第58話 疑念
九月十日。今日は小雨が降り続く空模様だ。
その雨に打たれながら、将軍が率いる部隊は京都を目指して川沿いの道を北上していた。
ここまで妨害されることは全くなく、順調そのものの道程である。本願寺は河内方面の門徒へ命令を出さずに山科近郊の者だけで反乱を起こしたようだ。
下手に指示を出したらボクに察知される恐れがあるから、この判断は正しい。
ただし、寡兵で反乱を起こしたということで京都へ侵入することは失敗したようである。この情報を伝え聞いたとき、ボクは心底安堵した。
巳の刻(およそ午前九時から十一時)、ボクたちは河内国から山城国に入った。もうすぐ石清水八幡宮(京都府八幡市)が見えてくるはずだ。
ここで物見からの報告が届いた。
「この先にて何者かが陣構えしております!」
「何者かでは分からぬ。誰が布陣しているのかを伝えよ」
「雨天にて見通しが少々悪うございます。今暫くお待ち下さいませ」
とうとう敵と遭遇したのだろうか。ボクは次なる報告を待つ。
「細川家の旗が見えまする! お味方にございます!」
この報告に周囲がドッと沸いた。心強い仲間が迎えに来たと思ったのだろう。
だが、ボクの心には疑念が渦巻いていた。
どうしてこの場に細川の軍勢がいるのか?
京の都を守っているはずなのではないのか?
誰かの指示があったからここに来たのか?
指示が出たとするなら、それを出したのは……?
将兵が盛り上がっている中、ボク一人だけが懊悩していた。
「おお! お迎えが参ったぞ!」
周りがさらに歓声を上げる。
ボクの目にも、遠くから騎馬武者たちがこちらに駆けてくるのが見える。
敵だ! 射落とせ!
口から出かかるも、何とか飲み込んだ。まだ敵と決まったわけではない。
ボクの手足が自然と震え始める。大きく深呼吸しても全くおさまってくれない。
あれは敵なのか、それとも味方なのか。
騎馬武者が間近に迫ってきた。
先頭を駆ける者が叫ぶ。
「拙僧は澤蔵軒宗益! 公方様をお迎えに参上仕った!」
――味方だったのか。
ボクは安堵のあまり天を仰いだ。目に雨が入ってくるのも気にせずその姿勢を続ける。目を瞑るのも億劫なくらいに全身の力が抜けてしまったのだ。
「……公方様(足利義材)、いかがなされましたか?」
奉公衆の一人が心配そうに声をかけてくる。
この声でボクは我に返った。
「宗益入道をここへ連れて参れ」
呆けている場合ではない。今は戦争中で、ボクは最高指揮者なのだから。
間もなく宗益さんがボクの前に現れた。
「公方様、よくぞご無事で」
「うむ、ここまでの出迎えに感謝致す。しかし、そなたたちは都を守っているのではなかったのか?」
「今朝までは都の守りに就いておりました。ところが、我が殿が丹波国から戻ってこられまして、公方様をお迎えに上がれと拙僧に命じました」
「右京大夫(細川政元)が帰京しているのか? ずいぶんと早いな。山に籠もっていただろうに」
「詳しいお話は殿に尋ねて下さいませ。拙僧は何も聞いておりませぬ故」
「相分かった。では案内を頼む」
宗益さんと合流し、万全の兵力で都へ戻ることになった。
馬を進ませながら、ボクは深く反省をしていた。
ここにいる人間の中で、ボク以外は誰一人として政元を疑っていなかったのだ。未来知識があるせいで勝手に疑心暗鬼に陥っていた。
どうして彼女を信じてあげられなかったのか。
心の中で思っていただけで実際に何らかの行動を起こしていなかったのだけが救いである。
自分に嫌気がさしてくるが、足を止めている場合ではない。ボクは都へ戻っていったのであった。




