1-7 疑念
光を放つ二つのフロントライトは獣が標的に狙いを定めるようにこちらを睨みつけている。
再び動き出した光る双眸が、今度は幾分かゆったりとした速度で迫ってきた。そして、理瑚から10メートルほど離れて止まった車は、同時にハイビームで威圧的に理瑚を照らしつけた。
その光量に圧倒されつつも、理瑚は腕で顔を覆うようにして光を遮った。腕の隙間から細めた目でその相手を確認する。
低く唸り声を上げる黒塗りのワゴン車は、エンブレムを見る限り高級車であるようだった。
強烈な逆光のためか、車体が虚空に染まる。
その中から一人の男が降りたった。
厳格そうな高級車には似つかわしくない軽薄そうな男――オレンジ色の髪は炎が揺らめくように逆だっていて、ネイビー色のウエスタンダウンに穴だらけのダメージジーンズを身に纏っている。
なにより目立つのはその男が咥えている物だった。
一見、咥えタバコにも見えるそれは、しかしタバコよりも幾分細く、先端には飴玉がくっついていた。男はその飴の棒状部分を親指と人差し指で危なげに掴むと、指示棒のように理湖へと差し向けた。
「オイオイオイオイ。揃いも揃って、ホントつかえないネェ。まったく、運び屋って大層な部署構えてたわりに、お嬢ちゃんひとり無事に連れて来れないのかネェ」
男は気だるそうに言う。
理瑚はいきなり現れた男を警戒の眼差しで睨みつけ、男の言葉を反芻した。運び屋というのは先の黒服達のことだろうか。
男はやれやれといった表情で、再び飴を口に含み、また取り出してはフラフラと揺らしながら言葉を続ける。
「それにしてもおっかないネェ。可愛い顔して何人殺してくれちゃってんノヨ」
「えっ……」
男の言葉に理瑚は喉が詰まる。確かに、黒服たちは死んでいたようであったし、実際にそうなのかもしれない。
事故の原因は理湖が暴れた為で、理湖自身もその事実を受け入れてはいた。それでも、自分が人殺しだと人に断言されることは、比べ物にならないほどに理湖の心を糾弾した。
「そんな……殺すつもりなんて……」
無事では済まないだろうことは予想できた。重傷を負う可能性も想像できた。でも、命を取ろうと思ったわけではない。
それだけは言えた。殺したかったわけではない。
「なぁに言ってンノ。交通事故なんて起こして、無傷でいられるわけないでショ。運び屋もお嬢ちゃんもサァ」
男は何か言い終えるたび、指でつまんだ細い棒に取り付けられた飴玉を咥える。再び指揮者のように飴を操りながら、男はさらに言葉を続けた。
「あァン? お嬢ちゃん、自分の能力に懸けて事故を起こさせたんダロ? えげつないネェ」
理瑚に否定の余地はない。確かに自分だけはこの能力で無事でいられると考えたのだ。
自己再生能力――そんな化物のような能力を信じて。
しかし、男は何故そんなことを言うのだろうか。能力などと口走るのだろうか。
「知ってるの?」
思わず出たその質問には答えず、男は飴を咥えたまま薄気味笑いを浮かべた。
それは、肯定の意なのだろう。
そう思うと同時に、やはり自分が誘拐されそうになったのはこの身に宿る能力が原因だったのか、と合点もいった。そうでなければ、あんな非日常的な誘拐に出会うべくもないだろう。
日常的な誘拐というのもおかしな話だが。
「こんな能力なんてあるから……」
こんなことに巻き込まれてしまうのだと、後悔しようとしてもどう後悔すべきかもわからなかった。
まさか、産まれて来なければよかったなどと言えるわけもない。だってそれは、ただ人より早く傷が治るだけの能力なのだから。自分の中だけの異常なはずだから。誰かを巻き込むだなんて思いもよらない。
そんな理湖の揺れる気持ちも、男は飴を振りかざしながら一蹴する。
「まったくだネェ。そんな能力なんてあるから、皆が迷惑を被るんだよナァ」
「迷惑って、別に誰かに迷惑なことなんて――」
「あるでショ。ありまくりでショ。まったく、お嬢ちゃんは平和ボケでもしてるのカイ? その最たるが運び屋のクズどもダロ?」
無事では済まないだろうとはわかっていた。それでも自分の能力を信じて事故を起こすように暴れた。
言い換えれば理湖が能力を持っていたから黒服は事故に巻き込まれたのだし、そもそも理湖が能力を持っていたから理湖を誘拐することになったのだろう。
だけれど、それはいささか話が飛躍しすぎている。責任が転嫁しすぎている。
「確かに自分は助かると分かっていたし、彼らが無事では済まないことも理解してた……でも、死ぬなんて――」
一片たりとも思わなかったワケではない。それでも殺すことが目的であるはずがなかった。
特殊部隊じみている以外は普通の人間でありそうな黒服は、ヘタをすれば重傷を負う可能性も多分にありえたが、理湖は黒服たちを悪であると断じ、悪であると諦め、悪であると切り捨てた。
そう、誘拐などに平気で手を染めている彼らは、十二分に悪で、犯罪者であったのだ。理湖の無謀な行動もある種正当化された防衛行為と言えなくはないだろう。
「無事じゃすまないって、そんな甘い話じゃないでショ」
「でも、軍隊みたいな装備だってしていたし。本当に殺そうと思ってたわけじゃ……」
あの重厚な装いは、戦闘以外の衝撃からも身を守ってくれるはずだった。
「あァン? もしかして、お嬢ちゃん。自分の能力が何なのか知らない、なんてことはないヨナ?」
その問が、理湖に先ほどの男の発言に疑念を生じさせる。
――交通事故なんて起こして、無傷でいられるわけないでショ。運び屋もお嬢ちゃんもナァ――。
なぜ理瑚が傷付くかどうかについても言及したのか。
「何って、自己再生能力でしょ」
理湖は恐る恐る答える。
自己再生能力――傷ついてもすぐにその傷が治る、ただそれだけの能力。人より治るのが早いだけの能力。銃で頭を打ち抜かれても再生し生きていられる、化物の能力。
「くひゃはははははははハハ」
「な、なによ」
突然笑い声を上げる男に、理湖の心中はかき乱される――自分は何か大きな思い違いをしているのではないかと、焦燥が駆け巡る。
「お嬢ちゃんの能力がそんな他愛もない能力なわけないじゃナイ。まさか、今まで人前で傷を作ったことも無かったりしちゃうトカ?」
男の言葉に、心臓が掴まれたように萎縮する。
それは、その言葉は、図星であった。
そういうふうに生きていきたし、奇しくも父親の過保護なまでの心身育成も、それを後押しする形となった。
不注意で傷を負ったことは、文字通り全くと言っていいほど無かった――だからこそ能力者であることを秘密にしていられた。
黙ったままでいる理湖に男は飴を舐めつつ続けた。
「まじカヨ。くひゃはははははははハハ。普通、人間なら怪我の一つもするもんダロ。怪我したことないって、そんなところから既に化物ってことカヨ」
化物、という言葉が理瑚の胸に深く、鋭く突き刺さった。
人として生きていたい。能力を隠すことで通そうとした道理が、逆に化物だと謗られる要因となってしまった。
「お嬢ちゃんの能力がただの自己再生? んな可愛らしい能力なわけないダロ? んな能力のために必死こいて、文字通り命を懸けてお嬢ちゃんを襲う理由があどこにあんノサ」