第13話 政元の秘密
延徳二年(一四九〇年)七月五日。予定通り将軍宣下の儀式が執り行われた。
細川政元もこの日だけはきちんと正装で現れてくれたので、無事に儀式が終了した。
「ふう……」
ボクは襟元を開いて、扇で風を送った。地球温暖化が始まっていないどころか、地球全体が寒冷期の時代だから多少マシとはいえ、暑いものは暑い。早く薄着に着替えてしまいたい。
「と、その前に」
京兆家の屋敷の中を少し見て回りたいので、一人で探検に行くことにする。
厳重な警戒が敷かれている今日なら、曲者が紛れている可能性はほぼゼロだろう。と言って周囲の人間を無理矢理納得させた。
たまには誰もいない環境でリラックスしたいのである。
部外者立ち入り禁止の場所にうっかり入りそうになった時は、京兆家の家来がボクを引き留めてくれるだろう。
「すごいな……」
京兆家の屋敷は、建物も庭も素晴らしいの一言に尽きる。さすがは最も勢いがある守護の邸宅だ。お寺に仮住まいしている将軍とは格が違う。
いや、格としては将軍が主君で、守護が家臣なんだけどね。経済事情が逆転しているのだ。
「さて、こっちの部屋はどうなっておる?」
ボクは無遠慮に襖を開いた。
「おや――?」
襖の向こうでは、政元が着替えをしていた。
「……こ、これは失礼仕った」
慌てて襖を閉めて、ボクは回れ右をした。そりゃ暑いし、そもそも政元は束帯を嫌がっていたし、すぐにでも着替えたかったのだろうが――。
ボクは一直線に自分の控え室へ戻った。
「少し考えたいことがあるから、一人にしてくれ」
畳の上に座り込んですぐ、ボクは人払いをした。そして、混乱している頭の中を整理する。
たった今の光景はどういうことだ? どうして、貴人である政元が一人で着替えていた? そもそも、主の部屋の前に誰も控えていないのは、どういうわけなんだ?
ある事実を認めれば、脳内の疑問が全て氷解する。しかし、なかなかそれを受け入れることができない。
「公方様(足利義材)、よろしいでしょうか? 右京大夫様(細川政元)がお見えになりました」
ボクが悩み始めて間もなく、部屋の外から近習が声を掛けてきた。
「通せ」
「かしこまりました」
障子が開き、政元が一人だけで部屋に入ってきた。何故か白装束を身に着けている。
「公方様、先ほど見たことは、是非とも内密にお願い申し上げます」
そう言って、政元は床に額をこすり付けた。
「誰にも話していないし、これからも話すつもりもない」
「御礼の言葉もございません。これで憂いなく腹を切れます」
「待て。どうして切腹するのだ?」
「我が秘密を知られた時、自刃して果てると前々から決めておりました故に」
「割腹するな。征夷大将軍として命ずる」
「然れど――」
「従え。とにもかくにも話をしよう。面を上げよ」
ボクが語気を強めて命令をすると、政元は素直に従った。
「まず確かめておきたい。そなたは女なのだな?」
「左様にございます」
そうなのだ。政元は女装男子ではなく、男装女子だったのだ。完璧に騙されていた。
「その髭は付け髭か」
「御察しの通りで」
「お主が実は女子だと知っているのは、何人くらいおる?」
「家中でも極々限られた者しか知りませぬ」
「着替えていた時、周りに誰もいなかったのは、そういうわけであったか」
「家人にも知られるわけにはいかないので」
「お主が男の振りをしているのは何故だ?」
「話すと長くなりますが……」
政元の父親は細川勝元。応仁の乱で東軍の指導者だった男だ。
母親は山名宗全の養女。山名宗全は西軍のリーダーである。
このことから分かるように、勝元と宗全は元々対立しておらず、むしろ縁戚関係を結んだ同盟者だったのだ。勝元は正室を山名家から迎えるだけではなく、宗全の実子(山名豊久)を養子にもらっていたくらいだから、両者の緊密さは窺える。
長らく続いていた同盟関係だが、時代の変遷と人の心変わりにより破綻寸前になってしまう。
それでも勝元は決裂を良しとせず、宗全との関係修復に一縷の望みをかけていた。それは正室のお腹の中にいる子供だった。
生まれてくる赤子は山名宗全の孫になる。この子に京兆家を継がせることで、宗全の情に訴えようとしたのだ。養子である宗全の実子は素行不良で実父に愛されていなかったので、同様のことは残念ながら不可能だった。
しかし、勝元の望みもむなしく、生まれてきたのは女の子であった。
なおも諦めきれない勝元は、我が子を男子として偽った。嘘をついてでも宗全と争いたくなかったのだ。この女児が政元である。
嘘を見抜いていたのかどうかは不明だが、宗全の心は動かなかった。政元が生まれてから一ヶ月もしないうちに、洛中で武力衝突が起きてしまう。応仁の乱が始まってしまったのだ。
さて、女ではなく男だとされた政元は、本当の性別を秘されたまま男子として育てられることになった。
父勝元が病没後、直系の子ということで政元が京兆家の家督を受け継ぐことになる。京兆家の新たな長が実は女だったとは、ほとんどの人間は思いも寄らなかった。
そして、そのまま現在に至っている。
「……数奇な運命を辿っておるな」
話を聞き終えて、ボクの口から出た素直な感想だ。政元の人生は完全に周りの大人たちの都合に振り回されている。
「お主が奇妙な格好をしていたのは、半帽子で喉仏を隠す為であったか」
「その通りにございます。本音としては直垂ではなく鈴懸衣を身に着けていたいのですが」
そっちかよ! 武士じゃなくて山伏の格好をしたいのか。まさか烏帽子嫌いなのは、本当は頭巾を被っておきたいから?
修験道にはまっているというのは、女性であることを隠す偽装のためなんかじゃなくて、どうやら本気のようである。
「家督を継ぐ時に、実は女子であると明かせば良かったのではないのか? そうすれば、修行でも何でも好きに行えただろうに」
「亡父はワシが京兆家を継ぐことを望んでおりました。その遺志に応えたまでにございます」
「随分と律儀であるな」
「それでは、話が終わったので自刃致します」
「隙あらば腹をかっさばこうとするのはやめろ。――なんでそんなに不満そうな顔をする?」
政元と話していると疲れる。男であっても女であってもだ。
「腹を切るとか言わずに、余に仕えよ。できれば妻になってくれると嬉しい」
「……は?」
惚れた相手が女だったと判明したんだもん。そりゃ口説くしかないでしょ。
「美濃で初めて会った時、お主の美しき姿に一目惚れしてしまったのだ」
「はあ、左様ですか」
対する政元は、最初は面食らっていたが、次第に不快そうな表情になっていく。
「容姿を褒めて頂き恐縮ですが、ワシは京兆家を継いでいる身なので御所へ嫁ぐわけには参りませぬ」
「忍ぶ恋という形でも良いぞ?」
「――ならば、はっきりと申し上げます。ワシは公方様を好いてはおりませぬ。それでは、これにてご免仕ります。あと、公方様に免じて割腹は諦めることに致します」
早口でまくし立てると、政元は部屋から出て行ってしまった。
……見事に振られてしまった。そりゃ政敵同士だもんね。悲しいなあ。




