第36話 呪詛
延徳四年(一四九二年)二月。
昨年の丹波の国人一揆が終結してから、特に大きな出来事は起こっていない。
ボクは細川材春くんの屋敷で将軍政務に勤しむ毎日を送っている。今後近江へ出陣するかもしれないので、通玄寺へ戻らずにここでずっと居候させてもらっているのだ。
遠征の準備は着々と進めている。奉公衆にその旨を伝えてあるし、近江周辺の有力者への工作も実施している。
近江守護六角行高には所領返還命令を再度通告している。横領した土地を素直に返すなら、遠征計画は白紙撤回だ。現時点だと、行高はのらりくらりと返事を遅らせているだけだが。完全にこちらをなめているようである。
京都の各地で梅の花が見ごろとなった二月の中旬、ボクにちょっとした事件が起こった。
「余が呪詛を受けているだと?」
正直耳を疑った。将軍を呪うなんて良い度胸をしている。普通に厳罰ものだってのに。
「実如も焦っておるようですな」
深刻そうな顔で葉室光忠がボクに言ってくる。呪詛の話を報せてくれたのは彼だ。
先代蓮如を失った本願寺は相当に困っているようである。蓮如は寺内の穏健派と強行派を上手く取り持っていたが、当代の実如は強行派の押さえ込みに失敗したみたいだ。その結果が呪詛という形で将軍を攻撃するということに繋がったのだろう。
この時代では誰もが呪術を本気で信じている。本願寺としてもボクを本気で殺しに来ているのだろう。もちろん、呪詛を怖れたボクが謝罪するという形でも連中は満足するはずだ。
ボクは頭を下げるするつもりなんてこれっぽっちも持ち合わせてないから、本願寺の坊主どもはその身が滅ぶまでお経なり念仏なり延々と唱えていれば良いと思うよ。
浄土真宗の開祖である親鸞上人は、まじないの類いを否定していたような気もするけど、実如はどう考えているのだろうか。
「奉公衆に戦の支度をさせよ」
「――公方様(足利義材)の御心の通りに」
光忠の反応に、ボクは少し驚いた。彼が支持してくれるとは思ってもいなかった。
室町時代で呪詛を無視できる人なんてほとんどいない。大名ですら呪詛を受けたら寺に屈服する。
光忠はボクと一蓮托生でいくという覚悟をしてくれたようだ。
「しかし、山科は守りがとてつもなく堅固だと評判にございます。易々と攻め落とすことは叶わぬと存じます」
山科本願寺のことである。この時代における本願寺の本拠地だ。
「権中納言(葉室光忠)のことだから、手筈を考えてくれておるのだろう?」
「諸国の守護を集めるしかないと」
「うーむ、ここで守護を集めたくはないのだがな。近江遠征でも呼ぶつもりがないというのに」
「ならばいきなり兵を出すのではなく、まずは本願寺を強く咎めましょう」
「ふむ。坊主どもを洛中へ呼びつけて謝罪させるか」
「――御意にございます。誅する支度をしておきまする」
「待て。殺せとは言っていないからな?」
僧侶を暗殺することの隠語じゃないからね。「都に呼びつける」ってのは。義教おじいちゃんの影響残りすぎでしょ。
「そうだ、やっぱり呼びつけるのもなしにしよう」
ここでボクの頭にふと考えが浮かんだ。
「本願寺のことは一切捨て置け」
「――公方様、捨て置けとは一体?」
「言ったそのままぞ。本願寺には好きなようにさせておくが良い」
「それでよろしいのでしょうか?」
「もし、余の身に不幸が一年以内に起こったなら本願寺の呪詛は本物。何も起こらなかったら偽物。これを都の民へ吹聴する」
この呪詛なんだけど、期間は無期限で、当人以外に不幸があっても効力があったとさせる。たとえば、ボクの家族が三年後に病気で寝込んだりしたら、呪いのせいだとされる。疫病が蔓延しやすい時代に、これはズルいでしょ。
だから、あらかじめ期限を一年以内としておく。あと、ボク自身のみに影響が出るかどうかと限定しておく。
ボクは医学知識を持っていないけど、最低限の衛生観念は持ち合わせている。この時代の標準からすれば充分に先進的なはずだ。身近な人間にも徹底させているし、そう簡単には病気にかからないと思う。
呪詛の効果がないと知れ渡れば、本願寺の権威が失墜するだろう。せっかくだから利用させて頂く。
こんな感じで本願寺への対応を光忠と話していたら、妹の聖寿が訪れてきた。
「山科が兄上を呪っていると聞き及びましたが、真にございましょうか?」
「――耳が早いな。そのことについて権中納言と話し合っていたところだ」
「噂は正しかったということですか――」
聖寿は悲しそうに嘆息し、そして鋭い目をボクに向けた。
「ならば、早急に詫びを入れて下さいませ」
「いや、その、詫びはせぬと決めたばかりでな――。のう、権中納言よ」
妹の勢いに押されそうだったので、横に控えている光忠に救援を求めた。
「左様にございます。公方様はどうしても山科方と事を構えたいようでして」
フォローする気ないのかよ! しかも火に油を注ぐような言い方してくれてるし!
堅物の妹をなだめるのが難題って分かっているから、光忠は逃げやがったな。
「兄上、我がままを仰っている場合ではございませぬ。仏罰がくだる前に、早急に陳謝致しましょう」
「本願寺の如き不心得者が呪詛を行ったところで、御仏は耳を傾けぬわ」
「不心得者は兄上の方です。先ほど御台様(日野富子)のお屋敷に伺いましたが、やはり心配なさっておりましたよ」
ボクが一番苦手としている人間を担ぎ出してきたよ。ここに来る前にきちんと話を通しているあたり、うちの妹ちゃんってわりと策士みたいだ。
「……伯母上にも心配かけておったか。きちんと話して余の考えを分かって頂かなくては」
「兄上が行うべきことは、御台様と話し合うことではなく、本願寺に頭を下げることにございます」
誰に似たのだろうか、妹のこの頑固さは? 父方の血筋ではない気がするが。
ボクが妹の説得に手こずっていると、また新たな客が訪れてきた。細川政元である。
さらに厄介事が増える気がするが、入室の許可を出した。
「……右京大夫(細川政元)よ、まずは着衣を正せ」
部屋に入ってきた政元に、ボクはすぐさま注意をした。よっぽど急いでここまで来たのか、彼女の着付けが乱れている。いつもの奇抜な着合わせなので、乱れていようがいまいが結局は違和感あるわけだけどね。
「おっと、これは失礼仕りました」
指摘を受けて、政元が直垂と半帽子の乱れを直す。
「――右京大夫様、久方ぶりにございます」
そんな政元に聖寿が頭を下げた。
「これは聖寿様、見苦しい姿をさらしてしまいましたことを謹んでお詫び申し上げます。――さて、公方様に申し上げたき儀がございます」
「本願寺の件か?」
「左様にございまする」
「先ほどからその話をずっとしているが、余は坊主どもに頭を下げたりはせぬぞ」
「御仏に何たる無礼を。ここはお諫めさせて頂きます」
やっぱり政元も謝罪しろ派か。信心に篤い彼女のことだからこうなると思っていた。
本願寺に謝れと言う聖寿と政元の女性コンビ。謝る気なんて全くないボク。議論が開始されたが妥協点を全然見いだせない。議論の根本が信仰心という形のないものだから、当たり前なのだが。
それにしても、うちの妹ちゃんと政元は意外と気が合いそう。御仏への信心という繋がりで。
「僭越ながら、口を挟ませて頂きまする」
ずっと黙ったままだった葉室光忠が前に出てきた。
「先例を持ち出すまでもなく此度は本願寺に非がございます。それを一切咎めないという公方様の御慈悲を、聖寿様も右京大夫殿もご理解頂きたい」
光忠が静かな口調で諭す。長々と続いた議論にうんざりしたのか、取りあえずボクの側に付いてくれたようである。
「権中納言殿は正しいが、呪詛をやめさせなければ仏罰が……」
政元は納得しきれていなさそうだ。聖寿の方はなんとか分かってくれたような顔である。
「何とか呪詛だけは取りやめさせましょう。公方様にある程度は譲って頂くかもしれませぬが」
光忠がボクの方を見る。
正直、譲歩なんかしたくないのだが、ここで駄々をこねたら話がまたややこしくなる。黙って頷いておく。
「それでも本願寺が呪法を続けるというのであれば、誅することも考えなければなりませぬ。その際は右京大夫殿にもご助力を仰ぐと思います故、頭の片隅に置いておいて下さいませ」
「……致し方ありますまい」
不承不承といった感じではあるが、政元が頷いた。
これは驚きだ。政元は本願寺に寛容な立場であったのに、討伐に参加することを了承したのだから。
政元が心変わりしたのか、光忠の話の進め方が上手かったのか不明だが、ボクとしては非常に有り難い展開である。
「どうやら、お二方も納得して頂けたようで何よりにございます。して、公方様――」
光忠がボクの方に顔を向けてきた。
「御台様のご説得は公方様ご自身でお願いしまする」
「くっ……。頑張るぞ……」
一番大変な人だけは、光忠がフォローしてくれないのね。辛いです……。
超幸いなことに、富子伯母さんは簡単に納得してくれました。さすがは意のままに幕政を取り仕切った女傑です。将軍が寺社に頭を下げるなんてことは、あってはならないことだとすぐに理解してくれました。やっぱり理屈が通じる人間とは交渉が楽です。
うちの妹ちゃんも、こんな風に変わって欲しいなあ。




