第67話 正室が来る
明応五年(一四九六年)三月。
「ついに逃げきれなくなったか……」
とうとう訪れてしまいました。ボクが正室を迎え入れることになったのです。
縁談が持ち込まれたのは確かボクが将軍になる前だったはずです。あの時まだ九歳だった女の子は今や十六歳。立派に結婚適齢期まで育ちました。
これまで先延ばし先延ばしで婚姻から逃げていたけど、とうとう圧力に屈してしまいました。将棋で例えるなら完全に詰み状態です。
数えで十六歳って二十一世紀の日本だとまだ中学生ですよ。早生まれの場合でも高校一年生。ボクとしてはもう少し大きくなってからお迎えしたかったです。
前世の記憶が大きく影響しているらしく、若い娘さんに手を出すのをためらってしまうのです。おかげで「年増好き」とか陰口を叩かれていますが仕方ありません。
「まさか、義理の姉が私よりも年少だとは――」
聖寿がわざとらしくため息をついた。
うん、妹ちゃんが言いたいことは分かる。でもさ、ボクに圧力をかけているのは日野富子伯母さんなんだよ? 逆らえるわけないじゃない。むしろ、ここまで逃げたことを褒めて欲しいな。
「婚礼の支度は臣下が取り仕切ります。兄上はドッシリと構えていて下さい」
「何とかもう少し遅らせることはできぬか? 右京大夫(細川政元)に余計な心労をかけたくない」
政元の出産が近付いているのだ。来月には赤子が誕生するだろう。
「そのことを踏まえると、兄上は婚姻を急いだ方が良いかもしれませぬ」
「ん? どういうことだ?」
「右京大夫様が戻ってから結婚となると、兄上と右京大夫様が大喧嘩をしでかしてしまうかもしれません。そうなると婚儀を勧めている御台様(日野富子)の立場が苦しくなってしまいます。なので、今のうちに済ませてしまいましょう」
「――おい、喧嘩などするつもりはないぞ?」
「兄上にそのつもりがなくとも、右京大夫様が妬心に狂ってしまったらどうにもなりませぬ。どうせ兄上は右京大夫様に頭が上がらないのでしょうから、避けるのが賢明かと」
……妹ちゃんの中では、ボクより政元が強いってことになっているようだ。立場やら家格やら全てさっ引いた個人同士の付き合いなら、どちらが強いとか特にないのだが。
そもそも、正室の件は政元もずっと前から知っているはずだし、今さら嫉妬することなんてないと思う。
「というわけで、とっとと婚礼を終わらせましょう。どうしても時期を遅らせたいのなら、兄上が御台様にお伝え下さいませ」
「無理!」
ボクは素直に諦めた。
「そうそう、加賀の一揆衆を討ち果たしたと文が届いております。目を通して下さいませ」
「そういうのは先に渡さんか。婚儀よりも大事な話ぞ」
畠山政長さんからの手紙だ。どうやら、一向一揆の最後の拠点を陥落させたようである。これで加賀の一向一揆は終結となった。実にめでたい。
ボクがやるべきことは、加賀をどう分割するかだ。畠山家と朝倉家がお互いに納得するような境界線を引かなければ。
「なあ、聖寿。加賀のことなんだが――」
「まずは結婚を済ませましょう。この期に及んで後回しにしようと考えているのでしょうが、なりませぬ」
はい……。妹ちゃんには敵いません……。




