第20話 近江遠征計画
六角行高征伐のプランを練るにあたり、先代将軍の義煕くんの戦いを分析してみよう。
まずは簡単におさらい。
六角行高が荘園を横領する。
それに対して幕府が返還命令を出す。
行高が命令に背いたので、義煕くんは討伐を決意。諸国の守護たちに号令を発した。
結果、全国から二十一家もの国持ち大名と、二万人を超える将兵が将軍義煕の元に集まった。
圧倒的大軍を率いた幕府軍が、六角勢を圧倒する。
六角行高は近江南部の山奥へ逃亡。戦いを継続する。
対する義煕くんは、鈎(滋賀県栗東市)に陣を構えて、行高を追撃した。
行高勢は粘り強く戦い続け、戦局は長期化してしまう。
出陣から二年の後、総大将義煕くんが陣中で病没。幕府軍が撤退することになり、結果を残せぬまま近江遠征が終了した。
ここまでが、美濃の片田舎でボクが耳にしていた話である。
当時の状況をよく知る人たちから話を聞いてみると、色々と裏事情も見えてきた。
例えば、戦争中なのにもかかわらず、義煕くんが鈎の陣での生活を満喫していたとか。両親と離れて暮らせるということで、非常に楽しそうだったとの目撃談がある。
……いやいや、初めての一人暮らしで気楽さに感動した大学生じゃあるまいし、戦争中にそんな考えをするはずないでしょ。
鈎の陣中で政務を執り行っていただけなのに、酷い言われようである。京の都から離れることで自分中心の政治を行えるようになっただけだ。両親からの政治干渉を義煕くんは嫌がっていたという話も聞くけどさ。
――あれ? やっぱり義煕くんは、鈎の陣を楽しんでいたのかも。そう言えば、富子伯母さんも「愚息の思惑は別にあったようですが」とか言っていた気がする。まさか本当に両親から離れるために戦争を始めたのか、先代将軍様は?
義煕くんの本音はさておき、先の近江遠征について他の裏事情をまとめてみようか。
大軍を率いての出陣だったけど、機能していたのは序盤だけだったらしい。長期戦になってしまい、守護の将兵の士気が落ちてしまったとのことだ。
将軍の命令で嫌々参陣していた大名もいるはずだし、仕方ない話だ。そもそも、二十を超える守護たちの利害調整なんて不可能だ。さらには、義煕くんは自分の側近衆ばかり重用して、大名の意見を聞かなかったという話もある。
守護の面々にそっぽ向かれた義煕くんだけど、中でも細川政元からの反応は特に酷かったらしい。政元本人が将軍よりも後方に陣取って兵を動かそうとしない上に、六角家と内通しているとかいう噂まで流れたとのこと。
そう言えば、政元は陣を離れて美濃まで来ていたな。あの時は既に戦争への意欲がなくなっていたってわけか。
……まとめてみると、内情は酷いものだったのね。無茶苦茶なのにも程度というものがある。将軍薨去ということで全軍撤退したわけだけど、義煕くんが体調崩さなくても撤退に追い込まれていたかもしれない有様だ。
これらを反面教師にして、ボクは六角行高に勝つ方法を考えよう。
まず大前提として、短期決戦で終わらせなければならない。士気だけでなく財政の面でも必須だ。
短期決戦で終わらせるための基本方針は二つ。
方針その一、六角行高を逃がさない。
方針その二、動員する守護の数を増やさない。
まず方針の一つ目。敵の大将を捕縛もしくは殺害してしまえば、すぐに戦いは終わる。当たり前の話だが、それが難しいのが現実だ。
義煕くんが率いる数多の軍勢を見て、六角行高はすぐに居城を捨てて甲賀郡へ逃げ込んだ。次もまた同じ手段を選ぶだろう。大軍を展開しにくい山中に逃げるのは合理的だし、事前準備もしているはずだ。
となると、ボクとしては行高に逃げ込まれることを前提として、迅速に追撃できるよう戦略を練らなければならない。
甲賀郡の有力者は事前に調略しておく。その近隣の有力者も同じくこちらの味方する。行高の逃げ場を狭めるのだ。
では二つ目の方針。誰を参戦させるかだ。基本的には六角を囲むように動員をかける。
北からは近江北部に所領を持つ京極氏。
南は伊勢国司の北畠氏と、同じく伊勢国の半国守護の一色氏、伊賀国守護の仁木氏に参陣させる。
東は美濃の土岐氏。
これらの大名は仲が険悪だったり、家中に揉めごとを抱えていたりするけど、将軍が介入してまとめ上げる。
最後の西なのだが、ここが六角征伐の主力となるべき軍勢である。もちろん将軍であるボクが率いる奉公衆が担当だ。ただし、奉公衆だけだと兵数が少ないので、どこかの守護に援軍を出してもらう必要がある。
「――細川しか考えられないよな」
畿内に大きな影響を持つ細川家を参陣させるのは、地勢的にも適当だろう。
それにクーデターを未然に防ぐという意味もある。細川政元と一緒に行動していれば、将軍に背く行動などできないはずだ。
問題は政元の戦に対する姿勢だ。先の義煕くんの近江遠征でも、相次ぐ一揆への鎮圧でも消極的だった。
政元の消極性に関する話がもう一つある。
今から八年前の話。政元は畠山政長さんと共同で河内に出兵した。理由は畠山義就さんの討伐である。しかし、政元は義就さんと単独講和をして、勝手に撤退してしまったのだ。
「……異常に戦を嫌がっているな」
武家の当主なのだから、「戦争が嫌いです」なんて甘っちょろい考えではないとは思うのだが。武士にとっての義務なのだし。
「困ったな……」
考えがまとまらないので、ボクは外の空気を吸って気分転換をすることにした。自室から出て庭に降りる。
もうすぐ三月ということでだいぶ暖かくなっていて、散歩するのに心地良い気候だ。桜も間もなく花開くだろう。
「あら兄上、いかがなされました?」
聖寿が廊下からボクに声をかけてきた。
「庭を歩いているだけぞ」
「それにしては険しい顔つきのようでしたが?」
そう言われて、ボクは思わず自分の頬を触ってしまった。どうやら、悩んでいることが顔に出ていたようである。
「そんな顔になっておったか。思いが顔に出ないよう修練せねばならぬな。今日は妹に見られただけだったから良かったが、他の者であったら要らぬ心配をさせてしまう」
「良からぬことでもあったのでしょうか?」
「何かが起こったというわけではないのだが、近々戦に出なければならないかもしれぬ」
「左様にございますか……」
聖寿の顔がみるみる曇っていく。
お寺育ちの子として普通の反応だ。戒律で殺生が禁じられているわけだし。
「――あ、そうか」
「どうかなさいましたか、兄上?」
「聖寿のおかげで考えがまとまりそうだ。礼を言わせてもらうぞ」
「はあ、お役に立てたようで……」
怪訝そうな彼女を残して、ボクは部屋に戻った。
今の妹の反応で何となく閃いた。政元が戦を嫌がる理由を。
ひょっとして、宗教の教義に従っているのでは?
修験道というのは、日本古来の山岳信仰と大陸から伝来した仏教が融合した宗教である。そういうわけで、山伏も仏僧同様に殺生が禁じられている。ただし、全国の山々で修行するということでとりあえず帯刀はしている。
政元は在家信者ではあるが、修験道の教えに従って殺生を嫌がっているのかもしれない。
ここで思い出すのは、親父様の腫れ物の薬をもらいに行った時のことだ。あの時、妙に政元が親切にしてくれたが、ひょっとしたらこちらも修験道の教えに沿った行動だったのかもしれない。というのも、修験道では親孝行に関してうるさく言われるらしいから。
政元の行動原理が修験道の教えなのかどうか。仮に当たっているのなら、ボクは政元から家督を剥奪しなくてはならない。彼女が宗教的な事情で、守護の当主としての責務を放棄しているのなら、ボクは将軍として処断する必要が出てくる。
「この予測は外れていてくれよ……」
立場と恋心の板挟みになるのは勘弁して頂きたい。ボクとしては祈るばかりである。




