2-12 居場所(後編)
――逆さ回し。
透輝を殴りつけようと飛び掛かった重重の身体が、その軌跡をたどって押し戻されていく。
『逆さ回し』の慣性を脚を叩きつけることで踏ん張り、透輝への視線に殺気を強める。
重重が殴り掛かれば直前で動きが反転し、能力解除後の勢いを力ずくで抑え込んで次の攻撃を繰り出す。
透輝の『逆さ回し』は何度も連続で行使することができない。
それを知る重重は届かなくても後戻りしても攻撃を繰り返す。
重重の裏拳を透輝が一歩下がることで鼻先で躱す。裏拳の勢いで体を捩じって繰り出した回し蹴りは、『逆さ回し』によって返される。反転した勢いを利用して放った拳を透輝は転がるように潜り抜ける。
傍から見ればアクロバットなダンスバトルを繰り広げているようでもあった。
しかし、当の本人である透輝は死に物狂いだ。
一撃でも当たれば大型トラックに撥ねられたような衝撃が体を襲うのだ。そんな攻撃を連続で躱し続けるのだ。
能力が何度も連続行使できない以上、不可避な攻撃以外は極力自力で躱さなくてはいけない。そして『逆さ回し』の特性上、直線攻撃には有効だが、回転攻撃ではただ回転方向が変わるだけとなり、できるだけ距離を取りたい透輝には不都合だ。
死の右ストレートを掻い潜った透輝は、地面を転がり走り、必死に距離を取る。
重重がさらに追撃しようと踏み出すが――、
「――っ何!?」
どこから飛んできたのか、重重の足元にグサリと矢が突き刺さった。
「っち。この空間に弓矢なんてあったのかよ」
「まあ君は竹取物語も知らないかもね」
重重は草獅子が亜空間を創り出した直後に言っていた言葉を思い出す。
重重が知るはずもないが、竹取物語の終盤ではかぐや姫を連れ帰るために現れる月の使者に対して、それを阻止せんと帝の配下などが武器を手に集まるシーンがある。
「実際に使われることが無かったとはいえ弓の描写がある以上は、この疑似世界にも弓矢は存在しうるということだからね」
その場を離れた柑奈は、そういった武器を探しに行ったのだった。
弓矢を向けられていると分かった重重は、柑奈が潜んでいないか辺りを警戒する。
「くらえーーーー」
辺りを警戒する重重の視線がそれたのを待って、竹を足場に柑奈が飛び出す。
背後から鉈を持って勢いよく飛び込んできた柑奈の攻撃を、重重が肩をそらして躱した。
空を切った鉈を持つ柑奈を、重重が殴り掛かろうとするがそこで異変に気付く。
柑奈が手に持つ鉈の刃が逆を向いていた。
「――っ」
慌てて体を反らす重重だったが、『逆さ回し』によってちょうど刃をこちらに向けた鉈が襲いかかる。
かろうじて直撃は逃れたが、鉈がかすった左肩から血がにじむ。
(――ちっ、巻き戻したのは鉈だけかっ)
腕の傷を気にする暇もなく、続けざまに弓を引く柑奈を見て、慌ててその場から飛びのいた。
「当然、そう避けるよね」
飛びのいた勢いで地面へと巻き戻る。慣性のまま地面にたたきつけられたが、なんとか腕を突き立てて最低限の受け身を取っていた。
重重は這いつくばる体勢からすぐに立て直したいところだが、『逆さ回し』がある以上勢いよく立ち上がるわけにもいかない。そんな行動をとれば先の二の舞になるだけだ。
だがこの場では転がるでもしてすぐに体勢を変えるべきだった。
「――っこれで終わりだー!」
その声に顔を上げる暇もなく、這いつくばった大勢の重重の後頭部を衝撃が襲う。
衝撃の正体は柑奈の膝蹴りだ。
重重は後頭部に強烈な一撃を受け、さらにその衝撃で地面に顔面を強烈に打ち付けられる。続けて頭部を襲った衝撃に脳が揺さぶられ重重の意識が遠のいていく。
「激痛だった? 悲痛だった? 苦痛だった? 人の痛みを思い知ったか」
緩慢になった聴力が柑奈の言葉を拾う。
不意を突かれたとはいえ、重重と柑奈の質量差でここまでの衝撃を受けるはずがなかった。
弾いたビー玉を鉄球に当てても、その運動エネルギーは鉄球の初動に消費されて鉄球はほとんど動かない。鉄球に影響を与えるには同じく鉄球を当てるか、もっと勢いよくビー玉をぶつける必要がある。
柑奈の制限を外した攻撃は常人の筋力をはるかに超えるが、それをさらに凌駕する質量差が壁となっていた。
だからこそそこに位置エネルギーを加算べく、柑奈はその筋力を使って高く跳びあがったのだ。そして、それだけでは高度が足りないため、理瑚の前でも実践した卵をより高く浮かび上がらせる要領で『逆さ回し』を行使していた。
一度では心もとなく、重重の起き上がろうとする隙と能力の行使限界が許す限り、回数にして5回の落下の逆転によって柑奈は上方高くへと浮かび上がっっていた。
透輝の能力は確かに何度もは連発できないが、裏を返せば何度かは連続使用ができる。重重がそこに意識を至らせなかったのは、攻撃を受ければ致命傷という中で、能力の行使を制限して凌いだ透輝の努力の賜物だろう。
「柑奈ちゃんの筋力に重力加速度を上乗せしたとしても、君を打倒しきることは出来ないだろうけどね。でも地面と挟み込むように打ち込めば衝撃は跳ね上がるでしょ」
膝蹴りと地面とに挟まれ、逃げ場を失った衝撃がすべて重重の頭部を貫いたのだ。
意識が遠のく中、透輝の声が聞こえた。
「僕は君に殺されてあげる気もなければ、手を差し伸べる気もないよ」
被害者と加害者。透輝の矜持の中で、透輝と同じ側に立った少女を救おうとは透輝は思わない。
「僕にしても、あの企業も君も多くの人を傷つけてきた。そんな害獣を救おうなんて僕は思わない」
それでも――、と重重からは窺い知ることのできない顔を少し緩める。
「君に手を差し伸べようとしていた人はいたんじゃないかな。きっと彼は自分からは言わないだろうけど、それでも人付き合いが苦手な彼が名付けまでした相手なんだから」
そこが重重の居場所だったのだろうと、静かに告げる。
(……居場所……そうか……そこにもあったのか)
ずっとあの企業だけが自分の居場所だと錯覚していた。
何かを踏みつぶすしかできない、誰かを傷つける事しかできない超能力に、誰かの隣にいる自分の姿など想像もできなかった。
でも初めからあの少年はそばにいたのだ。好意を向けてもらっているかは重重にはわからなかったが、少なくとも他の人間のように恐れたり忌避したりはしていなかった。
遅すぎた発見に苦笑する事もできず、重重の意識は静かに落ちていく。
「ほんと、透輝は酔ってる時と性格違いすぎるよね。お酒が切れてると悪舌だし、毒舌だし、毒蝮だし」
「まあ、僕にも思うところはあるんだよ」
ゆっくりと、役目を終えた竹取物語の世界が歪んでいく。
「理瑚ちゃん無事かな……」
「まあ音戯くんのことだから大事は無いと思うけど」