2-2 一夜明けて
「うぅ~~おぇ~~げぇ~~」
ゾンビのような唸り声が白波瀬理瑚の睡眠を妨げた。
寝不足の頭に不快な音が直接響く。
理瑚は眠気眼をこすりながらも、身なりを整えていく。白ユリのような手でさらりと流れる金色の髪を梳かし、スカートの裾を整え、学校指定のネクタイを正した。
理瑚のいる場所は、コンビナートから幾分離れたところにある、廃棄された小さな町工場の一つだ。
冷たいコンクリートに囲まれた空間は、刑務所のようでもある。機材類は撤去されているらしく、伽藍洞になった空間の片隅を彩る家具たちがそこに微かながらの生活感をにじませていた。
家具といっても、ヒビの入ったガラステーブル、ガムテープ補修の施された不安定なスツール、傷だらけの小さな冷蔵庫、といった粗大ゴミ置き場に捨てられていそうな一品ばかりだ。
大型自動車でも軽々と出し入れできそうな巨大シャッターの閉ざされた町工場を、貧弱な蛍光灯がボーッと辺りを包んでいた。窓のないその空間では唯一の光源として常時灯しているのだろう。
部屋の角では家庭用よりは幾分大きな換気扇が静かに空気を入れ替えている。
騒音の主は、つぎはぎだらけのソファーに突っ伏していた。
「ごぇ~~どぁ~~ぶぉ~~」
言葉にならない声を発っする甲走透輝は絶賛二日酔いだ。
身長だけは成人男性の平均を上回っているも、体重は女子にも匹敵しそうなほどに見るからに貧弱そうな体躯で、昨日は理瑚を助けてくれた。
『死神の鎌』というフザけた超能力を扱う不審者を『逆さ回し』というこれまたふざけた能力で撃退したのだった。
今は閉じているのか開けているのか不明瞭な目でぐったりと萎れている。
理瑚にとって、昨日は酷い一日だった。
突如現れた怪しい黒服に誘拐され、飴を咥えたおかしな男に襲われ、友人に自分の能力のことがバレ、そうかと思えば端から知っていた風でもあった上に、その友人も超能力者であった。
あの黒服達も、飴男も、二日酔いに魘される甲走透輝も、一体誰なのだろうか。なぜ、助けに現れたのだろうか。
そんな疑問を脳裏に描き、独りため息をついた。わからないことばかりの中、唯一はっきりしていることは自分の化物のような能力だけだ。
『命拾い』――そう告げられた能力は凡ゆる傷を治癒する。
しかしそれは周りの命を、その代償にするものであった。理瑚から同心球状に、より近くにいる生物から順に回復に見合っただけの命を吸い取り、糧とするのだ。それは、あまりにも残酷な現実だった。
「おはよー、ニーザオ、ボンジョールノー」
壺から出てきた魔人のように陽気な挨拶が、理瑚の陰鬱思考を吹き飛ばす。
「どうしたの理瑚ちゃん朝からテンション低いよ。さぁテンション上げてー、さぁご一緒にーい。おはよー、ニーザオ、ボンジョールノー」
「アンタは朝からテンション高すぎよ」
人懐っこい声で擦り寄る椎谷柑奈を、片手で突き放しながら呆れ声でいう。
昨日、黒服や謎の超能力者とドンパチしたというのに、なぜいつも通りに振る舞えるのだろうか。その振る舞いが、昨日のことなど日常の些事であったというように、互いの生きていた世界の違いを見せ付けられるようでもあった。
「ねぇ、柑奈……柑奈も超能力者なんだよね」
「そだよー」
言いつつ柑奈は愛しの少女から差し向けられた支え棒をクルリと身を翻して外し、背後から抱きしめることに成功する。
綺麗に整ったというよりも、作られたかのように均整の取れた顔を愛しの少女へと埋め、くんかくんかと至福を味わう。
少女の動きに同調してショートボブの黒髪が揺れる。
「私の能力についても知ってる、のよね」
「そーだけど?」
なんでもないように柑奈は答える。
昨日も同じであった。いや、今までも理瑚が気づかなかっただけで、理瑚の能力を知りながらも必要以上にまとわりついていた。
いつ殺されるかもわからない化物の能力を前に、なぜ平然と接することができるのか。
「確かに理瑚ちゃんの能力は、最強だよ、最恐だよ、最凶だよ」
理瑚の釈然としない気持ちを察したのか、柑奈は神妙な声色になる。
「傷を負う。ただそれだけのことで周りの生き物を死に至らしめてしまう。そんな恐ろしさを持ってるよ」
聞いているだけでもゾッとする。それは、誰にも止める術がないのだ。有無を言わさず、相手に抵抗する余地すら与えず、周囲の生き物すべてを巻沿いにする。
「だからこそ、周りの人は、いやさ生物は理瑚ちゃんに対して無意識下で距離を置こうとする。生存本能っていうのかな、岸壁に立たされれば皆自然と重心を後ろに据えるでしょ。それと同じで理瑚ちゃんの能力『命拾い』という絶対的な死からは皆、無意識下で遠ざかろうとする。皆と少し距離を感じていたかもしれないけれど、別に理瑚ちゃんが悪いわけじゃないんだよね」
確かにずっと感じていたことではあった。
皆、理瑚がそこに居ることを気づいてはいるが、それでもそれだけで、誰一人として特別視する者はいなかった。料理に添えられたパセリのように、そこに居ることに問題はなく、そこに居ないことにも問題はない。
ただし一度それを食んでしまえば苦味を味わうことになる、だから誰も手を出さない。
「……柑奈はさ……なんで平気なの?」
「あれ? 理瑚ちゃん、私の能力忘れちゃった? 『生命の泉』その名の通り、泉のように生命が溢れてくる能力ってワケなんだけど」
昨晩の柑奈の様子を思い出した。再三傷つきながらも、しかしすぐに傷口から金色の光が溢れ出し、触手のように畝ねるソレが瞬く間に傷口を閉ざしていった。
「私は死なないから。私の命は決して枯れることがないから、理瑚ちゃんのそばにずっといるんだよ。辛い時も、悲しい時も、また病めるときも」
理瑚を包み込む腕が、その決意の程を示すように結束を固くする。
―ー理瑚は知らない。
自らを怪物だと愉快げに告げた少女がいったい何者なのかということを。
命が尽きることのない少女が、命を終わらせる化物に寄り添う、その意味を。
死なないから一緒にいるのだと、理由にもならないことを真剣に語る少女のことを。
今まで、高校に入ってからの二年間という月日を共にしていても、何一つ真実を知らない。知らずにいた事実と、騙されていたという現実に理瑚の心がざわめく。
どんな打算があるのかわからない。どんな思惑があるのかも知れもしない。それでも、ふとそんなことがバカらしくなった。
どうであっても理瑚を助けに来たのは今背中にいるこの少女なのだ。今まで普通に接してくれていたのはこの少女なのだ。
いきなり突き付けられた『化物』という現実の中で、決して独りではないのだという。理由ではなく、その事実が理瑚をの心を救ってくれていた。




