第23話 出陣交渉
聖寿と仲直りできました!
おかげでボクの気力はみなぎっています。
戦争のことは黙っておきました。その時が来たら頑張って妹ちゃんを説得するつもりです。
てなわけで、今日は細川政元を御所に呼んで、六角攻めの打診をしてみます。
「お断り致します」
政元は案の定拒否してきた。
「何故に拒絶する? 近江国の守護に任ずるというのに」
六角行高を討った暁には、細川京兆家に近江の領有を認める。こんな破格の条件でも彼女は首を縦に振らない。
困惑しているボクに、政元が返してくる。
「そもそもの話でございますが、公方様(足利義材)はワシが女だとご存知ですよね? それなのに、一緒に戦場へ行きたいのでしょうか?」
「なんだ、そんなことか」
女性を戦いの場に連れて行くと縁起が悪い。この時代の日本で信じられている迷信だ。ボクからすればどうでも良い話である。
政元が戦争を忌避するのは、宗教的禁忌ではなくこの縁起の方を気にしているのかもしれない。ふと、ボクの頭にそんな考えが思い浮かんだ。
「古にも巴御前や板額御前のような女武者がおったではないか。女と一緒に戦って悪いという考えがおかしいであろう」
「どちらも戦に負けた者にございます」
「両者共に武運拙く敗れたのは間違いない。しかし、それが女子がいたせいだとは言い切れぬ。とにもかくにも、余はつまらぬ縁起に振り回されるつもりはない」
「はあ……」
彼女は一瞬だけ呆気にとられたような表情になったが、すぐに顔を引き締めた。
「然らば、恥を忍んで近江攻めを断るわけを申し上げます。実は丹波(京都府中部・兵庫県北東部)にて国人どもが再び一揆を結んだようで、早々に対処せねばなりませぬ」
丹波国は細川京兆家の分国である。
「丹波での一揆は昨年おさまったと聞いておるが?」
「我が不徳故に、また起こってしまいました。かくなる上は、守護であるワシ自ら出陣して鎮めて参ります」
「なるほどな。そういうことになっておったのか」
自分の分国で反乱が起こっているのに、他国に侵攻するなんてできるはずがない。
山城の国一揆は放置しているのに、分国の一揆はきちんと対処するのか。チクリと皮肉を言いたくなったが、ここは我慢しておく。
「ということは、丹波の一揆が片付けば、京兆家としては近江に参陣しても構わぬということであるな?」
「左様にございますが、いつまで一揆が続くのか見当が付いておりませぬ」
政元が少々弱気になるのも仕方がない。丹波の一揆は一昨年に発生して以来、なかなか完全解決していないのだから。
「ふむ、ならば余も丹波に出陣しよう」
「は? お戯れを――」
政元が意外そうな声を出す。「何を言っているんだコイツは?」とでも言いたげな顔だ。
「決して悪ふざけではないぞ。余が行けば一揆鎮圧が早くなるかもしれんだろう?」
ぶっちゃけた話、ボクとしては外征できるならどこでも良いのだ。近江だろうが丹波だろうがどっちでも構わない。
これまでに色々と近江遠征のことを考えていたのが無駄になってしまった。まあ、六角さんが悪さをしているのは間違いないし、いつかは必要になるだろうと思っておきましょう。
「将軍たるものの立場をお考え下さいませ。一揆ごときで御出馬をなさるなど、先例もなければ道理もございませぬ」
「余が先例になれば良い。道理に関してはこれから考える」
「これから考えるとは、物事の順がまるで逆ではありませぬか……」
あ、政元が完全に呆れ返ってしまっているぞ。
出陣する口実なんて簡単に見つかるはずだ。一揆衆も室町武士なわけだから、どうせ悪事の一つや二つやっているに違いない。こういう方向性ならば、この時代の武士に絶大な信頼を寄せられる。
丹波行きの費用に関しては、延暦寺からの贈り物でなんとか工面できるだろう。長期戦になった時は、政所の伊勢貞陸くんに金策を頑張ってもらうとする。
「道理……。なるほど、道理にございますか」
何か思いついたのか、政元が右手で口元を隠しながら考え始めた。
そして、意を決したかのような顔になって頭を下げる。
「公方様の御意向、しかと受け止めました。丹波へのご助力を是非ともお願い申し上げます。丹波の件が落着したならば、近江征伐の件も考えます」
どういうわけか、政元の態度が一変した。何かを企てようとしているのだろうか。
しかし、出陣に賛成してもらえたのだからこのまま話を進めてしまうことにする。
「相分かった。いつ頃出馬すれば良いか?」
「遅くとも来月の頭には丹波へ向かいたいと思っております」
今は四月だから、出陣は五月か。準備期間が短いのと暑い時期の出陣というのが気にかかるが、特に大
きな問題はないだろう。
出陣前に密偵を出して、色々と丹波の状況を下調べしておく必要があるな。なにせ、丹波の一揆のことが前世の知識に一切入っていない。
明智光秀の丹波制圧なら知識にあるのだが、絶対に役に立たないだろう。今から百年近く先の話だし。
政元と二人で詳細を決めていると、障子の向こうから声が聞こえてきた。
「――公方様、早急にお伝えしたいことがございます」
「入るが良い」
「ははっ」
障子が開いて、若い近習が部屋の中に入ってきた。
彼は何か言おうとしたが、部屋の中に政元がいるのに気付いたからなのか口を閉じてしまった。
「右京大夫(細川政元)に聞かせてはならぬことか?」
「い、いえ。決してそのようなことは……」
「ならば申すが良い」
「ははっ」
近習がおずおずと話し始めた。
「――なんと、伯父上が亡くなったと? ついこの間、文のやり取りをしたばかりだというのに」
堀越公方足利政知伯父さんが他界してしまい、家督は三男の潤童子が継ぐとのことだ。ちなみに次男坊の清晃くんに将軍位を継いでもらいたいのが伯父さんの希望なので、彼は堀越公方継承からは外されている。
「これはこれは、惜しい方を亡くしました……」
政元も驚きを禁じ得ないといった感じの表情だが、大きく動揺した様子には見えない。彼女としては、清晃くん擁立を目指す仲間を失ったのだから、政治的に大打撃であるはずなのだが。
ただし、堀越公方がいなくとも政元は明応の政変を引き起こす。そんな未来をボクは知っているから全く安堵できない。
「伊豆まで赴くことはできぬ故、義伯母上にお悔やみの文を送って香華も出さねば。右京大夫よ、本日はここまでにして、細かい話を詰めていくのは後日ということでよろしいか?」
「ははっ。ワシも荼毘要脚を出す支度を行いたいので、これにて失礼させて頂きまする」
政元が深々と一礼してから退出していった。
「……歴史は変わらないのか?」
ボクは誰にも聞こえないような小声で呟いた。
政知伯父さんが亡くなって、三男の潤童子が継ぐ。正確な時期までは分からないが、ボクの知っている歴史通りの流れである。これを止めようと色々と手を尽くしてきたわけなのだが、どうやら徒労だったようだ。
人の力では歴史を動かせないのなら、明応の政変を阻止できずにボクは「流れ公方」になってしまうのだろうか。
いやいや、諦めるのは早い。とにかく、やれることは全てやっておかなければ絶対に後悔する。
ボクは改めて気持ちを奮い立たせたのであった。
「義伯母上がボクの話に耳を傾けてくれれば良いのだが……」




