53 アリバイは証明できない
私は挨拶した。「玖村と申します。お食事中でしたか」
「や、失礼。あんまり腹が減ったもんだから。あなたも食べますか」
「ありがとうございます、でも腹は減ってませんので…」
「そう。じゃあ、食っちゃうから、ちょっと待っててね」その男は、慌ててラーメンをかきこんだ。
「どうぞ、ゆっくり食べてください。突然お邪魔しまして、恐縮です」
「いいえ、あ、はじめまして。助教の五十嵐と申します」ラーメンを食べつつ、その男は自己紹介した。私よりも少し年上、40歳一歩手前というところだろうか。縦に長い、少し馬に似た顔をしていた。
「さて。内田くんの件ですか」食べおわり、ラーメンのカップをゴミバコに捨てて、五十嵐は立ち上がった。「まあ、茶でもいれましょう。どうぞ、おかけ下さい」
「どうぞ、おかまいなく」私はいった。
「いいですよ。ひまですから。しかし、内田が、どうしてあんな嘘をいったのかな。人を殺したなんて。
私の教え子ですし、興味、といっちゃあ語弊があるが、どうしてなのか、知りたいんですね。あれから、大学に、全然こないんだな。
心配してるんです」そういいながら、五十嵐は茶碗をもってきた。「まあどうぞ、おかけ下さい」
私は五十嵐の前の丸椅子に腰掛けた。ここはきっと、生徒が助教の指導を受ける席なのだろう。五十嵐は私の目の前にすわり、私を見て、いった。
「残念なことに、僕は内田のアリバイは直接は証明できない。でも、あの晩は、あいつはずっと研究室にいたはずです。今、追い込みの最中なんですよ。深海での微生物の繁殖実験なんですがね。時間がかかる。あいつ、うまくいってなかったんだな。不器用でね」
「研究室に夜遅くまで、よく残られるんですね。内田君は」
「好きだからね。研究が」
「先生の目からみて、どうでしょうか。やはり信じられないことでしょうか。申し遅れましたが、私は殺されたマユミさんのお母さんから頼まれてここに来ています」
「警察だけじゃ、安心できないわけですか、そのお母さんは」
「まあ、そうです。マユミさんは亡くなる前、失踪されてたんですが、その捜査を依頼されていたんです、僕は。引き続き調査を頼まれたんです」
「なるほど」五十嵐は茶を一気に飲み干して、ふうっと息をついた。
「警察に行く前に、内田君は私のところへ来ました」
私は五十嵐に、殺人を告白しにきた内田の様子や、語っていたこと、警察できいた話などを話した。五十嵐は、私の話にいちいち頷いて「うん、うん」と返事しながら聞いていた。
「そうですか。そうですね。彼は殺人などしない」五十嵐は目を細めていった。次第に科学者らしい表情に変わってきた。「しかし、確かに、普通の社会人から見たら、少し変わっているといえるかもしれない。あ、タバコ吸ってもいいですか?」
・・・・つづく