2-3 能力と責任
「あの、ソファーで死にかけてるのは」
理瑚は先ほどから唸り続ける、死にかけの青年を視線で差して尋ねる。
「ん? あー、透輝はね、なんだろう、よくわかんない。失業したーとか言ってたけど」
「失業者? そんなのといて大丈夫なの」
「まー細かいことは気にしない気にしない」
「失業って、何の仕事してたのよ」
「超能力を利用する感じの企業だったみたい。ただし、超能力者のためにね。研究したり思う存分発揮したり。でも、ある時企業体制が変わったみたいでね。えーっと、何てったっけ。企業理念? 経営方針? 行動指針? 透輝はそんなのに嫌気がさしてほっぽり出したみたい」
「そんな無責任な」
「ん~、私としては透輝に賛成な部分もあるんだけどね。それに、同じように会社の意向に反対した人も結構いたみたいだしね。まぁ、その企業も――」
「いや~、朝っぱらから百合百合しいねぇ」
いつのまに目を覚ましたのか、透輝が会話を断ち切るようにあからさまな大声で割って入った。過去に努めていた企業の話をされることは面白くないのだろう。
「透輝、まだ酔ってるの?」
柑奈の声に、透輝は名探偵のように顎に手を添え、一瞬黙考する素振りを見せる。
「まあ、二日酔いというくらいだからね。酔っているってことで間違いはないのかもね」
「そういうことを言ってるんじゃないけど」
透輝はその言葉を聞き流す。部屋のコーディネートのことなど考えてもいない、ガムテープ補修が痛ましい木製テーブル上の飲料水を一気に胃へと流し込んだ。
「さてっと。白波瀬理瑚ちゃん、君は超能力を持って生まれたことを悔やんでいるのかい」
「悔やむっていうか……」
透輝からのいきなりの質問に理瑚は戸惑う。
悔やむもなにも、その能力は理瑚がどうこうしたから身に付いたわけではない。理瑚がそこにいる、ただそれだけのことに付随してきたオマケのようなものだ。
それでも何かを悔やむというのなら、それは……。
「例えばこれなんかどうかな」
透輝は立ち上がって、冷蔵庫横に積み上げられた新聞から一部を放り投げた。
体を柑奈に固定されながらもあたふたと受け取り、その一面記事に目を向けた。無彩色の写真には古びれたビルが写されていた。
写真に写るビルの入口には、無数の野次馬とそれを阻む警察がひしめき合っている。見出しには『立て続く猟奇殺人』という煽り文句と『潰された頭部』という身の毛のよだつ文章が綴られていた。
「なに、これ……」
「最近頻発している猟奇殺人の記事なんだけど」
だから、なんだというのだろうか。理瑚の能力もそんな悍ましいものだとでも言いたいのだろうかと、理瑚の表情が歪む。
「彼らは力がないがために、自己防衛できず死んでいった」
彼ら、というのは記事に書かれている被害者のことだろう。
「もし仮に、彼らにも理瑚ちゃん程ではないにしろ、少しなりとも能力があればどうだったかな。きっと凄惨な殺人事件の被害者として紙面を飾る事もなかったんじゃないかな」
「それは、そうかもしれないけど」
「うん。ある童話の話だけどね、冒頭で主人公は力がないために故郷の村を襲われ、家族や知人を失ってしまうんだよ。しかし一転、奮起した主人公は大切なものを守れるだけの力を手に入れ、最後にはハッピーエンドを迎えるんだけど」
それはありふれた勇者の物語だった。序盤で悲劇が起こり、そこから幸福をつかんでいく冒険譚だ。
透輝は薄汚れた白い冷蔵庫から一つの卵を取り出し、手のひらに乗せて見せる。
訝りの目でその卵を見つめる理瑚に対して、クスリと笑みを浮かべると――、
「でも、いくら最後をハッピーに締めくくっても仕方がないよね」
透輝は卵の乗った手のひらをくるりと返した。
卵は重力に従って床へと向かう。
「最初に失ったものは、その後どんなに強くなったところで、どんなに栄光を掴んだところで、帰っては来ないからね。その記事に書かれている被害者にしても、仮に彼の復讐を成し遂げたとしても死んだ彼は生き返らない」
空気抵抗を受けながらも、回転しながらそれを受け流して卵は落下を続ける。
「幸運だよね、僕たちは最初から力を、能力を持って生まれてきたんだから。最初のひとつも失わずに生きていけるんだから」
床に叩きつけられる、その惨状を思い浮かべた。――が、床にたどり着く、その一瞬前に卵はその動きを止めた。そして落下速度そのままに、元の行路を巻き戻っていく。
卵はビデオの巻戻しを見ているように、手へと飛び返り、しかしその手をすり抜けてさらに飛び上がっていく。
透輝の『逆さ回し』はその物体が持つ運動エネルギーを消費せずに動作を巻き戻す。能力を解除した時点でようやく、逆転された運動エネルギーを消費するべく慣性が働き、卵は最初よりも高い位置へと至ることができる。
「ただ、そういった能力も気を付けないとね。大いなる力には大いなる責任が宿る、なんて使い古された常套句は使いたくはないけれど。何かを守る力が大きいほど、それと同じだけ。いや、それ以上に大切なものをぶち壊すことも可能ということだからね」
高く飛び上がった卵は勢いの限界か、今度は落下を開始する。重力加速度を受けて、先ほど手からこぼれ落ちた時よりも強力な力をつけて――床に飛散した。
「能力は卵を落下から救った。でも一転して卵は能力によってより悲惨な結末を辿った。何かを守ることのできる強大な能力ほど、何かを傷つける、より大きな危険性を併せ持つ。逆に言えば大きな危険性のある能力は、それだけ大きなモノを守れるということだよね。だから、能力を持っていることを悔やむ必要なんてないんじゃないかな」
要は使いようなのだと、潰れた卵を近くにあったキッチンペーパーで拭き取っていく。意外と几帳面な透輝は、一仕事終えて立ち上がると理瑚に向き直る。
「使いようって言っても、私が能力を使うと……」
理瑚の『命拾い』は、周りの命を奪うことで自身を治癒する能力だ。
自身を守り他者を傷つける。理瑚の頭に浮かぶのはそんなことだけだった。
「そんな理瑚ちゃんにこれをプレゼントしよう」




