名も無い二人の物語。
初期投稿分を細かく手直ししました。
私はあなたの治癒士。
あなたは私が居なくても、強くてきっと生き残る。
私はあなたが居なくても、治癒の仕事は出来るかも。
……だから時々、不思議に思う。
なんであなたは、私を雇ったの?
周囲に動くモノが居ないのを確かめてから、手に持った魔物の遺物を袋に纏めると、よっこいしょと言いながら持ち上げました。
「……手、切った」
ぶっきらぼうに言いながら、あなたは私に向かって手の甲を突き出して見せました。
「……傷は浅いですが、早く塞がるように処置します。痛みますが我慢してください」
私は袋を地面に降ろして、あなたの手袋を外して傷を確かめてから、腰にぶら下げた小物入れから薬草と灰の軟膏を取り出して、傷口に摩り込みます。
「……力が入らないと使い物にならない。何時になったら動かせる」
「……うん、そうですね……今暫く待てば、灰に溶け込んだ血が薬草と混ざって薄皮みたいになります。激しく叩いたりしなければ……薄皮の下で傷口が少しづつ塞がります」
「帰ろう、無理は出来そうにない」
そう言うと、あなたは掌を握ったり緩めたりしながら反対の手で鉈を担ぎ、前に立って歩き出しました。
(……どうして、あなたは私に一緒に来いって言ったんだろう)
いつもの疑問を心の中で呟きながら、私はあなたの後を追って歩き始めます。
二人で周りを警戒しながら森を抜け、平地との緩衝地帯に辿り着くと肩の荷が降りたように緊張が解れます。
「重くないか」
肩に担いだ袋が気になったのか、あなたは振り返りながら私に尋ねます。
「重いです。でも、この中身が有れば、暫く余裕で生きていけますから……平気です」
そう答えると、あなたは何も言わずに前を向き、また歩き出しました。
私は【忌み子】。
この国では【忌み子】は、両親の居ない者や祝福されずに生まれた者の事をそう呼びます。前を歩くあなたも、同じ【忌み子】。だからお互いに名前は有りません。
私は戦災孤児だったらしく、孤児院で育ちました。でも、その孤児院は男女問わず、貴族の囲われ者を時折送り出して、やっと存続していた程の場所でした。
私も最初は囲われ者の候補みたいでしたが、全然育たなかったので候補から外されました。それからは治癒士になれと言われて、孤児院の横に在った薬所で朝から夜中まで薬草を煮たり練ったりの繰り返し。でも治癒士は食事にも気を配り、傷を負って血が足りなくなった人や、骨を折って苦しんでいる人達が早く良くなるように献立を考えて、調理も出来なければいけません。
……私を雇ったあなたも、私と同じ。
同じ孤児院に来た時は、長い髪が女の子みたいで、私と同じで黒くて、すごく目立ってた。
だから、ちょっと大きくなったら直ぐに貴族に御呼ばれしたけれど、一日で帰された。理由を聞いたら「くちほどにもない」だって……何をしたのかは知らないけれど。
私と同じように、字は読めなかった。ただ、凄く力が有って、片手で薪割りしたり、井戸の水も滑車を使わずに引き上げたり。
ある日、いつものように隣の薬所に行こうとしたら、あなたが逃げ出したと孤児院は大騒ぎ。でも、私は気にせず薬所に行った。あんなに何でも凄いあなたが、何時までもつまらない孤児院に居られる筈がなかったし。だから私は気にならなかった。
それから私も少し大きく育った後、戦争がまた起きました。外の国が攻めてきたらしく、私は薬所から戦場に連れて行かれました。
そこでは毎日毎日、運ばれて来る怪我した兵隊さんに薬を塗ったり、ご飯を作ったりしました。朝から夜中まで、ずーっとご飯と治癒士の繰り返し。
ただ、貴族に御呼ばれされなくなった代わりに、怪我をしていない兵隊さん達に四六時中狙われました。寝ている所に入られそうになり、他の治癒士や薬士の娘さんと一緒に棒や釘抜き(バール)のようなものを振り回して追い払いましたが、身の危険は常に付き纏いました。
……でもある日、あなたがふらりとやって来て、私を見つけて言ったんです。
【こんなつまらない場所に居ないで、俺と一緒に来い】
最初は、怪我していない兵隊さん達と同じように、一時の慰みモノにするつもりなのかと疑いましたが、直ぐに違うと判りました。
だって、あなたは戦場に居る筈なのに、全然困ってなかった。相手の国の兵隊が弱過ぎて、退屈そうに欠伸しながら鉈を振るって一人、また一人と繰り返し、倒していた。
……それに、何かにつけて私の前に現れては、辛くないな、苦しくないか、と気遣ってくれてたから。
だから、私はあなたの提案にうん、と答え、一緒になって逃げ出しました。
……それから二人で抜け出した後、少しの間、浅い森に入って魔物を狩ったりと、命を繋ぐ為に出来る事は何でもしたけれど、あなたは私に、何も見返りを求めなかった。
ある日、安全な水場の泉を見つけ、水浴びをする為に服を脱いでいた時も、いつの間にかあなたは居なくなり、水浴びが終わる頃になってふらりと戻って来ると、
「敵が来ないか、見て回ってた」
と、素っ気なく言いながら、上着を脱いで泉に飛び込んだのです。正直言うと、少しだけ悔しかった。
時が過ぎて、森の中で暮らしながら、次第に戦争の気配が薄まり消えていくのを感じ取り、私達は少しづつ里に近付いてそれとなく確かめてから、やっと戦争から解放されたのですが……問題が消え去った訳では有りません。
私達の居た町に戻れないのは当然としても、他の町に行って暮らすのに必要な【引っ越し届け】が忌み子に出る事は無く、住まいを得られない……その日毎に料金を取られる宿屋暮らしをしなければならず、それが嫌なら……路上生活者になるしかないのです。
やっと、人らしい暮らしが出来る筈なのに、それすらも出来ない私達……やっと、戦争から、孤児院から解放されたのに、それすらも出来ない【忌み子】の定め……暗く、沈もうとした気持ちの私に、あなたは無表情のまま見つめながら、言いました。
「……稼ぎに行くぞ、付いて来い」
「……えっ、 あ、はい……」
思わず頷きかけて、それから少しだけ嬉しくなって、彼の後に付いて行きました。
「で、どうやって稼ぐんですか?」
「……何とかする……だから心配するな」
そう言った後、あなたは何か呟いた気がしましたが、聞こえなかったからと聞き直すのも気まずくて、言わないことにしました。
「いやはや、こんな綺麗で立派な蛇皮、どうやって採ったんだい? コイツは頭を潰したって暫く動くし、子牛も一絞めで殺しちまう位なんだぜ?」
革細工屋の主人が誉めながら、見た事も無いような量のお金をじゃらりとカウンターに出しながら、
「……まあ、細かい事は言えないかもしれんな。商売のネタだったりすれば秘密にしたいだろうしよ!」
と、一人で勝手に納得して、今度また何か採ったら宜しくな! と送り出してくれました。
「……あんなやり方、二度としないでください……」
私はあなたの首元に残る、紫色に腫れたアザを見ながら呟きました。まさか、蛇の首を絞めて仕留めるなんて無謀過ぎますし、返り討ちに成り掛けたのは事実なんですから。
「これで、刃物が買える。次はやらなくていい」
あなたは何時もの口調で答えると、その足で鍛冶屋に向かって歩き出しました。刃物……どんな物だろう。戦場で見たような片手剣? それとも槍とか斧みたいなのでしょうか?
「……それが欲しい」
あなたが指差した物を見た鍛冶屋の主人は、ピクリと眉を上げてから無表情のまま言いました。
「おい、にいちゃん。冗談なら見過ごしてやるが、本気なら止めてやる。どっちだ?」
「……それにする」
主人は盛大にタメ息を吐いてから、子供に説いて聞かせるように優しい口調で言いました。
「はあぁ……たまーに居るもんだがよ……なあ、あれは諦めた方がいいぞ? 俺が駆け出しの頃、この店を立ち上げた時に若さと勢いだけで打ち出したモンでよ、看板代わりに載っけてあるんだ。そりゃあ油塗るのを欠かしたこたぁ無ぇし、錆びさせた事も一度だってありゃしねぇ。だからよ……悪ぃが他のにしなときよ、にいちゃん」
けれど、あなたの視線は大きな長方形の鉄板……いえ、片刃の大きな鉈から動く事はありません。
また一つ、盛大なタメ息と共に主人は立ち上がると、やれやれと言いながらも後ろに置かれた脚立を動かして、その鉈が置かれた棚の下に据え付けてから、一度布に包んでそっと持ち上げて、それから改めて持ち直すとカウンターの上に大事そうに運びました。
「……これはな……両手で持つように設えてあるがな、相手が打ち込む切っ先を往なす鍔や切羽は無ぇ。つまり人間と戦う際、受け手に回るような戦い方はやり難いって事だ。それでも良いなら……」
そう告げる主人の言葉を尻目に、あなたは鉈をお百姓が落ちていた麦の穂を掴むように持つと、苦もなく持ち上げて頭の上で巧みに操り一回ししてから、
「気にしない。切られる前に打てば終わるから」
それだけ言うと、カウンターに戻してお金の入った袋を取り出そうとしました。けれど、それを察した主人は掌を突き出して、
「あー、判った判った……それじゃ、コイツは貸してやるよ。その代わり研ぎは、俺にだけやらせるんだ。それが条件だ、判ったか?」
そう伝えながら、カウンターの下から分厚い革で出来た鞘を取り出すと、丁寧に固定用のベルトを外してから鉈を差し込んで留めました。
あなたは無言のまま頭を下げて鉈を受け取り、続けて何か言おうと口を開きかけましたが、
「いいさ、いいさ! どうせ飾っておいたって、髭も剃れりゃしないからよ? 刃物ってなぁ、使ってなんぼなんだからよ! その代わり誰かに聞かれたら、必ずウチの名前を出してくれよな?」
そう言って制してから、ふいと私の方に向くと、
「なあ、連れのねえちゃん、そいつが無茶な事をしそうになったら止めてやんなよ? あんた見たとこ、身内みてぇだからさ」
言われた私は驚いて、何となく頷きながらハイ、と返事しました。
それから随分と時間が過ぎ、私は【治癒士】としてみんなに知って貰えるようになり、あなたは【鉈屋】として呼ばれるようになりました。相変わらず名前を名乗る事は無いけれど、私は別に気にしません。
だって、あなたの傍に居られるし、私はそれで充分だから。
私はあなたの治癒士。
あなたは私が居なくても、強くてきっと生き残る。
私はあなたが居なくても、治癒の仕事は出来るかも。
……だから時々、不思議に思う。
なんであなたは私を選んだの?
借り住まいの宿屋の一室で、あなたは私と向かい合って座り、難しそうな顔をして、暫く悩んでいましたが、不意に顔を上げて呟きました。
「……難しい、読めない、書けない……」
「だから、学ばないと覚えません。さ、ペンを持って」
「剣なら持てるのに……ペン、重い……」
私は字の読み書きが苦手なあなたに、横に座って新しい紙を取り出して書き取りの勉強を勧めます。
「……なんで、判るようになった」
「私は、治癒士として人の身体を治すのが仕事です。誰かに教わった事やどうやって治したかは、ちゃんと覚えますが書いて残しておくのも、必要な事の一つです」
そう言うと紙束を纏めてから、荷物の中の鞄を取り出して、書き留めておいたメモを見せながら、説明します。
「……これは、あなたがお世話になっている鍛冶屋さんの場所に名前、会った日付け。そして、これはあなたがお世話になっている組合の住所と組合長の名前……そしてこれは」
「……なんで、そんな事まで書いておく」
彼は不思議そうに尋ねます。
「……もし、私が死んでしまっても、替わりの治癒士を見つけて貰えれば、これを読んできっと上手くやって……?」
そう言った瞬間、私はあなたの強い腕で、一息に抱き締められました。
「……、! ……っ!? ち、ちょっと……!!」
息が止まりそうな強い力で抱き締められて、それに……ちょっと嬉しくて頭をくらくらさせながら、私はやっと、息継ぎしてからそれだけ言えました。すると、今まであなたは一度も見せた事の無い、一筋の涙を流しながら言ってくれたのです。
「……他に替わりなんて、居やしない……」
初めて、彼の弱さと言葉を聞いて、私は知りました。
……ああ、やっぱり……私も、あなたも……お互いが、好きだったんですね。
二人で、暮らす日々に、ほんの少しだけ、小さな違いがそれから少しづつ、少しづつ、増えていくでしょう。
ただ、これだけは絶対に変わらないと思います。
……二人の間に授かる命は、この先、絶対に【忌み子】には成らない……と。
たまには、恋愛じみたモンも書いてみたくなるんです。
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