73 殺されました
走り出してすぐ、歩道の暗がりを歩く人の姿が目に止まった。暗がりの中を、さまようようにして歩いていた。
その人影とすれ違って少し行ったところで私は急ブレーキを踏み、車をバックさせた。
内田だ。
私は内田を前面からとらえられる位置まで車をバックさせて、車を止め、ドアを開けて身を乗り出した。
内田はやつれた表情で彼を見た。全く生気を失って、私の顔を見ても、それが誰なのか暫くは分からないようだった。
水色のシャツと白いズボンとが真新しく、蒼白い手が車のライトの中にいやに光って見えた。
手には何ももっていなかった。もちろん、血糊など付いていない。
私は声をかけた。
「やあ。こんなところで何をしてるんだ。水族館はもう、やってないだろう?」
内田は暫く沈黙したままだったが、やがて、ぽつりと口を開いた。
「乗せてくれるんですか?」
「ああ」
「読みましたか。僕のメール」
「メール?ああ、もちろん。それで、殺人予告の場に向かうところだ。殺人は、まだ行われてないのかね」
「はあ」内田は、あいまいな返事をして、目を細めた。
「まぶしいな。疲れた」
内田はよろよろと私の車に近寄り、勝手にドアを開けて乗り込んだ。そして、少し座りたいんだ、といった。
「河合というのは誰だ?」
「河合?…」
内田は放心した様子で、私の言葉を繰り返した。
かわい、かわい…。三回、同じ言葉をいい、そして、いった。
「僕の親友です」
「河合を救ってやれないって?そして彼が殺される。どういうことなんだ」
「河合は、とても傷ついたんです。僕は、悪魔だ。僕が河合を傷つけた。そして、救ってやれなかった」
「河合は、無事か?」
「無事だと良かった」
「無事じゃないのか?」
「ええ」そういって、内田の言葉は途切れた。それから、弱々しく、いった。
「殺されました」
「どうしてだ」
それには答えず、内田は、また、「殺されました」と繰り返した。そして目を閉じた。
道路を車が一台、通り過ぎた。
民家もビルもない、丘の切り通しを走る、淋しい道だった。
崖の草叢から、コオロギの鳴く声が聞こえていた。
・・・・つづく




