第69話 遺産相続
明応五年(一四九六年)十月。日野富子伯母さんが倒れた。
その報を聞いてボクは急いで駆けつけたが間に合わなかった。
享年五十七歳。大往生であった。
彼女の訃報を聞いて、都では公家も武家も仏僧も神官も大勢が悲しんだ。後世で悪女呼ばわりされる彼女だが、実はこの時代の人々に意外と慕われていたのだ。銭を集めるのが大好きであるのと同時に、気前よく銭を使う女性でもあった。そんな伯母さんに施しを受けた人が多数いるのである。
翌月、伯母さんの葬儀が行われた。生前お世話になったボクが主導して、大々的にお弔いをした。
年が明けて明応六年(一四九七年)正月。
思わぬ話が飛び込んできた。富子伯母さんの遺産の一部がボクに贈られるらしい。どうやら、伯母さんがそうするよう言い遺していたようである。
結局、伯母さんとボクは仲違いをせずにずっと歩みを共にしてきた。そのことに対する伯母さんからのお礼なのだろうか。仲良く付き合えたことを喜んでもらえていたのなら、甥っ子としても嬉しい限りである。
「あ、兄上……。妙善院様(日野富子)から賜りものなのですが……」
日野家から届いた書状を読みながら、聖寿がボクに告げてきた。彼女の唇はわなわなと震えていて、明らかに動揺している。
はたしてどんなことが書かれているのだろうか。
「兄上に九千貫文(およそ九億円)を遺してくれたとのこと」
「――は?」
金額があまりにも大きすぎて、一瞬理解が遅れた。
どれだけ銭を集めていたのだろうか、富子伯母さんは? 生前、あちこちに寄付しまくっていたはずなのにまだこんなに残っていたとは。ボクだけではなく日野家にも財産を遺しているのだから、彼女の遺産はとてつもなく巨額だ。
「九千貫文とは一文銭がどれほどになるのだ? 多すぎて見当もつかぬぞ」
「落ち着いて下さいませ、兄上。全てが銭貨というわけではありませぬ」
「ん? そうなのか?」
「物品もございます。これらを売りさばけば、そのくらいの銭になるのではないかと憶測されているだけのことです。ひょっとすると、九千貫文よりも多くなるかもしれませんし、少なくなるかもしれません」
なるほど。全て貨幣というわけではないのか。
「伯母上のご厚意、しかと受け取った。大切に使わせて頂こう」
真っ先に思いついたのは室町第の再興だ。そろそろボクの正式な住居が欲しいのです。
応仁の乱で焼け落ちた内裏を再建した費用が一万一千貫文(およそ十一億円)だったと聞いたことがある。室町第は内裏よりも小規模で問題ないから、富子伯母さんの遺産で充分再建可能なはずだ。
とボクが考えていると、聖寿が機先を制してきた。
「まずは主上(後土御門天皇)に譲位して頂くべきかと」
「……聖寿は伊勢守(伊勢貞陸)と似たようなことを申すようになったな」
「兄上に正しき道を進んで頂きたいと、伊勢守様も私も思っているからこそにございます」
妹ちゃんの意見が正しいです、はい。
天皇の譲位にかかる費用は、さすがに九千貫文を丸々使うということはないだろう。となると、残金を他に回せる。お金が足りなくて手を出せなかった物事がたくさんあったわけだから、その中のどれかを……。
「あ、そうだ」
良い考えが思い浮かんだ。
このお金を元手にしてもっと増やせば良いのだ。
具体的な話をすると、日明貿易である。資金不足と、細川家の協力が得られないということで断念していたことを思い出した。今ならば資金もあるし、細川家も手伝ってくれるだろう。
日明貿易で得た収入で室町第を再興したり、足軽部隊を創設したりしていけば良い。
やりたかったことを気長にのんびりと進めていきましょう。




