第41話 鈎の戦い②
「敵が眼前におるぞ! すわ、かかれ!」
ボクは将兵に命じた。
安富元家さんと合流してから三十分もしないうちに、また新たな敵と遭遇した。今度は先ほどの足軽部隊とは違う。身なりがキチンとしている侍部隊だ。
「殿の陣は目前である! 敵を蹴散らせ!」
遠くから元家さんの声が聞こえてきた。
――そうか。やっと細川政元の近くまで来れたのか。
手綱を握る手に自然と力が入ってくる。
今回の戦いでは無理をするつもりはない。味方の兵数が増えたし、何よりボク自身が負傷兵になってしまっているのだから。
それでも政元がそばにいるとなると、どうしても気が逸ってしまう。
「六角勢、こちらに向かっております!」
奉公衆の一人が報告してくる。
「迎え撃て! 我らの力を知らしめるのだ!」
ボクは声を張り上げて味方を鼓舞する。
太鼓の音から始まり、怒声、悲鳴、剣戟音と非日常的な音で草原が埋め尽くされる。
そして、強烈な血の臭いが漂い始める。
敵は武士だ。足軽のように簡単には逃げ出さない。こちらも退くつもりは全くないので、必然的に激しい戦闘となる。
数の上ではこちらが多いようだが、ボクの奉公衆も元家さんの配下もここまでの強行軍で疲れがある。なかなか戦況が優勢にならない。
「公方様、細川の陣の左手側が崩れております!」
残念なことに、敵側が押しているようだ。
すぐに救援へ向かえそうな部隊は一つしかない。
「是非もなし。これより後詰めに入る。奉公衆よ、余に付いて参れ!」
周りが制止してくるが、知ったことではない。ここはボク自身も命を懸けなければならない状況だ。
ボクは前線に向けて馬を走らせた。
「助太刀に参った! 一緒に敵を押し返すぞ!」
「く、公方様? 畏れ多いことにございます」
細川方の騎馬武者が目を大きく見開いた。この人は、さっきボクが怪我を治療している時に、元家さんと一緒にやって来た騎馬武者の一人だ。
彼は一瞬あっけにとられていたが、すぐさまやるべき事を思い出したようである。
「皆の衆、お味方が到来したぞ! この戦は勝ちである! 美酒を味わいたい者は武具を手に取って戦え!」
戦場全てに響くような大声で味方を励ます。
この声に兵たちが反応した。
六角優勢の戦況がほぼ互角に戻っていく。
「よし! このまま敵を蹴散らせ!」
ボクも声を張り上げる。まだ勝利と決まったわけではないのだ。
声を出すだけでなく、馬上で弓を引き始める。傷が痛むとか弱音を吐いている暇はない。
「敵の騎馬が駆けてくるぞぉ!」
近くで誰かが叫んだ。
皆が向いている方に目を走らせると、確かにこちらの陣を回り込むような動きで騎馬武者が三騎走っている。
側面からかく乱されたら厄介だ。ここはボクと奉公衆で迎え撃とう。
と思った瞬間だ。
「ウワアアア!」
騎馬武者の一人が落馬してしまった。どこかから飛んできた矢が肩口に命中したのだ。
残りの二騎が驚いた様子で振り返って、地面に落ちた仲間を見ている。
次の瞬間。
「グワッ!」
さらにもう一人が馬から落ちた。こちらは太もも付近から矢が生えている。
「チィ!」
最後に残った騎馬武者が馬の走る方向を変えた。
その先には、また別の騎馬武者が一騎、戦場を駆けていた。
「――あれは宗益殿だ!」
細川の兵が叫んだ。
どうやら味方の武人のようである。
宗益と六角の騎馬武者。お互いの距離がみるみる近付いていく。どちらの馬もかなりの速度で走っている。
両者がほぼ同時に弓を構えた。
騎射の間合いに入る。
「もらった!」
先に放ったのは六角の騎馬武者だ。
「手ぬるい!」
宗益が身を左に捻る。
矢を広袖で受け止めたのだ。
「なんとっ……!」
敵が慌てて馬の進行方向を変えようとする。
「正直過ぎであるな!」
満を持して宗益が矢を放つ。
「グガッ!」
敵の騎馬武者が馬から転げ落ちる。
何たる強弓。宗益が放った矢は鎧を貫通して胴体に突き刺さったのだ。
「――見事」
ボクの口から思わず言葉が漏れ出した。一人だけで三人の騎馬武者をあっという間に倒してしまったのだ。細川家は優れた人材を召し抱えているようである。
今の宗益の戦い振りを見た細川方の士気が上がった。次第に敵方を押し始める。
そんな戦況になった頃、突如として遠くから太鼓の音が響いた。
「退き太鼓の音だ! 退け、退くのだ!」
六角方は撤退の決断をしたようだ。
「追え! 然れど深追いは無用!」
敵の退却を見て、ボクはすぐさま命令を出す。
しかし、六角勢の逃げ足は速かった。兵の多数が無事に川を渡りきり、三上城へ逃げ込んだのだ。
幕府軍が打つ次の一手は、この三上城を攻め落とすことになりそうだ。
ともあれ、先の話は後回しにしよう。
今だけは喜びを全力で表し、そして将兵たちをねぎらいたい。
「公方様自らわざわざ後詰めなさって下さるとは、真に感謝の言葉もございませぬ」
細川政元がボクに頭を下げた。
六角勢が撤退したことで、政元への包囲が解かれたのだ。
彼女の顔を見ることができて、ボクは心の底から安堵した。
「無事で何よりである。お主と再び相まみえることができたことが、余にとって何よりの褒美だ」
「――公方様に助けられたこの命、必ずや公方様のために使いまする」
青ざめた顔で彼女が礼を言ってくる。
ボクとしては、今日一日の頑張りがようやく報われたのだから、これ以上の喜びはない。
「余は疲れた。皆も交代で休むが良い。三上城攻めは明日から本腰を入れるとしよう」




