第18話 行き詰まり
年が明けて延徳三年(一四九一年)正月。ボクの親父様は結局快復せずに、他界してしまった。
義政伯父さんが亡くなってからちょうど一年後であった。あの世で兄弟仲良くやっていくことを、ただただ祈るばかりだ。
さて、親父様に頼りっぱなしで将軍職を務めていたボクは、大きな後ろ盾を失ってしまった。
特に問題なのは、家臣たちと信頼関係がまだ築けていないということだ。元西軍の武士との繋がりすら基本的に親父様頼りだった。
新任の上司がたったの半年で部下と信頼し合える間柄になるなんて、相当に難しい。ボクも努力はしたけど、本当に仲良くなれたと思える家臣はまだ数名だ。
仕事というものは上司と部下が信頼し合っていないとマトモに機能しない。上司が立場を利用して頭ごなしに命じたところで、部下は本気で仕事に取り組まない。せいぜい必要最低限をやってのけるのが関の山だ。前世で下っ端だったボクがそうだったのだから間違いないはずだ。
今世のボクは武士の親分ということで、サラリーマンとは比較にならないくらいに厳しい命令を出さなければならない。信頼できない上司から「命を懸けて戦え」と言われたところで、誰も相手にしてくれないだろう。
ボクは見事に行き詰まってしまったわけだが、細川政元ちゃんはというとこの期を逃さずにキッチリとボクへの嫌がらせをしてくれました。薬を分けてもらった時には、彼女がボクに心を開いてくれたのかなと思ったりもしたが、そんなことは全くなかったようです。悲しいなあ。
二月に入って政元は動いた。関白を務める九条家から男児を養子として迎え入れたのである。子供がいない彼女が後継者を準備するのは当然ではある。しかし、この男児というのが清晃くんの従兄弟にあたるのだ。つまり、「清晃くんを将軍にするぞ」と彼女は意思表明してくれたわけである。
この養子縁組の件はボクの未来知識の中に入っていて、実は政元にとって悪手なのだと知っている。ただし、禍難が細川家に襲いかかるのは遠い将来の話であって、現時点ではボクへの嫌がらせとして充分に機能している。とても辛いです。
二月の下旬、ボクは日野富子伯母さんを訪ねた。彼女が風邪をひいたということでお見舞いだ。
伯母さんの症状は軽く案外元気そうだったので、ボクは政治方針について相談することにした。現状、この人が最も頼りになる人なのだ。
「それならば、公方様(足利義材)が戦に出るのが最も手早いかと」
「戦ですか?」
「うちの愚息が近江に出陣したのはご存じですよね」
「はい。存じ上げております」
「愚息の思惑は別にあったようですが、長く滞陣しているうちに家臣たちと仲が深まっていたようです。妾が近江に顔を出した時、そう感じました」
「そのような手は、全く思いつきませんでした」
「あとは、洛中の民たちからの評判も良くなります。やはり将軍たるもの、馬に乗って戦に出向いてこそなのでしょう」
「一挙両得というわけですか――」
さすが幕政を牛耳った女性である。冷静に物事を見極めている。
というか、伯母さんが近江の陣に向かったというのは、病に倒れた義煕くんをお見舞いに行った時の話である。そんな時でも周囲の状況をきちんと観察できるなんて、並の精神力ではない。
戦争か……。完全に自己都合で戦いを引き起こすのは気が引ける。しかし、政治が手詰まってしまって戦争を始めるのは、古今東西よくある話だ。ここはボクも心を鬼にして検討してみよう。
親征をするとなるとお金が必要だ。ボクは政所執事の伊勢貞陸くんと話し合うことにした。
「公方様、どこにそんな銭があるとでも?」
思い切りダメ出しされてしまった。どんだけ貧しいんだ、室町幕府は?
これでも相当に倹約しているんだけどなあ。義政伯父さんの頃は応仁の乱の最中でも室町第で酒宴を度々開いていたらしいぞ。落ちぶれすぎだろ。
取りあえず貞陸くんに食い下がってみよう。
「費用の工面は難しいか?」
「新たな段銭(臨時に徴収する税)を課すしかありませぬ」
「――また新たな一揆が結ばれそうだな」
「あと懸念されるのは、戦に銭を回すと主上(後土御門天皇)がお怒りになるかもしれぬということで……」
痛い所を突いてきた!
朝廷を支えるのは室町幕府の大事なお仕事です。幕府はガードマンであり、お財布なのです。
軍事面は細川家のおかげでどうにかなっているけど、経済面は応仁の乱以降ほとんど期待に応えられていません。予算不足で数々の儀式が中止となっております。
「戦をする余裕があるのなら、帝を譲位させる方が先決だと思いまする」
貞陸くん、正論を連発するのは勘弁してもらおうか。
上皇と天皇のあり方は、二十一世紀と室町時代では大きく異なる。治天の君と呼ばれる皇族の家長は基本的に上皇(出家をしたら法王)で、天皇は上皇になる前の研修期間みたいな感じだ。
だから天皇は早く上皇になりたい。自分の立場の問題だけでなく、後継者を早期に確定させることもできるわけだし。
ちなみに、応仁の乱の最中に先代の後花園法王が崩御して以来、ずっと上皇の座は空位だ。
しかし、譲位するとなると、足利将軍家に内裏の「警護」と「掃除」の仕事が回ってくる。「警護」はそのままの意味で、武家が果たすべき役割だ。「掃除」の方は、内裏の修繕・改築・新調の意味があるので大金が必要になる。今の足利家では到底支払うことは不可能だ。
「譲位はしばらく待って頂こう。どう考えても銭が足りぬ」
「ならば、公方様も戦をしばらくお控え下さいませ」
「ぐぬぬ……」
朝廷と幕府は共存して成り立っている関係なので、気を遣う必要がある。
だけどさ、ボクが将軍職を追われたら、朝廷は今以上に困窮するよ。未来を知っているボクが言うんだ
から間違いない。だから、ボクの政治基盤が安定するまでは我慢して頂こう。
よし、出陣する言い訳完了! 金策に励みましょう!
「所務沙汰(土地に関する訴訟)も雑務沙汰(土地以外の訴訟)も滞っておるな。伊勢守(伊勢貞陸)よ、もっと迅速にできぬのか?」
裁判の手数料も幕府の重要な財源だ。効率よく捌いて収入増といきたい。
「急がせると、奉行衆が過労で倒れてしまいますぞ」
「奉行衆の数を増やすか」
「人を確保できるのならば、それでも良いのでしょうが」
法律の専門家を増やすのは難しい。この時代では学校で習うものではなく、家業としてやっている伝統があるのだからなおさらだ。
「分家でくすぶっている者とかおらぬのか? そういう連中を取り込みたい」
「とりあえず探してはみますが、元々の奉行衆から抗議されそうです」
既得権益の侵害になりかねないからね。けど、奉行衆の人員が増えるってことは全体の発言力が増すということだ。まだ奉公衆との確執が解消されていないということで、奉行衆の勢力拡大を狙う好機と考えてもらいたい。
奉行衆を増やすということは当然経費も増えるということだが、差し引いても収支はプラスになるはずだ。
よし、話しているうちに次の金策も思いついたぞ。
「そうだ。土地を取り戻したら、年貢の一部を将軍家へ納めてもらうようにしようか」
守護や守護代に横領された荘園を取り戻すのは、義政伯父さんの頃から続いている政策だ。
荘園が戻ってくるのなら、幕府に少しくらい税を納めても、地権者はお得だと思う。戻って来なければ収入ゼロなわけだし。
「慈照院様(足利義政)が同じことを行おうとしましたが、寺社の猛反対で撤回になりました。難しいかと」
「――取り返してもらう方が文句を付けてくるだと? ならば余にも考えがあるぞ。強訴を一切禁ずる。神輿やら神木やらを担いで洛中へ来ることは、今後許さぬ」
神輿を担ぐのは比叡山延暦寺で、神木を担ぐのは奈良興福寺。この二つの寺が強訴の常連さんだ。
「素直に公方様の下知に従うかどうかは怪しいですな……」
「構わずに強訴をしてくるのなら、本願寺と同じ扱いにしてやる」
現在、本願寺筋からの訴えは全て無視して、なおかつ荘園の返還事業は対象外にしている。加賀の門徒に対して何も手を打とうとしないので、ボクからのお仕置きだ。地味な嫌がらせだけど。
それでも、何ヶ月か続けているうちに「本願寺の所領を横領しても足利将軍は何も言わない」って感じの空気になった。すると、これ幸いとばかりに、各国の守護・守護代は本願寺の土地を次々に収奪し始めたのだ。さすが室町武士、他人の物を奪うことにためらいがない。
もちろん、ボクは黙認している。
本願寺の上層部はお金持ちだから少しくらい土地を失っても平気だろうが、末寺はそうもいかない。突き上げが来ていると思う。小さいながらもダメージを与えているはずだ。
「一応、公方様の仰せの通りに事を進めますが、すぐに銭が集まるわけではございませぬ。戦を始めるのは暫しお待ち下さいませ」
よし、条件付きではあるけれど、貞陸くんが折れてくれたぞ。
「どのくらい待てば良いか?」
「来年以降になると思います。急がせに急がせたとしたら、今年の秋の収穫が終わった後くらいに」
「むむむっ。致し方あるまい」
すぐに出陣できないのは残念だけど、準備期間だと割り切ろうかな。




