64 悪質な冗談
「亡くなられた!?」
「…もう5年も前になります。亡くなられました」
「…」
私は、驚き、少し茫然として、事務机に毛が生えた程度の応接テーブル置かれた、事務机の付属品のような、花瓶の造花を見た。拍子ぬけした私の心境にぴったりな花だった。
「自殺されました」彼女は、私の瞳を覗き込むようにして、いった。
「自殺?」私はまた少し驚いた。「どうしてでしょうか。なぜ…?」
「本当のところは分かりません。何か、ひどく悩んでおられたらしいんですが。高校の教え子たちに、同窓会か何かで招かれて行って、その帰りだったようです。
自分の理想とした教育が、成し遂げられなかったことに、絶望していたんじゃないかっていう、永野さんの同僚だった先生の談話が、当時の新聞記事に出てました。
私たちは、全く、そんなこと、知らなかったし、永野さんは、そんな様子を少しも見せませんでした」
彼女は辛い記憶を呼び戻されたという顔でいった。
「少女を絶望から救った人が、自らの命を自ら絶たれるなんて、私も、社会人になったばかりで若かったし、ショックでした」
私は少しためらったが、いった。
「永野さんが、実は生きていたなんてことはないでしょうか」
彼女はその言葉を聞いて、きょとんとした顔をした。
さらに私はいった。
「いや、失礼。実は、昨日ですね、永野さんという人から、電話があったんです」
彼女の顔に私に対する警戒の色が見えた。それから間をおいて、思いついたようにいった。
「そんな。・・・いたずら電話か何かでしょうか」
私は首を傾げ、「誰がそんないたずらをする必要があるのか、私にはわからない」といった。
「私にも」彼女も首を傾げた。
「あなたは、内田亨という男の名をきいたことは、ありませんか」
「内田亨?知りません。そんな名前、聞いたこともない。誰ですか、それは」
「この人も、永野さんに、大変お世話になったという青年です。昨日、私のところにいたんですが、真夜中に永野さんから電話がかかってきて、私と話したあとで、内田と話しました」
「まるで怪談ですね」
「それで、永野さんは、マユミさんを殺した、といっていた…」
「……」彼女は眉間に皺を寄せて、私の顔をみた。「ひどく悪質な冗談です。誰が一体、そんないたずら電話を」
「永野さんの名を騙って、こんなことをする人に心あたりはありませんか?」
「全くないです。なんてひどい話…」彼女は心底、立腹したようだった。「探偵さん、そのいたずら犯を捕まえてくださいね」
「ええ、私もそうしたい。何か、思いあたることが、もし、あったら、電話ください」
「ええ」
「永野さんがお勤めされていたたという高校はどこですか」
「光聖学園です。あの、中高一貫の」
「…」
私は頷いた。光聖…。これは内田亨の母校だ。
・・・・つづく