1-3 閑話
(ピルルルルーー)
無機質な電子音を幾度となく繰り返す呼び出し音に、椎谷柑奈は辟易する。
ついつい既成事実工作に夢中になってしまい、連絡の時間が遅れてしまっていた。
本当なら家に帰ってから電話する予定だったのだが、止む無く校舎屋上に忍び込んでの連絡となった。時間に遅れてしまったせいなのか、電話の相手はなかなか出ない。
日はすでに大きく傾き、辺りを茜色に染め上げていた。
「結果的に、結局的に、終局的に、理瑚ちゃんには逃げられちゃったし」
まったく踏んだり蹴ったりだ、と鉄柵にもたれ掛かる柑奈は自分に非があることには気づかない。
(ピルルルル――ピルルルル――ピルルッ)
何度目のコールか、数えるのも億劫になる程の回数を重ねて、ようやくコール音が途切れた。
「はいはーい。こちら、清潔で美しく健やかな毎日をめざす。透輝さんでーす」
携帯から飛び出した声は思いもよらないくらいに有頂天だった。
「なにそのテンション。透輝さぁ、フザケてんの? バカにしてんの? ナメてんの?」
「いやぁ、だって柑奈ちゃん電話遅いんだもの。そりゃ飲んじゃうよね。一本いっちゃうよね」
通話口から酒臭さが漂ってくるような、呂律の怪しい有頂天声は言う。普段、クールに振舞っているだけに、酒を飲んだ時とのギャップは凄まじいものがあった。
「ダメだよ。約束の時間はちゃんと守らなきゃ。時間厳守。遅れそうなら前もって連絡を入れる。柑奈ちゃん、そんなんじゃ社会に出てから困るよ」
その上、酔うと説教を始めるというダメ大人でもある。
「あーもう、ウザイし」
「そうやってね、嫌なことがあるとすぐに若い子はウザイとかいうでしょ。それで勝手に話を終わらせる。あのね、メールだとか、ネットだとか、ゲームだとかばかりやってるから、そうやってコミュニケーション能力が低下するんだよ」
「てか、これから作戦って時に酒飲んでる人に常識云々を言われたくないんだけど」
「いやぁ、柑奈ちゃん気落ちしてたりしないかなと思って。元気づけるためにさぁ」
あははー、とアッケラカンと笑う透輝は、どこまでが本気なのかが覗えない。
全部本気で言っているようにも、全てがその場のノリのようにも感じられる。当の本人は「元気ハツラツゥ?」と、どこかの宣伝文句を連ねている。
「透輝が元気になってるだけじゃん。やっぱりおちょくってるでしょ。一回、シバこーか? 小突こーか? ボコろーか?」
「あははー。相変わらずだなー、柑奈ちゃんは」
などと、有頂天真っ盛りな透輝は、柑奈の冷め切った態度も軽く受け流す。
柑奈はそんな透輝の寛容さに、優しさに辟易していた。仮に、気落ちしているであろう自分の為を思っての言葉であったとしても、柑奈にとってみれば余計なお世話でしかない。
これからやることは恐らく誰もが望まないことなのだろうとわかっていた。人類を敵に回し、人類が危機に瀕することなのだ。そしてなによりも一人の少女を地獄に突き落とすかもしれないことなのだ。
それでも柑奈はやめようとはしない。
これは義務で、責務で、そしてなによりも自分の意志なのだ。誰かのためではない――自分のために。世界を敵に回しても良い、なんて腐った言葉を吐く。
(自分が何をしようとしているのか?――そんなこと、その結果も含めて理解しているし。享受しているし。覚悟しているし)
自分はもう子供ではないのだ。責任を誰かに押し付けるようなことはしないのだと柑奈は心を決していた。
無理矢理に折り合いをつけようとすることもまた子供なのだということも知らずに。
「あははー、柑奈ちゃんに覚悟があるならもう何も言わないけどさ」
「そう」
「彼女の平和な日常も今日が最後かー」
「今までも平和ってわけじゃないんだけどね。超能力者なんて端から平和な日常ってやつとは無縁の生き物だし」
「それでも。これから起きることに対したら十分平和だったはずだよね」
「どうかな。そんな風にも見えなかったけど」
いつもあの少女は儚げに世界を眺めていた。
諦めたかのように、憧れているかのように。
「冷たいねぇ。友達なんでしょ」
「友達? そんなわけないでしょ」
柑奈は鼻で笑う。事実、柑奈にとってその少女は友達などではないのだ。もちろん、親友やソウルメイトなんて鼻がむず痒くなるものでも決してない。
「そうなの? まあ、それなら気兼ねはないよね。そんじゃ行こうか。たった一人の少女の平和を奪いにね」
柑奈はほくそ笑む。安穏とは程遠い、少女の未来を想像して。
「ゴメンネ、理瑚ちゃん――」