第2話 宴席の美女
前世の記憶が戻ってから十日ほど過ぎた後、ボクを取り巻く情勢が変化した。ボクが十代将軍になることが近づいて来たのだ。将軍代行の話が舞い込んできたのである。
少し詳しく説明をしよう。
今から二年前の長享元年(一四八七年)、九代将軍義尚(当時の名前。後に義煕と改名)は、近江(滋賀県)守護である六角行高を誅する為に出陣をした。
各地の守護に号令をかけて多数の兵を動員した幕府軍が優勢で、六角行高は近江南部の山に逃げ込むことになった。
ところが、六角行高は山中にこもって徹底抗戦を敢行。戦いが長期化してしまう。
そんな中、一四八九年三月に総大将である将軍義煕が病に冒されてしまった。かなりの重病であると、ボクがいる美濃国にも噂が届いている。
病死させるわけにはいかないので、義煕くんを近江から京の都に戻して静養させようということに決まる。しかし、戦の最中に総大将不在というのは心許ない。
そこで、次代将軍候補の一人であるボクに総大将代行をやらせようと決まったのだ。
ここで代行を引き受ければ、ボクが次の将軍として大きく前進する。実は他にも将軍候補が存在していて、まだ誰が継ぐのか確定していないのだから断るわけにはいかない。未来知識ではボクが将軍になるのだが、行動をしなかったら悪い方向に未来が変わってしまう恐れがある。
出陣準備でにわかに忙しくなったが、元々の予定というものもあるから困りものだ。
「本日はお忙しい中、わざわざご足労頂きまして深謝致します」
中年の武士が恭しく頭を下げて、ボクにあいさつをしてきた。美濃国守護代である斉藤利藤だ。
今日は彼主催の宴席が行われる。前々からの約束であるので、今日だけは出陣の支度を父親に全てお任せして参加することにした。
「わざわざボクを本日の席に呼んでくれたことに感謝致す」
「……ボク?」
「すまぬ。少し前に変わった猿楽を見て、口癖が移ってしまった。許されよ」
言葉遣いが前世の記憶に引っ張られているな。苦しい言い訳はやりたくないから、気をつけないと。
ボクが席について間もなく、宴が始まった。
この時代の宴会は、とにかく飲めや歌えや踊れや舞えやのどんちゃん騒ぎである。二十一世紀の飲み会でも名残があったから、日本人というのはこういう飲み方が好きなのかもしれない。
宴が進み、周りの人々は酔って大騒ぎをしているが、ボクは酒に飲まれないようにしておく。もうすぐ将軍になる身なのだ。威厳ある姿を保っておきたい。
近くに座っている武士たちと談笑をしていると、一人の女性が提子を持ってやってきた。
「失礼致します。お酒をお持ちしました」
そう言って、女性がボクに頭を下げる。
年齢はボクと同じくらいだろうか。日本女性らしく細やかで優しげな目鼻立ち。少し日焼けをしているが、それがかえって健康さを感じさせる。
いやはや、ボクの好みのど真ん中である。まさかこの年齢になって一目惚れなんかするとは思っていなかった。
「そなた、見かけぬ顔だが?」
あ、少しどもってしまった。柄にもなく緊張しまくっているぞ。もっと自然に話せよ、ボク。
こちらの動揺に気付いていないのか、彼女は微笑んで自己紹介を始める。
「斉藤越後守(斉藤利藤)の妹、元と申します。お見知りおきを」
「ほう、そなたのような妹がいるとは初耳である」
「幼き頃からずっと美濃から離れておりましたので」
言いながら、お元は丁寧な手つきで土器に酒を注いでくれる。
ボクの気分が高揚してしまっているのは酒のせいだけではない。彼女が席から離れるや否や、ボクは情報収集を始めた。
彼女のお兄さんに直接尋ねちゃうのが一番手っ取り早いよね。
「越後守よ、随分と美しい妹がおったのだな」
「お元ですかな? ずっと京で暮らしておりまして、そのままあちらで嫁ぎました」
あっという間に失恋してしまいした。まあ、分かっていましたけどね。ただ、離縁しているとかあるかもしれないから、一縷の望みを託して話を続ける。
「わざわざ美濃に戻ってきているということは、何かあったのか?」
「母親の見舞いにございます。近頃体の具合が思わしくないようでして。しかし妹はすぐに京へ帰ると申しておりましたな。やはり夫や子から長く離れられないのでしょう」
「そ、それは孝行娘であるな」
脈が全くなくて、ちょっと泣きそう。相手が人妻でも権力を悪用して手を出すことも可能ではあるんだけど、女性問題で悪さをすると評判が著しく悪化する。例を挙げると、九代将軍義煕くんの都での色恋沙汰が、遠く離れたこの美濃まで聞こえてきているもんね。
ボクは素直に諦めて、土器の酒を一気にあおった。今日はやけ酒しよう。悲しいなあ。