第54話 怪しい出奔
四月。ボクは再び讃州家の細川材春くんの屋敷に移った。
引っ越しと時を同じくして、公然の秘密となっていた河内遠征も正式に発表した。
出馬時期は七月。近江遠征から半年ほど間隔が空くので、兵馬を休めるのに充分な期間なはずだ。
遠征が決まったというわけで準備をしなければならない。と思うのだが、河内絡みでやることはそれほどなかったりする。
まず真っ先に細川政元に参陣の打診をしたが、残念ながら良い返事はもらえなかった。だけど辛抱強く説得していくつもりだ。
次に外交面。近江を攻めた時と同じように河内国を四方から包囲攻撃したいのだが、結局は領地が隣接している細川家の参戦が必要になる。やはり政元の承諾を得る努力をするしかない。
そして軍制改革。ボクの希望として、やはり足軽部隊を組織したい。奉公衆の間でも、先の戦いで足軽と一緒に戦ったことで偏見が多少減っているようだ。
かといってすぐに足軽部隊を準備できるかというと、なかなかに難しい。相も変わらず予算がありません。ない袖は振りようがないんですよ。悲しいことに。なんとかお金を工面して、足軽部隊編成に向けた準備を始めるのが精一杯でした。河内遠征には到底間に合いそうにありません。
できることはこれくらいである。要するに、政元をなんとか説得して河内に連れて行こうってことだ。
というわけで、武芸の鍛錬くらいしかすることがなかったりする。一応、畠山基家くんに降伏勧告を出したり、各所に根回しをしたり他にも色々やってはいるけど、そんなに時間を割くようなことではない。
武芸の鍛錬といえば、澤蔵軒宗益さんがボクに弓術の稽古をつけてくれるようになった。もちろんボクの方から強くオファーを出したのだ。彼ほどの達人に教わることができるなんて、本当にありがたい。
今日も讃州家の屋敷に宗益さんが来てくれた。
「大変申し訳ないのですが、本日の弓の修練は取り止めということにして頂きとうございます」
開口一番、宗益さんがボクに頭を下げてきた。
「どういうことだ? 急に都合が悪くなったのか?」
「実は、京兆家でいざこざがございました。詳しくは拙僧の口からは申せませぬが、じきに使いの者が御所へ参るはず。お待ち下さいませ」
彼の深刻そうな顔にボクは不安を覚えた。京兆家で何があったのだろうか。
お昼を過ぎた頃、京兆家から使者がやって来た。家宰である安富元家さんを始めとする京兆家の重臣たち一同を使者と呼ぶべきか微妙だが。
「まことに汗顔の至りでありますが、恥を忍んで公方様(足利義材)にお伝えしなければならないことがございます」
恐縮しきった表情で元家さんが事情を話し始めた。
「――右京大夫(細川政元)が丹波へ下向しただと?」
「我が殿の勝手な振る舞い。そして止めることができなかった被官どもの無力さ。心よりお詫び申し上げます。平にご容赦を」
政元はこれまでも度々修行のために都から何日も離れることがあった。今回の件もそうだろうと思っていたのだが。
「此度は本気で修行に打ち込むと申しておりまして……」
「今までとは違うのか?」
「まず百日精進を行いまして、それから修行に入ります。都に戻ってくるのは早くとも九月、長引けば年末ごろになるかと」
「ちょっと待て。何だその長い修行は? 数日で終わるものじゃないのか?」
「公方様は初めてご覧になるかもしれませぬが、殿はこれまでにも幾度かこのようなことをしでかしておりまして……」
個人の信仰にどうこう言う気はないが、責任がある立場の人間が職務を放り出して数ヶ月離れるというのはさすがにダメだと思う。
二十一世紀の欧米人の夏休みでもここまで長期ではなかったはずだ。
「公方様の命がございましたら、丹波から引きずってでも連れ戻しますが?」
「そう命じるかどうかは、右京大夫が不在の間の京兆家はどうするのかを聞いてからだ」
元家さんの説明によると、家臣団の合議で運営していくとのことだ。細川家の分家はそのサポートにあたるという。
ならば当面は幕政に大きな影響はないということか。取りあえず今回の下向は不問に付すことにした。次回以降は事前報告が必須だと言いつけておかないと。
気になるのは、どうしてこのタイミングで山ごもりの修行を始めたかだ。こればかりは細川家の家臣の誰も聞いていないようである。
単に彼女が気まぐれに修行を思い立っただけならば、たいした問題はない。
河内遠征に絶対に関わりたくないという意思表示だとしたら考えものである。主君の指示をボイコットで返したことになるのだから。
一番最悪なパターンは、クーデターを起こす準備のために丹波へ向かった場合だ。ボクの目が届かないところで悪巧みしているかもしれない。
日野富子伯母さんが相変わらずボクを支持しているのだから、クーデターの成功率は低いはずだ。しかし、それを無視して強行する可能性もある。
惚れた女性を疑いたくはないんだけどね。どうしても未来知識が警鐘を鳴らしてくるのだ。
あれこれ考えたところで政元の真意は分からない。
ボクができることは、河内遠征中に不測の事態が起こらないように先手先手で策を巡らせるだけである。
暗雲が立ちこめてきたけど、きっと大丈夫。ボクは自分自身に言い聞かせた。




