとしましょう。
ともあれ、細川家と仲違いをしてしまったら将軍家が転んでしまうという図式なのは間違いない。畠山とか他の有力大名もいるけれど、やはり細川が別格すぎる。
ボクの代では細川政元と歩調を合わせることができたから、大きな問題は起こらなかった。
次の世代でどうなるかは分からないけど、倅には細川と絶対に喧嘩をするなと言い含めてある。これを守っていれば、当分は平和な日々が続くはずだ。
細川に頼りっぱなしなのは危ういかもしれない。そこは何代か先の子孫が上手く軌道修正してくれるでしょ。と勝手に思い込んでいる。
色々と残存課題はあるけど、とりあえずは将軍家の分裂は防いだわけだから、室町幕府はボクが知る歴史よりも長続きすると信じたい。
「……いやはや、随分と険しそうな山であるな」
ボクは思考を止めて、目の前の山に意識を向けた。
眼前には熊野の山並みが広がっている。
政元に付き合って修験道の修行を始めたわけだったが、予想外にボクもはまってしまった。信心はそれほど持っていないけど、心身が鍛えられるのが楽しくて何度も通いたくなるのだ。遙か未来の二十一世紀まで修験道が続いていく理由が分かった気がする。
現役将軍だった頃は京から近い山で度々修行をし、隠居した後は各地の霊山を訪れるくらいに修験道に漬かってしまっている。
こんなボクに付いたあだ名が「山伏公方」。もしくは「天狗公方」。
もう一つ酷いあだ名がある。あちこちの山を流れ歩いて修行をしているから「流れ公方」。
意味合いは違うけど、結局流れ公方って呼ばれる運命なのかよ!
このあだ名だけは勘弁してもらいたいんだけど仕方がない。諦めました。
「上の空のようですが、いかがなさいましたか?」
細川政元が馬を近づけてきた。
修行をする時は彼女と一緒に行動している。今までずっと。そしてこれからもずっと。
「天は何を考えて余をこの世に生み落としたのかを考えておった」
ボクはいい加減な返事をした。あだ名について愚痴っても仕方がないし。
すると、政元は神妙な顔をボクに向けてくる。
「人ごときが天の崇高な考えを解することができるとは思えませぬが、私なりの答えは持っております」
「ほう、どのような答えであるか?」
「全ての人は、現世をより良くするために生まれるのではないでしょうか。何もできなかった者や、逆に悪くしてしまった者もいるでしょうが、良くしている者の方が多いはず。故に世の中は常に良き方へ進んでいると思います」
「前向きな考え方であるな」
彼女の言葉を反芻してみる。
ボクが時間を逆行して生まれ変わったのも、ひょっとしたら世の中を良い方向へ進めるためだったのかもしれない。たとえば、戦国乱世の大混乱を回避させるためとか。そして、ボクはそれを見事に成功させた。
正解かどうか分からないけど、ボクは勝手に思い込むことにした。
「おや? 何をにやけているのですか?」
「五十にして天命を知るという孔子の言葉が、たった今分かったような気がする」
「いかなる意でしょう?」
「――つまらぬ戯れ言だ。忘れよ」
ボクは適当に誤魔化して笑った。
そして、明るい声で政元に告げる。
「天命とか小難しいことを考えるのは性に合わぬ。しかし、お主に出会えたことだけは天に感謝しているぞ」
彼女は一瞬キョトンとした顔になったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「同感にございます。これからも末永く共に歩んでくださいませ」
(完)
※長嘉という元号は架空のものです。
これにて流れ公方転生は完結となります。ここまで読んでいただきまして本当にありがとうございました。
筆者が想像していたよりもはるかに多くのPV・ブックマーク・評価を頂戴しまして、感謝の念にたえません。おかげで楽しく毎日の投稿作業ができました。
またお目にかかった時は変わらぬご厚情を賜りますようお願い申し上げます。




