第33話 伊勢盛時
待つこと暫し。伊勢盛時さんがボクの部屋にやって来た。
彼が後の世で北条早雲と呼ばれる男だ。現在は数えで三十六歳。整っていておとなしげな顔立ちではあるが、全身から貫禄がにじみ出ている。
「公方様、ただ今馳せ参じました」
「よくぞ参った。伊豆で起こったことを、そなたは耳にしておるか?」
「噂で少し耳にしておりますが、正直信じられませぬ」
「余も信じたくないが、おそらくは真のことぞ」
「――受け入れねばなりませぬか」
盛時さんが沈痛な表情になる。
「さて、余がそなたを呼んだのは、そなたが東国への関わりを持っているからである」
「はっ。少し前に駿河に逗留していた故に、それなりに詳しゅうございます」
「詳しい云々とかよりも、姉君と甥御のことが心配であろう? 伊豆の隣の駿河に住んでいるのだから」
「お心遣い痛み入ります。然れども姉も甥も武家の生まれ。腰を据えて対処するはずだと信じておりまする」
盛時さんのお姉さんは、駿河国守護今川家に嫁いでいる。甥というのは彼女の息子、今川龍王丸。まだ元服していないが、今川家の現当主である。ちなみにこの龍王丸は後の今川氏親だ。
「そう厳しいことを申すな。此度の謀反は間違いなく駿河にも飛び火する。まだ若き当主では心許ないであろう。そこでだ、そなたには駿河へ下向して甥御を支えてもらいたい」
「――よろしいのでしょうか?」
「よもや今川が倒れるということはないと思うが、念のためだ。そなたの身内が無事ならば、余も安心できる」
「ははっ。公方様のためにも必ずや吉報をお届け致します」
「あと一つそなたに申し付けておきたいことがある――」
ボクは声を少し落とした。
ここから先は内密の話だ。この話をするために人払いは済ませてある。
「まだ決めかねておるが、そなたに茶々丸を討つよう命じるかもしれぬ」
「なっ……」
盛時さんが絶句する。
「将軍家の血筋ではあるが、茶々丸は謀反人ぞ」
「お、仰る通りにございますが」
「もし討伐となったら、そなたに伊豆国を預ける」
「……過大すぎる御恩と存じますが?」
「今川が伊豆を持っても別に構わぬぞ。ともあれ、まだ先の話。今はそなたの心の奥にしまい込んでおくが良い」
「御意にございます」
盛時さんが茶々丸を討つというのは、ボクの知る史実である。このまま彼には伊豆を拠点に関東進出を目指してもらおう。
これで関東方面の統治の目処が立ったと前向きに考えましょう。




