15 ふるさとは深い海
エスカレーターを降りて、暫く深海平原を貫くチューブの中を歩く。見上げると、マリンスノーが音もなく降りしきっている。
吸い込まれそうとはこのことだ。見知らぬ幻想の国の、静かな大雪の夜空を見上げているとでもいおうか…。いや、うまいたとえは見つからない。
「ああ、このきれいな子。よく来てましたね。この、深海平原の水槽によく来てましたよ。はじめは芸能人かと思ってね。印象に残ったです。はい」
水族館の案内係は、彼が見せたマユミの顔写真を見て言った。案内係は60歳をとうに越えた、初老に近い男で、客も少なかったせいもあって、親切に受け答えした。
「最近来たのは、いつでしょうか」
「さあ。印象には残ったけど、見張ってたわけじゃないし。しかし、家出したんですか。ご家族も、さぞ心配でしょうね。こんな可愛い子がねえ」
「ここへ来るときは、いつも一人だったんでしょうか」私はきいた。
「一人でしたね。一人で、この水槽をじっと見てましたね。何度も来るんで、理学部かなんかの学生さんかと思ってました。そうじゃないんです
か。ここはアベックが多いし、おんなの子一人っていうのは、目立ちましたよ」
「どんな雰囲気で見てたんでしょう」
「雰囲気?熱心でした。でもなんか、さびしいような、恐いような、妙な熱心さだったなあ。
ここは、ちょっと不気味な水槽じゃないですか、見に来るお客さんは、お化け屋敷に来るみたいな感じでね、スリルを味わって、ふざけ合うア
ベックなんか多いんですが、そういうのとは全然違ったですよ、はい。…ううん、そうだな」
初老の案内係はまだ言い足りないという感じで首をひねった。話相手に飢えている感じだった。そして唸ったあとで言った。
「ふるさと。ふるさとだね、ありゃ」
「ふるさと?」
「そうです。ふるさとを見る目つきだな、ありゃ。いえね、私、出身は東北ですが、故郷に帰省したときなんか、列車の窓から、実家の田んぼや
畑が見えたときに、思わず涙が出そうになってですね。
でも、懐かしいってだけじゃないんですよ、俺はもうこの故郷を捨てたんだっていう、そういう涙も混じっててね、複雑で。わかりますかね。
そうだ、ありゃあ、ふるさとを見る目つきだ。私も上京してから苦労しました。集団就職だったんですがね」
話は際限なく続きそうだった。
話を聞いてやれないのは気の毒に思ったが、他にも当たってみたいところがあると言いわけし、もしマユミが現れたら連絡してほしいと伝えてそこを去った。
水族館の中をもう一度くまなく歩きまわり、入り口へと逆に進み、友達をつかまえなければならないから、と入り口の係員に告げ許可されて入り口から出た。
すぐ近くのベンチに座り、タバコを取り出した。水族館の入り口を見ながら、煙をはきだした。
・・・・・つづく