第35話 悩ましき判決
月日は流れて十月になった。本格的な寒さが近付きつつある時期である。伊豆でのクーデターで動揺した京の都は、既に普段通りの姿に戻っている。
伊勢盛時さんは東国に下向していった。まずは駿河を落ち着かせて、それから伊豆へ攻め込む手筈である。
病に罹っていた蓮如だが、信じられないことに遷化してしまった。ボクが知る歴史と食い違っている。ボクが本願寺に圧力をかけていたのが、彼の心身への負担になったのだろうか。
人の死を喜ぶというのはお行儀良くないけど、ここは素直にありがたく思っておこう。圧倒的なカリスマ性で信者を率いていた蓮如がいなくなったのだ。間違いなく本願寺は動揺する。
この数ヶ月であった他の出来事としては、畠山政長さんが戦果を挙げていることか。河内国や大和国で戦いを有利に進めているとのこと。
政長さんの敵である畠山基家くんは、お父さんの義就さんほどの軍才を持っていないようである。義就さんみたいな英傑と比較するのは可哀想だけど、実力重視の時代なのだからあきらめてもらおう。
この勢いに乗って政長さんは長年の内訌に決着をつけたいようだ。ボクに親征を求めてきた。
対するボクは「大和の基家派を駆逐したら兵を出す」と返した。この件に深入りはしたくないけど、断るのも厳しい。単なる時間稼ぎである。
取りあえず基家くんに降伏命令を出しているけど、あちらは徹底抗戦の構えを見せている。長年の遺恨が積もりに積もっているから、そう簡単には終わらないよね。
大きな出来事がもう一つ、たった今ボクの元に届いた。
「公方様(足利義材)、丹波の権中納言様(葉室光忠)より便りが届いております」
近侍がボクに手紙を渡してきた。
「ほう、とうとう調べ上げたか……」
丹波での調査の結果が細々と記されていた。数十件あった土地訴訟のうち、およそ九割が一揆勢の勝訴で、守護代は大きく負ける結果となった。
この調査結果をどうするかはボク次第だ。将軍の権限で守護代側の勝訴とすることも可能なのだから。
とはいえ、やはり自分一人では扱いを決めかねたので、細川政元の屋敷に出向いて相談することにした。彼女の意見を聞いてから判断したい。
「このまま裁定を下して頂いて構いませぬ」
丹波からの調査結果を聞いた政元は、あっけからんと言いのけてきた。
この態度にボクの方が心配になってくる。重臣である上原親子を見捨てるつもりなのだろうか。
「――良いのか?」
「はい。理非を糾してこその沙汰と存じます」
そして、彼女は両手をついて深々と頭を垂れた。
「此度は公方様に遠く丹波まで御足労頂き、さらには沙汰という面倒事までお願い仕ったあげく、とんだ醜態を晒してしまいました。ひとえにワシの不徳と致すところ。平にご容赦をお願い申し上げます」
「気にするでない。余は全く気にしておらぬ」
「公方様の御慈悲に感謝致しまする。図々しいと思われるでしょうが、一つお願い事がございます」
「申してみよ」
「上原父子の責は問わないで頂きとう存じます」
「――余は特に口出しをするつもりはない。一揆衆も法を犯して謀反を起こしていたわけであるし、お互いに非がある。しかし、そなたが庇い立てをするとは思ってもいなかったぞ」
「困ったことで、ワシは家長故に被官を守らねばならぬ立場にございます。常日頃は威張り散らしているのだから、こういう時こそ役割を果たさなければ」
政元は意外と良い上司をやっているようだ。トップがこういう人間だからこそ、今の細川家が圧倒的な強さを誇っているのだろう。
「では、右京大夫は二人への始末をどうするつもりであるか?」
「守護代の任からは外します。心を入れ替えて京兆家のために尽くすのであれば、再び守護代に戻すかもしれませぬ」
相当に甘い処置だ。役職からおろすだけでそれ以上はお咎めなしというのだから。優秀な人材を手放したくないというのが本音なのだろう。
と、ここでボクは一つの考えに思い当たった。
ひょっとしたら、ここまで政元の筋書き通りだったのではないだろうか。丹波の一揆は鎮まった。そして、上原父子への処罰は最小限で済んだ。政元の評判は若干落ちるだろうが、名より実を取る上々の結末なはずである。
彼女が独力で国人一揆を対処していたと仮定すると、一揆衆相手に泥沼の戦争に突入するか、守護代を厳しく処罰するかのどちらかになっていただろう。どちらに転んでも禍根が残って、後々の丹波国経営に支障が出る。
そんなところに征夷大将軍様がしゃしゃり出てきた。政元はこの時点で先のことを計算していたのかもしれない。すなわち幕府の裁判に持ち込めば、政元本人の手を汚さずに両者の争いをおさめられる。「将軍のお裁きなのだから、黙って従え」と言えるのだ。
「のう、右京大夫(細川政元)よ。いくつか尋ねて良いか?」
「ワシに答えられることでしたら何なりと」
「お主は守護代の横領を知っておったのか?」
「――実のところ、風の噂程度ですが耳に入っておりました」
やはり政元は丹波で何が起こっているのか把握していたのだ。
「公方様がおいでにならなかったら、ワシは湯起請で裁こうと考えておりました。しかし、幸いにも公方様に理非糾明して頂けました」
どうして室町人は湯起請が好きなのかな! 政元は「神仏のお裁きなのだから」で丹波の国人一揆解決するつもりだったようだ。
「余は湯起請を好かぬ。いっそのこと禁じてしまうか」
「良き考えにございます。湯起請だと罪人が火傷を負わないということもあると聞きます。これを期に、湯ではなく火の中に手を入れるようにしましょう」
より過激な方向に向かうな!
実際のところ、政元が言うように湯起請で火傷を負わない事例も多いらしい。それ故に、熱した鉄の棒を握らせる「鉄火起請」がこの後の時代に出現する。彼女の考え方は、この時代の人間としては自然なものなのだろう。
「湯起請をどうするかはさておいて、丹波の話に戻すぞ。国人衆は一揆など結ばずに、都まで来て余の沙汰を仰いだ方が良かったのではないのか?」
「その辺りに関しては憶測になりますが、上原父子が邪魔立てしていたのかもしれませぬ」
「あと一つ聞かせてくれ。須知城を攻める前の話だが、随分とのんびりしていたのはお主が裏で何かをやっていたからか?」
「――色々と手は尽くしたのは確かにございます。然れど天地神明に誓って公方様の御心に背くような真似はしておりませぬ」
やっぱり、裏で動いていたな。ボクは彼女の言葉からそう感じた。
城攻めの時を思い返してみると、何だかんだ理由を付けて政元は開始を遅らせていた。この間に彼女は一揆衆へ裏工作を進めていたのだろう。この考えが正しいとすると、須知城と位田城が連動して降伏するのが可能だ。疑問が一つ氷解する。
曲輪が一つ落ちるまで一揆衆が降伏しなかったのは、意見集約ができておらず和睦派と抗戦派に分かれていたのかもしれない。短時間で曲輪が陥落してしまったので、抗戦派が諦めて降伏になった。
推測に過ぎないが、向こう側はこんな感じだったのだろうか。
「丹波の話はここまでにするか。右京大夫よ、約束は覚えておるか?」
「近江の件にございますね?」
「左様。忘れてなくて何よりだ」
「もちろん出陣させて頂きます。丹波での御恩、必ずやお返し致します」
随分と遠回りしたが、やっと近江征伐の下準備が整った。
ついでに今回の丹波遠征で政元と少し仲良くなれたような気もする。目の前にいる彼女はずっと表情が硬いままだからボクの勝手な思い込みのような気もするが。ああ、悲しいかな。この恋心。




