2-7 桃は流れる
『ちなみに僕たちは、あたかもバムケロのよう、ですよ』
声変わりも迎えていない幼声が、場内アナウンスのように辺りに木霊した。
幼稚園児がクレヨンを塗りたくったような空間で、白波瀬理瑚だけがまるで飛び出す絵本のように浮き出ていた。
「なによここ? 柑奈は?」
『まさかのスルーですか? 来来来さんでも、もう少しくらい反応してくれますよ』
川に、山に、あばら家が一つ。落書きで埋め尽くされた世界を、一つ一つ確認していく。
その中で、小学生程度には線画の入った老夫婦があばら家からトボトボと登場した。
老夫婦はすぐに別れ、老父は山へ、老婆は川へと向かったようだ。手にはそれぞれ芝を刈れそうな鎌のような色合いと、洗濯が必要そうな衣服らしき色彩を抱いている。
『どうですか? 楽しいそうな世界でしょう』
(川で洗濯するおばあさんって……、この幼い世界観も、もしかして――、)
理瑚は口には出さずに現状を見守ることに徹していた。
老婆は川へとたどり着く。洗濯機も洗剤もない時代設定なのだろう、衣服らしき色彩を水色でもみ洗いしている。
『いつまでも会話してもらえないのは僕としても困るのですけれど……』
(おじいさんも山へ向かったし、やっぱりそういうことみたいね。あのシルエットは)
理瑚の視線の先、水色の帯が続く先から桃色の物体が洗濯場へと移動してくるところだった。
桃色の物体は、ドンブラコ、ドンブラコ、と効果音が聞こてきそうなほどに軽快なリズムを刻んで揺れている。
ドンブラドンブラと揺れに揺れて桃色は流れていき、そして洗濯に従事する老婆の前をブラコブラコと通り過ぎていった
。
(――っく。この程度でツッコんだりしないんだから)
理瑚の心の中には妙な反骨精神が芽生えていた。
見覚えのある描写が映し出されようが、そんな中、老父がさりげなくあばら家の裏から帰宅しているのに気付こうが、老婆が桃色果実を見逃そうが、そしておもむろに立ち上がり驚愕の表情で理瑚を見つめ――、
「も、も、もも、も、桃太郎!!」
「って、私が桃太郎かいっ!!」
くわっと目を剥く老婆の圧力に、理瑚は思わず声を荒げてしまっていた。
『ふぅむ。なかなかに評価に値するいいツッコミですね』
シマッタと口を押さえる理瑚だったが、時すでに遅く。したり声がここぞとばかりに畳み掛ける。
『来来来さんだったらガンスルーなんですよね。流れてきた桃なんて普通拾わねぇだろ、とか本気で返して来るような人ですから』
「あんたさっきのちびっ子でしょ。なんなのよこれは」
『これは僕の能力です。僕の能力は結構変わっていましてね。物語の世界を創り出すっていう能力なんですよ。そうですねぇ『御伽創始』とでもしておきましょうか』
ようやくこの世界に関する反応と自分への会話がなされたことに、草獅子の声が心なしか弾む。
「柑奈たちはどこなの」
『お友達なら、もうひとつの世界に分断させてもらいました。貴女の能力効果がどこまで及ぶかわかりませんが、むやみに傷をつくらない方が賢明ですよ。貴女から一番近くにいるのは、隣の世界にいる彼らですから」
どうやら理瑚の能力のことは知っているようである。だとすれば、柑奈や透輝と分断させたのは精神的に『命拾い』を封じるためだろう。
『生命の泉』のレプリカを手にした今では意味をなさない揺さぶりだが、そこまは草獅子も知らない。
「あんた、一体何が目的なのよ」
『話がしたかったんですよ。神様の落し子である貴女とね』
「はぁ?」
思わず最も端的なハテナが漏れる。
『貴女にはぜひ知っていてもらいたい事があるのですが、まぁ、順を追って話しましょうか。僕らがもつ能力、いや貴女がもつ能力の意味を』
その言葉に理瑚は耳を傾けずにはいられなかった。
自分の能力の意味。それは昨日から理瑚を悩ませる命題の一つだ。
『そもそも超能力者という存在がこれほどまでに大規模に現れ始めたのは、今から三十年前なのですが、その起源は知っていますか』
少年の問に、理瑚は無言で頭を振るった。その様子をどうやって見ているのか、少年は一拍の間をおいて語り始めた。
『その年代、もちろん僕は生まれてさえいないのですが、ある方がその時の記録を残していますので、それをお話しましょう。それはたった二十人の超能力者による殺し合いから始まりました』
――少年は語る。
超能力など、本当に漫画や映画の中だけの話だった頃。その時代に残された一つの物語を。それは、レポートというにはあまりにも粗雑で、日記というにはあまりにも突飛なものであった。




