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第40話 鈎の戦い①

 瀬田橋からは移動速度が遅くなった。徒武者かちむしゃの歩く速さに合わせる必要があるからだ。


 馬を駆け出させたい気持ちをグッと抑え込んで、ボクは手綱を握っている。


 焦燥感にさいなまされることおよそ二時間。ようやく鈎の陣が近付いてきた。


 遠くから金属同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。


「公方様にお伝え致します。物見によりますと、この先の草地で戦いが行われているようです!」


「とうとうたどり着いたか!」


「細川方が六角の足軽と交戦しているとのこと」


「相分かった。皆の者、聞いての通りだ。これより味方に加勢致す!」


「オー!」


 鬨の声が上がる。


「足軽ごとき造作ありませぬ!」


「我が槍の錆にしてくれましょうぞ!」


 幸いにして奉公衆の士気は高いようだ。


 それを見て、ボクは号令をかける。


「突き入るぞ!」


「承知致しました!」


 勢い良く奉公衆が足軽隊になだれ込んでいく。


 敵の足軽どもがボクたちに気付いたようだ。


「新手の敵が近付いてきたぞー! 左だ! 急げ!」


 足軽たちが槍先をこちらに向けてくる。


 しかし、奉公衆は全く止まらない。一斉に襲いかかった。


「足軽風情が我らに太刀打ちできるはずがなかろう! 思い上がりも甚だしいわ!」


「いかにもその通り! 寡兵だからと侮るでないぞ!」


 さすがは将軍直属の軍である。ゴロツキ集団の足軽とは鍛錬の度合いが違いすぎる。


 しかし、すぐにその奉公衆の勢いが削がれる。


「草むらに弓兵が潜んでおるぞ! むやみに駆け入るべからず!」


 最前線の騎馬武者が叫んだ。


 それを聞いてボクはすかさず指示を飛ばす。


「足軽で弓を扱える者は少ない! 注視して探すのだ!」


 弓という武器は習得が難しいのだ。専業の軍人ではない足軽で、そうそう人数が揃えられるはずがない。


 叫ぶのと同時にボクも草むらに目をこらす。


 足軽の弓術は、良家の武士の弓術とは異なる。足軽は弓を大きく構えたりしない。低く身を隠して、矢を放つときだけサッと立ち上がり、そしてまたすぐに元へ戻る。矢を遠くへ飛ばすことよりも、己の身を守ることを優先させる弓術である。


 見つけた!


 天運と言うべきか。ボクの目に、立ち上がろうとしている弓兵が入った。


「走れ!」


 間髪を入れず、ボクは馬に合図を出した。


 応えて愛馬が駆け出す。


「公方様! お待ちを!」


 後ろから声が聞こえるが完全に黙殺する。


 今はあの弓兵を倒すのが最優先事項だ。


南無八幡大菩薩なむはちまんだいぼさつ――」


 武家の守り神の名が無意識に口から出てきた。前世の記憶が戻ってから信心なんか大幅に薄れてしまったと思っていたのに。


 馬の揺れを感じながら、ボクは矢をつがえる。


 ほぼ同時に、敵の足軽も弓矢を構える。


 間に合え!


「我が弓技を御照覧あれ!」


 狙いはそこそこで矢から手を放つ。


 草原に響く風切り音。


「グハッ!」


 足軽が弓を手離して、崩れ落ちていく。


 ボクの方が先に矢を放っていたのだ。敵の左肩付近に命中した。


「――もう一人いたか!」


 安堵したのも束の間。右前方に新たな弓兵が目に入った。


 矢を放ったばかりのボクは完全に無防備な状態だ。


 何とか回避しようと試みるが、敵の動きの方が圧倒的に早い。


「くっ!」


 右上腕部に鋭い痛みが走った。


 敵の矢が刺さったのだ。


 今の衝撃でのけ反ってしまったのが悪かった。馬上でバランスを崩してしまう。


 激しく揺れ動く馬の背から振り落とされそうだ。


「落ちるかぁ!」


 大将が落馬してしまったら、味方の士気がガタ落ちになってしまう。


 何とか態勢をたて直そうとあぶみの上で足を踏ん張る。


「よし!」


 かろうじて持ちこたえることができた。


 ボクはすかさず馬に方向転換の合図を送る。


 標的は先ほどの弓兵。


 敵はこちらの動きに気付いたのか、背を向けて逃げだそうとしている。


「遅い!」


 矢を番えると右腕に激痛がくる。まださっきの矢が腕に刺さったままなのだ。


 痛みを堪えながら、敵の背に放つ。


「――っ!」


 首元に矢が刺さり、二人目の弓兵が声もなく倒れ伏した。


 まだ弓兵が草むらに隠れているかもしれないので、馬を走らせたまま周囲に目を配る。


「公方様!」


 奉公衆の一騎が近付いてくる。


金瘡医きんそうい(外科医)を連れて参ります。すぐに手当を受けて下さいませ」


「まだ敵が潜んでいるかもしれぬ。傷を治すのは後回しだ」


「足軽どもはおおかた逃散しました。一刻も早く手当てをお願い致します」


「そうか、ただ今の戦いで奉公衆がよくやってくれたようであるな」


 安心すると、疲れがドッと全身にのしかかってきた。汗が全身から噴き出してくる。


 周りが安全になったということで、ボクは馬をねぎらってから地面に腰を下ろした。


「公方様の弓捌き、真に素晴らしゅうございました。まるで鎮西八郎(源為朝)の生まれ変わりではないかと思い、おののいてしまいましたぞ」


 奉公衆の彼はそう褒めてくれるが、ボクは残念ながら偉大な弓の名人ではなく、しがないサラリーマンの生まれ変わりだったりする。


 そうこうしているうちに、金瘡医が駆け寄ってきた。


「幸いにもやじりが深く刺さっておりませぬな。それでは引き抜きますぞ」


「イタたたたっ!」


 今までの中で一番激しい痛みが訪れた。暴れたくなる衝動に駆られたが、理性をフル動員して堪える。


「難なく抜けましたぞ」


「ここまで痛いのに『難なく』なのか?」


「もっと深く刺さっていたら、気を失いかねないほどの痛みが出ます。それでは、血止めを行います。少々しみるのでご我慢を」


「まずきれいな水で傷を洗い流すのだぞ。あと、変なものを塗ったら本気で怒る」


 ボクは念のために確認をしておく。


 この時代の医療はとんでもなく奇怪なことが普通に行われているのだ。モグラの黒焼きの粉末を塗ったり、糞尿を飲ませたり、逆に症状が悪化しそうな治療がまかり通っている。


「足軽ではあるまいし正しい手当しかいたしませぬ。これは紫根しこん(ムラサキの根を乾燥させたもの)ですので、心配無用にございます」


 金瘡医が手早く傷の処置をしてくれる。


 治療を受けていると、数騎の騎馬武者たちがこちらに近付いてきた。細川の者だ。


「戦っていたのは、そなたであったか。情けないことに矢傷を受けてしまったので、座り込んだまま話すのを許せ」


 ボクは軽く左手を振って話しかけた。


 騎馬武者の中の一人は見知った顔である。安富元家やすとみ もといえさん。京兆家の家宰を務める男だ。


 武者たちが一斉に下馬して、地面に平伏した。


「此度は公方様に助太刀して頂きまして、恐悦至極にございます。本来ならば我々が公方様を守る立場であるというのに」


「気にするでない。それよりも、何が起こったのか余に教えてくれ」


 元家さんが今朝方からのことを話し始めた。


 彼は鈎よりも北東に陣を構えていたようだ。そこが夜明け直後に、東側から六角方の攻撃に晒された。


 予想外の攻撃だったのに加えて敵数が意外と多かったことで、元家さんたちは防戦一方になったらしい。それでも守りを崩されることはなかった。


 一進一退の攻防を繰り広げていた元家さんだったが、鈎にいる細川政元も攻撃を受けているとの報を受けて慌てる。主君の危機を見過ごすわけにはいかない。


 そこで、一部の兵を防衛に残して、元家さんは政元救援に動いたのだった。


 その途上でボクたち奉公衆に出会ったとのこと。


「右京大夫(細川政元)を助けるという目的は、余たちと同じぞ。そなたたちは余と共に動け」


 ボクは元家さんに命じた。


「承知致しました。我らが弓箭きゅうせんの技、公方様にご覧に入れたいと存じます」


 元家さんが承諾してくれたので、彼の手勢およそ五百人を吸収して、ボクたちは鈎を目指して進軍を再開したのであった。

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