第50話 最後のお礼
七月二十八日朝方。
ボクは目賀田城の一室で葉室光忠と二人で話をしていた。
「いやはや、狐につままれるというのはまさに昨晩のようなことを言うのでしょうな。よもや金剛寺がもぬけの殻だったなんて、誰が思うでしょうか」
光忠が首を振りながら言ってきた。
そうなのである。実は、金剛寺には誰一人として残っていなかったのだ。安富元家さんは当初の予定通り、夜闇に紛れて長光寺城の近くへ移動していた。しかし、代わりに入城するはずだった細川政元は大量の兵と一緒に観音寺城にいたのだ。
六角方は無人の金剛寺を夜討ちしたということになる。
金剛寺が攻められるのを見て、細川軍は観音寺城から出撃した。そして、六角方の夜討ち部隊を返り討ちにしたのだ。細川勢の被害は微々たるもので、六角勢はほぼ壊滅。素晴らしい戦果であった。
まとめると、こちらの情報が相手に漏れているということを前提とした伏兵作戦だったのである。
事情を知らなかった将兵たちには、昨晩の件は細川政元の読みが鋭かったということにしてある。裏切り者がいるなんて正直に伝えて、わざわざ疑心暗鬼に陥らせる必要はない。
「さて、種明かしが終わったところで――」
ボクは姿勢を正して光忠に向き直った。
「余から権中納言(葉室光忠)に一つ命じる」
「何なりとお申し付け下さいませ」
「今すぐに都へ戻り隠居せよ。家は嫡男に継がせることを認める」
「は?」
よほど意外だったのか、光忠が一瞬固まった。そして、血相を変えてボクに問いかけてくる。
「な、何故にそのようなことを?」
「お主が六角と裏で繋がっているからだ」
「そんなことは天地神明に誓ってございませぬ!」
「余もそう信じたいのだがな。根拠もないわけだし」
「根も葉もないお話ならば、御下知の取り消しをお願い致しまする!」
「余は持っていなくとも、右京大夫(細川政元)がおそらく持っておる。彼奴が修験道に傾倒しているのは周知の通り。おかげで山伏の噂話が耳に入るのだぞ」
政元に届いた噂話とは、葉室光忠が山伏を使って六角に情報を流しているという話だった。
情報の中身までは分からなかったものの、六角が正確に政元の居所を狙って攻撃してきていたことを踏まえると想像はできる。
そして今回も金剛寺へ攻撃があったわけだが、修験道お嬢さんは光忠が山伏に接触するかどうか網を張っているはずだ。
日野川での合戦後、ボクも独自に内通者を探していたけど発見することはできなかった。政元が狙われたのは味方の裏切りではなく単なる偶然と結論づけていたのだが、まさか自分が重用している側近が情報を流していたなんて想定外にも程がある。
「何もしていないと言い張るのなら、余ではなく右京大夫へ申し開きするが良い。もし悪さをしていたなら、都へ戻る方が賢明ぞ。これは、長年仕えてくれたお主に対する余からの最後のお礼である」
そう言い残して、ボクは光忠を残して退出した。
「そうか、権中納言は都へ戻ったか……」
正午過ぎ、ボクはそう報告を受けた。
やはり光忠は六角と内通していたようだ。
政元が山伏の噂ネットワークを持っているということを光忠は知らなかったのだろう。だから安易に山伏と接触してしまったのだ。山伏を密使として使うのは常套手段だから、光忠が不用心だったわけではない。政元の情報網が常人とかけ離れているだけだ。
「権中納言のことはひとまず置いておけ。余はこれから右京大夫殿と話し合う。支度せよ」
ボクは馬にまたがり目賀田城を出た。こうなってしまったからには急がなくてはならない。政元が光忠に追っ手を放つ可能性があるからだ。
馬上で揺られながら、ボクは今回の件で責任を痛感していた。
直接本人の口から聞いたわけではないが、光忠の動機はおそらく側近と大名の政治的な対立だろう。
ボクもそれに気付いて仲裁に努めていたが、思っていた以上に両者の溝は深かったようである。楽観視しすぎていたようだ。
それにしても戦争中に政敵を殺そうとするなど、随分と乱暴なやり方である。それだけ両者の間に大きな亀裂が入っていたということか。
観音寺城に入り、政元と一対一の対面を果たすと、ボクは開口一番でお願いをした。
「どうか権中納言を赦して欲しい。此度の件は余の落ち度である」
これを聞いた彼女は、最初は驚きの色を浮かべ、続いて瞳の奥に怒りを宿した。
「まさか公方様からそのような申し出がくるとは思いも寄りませんでした」
「臣の過ちは主の過ち。無理は重々承知しているが頼む」
「――なるほど」
彼女は軽く息を吐いて憤怒の気配を消した。
「承りました。この話はワシの胸の内にしまい込んでおきます」
「恩に着る」
「丹波の件で公方様には上原父子を見逃して頂きました。ならばこちらも応じなければならないでしょう」
ボクは安堵して姿勢を少し崩した。とりあえず光忠の身の安全は確保できたようである。
自分でも甘い処置だと分かっているが、長年お世話になった男を殺すようなことはどうしてもできなかった。
将兵たちには、「葉室光忠は将軍の勘気をこうむった」ということにしておこう。
「一応確かめておきたいのだが、権中納言は此度も山伏を使ったのか?」
「左様にございます。きちんと尻尾を捕まえておりました」
「右京大夫相手に山伏を使うのは無謀ということだな。素直に恐れ入った」
自信満々に言い切る彼女に、ボクは舌を巻くしかない。
「それにしても、権中納言殿はワシを近江で殺めてどうするつもりだったのでしょうか? 下手をしたら総崩れになって、当人の命も脅かされるかもしれないのに」
「頭の良い奴だから、何か考えていたのだろう。たとえば、誰かに京兆家の家長を代行させて、弔い合戦として戦いを続けるとか」
「それでも危ない橋を渡ることになりそうですが」
「本人の口から聞くしかないな。今さら尋ねる気はさらさらないが」
ともあれ、獅子身中の虫を排除することができた。
以後は六角行高を捕まえて近江遠征を終わらせることに専念したい。




