1-9 閑話2
とある寂れたビルディングの一室で、東山下は仲間からの連絡を待っていた。
ただでさえ痩せこけた顔が、パソコンのモニターから放たれる青白い光に曝されて、より一層不健康に映る。
ぶはーっと、東山下は鬱屈とともに悪臭を伴う灰色の煙を天井めがけて吐き出した。灰皿にやや芸術的に積もり積もった吸殻の山が、東山下の苛立ちを際立たせる。
「東山下さん、そんなスパスパしてたら体に悪いっすよ」
少し離れたところで椅子に座る少年がスナック菓子両手に揶揄を入れた。
「うるせぇな。轟ぃ、健康に関して、お前にだけはとやかく言われたくねぇんだよ」
東山下は轟のでっぷりとした腹を蔑んで言った。中学生だったはずだが、なんだろうその中年オヤジを彷彿とさせる貫禄のある腹は。
両の手で持ったスナック菓子の袋からこぼれ落ちた残りかすが、弛んだ腹に散乱している。
東山下が食い過ぎをいくら注意すれど、当の轟は――能力者はエネルギーを使うんっすよ――と歯牙にもかけない。
轟のその言い訳も、明らかに消費カロリーを上回った過食の腹には説得力が無いが。
「何カリカリしてんすか? ちゃんと邪魔者の排除要因として始末屋も同行してるんっすよ。いくら化物でも眠らせてしまえばただの少女っすし、ちゃんと無事にあの少年のところまで運んでくれるっすよ」
「くそっ。あんのガキが引き篭ってなんかいなけりゃ、こんな手間もリスクもいらねぇってのに。なんであんなガキの言い分聞かなきゃいけねえんだよ」
言いながら、窓の外に目を向けた。
緞帳のように分厚い雲の下、シンと静まりかえった夜闇に倉庫らしきものの集合体が、ぼーっと淡く浮かんでいる。
隣県までを含む圏内の物資流通の要として、街では有名な巨大コンビナートだ。
そんな場所の一角に、流通の便が良いという理由で、とある少年は自室を作り引き篭っている。
もちろん普通の少年ではない。類い稀な超能力を有し何よりも大きな後ろ盾がついている。金と権力の二つが備わってるなんて世の中は不公平っすよね、と轟がよく愚痴っていた。
その少年の下へと、東山下の仲間達がある物を運んでくる手筈だったが、既に定刻から一時間以上も遅れていた。
万が一のため、二重にも三重にも保険がかけられていて、その内の一つ――少年宅周辺の見張りが東山下と轟だった。
「まあ空間系の能力者なんて珍しいっすからね、俺と違って。最低限のワガママを聞くのも大人の仕事ってもんっすよ」
まだ子供であるはずの轟が、スナック菓子を貪りながら言った。
「しかし、本当に大丈夫なのか、あんなガキで。相手は化物なんだぞ」
「大丈夫も何も、現状少年の能力で隔離することが一番安全な手立てっすから」
「どうだかな」
言い捨てて――アーティスティックな吸殻の山を増築する。
東山下は手持ち無沙汰にモニターに映し出されたリストをスクロールさせた。リストに記された名がエンドロールのように流れていく。
それらはある得意な超能力者たちの名で、それぞれにアルファベットが一つずつ振り当ててあった。
「こんなにいんのか、化物はよー」
東山下はヤケ気味に頭を掻きむしり、リストに並ぶ一つ、Fの人物をクリックした。
個人情報保護もへったくれもなく、Fの人物に対する詳細な情報が顔写真付きで表示される。その特異性がなければ是非とも声をかけたくなるような美少女だった。
容姿を見る限りで、その少女が化物であるようには見えない――いや、リストに並んだアルファベットでナンバリングされた者らは、誰をとっても見た目だけは普通の人間と変わらない。普通でない人間とも、普通である超能力者とも変わらない。
だがリストに列挙されているモノたちは、規格外の、常識外の超能力を秘めているのだと、東山下たちは聞かされていた。
それらが人類の存続すら脅かす化物であると聞かされていた。
東山下たちはとある組織、企業に所属している。主たるところは超能力を資本としての派遣業務で、表世界にも裏世界にも手広く事業を展開している。
裏の事業活動の一つ――というかそれは慈善事業のようなものだが、それは人類を守る、というお涙あふれるものだった。
超能力者の中に稀に存在する、他者の命に直接干渉する能力者。抗うことのできない最凶の化物を世界から除去すること。
まさしく、人類を守る正義の味方だ。
「どうやら、お客さんみたいっすね」
轟が自分のノートパソコンを覗き込みながら言った。東山下と同じタイプのノートパソコンに映し出されているのは能力者のリストではなく、ビル各所に仕掛けておいた監視カメラの映像だ。
それらのウィンドウの一つ――階段を監視するカメラに、その人物が写っていた。
日も暮れた時間帯に、こんな廃れたビルに用があるものなどホームレスか裏取引に手を染める闇の人間ぐらいだろう。
しかし、そのどちらでもない、映像に映ったのは黒いジャージを身に纏った痩身の男だった。
その衣装以上に不鮮明な監視モニタ越しでも分かる異常さがその男にはあった。腰に携えられたひと振りの、抜き身の日本刀だ。
「明らかに堅気じゃねえな」
轟の頭越しにモニタを覗き込んで東山下が吐き捨てる。
「何もんか知らねえが、構うな。轟、始末しろ」
東山下は来訪者を慈悲もなく切り捨て、新しいタバコに火をつけた。
「始末……って、俺の所属は始末屋じゃなくて守り屋っすよ」
言いながらも、不承不承轟は扉の前へと移動する。
男は、辺りを気にする様子もなく東山下達がいる一室へと向かっていた。
抜き身の刀をぶらつかせ、寄り道も回り道もせず廊下を進み階段を上って、とうとうその扉の前へたどり着いた。同じような廃れた扉が並ぶ中、目印もない扉に迷いなく手を伸ばし――。
「ワオゥーーーーーーーーーーッ」
咆吼が響いた。
轟のすさまじい叫びとともに超振動する音波が周囲を破壊していく。一室に放置されていたデスクや椅子を音の嵐が吹き飛ばし、扉も壁もまるで積木の建造物を崩すかのように破壊していく。
「まあ、こんなもんっすかね」
轟の前方のみが瓦礫へと変貌していた。
意気揚々とやり遂げた感を顕に、轟は労働後の菓子を頬張り――、
「悲惨なほどに悲しいな。この程度で俺を殺したつもりか」
瓦礫の中、粉塵の未だ立ち込めるそこからそんな声が聞こえた。
いつの間にか、元々抜き身であった刀を、その手に持って男が立っていた。
歳の頃は17、8くらいか、まだ幼さの抜けきらない顔に哀れみとも呆れともつかない表情を浮かべていた。その男自身も少々ダボついた黒のジャージも、傷ひとつ付いてはおらず、泰然とたった今崩れ落ちた瓦礫を踏み越えてくる。
「しぶといっすね。それなら、これでどうっすか」
言いながら轟は男へと向き直り、そして――、
「「「ワオゥーーーーーーーーーーーーーーーーーッ」」」
再び咆吼した。幾重にも凝縮し、一方向に定められた空気の振動が破壊の渦を走らせ男へと襲いかかった。
迫り来る圧倒的な声量の渦を前に――しかし男は慌てる様子もなく一薙、刀を振るった。
キーーーーーーーン。
轟音の中で風切り音が鳴いた。
突如として音の嵐が雲散し、切り裂かれ雲散した音の残滓がビル全体をビリビリと震わせ、窓ガラスが悲鳴を上げる。
轟の放った破壊音がたったひと振りで切り伏せられた。その現状に、ようやく東山下は事が尋常でないことに気づいた。
「誰だお前? 何をした?」
「ハハン。典型的なほどにテンプレな質問だな」
狼狽する轟と東山下に、しかし男は愉快そうに笑みを浮かべていた。
「まあ、俺はいささかに親切だから教えてやろう。俺は信奉者だ。そして、もちろん斬ったわけだが、所詮あんたらに理解することは不可能だ」
「斬った……?」
「あぁ、こんな具合にな」
反駁した轟に雑に答えて信奉者は動いた。
東山下の眼はその瞬間を捉えることができなかった。心霊映像のように、数歩分離れていたはずの信奉者が瞬きの刹那で轟の眼前へと移動していた。
轟の体がゆっくりと落ちていく。
上下綺麗に二等分された轟が床へと倒れ落ちた。切り口から溢れる液体が、豪奢な絨毯のように床を真っ赤に染め上げていく。
「な、なにをしやがる」
東山下は精一杯に強がりを搾り出す。足の先から恐怖がぞわりと這い上がり、身体を支配していく。
おそらく斬るという超能力であるのだろうと見当はついたが、その程度も限度もわからなかった。轟を一瞬にして切り捨てたところを見ると、常人が太刀打ちできるような相手ではないだろう。
「彼らにちょっかい出されるのは困るんでな。だから死んでくれ」
東山下のパソコンを視線で示して、信奉者は面倒そうに言う。
言葉に気圧されるように、東山下の体が無意識に後ずさる。
「な、なぜだ? なぜ邪魔をする。俺たちは人類のために――そうだ、正義のために化物退治をしてるんだぞ」
必死の訴えも、信奉者の胸には響かない。
「ハハン。抱腹なほどに笑わせるな。正義だと? そんなものは高々人の尺度で語ったものだろう? 個人の手尺で捉えたものだろう? 真なる正しき義が何であるか、無神論者に分かれというのも無理な話だがな」
嘲りを含み、轟の成れの果てを床同然に踏み越えて信奉者は語る。
目の前の超能力者に常人である東山下が勝てる道理はない。それでも、同僚を無下にされた怒りは少しずつ沸き上がっていた。
その感情もある種の正義であるのだろう。化物を排除する、人類を守るという企業理念に基づき、共感してここにいるのだ。
その胸の奥で燃える感情が、正義と語る感情が東山下を前へ前へと突き動かす。臆病な体を奮い立たせ、信奉者へと泣けなしの罵声と拳を振るった。
「ふざけろよ――がキガソク――」
不思議と痛みは感じなかった。
そんな感情も、感覚も切断されてしまったのだろうか。景色は逆さまに流れ、ロケットパンチよろしく撃ち放たれた自分の右腕と遅れて崩れる胴体が巡る視界の端に映っていた。
「ふざけているのはテメェらだ」
信奉者は切り捨てた肉塊を興味なさげに通り過ぎ、つけっぱなしのパソコンに近寄った。
モニタに映るのは金髪の少女――Fの文字が当てられた化物の少女。
「さてと、今度はどんなものかな。まあどうであっても、とりあえず無神論者の邪魔者は排除しておくか」
信奉者の鼻先を雨特有の湿気の香りが触った。曇天から零れたかすかな雨音が聞こえてくる。
窓の外ではひと柱の火の手が上がっていた。