2-10 居場所(前編)
「耳障りだな」
いつになく冷徹な声がした。重重にはこちらの方が聞きなれた透輝の声だ。
「ハン? テメェのお仲間が潰れる音だろ」
「いやいや、君の戯言のことの方だよ」
透輝の声色はいつもの軟弱なものに戻っていたが、どこか毒を含んでいる。
「さっきから聞いていれば勝手だよね」
薄く笑みを浮かべ、見下すような目つきが重重の心を逆なでする。
「確かにあそこは君にとって最高の居場所だったかもしれないけどね」
何度も立ち上がる柑奈を、重重が裏拳であしらう。
目下に跳んだ返り血を袖口で拭う。
「でも、ただそれだけだよね。君にとって大事、それだけのことだよね」
冷めた眼差しを向けながら透輝は続ける。
「僕らにとっては大事でも何でもない。むしろ目障りだね。君が居場所だというあの企業が、どれほどの人の居場所を奪ってきたかをまったく知らない、とは言わないよね」
透輝は椎谷柑奈という少女の苦悩を知っている。
透輝は白波瀬理瑚という少女の抗えない宿命を知っている。
「柑奈ちゃんにも居場所があるんだよ。それはちっぽけで、歪で、偏っていて、捻くれていて、独りよがりなものだけれどね」
柑奈の全力を込めた拳が重重に襲いかかる。しかし圧倒的な質量差がそれを焼け石に水のごとく片腕で受け止める。
「あの企業も君も、柑奈ちゃんや白波瀬理瑚の居場所を尽く奪って成り立っていた」
「チッ、うっぜェんだよ! 何が言いたいんだっつーの」
受け止めが柑奈の拳に、さらにもう一方の手でそのひじ辺りをつかる。そのまま体を一回転させる勢いを乗せて透輝の方へと投げ飛ばす。
「別に不幸なのは君だけじゃない。君がこの世で一番不幸なわけでもない。そうじゃなくても身勝手に加害者側になった時点で、君に不幸を嘆く権利なんかないんだよ」
投げ飛ばされた柑奈の勢いを、一瞬だけ反転させることで失速させる。
透輝自身も『HESPERIDES』という企業の中で、超能力に纏わる様々な仕事に関わってきた。その中で、きっと自身も知らずに誰かを不幸にしてきたのだろう。
人類という大枠で正義を語るその企業は、個人という些事を重要視しない。
そんな自分が加害者側だと自覚している透輝だからこそ、柑奈や理瑚のような少女たちを少しでも救いたいと思ったのだ。
それは一種の罪滅ぼしなのかもしれない。それすらも自覚して、自分がひどく身勝手なのもわかっている。
それでも、柑奈や理瑚という存在に手を伸ばす。目の前の救えるかもしれない存在に手を伸ばす。
本来なら『鈍重』という重荷を背負って産み落とされた重重も、透輝の守るべき対象となっていたはずだ。しかし、一度でも道を踏み外した者を透輝は容赦なく切り捨てる。
すべてを救えるわけではない。それほどの聖者でも善人でもない透輝にとって、それは最低限の線引きだ。
透輝は自分のことをエゴイストだと言う。
たとえ誰かに称賛されようが、誰かに感謝されようが、決してそれを理由にしてはいけない。
それはどこまで行っても自分の為なのである。そこを履き違えてはいけない。
だからこそ透輝は言い切る。その線引きの尊さを声高に吼える。
「いつまでも自分だけが被害者面してんじゃねえ」
透輝の怒りは、きっと自分に対するものもあるのだろう。掌が爪で傷つくほどに握りしめた拳が、その心中を物語る。
「ちょっと、熱いんだけど、熱血なんだけど、恥ずいんだけど」
珍しく怒気を発する透輝に、うんしょと立ち上がりながら柑奈が宥める。
柑奈も透輝の苦悩は理解しているつもりだった。
透輝による柑奈の扱いは、傍から見れば酷いものかもしれない。救おうとすう対象である柑奈を戦いの矢面に出し、時として盾として扱うのだ。
しかしそれは透輝にとって、柑奈の『生命の泉』という能力も含めて、椎谷柑奈という人間だと認めている証拠でもあった。
それを理解しているからこそ、柑奈は自らその役を買って出ている。
柑奈は自分の能力を含めて自分だと考えている。だからこそ、自分の能力を下手に憐れまれたり、能力をなくして柑奈を人として語ろうとすることに違和感を感じる。
だから、自分を能力込みで認めてくれる透輝に対して、信頼を寄せてもいる。
二人の価値観や関係性は、一般的なものからすれば歪んでいるもかもしれない。
それでも、透輝にとっても柑奈にとっても、その関係性こそが互いを信頼でき、安心できる居場所であるのだ。




